最近、地理院地図の拡大表示データを眺めていてこの部分の詳細な路線表示が得られることに気付いた。白岩公園コースの分岐点近くを表示させてみると…御堂らしき建物に向かう細い道が表示されているではないか。[1]
この分岐点を中心にポイントした地図である。
地図では適当な太さの表示で適当に道が記載されている。いわゆる白岩公園コースと呼ばれる登山道はここを直進し高度を下げずに尾根伝いに進んでいる。地図では戸井ヶ浴池へ下る道だけが記載されている。
分岐路から左へ行く道が途中まで記載されていて、これがかつて倒壊御堂へ向かう参拝路だったようなのだ。[2]
初めて訪れたときから道があるらしいという感触を得ていたこの場所である。
傍目にも明らかな分岐路で木の枝に黄色いリボンでマーキングされている。
このリボンは白岩公園の存在すら知らず白岩公園コースと呼ばれるこの登山道を歩いているときから見つけていた。しかし現状ではこの先に道は存在しない。10mも進まないうちに足元も見えないほど深いシダ群生になり完全に道の形が喪われている。
スマホのGPS機能を頼りにここを突撃することで倒壊御堂へ至ることが確認されたという報告を得て、再度検証に訪れた次第だ。
分岐から入ったところ。もう幾度このシダ群生を前にして気持ちを萎えさせられたことだろうか。
足元を撮影している。
お腹のあたりまでシダの葉に隠されるほどの状況なのである。
地理院地図は50m程度直進することができれば倒壊御堂へ到達できる情報を与えている。そこでまずは困難があろうができるだけ進行方向を変えず直進し続けてみた。
御堂がある場所までは一本調子の登り坂になる筈だ。その通りに山の斜面を辿る形でシダ群生も雑木も構わず突撃している。
シダ群生から抜け出した辺りですぐ近くに割と鮮明な踏み跡らしきものが見えた。
距離的には数メートル、ものの数歩程度である。
ところが…
出てきた先は白岩公園コースそのものだった。
これは第八次踏査においてもやってしまっている。自分の歩調としては山の尾根をたどる積もりで標高を上げつつ直進していた。しかしはからずも白岩公園コースへ再度出てきてしまった。それほどに酷い藪やシダ群生の中では方向感が分からなくなるものなのだ。
地図では倒壊御堂へ至る道は白岩公園コースよりある程度の角度を保って分岐している。また、等高線を観察する限りでは一つの沢を遡行しているようでもある。そこで自転車を留め置いたスタート地点へ一旦戻り、最初よりは若干進行方向を左へ修正しつつ再度突撃した。
雑木の先へ前回訪れたとき見つけた石積みが見えてきた。
藪の中に埋もれる謎の石積み。この石積みの存在は倒壊御堂までの到達を達成したM氏も見つけていた。
自分もここへ到達はしていたものの倒壊御堂の下部構造にこのような石積みはみられなかったこと、あまりの藪の酷さと高低差から道の存在が考えられなかったために撤収していた。M氏によれば、この石積みからもう少し先に進むことで倒壊御堂に達したと話していた。経路の再現性からは難があるが、倒壊御堂がどの方向でどの程度離れた場所にあるか検証するためにこの斜面に取り付いた。
前回撤収している位なので斜面の克服は重労働だった。石積みを直接は登れないからその右横へ迂回路をとった。背丈を越えるほどの高さで、藪がどうのこうのという状況よりは掴んで体重を預ける頼りになる木の枝と足元を固める方が大変だった。
石積みを克服した先にいる。
大きな木はないが周辺一面が雑木でまるっきり見通しが効かない。
初めてこの石積みを見て克服できず引き返したとき、もしかしてこのすぐ上に倒壊御堂があるのでは…そのことを知らず目前にして引き返してしまっていたのでは…という思いがあった。幸か不幸か、石積みの上は相変わらずの藪地だった。もう少し先へ進まなければならないらしい。
かつて石積みを築いた位ならここに家があったのだろうか…あるいは道も…
確かにごく狭い範囲で部分的に草木が退いた平場はあった。地山レベルで見れば平坦地ではあった。
再び酷いシダ群生にぶつかった。
まるっきり道の痕跡はない。低木の密集度も濃く回避すべき経路がなく突撃以外なかった。
地図ではものの50m程度の筈なのである。心理的には200m位歩いているように思われた。シダ群生に見舞われれば1mの直進すら厳しいのでもし植生がすべて取り除かれた禿げ山状態なら白岩公園コースからも直接見透せる位に近いのかも知れない。
このシダ群生を突っ切った先だったと思う。
微かな踏み跡のような筋が視認された。写真でもその様子が窺えるだろう。
周囲に目印となるものがないので、この踏み跡が今まで白岩公園を含めた周囲を歩き回って見つけたどの経路のものかは当然分からなかった。
続いてこの直線筋の地面に外部から持ち込まれたものと思われる花崗岩を見つけた。
半分以上埋まっているが周囲は草木しかないので自然の石だろうが見つけ出すのは早かった。
もしかすると倒壊御堂へ至る参道の石段の一部かも…と感じた。
道具を持ち合わせないので素手で溜まっている土砂を取り除いた。
残念ながら埋まっているのはこの一本の石柱のみだった。
荒削りな外観から想像されるように文字などは刻まれていなかった。しかし同種の石は周囲にまったくなく人の手で加工されたのは明白だった。
藪の先へ倒壊御堂が見えてきた。
確かに到達はできたが、その経路は自分の中で想定していたものとは異なっていた。
自分としては地図の通り御堂の裏側へ出てくると思っていたのである。
実際には手水石がある近くだったから正面からの参道に近い場所になる。
御堂の裏側へ直結する道は当初から存在しなかったのではないだろうか。それと言うのも初回訪問時、この倒壊御堂の裏側を調べている。御堂のすぐ後ろはかなりの傾斜地になっていることに気付いていた。
祠の左横から撮影している。
地山に据えられているのではなく基礎部分が別途造られている。
基礎部分を上から撮影。暗がりでフラッシュが光った。
石柱で台座部分を支える構造になっている。この上に祠が造られているのである。
即ち倒壊御堂は地山へ据えられているのではなく、何故か近傍のピーク付近の斜面を利用している。平坦な場所を確保するために斜面に石柱を建てて平場を造っている。
K氏が木製の扁額を見つけたのは倒壊御堂の裏側まで降りたときだった。まな板のような扁額があると聞いて自分も後に続いたのだが、祠の正面との高低差が背丈近くあって登り直すのが大変だったのを思い出した。
(そのため今回は下へ降りずに上から撮影している)
M氏の指摘通り確かに白岩公園コースから倒壊御堂へ到達はできた。しかしその道は殆ど形がないほど失われている。もし許されるなら草刈り機を持ち込んで下草だけでもすべて取り除いたなら地形が現れて経路に関するヒントがもたらされるだろう。
この後同じくM氏によって報告があった国土地理院地図の三角点の探索を行った。
大岩が転がっている最高地点付近を歩き回ったが三角点は特定できなかった。
この後に忠魂碑も訪れた。経路はK氏による枝マーキングが遺っていたので困難はなかった。
白岩公園コースから倒壊御堂への経路確定が主な目的だったので白岩公園方面までは歩かなかった。何よりも自転車を白岩公園コースへ置き去りにしているので困難を承知でここまで突撃してきた経路を引き返した。
本当に一度、草刈り道具を持ち込んであの黄色いリボンから刈り取ってみたいものだ。地山の様子が詳しく分かるから道の痕跡くらいは現れるだろう。そして元からあった道なら整備し復元して通れるようにしても良いのではないかとも思う。
終
出典および編集追記:
1. 埋め込み地図にすると本編の読み込みが遅くなり閲覧履歴にも障害が発生する不具合があるのでリンクにしている。
(この不具合が修正されるまで地理院地図での埋め込み表示は使用しない)
2. 当初作成した白岩公園周辺のマップでは左側の分岐そのものが白岩公園コースと考えて記述していた。実際は右側が白岩公園コースと判明したので改定マップではこの経路図を描き換えている。
1. 埋め込み地図にすると本編の読み込みが遅くなり閲覧履歴にも障害が発生する不具合があるのでリンクにしている。
(この不具合が修正されるまで地理院地図での埋め込み表示は使用しない)
2. 当初作成した白岩公園周辺のマップでは左側の分岐そのものが白岩公園コースと考えて記述していた。実際は右側が白岩公園コースと判明したので改定マップではこの経路図を描き換えている。