白岩公園・第八次踏査【3】

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(「白岩公園・第八次踏査【2】」の続き)

白岩公園を北側から訪れるのは初めてではない。しかしここまで自転車を引き連れての訪問は、通過経路を問わず今回が初めてだ。


思えば道中自転車を連れて来ても押し歩き一本槍である。乗って進める局面がなければむしろ何処かに停め置いて歩いた方がマシだという話もある…^^;

ここから勝手呼称「鼻の穴」に至るまではほぼ一定な下り勾配の直線だ。ちょっと距離を稼ぐため自転車に跨ってみた。忽ちタイヤが枯れ葉の中へ埋もれて漕がなければ前へ進めなかった。まあ、それでも歩くよりは少しばかり楽はできただろうか。

さて、鼻の穴の前である。
写真を撮るために自転車は先の方へ置いている。右側のシダが生い茂るところに謎の穴がある。


半年以上経てばまた新たにシダが茂るようだ。
若干土も崩れているようである。何も知らず入口だけ見ればやはり今でも不気味な穴に思えてしまう。


2つ並ぶ穴が内部の浅いところで相互に通じていることは分かっている。しかしこの穴の正体に関しては未だに何も分かっていない。白岩公園へ遊びに来た昭和のガキ大将が帰り際にイタズラ半分で掘ったなどという適当な仮説を立てたとしても、今のところ肯定も否定もできないのが現状だ。ただ、この穴が自然に出来たのではなく人為的に掘られたということだけは確実に言える。2つの入口の断面はほぼ同様な長方形に整形されているし、内部も四角い部屋のような空間を経て繋がっている。

この「鼻の穴」と同様に謎めいているのが、白岩公園へ至るここでの奇妙な経路だ。鼻の穴の前で直角に進路を変えているのである。2枚上の写真では自転車を左を向けている。その方向にしか進攻可能な道はない。

鼻の穴から白岩公園へ進む方向は、かなりきつい下り坂となっている。


白岩公園コースから鼻の穴を過ぎて直進する道がないのは、元は存在していたものの通行需要がなくなって廃道化したためと考えている。等高線の明記された拡大地図を丁寧に眺めると、この場所ではむしろ直進して竹堤池に向かう道ができるのが自然である。灌漑用水が命の次くらいに大事だった時代なら、溜め池を連絡する道があって当然だからだ。

私は鼻の穴の前で直角に進路を変えて白岩公園へ向かうこの道の経路に特異性を感じている。そもそも出来るだけ距離を切り詰めたい山道なら、進行に障害となる大岩や崖などない限り直角に曲がる理由がない。もっと手前から近回りすれば白岩公園への距離は切り詰められる筈だし、実際白岩公園コースの分岐点には内回りすると思われる道の痕跡部分にそれらしき石柱が転がっていた。元はそこが正規の道だったのではとも思われるのだ。
石柱のあった場所の道が廃道化し、
鼻の穴経由の遠回りな道が今も生きている理由は?
もしかするとこの「鼻の穴」の存在が絡んでいるように思われる。遠回りになろうが立ち寄るべき場所だったという考えだ。
思い切り自由な発想に至れるなら、鼻の穴はかつて何かの重要な場所で、所定のしきたりに則った儀式を執り行った上で白岩公園に向かったとか、あるいは逆に帰りに立ち寄った…来園者が立ち寄るような何かがここにあったのではという仮説が立てられる。[1]

直角曲がりとなるこの下り坂の周辺を少し調べてみた。
石柱などは見当たらない。ただ、地面に埋められたように感じられる大きな石が気にはなった。


自転車に跨り、自然に下れるだけ坂を下った後に振り返って撮影。
木々が疎らな時期なので坂の下から正面に「鼻の穴」が見える。もしかしてそれがヒントなのかも知れない。


白岩公園を訪れた来園者が北側の白岩公園コースを歩いて帰るとしたら、帰り際に「鼻の穴」が真正面に見える位置になる。恐らく当時は竹堤池へ向かう道も生きていたからT字路になっていただろう。遠回りになる鼻の穴の方へ向かう道が今も遺ったのは、相応に重要な場所だったからという考え方はできないだろうか…
穴の中に何か遺されているかも知れない…まだ内部は詳しく調べていない

道は沢へ到達するまで一本調子で下る。
意外に藪化していない。これは初めて通ったときから同様だった。[2]


下り坂の途中、山手側にやや大きめの岩がある。
この岩も明らかに人の手が入っている。岩の下に礫石をいくつか押し込んで上部に平坦部分を造っている。


丸っこい岩の下に別の小ぶりな岩や礫石を押し込んで安定化する処理は白岩公園の至る所で見られる。その多くは斜面に鎮座する大岩が転がり落ちないようにするためと思われるが、テーブル岩のように座椅子を意図して造られたように見えるものもある。
この場所は沢地であり、岩が転がり落ちるような傾斜ではない。これはもしかして簡素なベンチかも知れない。
大岩の下に礫石を押し込むこと自体は格別な道具がなくても可能だっただろう

沢へ至る最後の下り部分には、間知石の破片みたいな不定形の石が散らばっている。
初めてここを通ったときから気付いていた。


沢を渡る平坦部には岩どころか礫石もまったくないように見える。
恐らく上流から運ばれた土砂が堆積し木の葉が積もっているからだろう。


再び緩やかな登りになり、進むにつれて巨岩が目立ち始める。
このような岩は鼻の穴付近には殆どみられない。


勝手呼称「倒木峠」に至った。
自転車を連れて来たのは初めてのことだ。


倒木峠の近くに鎮座するゾウアザラシみたいな巨岩。
角がとれてどの部分も丸っこい。悠久の時を経てきた貫禄ある岩に思える。
念のため岩の周囲を調べたが文字などは刻まれていなかった


ここから右のピークに向かえば法篋印塔にまみえることになる。しかし今回は主要な遺構を眺めるのが目的の踏査ではなかったので行かなかった。ここまで如何にも寄り道が多かったので、そろそろ本日の最重要課題に向かわなければならない。

倒木は石段の真上に及んでいる。人間が歩いてくぐるのもちょっと嫌な感じなのだが、今回は自転車セットなので接触しないように尚も慎重を期した。


上池を撮影。この辺りは沢地なので日中でも薄暗い。いつ来てもなかなか鮮明な写真が撮りづらい。


上池の下流側末端部は石柱を横に並べて堰堤のようにしている。
下池へ繋がる排水管が見えないが機能はしているようだ。


大自然碑はすぐ近くなので自転車を留守番させてちょっと写真を撮ってきた。

大自然碑。
直近の合同調査会で苔などを除去したので今も鮮明に撮影できる。


そうそう…
もしかするとまだ記事で指摘していなかったかも知れないが、大自然碑の左側に縦書きの3文字が刻まれている。


この部分だ。
文字の部分をツタ類が覆っていたので取り除いて撮影した。
雑草を取り除く前の状態はこちら


その左側はまだツタが覆っているが、文字は何も刻まれていなかった。
一番下の「書」は分かるが上の2文字は解説している書物に接しておらず調べる必要がある。[3]

大自然碑を据える経緯を記した部分は、まず正面部分を額縁状に削った上で文字を刻みつけている。
角の装飾など細かなところまで凝っている。


それから大自然碑の横に刻まれた短歌の部分を再度検証してみた。2首刻まれたことになっているのだが、どう思っても1首しか見つかっていなかったので。

(「白岩公園・第八次踏査【4】」へ続く)

出典および編集追記:

1. そう大層なものではなく、小屋を建てるほどではない物品を格納する穴蔵だったとも考えられる。
しかし白岩公園が修養の場から出発したことを考え合わせれば、もし鼻の穴が白岩公園に関するものなら祭礼関連の何かがあったような気がしてならない。

2. この道や県道側から白岩公園に至る道が形を保てていたのは、窒素線のメンテナンスでの通行需要があったからではとも考えている。これまで調べられた限り、窒素線の鉄塔に至る管理道はどこも道と判別可能な程度までは草刈りされていた。
どの程度の頻度で管理道の草刈りを行っていたかは定かではないが、少なくとも窒素線(特に園内にあるNo.74とNo.75へ至る管理道)のメンテナンス業者は白岩公園の存在を知っていた筈である。裏を返せばもし白岩公園内に窒素線が通っていなかったなら、今ある到達可能経路のいくつかはもっと酷く荒れていただろう。

3. この文字は「素行書」と彫られている。素行とは渡邊祐策翁の号である。
最初この文字を目にしたとき、一文字目が「寿」のように読めて意味が分からずにいた。読者情報による。(要ログイン)

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