白岩公園・第八次踏査【2】

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(「白岩公園・第八次踏査【1】」の続き)

霜降山登山道の経路の一つである白岩公園コースに沿って歩き、白岩公園に到達できる別の経路がないか探している。
そもそもこの山道が「白岩公園コース」という名称でありながら、現在のところ知られているのは公園の裏手から入る遠回りな経路のみだ。もっと短距離で到達できる道があってもよさそうなものだが…

藪に目を凝らしながら歩いている。
日陰の場所は下草が殆どないので、どうしてもというなら潜入できなくもない環境だ。


真に道があったのなら、その経路は草木云々以前に地面がそのような形状をしている。場合によっては歩きやすいように斜面を削ったりもするだろう。そうした形跡がまるで無い場所は、ここら辺に棲む野生動物だって通らないものである。

白岩公園コース自体もそのような成り立ちから現在の登山道になっている。
ここなど特に顕著で、両側が1m程度の地山の壁になっている。はるか昔に歩きやすいよう地面を削って直線にしている。起伏のある場所なら少なからずこのようになるものである。


両側が切り通しになっているということは、明らかにその区間から枝分かれする道が存在しないことを意味する。そこでさっさと自転車を押し歩きした。

一つの登り坂をこなした先に右側への分岐路に出会う。
これは戸井ヶ浴池に降りる分岐路だ。
初期の白岩公園の経路探索で一度だけ行ったことがある…記事化の予定は今のところない


分岐路を過ぎると再び切り通しとなり両側はみっしりとシダ藪に覆われる。
ここも堀割なのでまず分岐路が存在し得ない区間だ。


白岩公園コースはここで一つのピークを迎える。面河内西分岐を過ぎた先で北側から白岩公園へ至る分岐路までの最高地点である。
ここにかなり目立つ大岩がある。


この岩の存在には早くから気付いていた。
峠部分にあるので何かの目印があるのではと期待したくなる。残念ながら人為的に据えられたものではなくただの自然岩らしい。


ピークを過ぎて下り坂になると、進行方向左側が沢地になる。
足元の著しく掘り返されたような跡はイノシシの仕業だろう。


再び枝道がないか観察した。
斜面の状態はどこも均質で、道のように見える部分は存在していなかった。


そもそもあの大岩が目立つピーク箇所を過ぎた時点で、少なくとも倒壊御堂や忠魂碑に対して白岩公園コースは遠ざかる位置の筈だ。忠魂碑は白岩公園と考えられる領域のうちの一番高い場所にあり、倒壊御堂は更にその東側だからだ。したがってピーク箇所にある大岩を見送った時点で最初に設定した2つの課題倒壊御堂を含めて白岩公園へ至る別経路の開拓は、共に頓挫したこととなった。

白岩公園の裏からの入口付近にある通称「ゴミ穴」
自分の中では、初期の踏査でここまで来ていながら引き返してしまったために白岩公園を北側から訪れる経路の発見が遅れた因果な場所として知られる。


経路探索が頓挫したので、当面の成果を求めてこのゴミ穴に着目した。
このままだと単なる白岩公園コースの散歩とお座なりな白岩公園内の視察に終わりそうな気がしたので。


ゴミ穴と命名したのも、適当に掘り下げられた窪地に雑多なものが投げ捨てられているからだ。
考えようによってはこの存在も不思議ではある。既にこの場所は人里からかなり離れている。割と新しいゴミの中には白岩公園コースを通る人が無造作に投げ捨てたものも含まれるだろう。元々は地元の人が伐採した木々などを処理するために掘ったように思われる。そのような窪地は今回の踏査の面河内西分岐でもみられた。[1]

しかしそのためだけにこれほどの大きな窪地を造るものだろうか…もしかすると遙か昔には近くに庵や掘っ立て小屋があって人が暮らしていたのでは…とも思われた。もしそうなら、ゴミ穴を漁れば意外に年代考証可能な古いものが見つかるかも知れない。

ここまでまだ目立った成果がなかったので、自転車を停めて中へ降りてみることにした。
穴の直径は5mくらいで深さは1m程度か。


ゴミ穴の縁には石柱が落ちかけていた。自転車を停めた場所からは分からなかった。
これは棄てられたのではなく元々この近くに立ててあったのが倒れたのではないかと思う。


それと言うのも白岩公園コースや県道から面河内西分岐へ至る道など、主要な分岐路にこのような石柱が散見されるからだ。
同種の石はこの辺りでも産出するが、自然の石でこのように細長くなる筈がない。また、橋の部材にしては無骨でやや曲がっている。


ゴミ穴を漁るとは言っても遺跡発掘ではない。それほどの本気度もなく、適当にそこらを歩き回って地表に現れているものだけを観察した。

割れた茶碗や徳利など陶器モノの投棄(何)が目立つ。
草木の類は朽ちてそのまま土に還っているのだろう。


銘の入っている徳利が露出していたので引っ張りだしてみた。
西本町4丁目角の山本商店となっている。近所の人が棄てに来たのだろうか。[2]


素焼きの瓦っぽいものも棄てられていた。
重い瓦をここまで棄てに運んでくるとも考え難い。農機具小屋などを解いた残骸だろうか。


それほど期待もしていなかったので程ほどにして引き上げた。

ここからは白岩公園の北側入口が近い。白岩公園コースが高度を保ったまま直進するのに対し、白岩公園へ行く経路は左側へスライスするように分岐し、やや下っている。


直進する白岩公園コースの側の樹木には、未だに「→73」という白いプレートが遺っていた。
現在は既に存在しない宇部興産(株)特別高圧線の鉄塔を案内する標示板なので、いずれ外されるだろう。


ゴミ穴のところで「主要な分岐路には石柱が設置されていた」と述べた。その裏付けとなる石柱がここにもある。

白岩公園へ向かう分岐を反対側から撮影している。
この角度から眺めると、分岐路から若干離れた場所に石柱が倒れているのを見つけることができる。


先のゴミ穴の縁にみつけたのと同種同サイズの石柱だ。表面には何も刻まれていない。
この石柱も分岐路の目印のために設置されたものだろう。


下っていく分岐路より少し離れた場所に石柱があるのは、元の経路がそこにあったからだろう。即ち現在では「鼻の穴」に向かって真っ直ぐ下っていく経路は、かつては白岩公園ではなくその先の竹堤池へ向かう道だったと考えている。
この真偽は昔を知る人に確認しなければ分からない。私がこのように考えるのも、既に公開しているマップを眺めれば気付くかも知れないが、そうでなければ説明がつかない奇妙な経路になっているからだ。

(「白岩公園・第八次踏査【3】」へ続く)

出典および編集追記:

1. 面河内西分岐だけでなく門前池に降りる分岐の近くにも伐採木を投入した窪地がある。

2. 西本町4丁目は現在は存在せず、かつての中央町1丁目付近とされる。このことより徳利は精々30年程度前のものではないかという指摘があった。読者コメント参照(ログイン必要)

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