白岩公園・第八次踏査【6】

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(「白岩公園・第八次踏査【5】」の続き)

また来れるから…場所は頭に入れたからいつでも来られるのだから…
そう言い聞かせつつ倒壊御堂を後にした。


しかし「いつでも来られる」の部分は、もう少し客観的な経路の再現性が必要だ。合同調査のとき平日組を案内できなかったところにも現れているので、経路再現性を保証する作業を追加した。
K氏が持ち込んだテープの余りが地面に落ちていたので、特に分かりづらいと思われるあの段差登り口に再度テープを巻いておいた。


この場所は石積みの切れているところを登って左に曲がり、溜まり水に割れた瓶が見える場所だ。私がイバラと格闘したときには溜まり水の前を横切るように進んだのだが、倒壊御堂に向かうならここから再度右に曲がって段差を登らなければならない。写真のように一跨ぎを要する段差があって赤土が露出しているので、一つの目印になるだろう。

沢を下るとき、当初の予定通りここに造られている緩衝池を調べた。
池の周囲にはそれほど藪が蔓延っておらず道から眺められること、特異な遺構が見えなかったため内部へ降りてまでは調べていなかった。


踏み跡からそれて斜面を下降する。


適当な石を並べて間にはモルタルを詰めているらしい。
さすがに石積みだけでは池としての機能を果たさないからで、梵字池と同じ造りだ。


石積みの高さは1m弱程度ありながら中には水があまり溜まっていない。
底に陶管が埋められていてそこから水が流れ出ていた。


この排水の仕組みより、当初から湧水を蓄えて池のようにする目的ではなかったように思える。
山からの水が一気に沢を駆け下りないように勢いを弱めるためだったのではないだろうか。

側面から撮影。
軽く湾曲している外観はまるで下あごの歯を思わせる。


足をかけてみた。
どの岩もしっかり固定されていて微動だにしなかった。


石の縁に立って池の中央を眺めている。
木の葉や枯れ枝の堆積がもの凄い。岩も転がり込んでいる。
池の中央部分に積み重なる岩がちょっと気になった。石灯籠のようなものの一部ではないかと思われたからだ。


岩の堰堤を伝って反対側まで渡ってきた。
岩を寄せ集めた石積みがあるだけで、それ以外の人工物が見当たらない。


上流側を眺めていて、奇妙な岩の空隙に気が付いた。
この部分は倒壊御堂に向かったときの道からは見えない。


自然にできた空隙だろうとは思いながらもカメラを向けている。
いや…これは人為的に造ったもののようだ。


それと言うのも右側の台座になっている岩の上に楔状の岩が押し込まれているのが見えたからだ。
例の”安定化処理”である。自然の状態ではこのようにはならない。


空隙の奥がどうなっているかは分からなかった。間口が数十センチしかないのでまさか人が潜るために造ったものではなさそうだ。池の中は水浸しで足元が悪く、不用意に中へ入っていける状態ではなかった。

上流から池を眺めている。
元から斜面を固定するための石積みが左岸側に存在し、そこから垂直に石積みを造って池の縁にしている。


中央に転がる岩がどうにも気になるので、足元がハマらない範囲で可能な限り接近した。
積もった木の葉や枝を踏み締めると池の水が染み出てくる。靴を濡らしそうなので迂闊に踏み込めない。


ただの自然石以外の何にも見えない。
梵字池のような石盤や上池で見つかった石灯籠などを期待していたのだが…もしかすると木の葉や枯れ枝の下に何か埋もれているのだろうか。


池の中から上流側を眺めている。
土など見当たらないのに岩の間へ根を這わせまくっている樹木が逞しい。どうやってここまで育つことができたのだろうか。


すぐ上が先ほど横を通った石積みである。
石積みの奥には割れた瓶が転がっていたので、かつては池を眺められる小屋などがあったのだろう。


結局、この池に未知の遺構は何も見つからなかった。水の勢いを弱める緩衝池だろうと結論付けたい。
本日はこれで終了だ。


既に時刻は午後4時を回っていた。
日が傾くと気温が下がるのも早い。冬場は行動時間が制限されるのはどうしようもない。


辛い思いをして自転車を連れてきた代わりに帰りは楽だ。ボール橋まで自転車を漕ぎ、そこから先はむしろブレーキレバーを引き絞ってもズルズルと下りたがるような坂だ。一気に県道まで転がり降りた後、上条経由のいつもの道を濃いでアジトへ向かった。
期待していた白岩公園コースからの経路開拓には失敗し、倒壊御堂にあった扁額は当初の宣言に反して持ち帰らなかった等と、当初計画からはかなり外れた今回の踏査だった。

これほど回を重ねたのだから、明らかになっている部分が多くなり新たな発見は次第に少なくなっていく。もっとも今なお白岩公園にかつて存在した遺構のすべてが見えてきたとは到底思えない。倒壊御堂の下敷きになっているものとか、木の葉が大量に流れ込んでいる池を浚えれば何か出てくる可能性とか、詳細な調査を行う余地のある場所はまだ相当残っている。

今後はそれらのどこまで着手していいものかという実務的な問題と、既知の遺構についての項目別な分類整理が課題になりそうだ。
並行して未だに私有地である白岩公園そのものについて、現在の所有者とコンタクトを取ったり、今後の白岩公園のあらまほしき姿をどのように考えていらっしゃるかを伺うなど、次の段階に向けて一歩踏み出す時期も近づいているような気がする。[1]


出典および編集追記:

1. 第八次踏査のレポートを書いている最中に合同調査会のメンバーが設園者の末裔となる方とコンタクトを取り、詳しい話を伺えたようだ。
いくつかの重要な事実があるもこのレポートには未だ反映させていない。それらは今後どこかの記事で語られることになるだろう。
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【追記】(2013/12/17)

2014年度からの電子国土情報から地理院地図への移行に伴い、地図表記の一部機能が改定されて以前より更に一段階拡大された表示が可能になった。この拡大地図ではあぜ道レベルの細い通路や既に存在しない山道も掲載されており、閲覧の過程で白岩公園コースから倒壊御堂へ向かう道が記載されていることに気付いた。
この情報とGPS機能を駆使して合同調査会に参加したM氏が経路を再度検証し、道は殆ど失われた状態であるものの確かに倒壊御堂へ到達可能だったという報告がもたらされた。

この報告を受けて12/15に現地をトレースした。訪問回数としては9度目になるが、内容的に上記の続編と位置づけられるので、後続記事として案内する。

(「白岩公園・第八次踏査【7】」へ続く)

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