白岩公園・第九次踏査【2】

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(「白岩公園・第九次踏査【1】」の続き)

何度目の踏査時だっただろうか…あの時は背の高い枯れ草を漕ぎつつ手水の岩に接近し撮影したのだった。


位置的には法篋印塔へ向かう3連続石段の途中にある平場だ。初回訪問時には微かに手水の岩が見えることで何かあるらしいと気付く状況だった。今は低木が刈り取られているので石段を経て横からこの平場へ到達できた。

井桁に組まれた石材はそのままだった。相変わらずいつ頃何のために積まれたかは分かっていない。


初めてここを見つけた後に藤山八十八箇所の倒壊御堂で同じ手水の岩を見つけたことから、同様の御堂を造ろうとする途中だったか、壊れてしまったため残骸を片付けて石材を一箇所にまとめて積んだのでは…と考えていた。
詳しいことは未だに分かっていない。むしろ白岩公園に存在する遺構で成り立ちが分かっているのはほんの一部である。園内の設計図や作品の配置図などは知られていない。ただ、この手水の岩や御堂が藤山八十八箇所に関するものだとしても当初から造られていたものではないことだけは判明している。[1]

少し離れて撮影。石材の横に大きめの岩があったが、加工された形跡はなく自然のものらしかった。この岩の存在は初回訪問時は枯れ草に隠れてまったく分からなかった。
平場の奥は地山と段差がついていて、この場所を確保するために削ったらしい。そこから奥に道はついていないようだった。
充分には調べていない


それから3連続石段を進んで法篋印塔のあるエリアを撮影しに向かった。
前回、しつこいヤブ蚊に襲撃され付きまとわれ撮影の途中で退散していた。


法篋印塔についてはこの時の撮影画像を元に遺構ごとの記事として既に先行公開済みである。
派生記事: 法篋印塔
新しいデジカメで詳細な撮影を行った他、法篋印塔の主要な部分の採寸をしておいた。
数値データの記事化は…さすがにそこまでしなくていいだろう


さて、ここまで発見的な調査と言えばつい先ほど行った小井戸の排水くらいだった。それも地下水脈に繋がっているだろうという程度の成果だ。何しろ今シーズン初の踏査である。今まで見つけていなかった新しい発見を求めていた。そこで法篋印塔の裏側にある場所へ潜入しようとした。

この辺りは西のピークであり、特に法篋印塔の裏側には人為的に均されたと思われる平場の存在が分かっている。そこはかつて白岩公園が学童たちの遠足地として頻繁に訪れられていた頃には、間違いなく足を踏み入れられている筈の場所なのだ。何かが見つかりそうな気がする…
しかし現地へ到達する以前に挫折してしまった。ピークなので湿気が少なくヤブ蚊は居なかったが、クモの巣は相変わらずだった。それに秋口ならまだすべての草木が枯れてはいない。やはりこういったエリアへ踏み込むには年が明けてからでないと無理のようだ。そこで一旦引き返し法篋印塔の更に西側、かつて宇部興産(株)窒素線の鉄塔があった場所へ行こうとした。

鉄塔は去年の6月以降急速に撤去され、木の枝にくくりつけられていた各鉄塔への案内タグも外されている。したがって索道も登山道を兼ねている場所以外は通行需要がなく、いずれ自然へ還ってしまう運命にある。


この先にあったNo.75は土地所有者との協議後に基礎跡が遺されることとなった稀な鉄塔として知られる。既に写真は撮ってあったが、新しいデジカメでより精密な画像を再取得しようとここまで入り込んだ直後のことであった。
忘れていたわけではない…この道に潜むある種の「凶暴さ」を。ただ、それは一昨年のことでありそんなに続くものではなかろうと高をくくっていたのだった。

ここが「ほいと道」であることを忘れていた。
まだ生い茂っていたのである。うっかり踏み込めばズボンがとんでもなく酷いことになるあの雑草が。
とても地味だがもし山歩きするならこの雑草の外観は覚えておいて損はない


気付いたときには手遅れだった。もはやズボンの裾にびっしり種子がくっついた状態だったし、何よりも気が付けば自分が立っている360度をそいつが取り囲んでいた。身動きが取れない。脱出しようと片足を持ち上げただけで新たにパラパラと枝から外れて種子がズボンに付着した。ウギャーとか叫びたい気分…^^;

まったく…元々は遺構などの物件探索を目的としていながら、こういう事態に遭遇するために余計ながら野山に生える雑草の知識まで頭に入ってしまう。ある程度調べておかなければ、次にまたこの厄介な奴を見つけても回避できず同じ被害に遭ってしまうからだ。

この雑草はササクサ[2]と呼ばれる一種である。今は時期を過ぎて枯れているように見えるが、種子を蓄えたまま立ち枯れた振りをして餌食が自分の近くを通過してくれるのを待っているのだ。


ズーム撮影。こういった具合に茎に対して種子が垂直かつ同じ方向にツンツンと突き出ているのが特徴だ。
先端には細かな鉤があって、これに接触したあらゆるものに引っ掛かって容易に茎から外れる。


鉤はもの凄く頑丈に出来ていて、ズボンや衣服だけでなく人間の皮膚や野生動物など接触した殆どあらゆるものにくっつく。細い鉤は容易にズボンの網目を突き抜けるので、そのままにすると外観が悪いだけでなく皮膚に擦れて痛いという実害がある。更にまずいことに、ササクサの場合は取り除こうとして引っ張ると本体の種子部分だけ容易に外れて鉤だけがそのまま残るのである。鉤だけを爪先で詰まんで一つずつ引っ張らなければ除去できず、本当にタチが悪い。第7次踏査のとき、私が窒素線鉄塔跡へメンバーを案内したばっかりに殆どの参加者がここでササクサの餌食になってしまったという曰く付きの場所である。
被害に遭われた参加者の方々へ…心よりお詫び申し上げます…

この他に耳かきの頭部みたいな形の種をひっつけて来るセンダングサもよく被害に遭うが、派手にやられても外し易い分だけササクサよりはマシなのかも知れない。ちなみに白岩公園エリアでササクサが群生している既知の場所はここだけである。センダングサは日当たりの良い場所に出現する草らしく白岩公園では見かけない。

更に先までササクサが群生しているようなので、せっかくここまで到達していながら鉄塔基礎の再撮影は諦めた。それよりも早いところズボンに刺さった鉤をどうにかしたい…こんな格好で自転車を漕げる訳がないし、何よりも歩く度に鉤が皮膚に擦れて痛い、本当に痛い…sweat
法篋印塔の前まで引き返し、石積みの上に腰掛けて種子を一つずつ外した。まあ、彼らもこうやって種子を別の場所へ散布してもらって必死に勢力拡大しようと頑張っているんだろうが…

9月訪問時は法篋印塔まで撮影した後、子安弘法大師や石灯籠は撮影していなかった。
子安弘法大師は新たな知見がなかったので、石灯籠に向かった。


この石灯籠についてはどういう訳か手元には広場側から撮影したショットしかなかった。現地を訪れてその理由が分かった。
石灯籠は大きな岩の端に寄せて設置されていて裏側へ回り込むのが酷く困難だったのだ。


これほどの高低差がある。
このたびリスクを取って裏側へ回り込んだ。撮影のためだけではなく、裏側に何か文字が刻まれているかも知れないと思ったので。


しかし石灯籠の裏側にも何の文字も刻まれていなかった。特に何かを記念したというのではなく、庭園の構成要素として設置しただけだろうか。

倒木峠へ下る園路。この辺りはまだツタ系の樹木が蔓延っていて、伐採するにしてもこれからの段階のようだ。


次に八丁岩関連の写真を再撮影するために引き返して八丁岩の上に向かった。
この場所は法篋印塔への3連続石段を一つ下った左にある。


周囲の木々が整理されたので直接五重塔が見透せるようになった。これはうちのメンバーのお陰による。


八丁岩には中央部に狭いクラックが生じていることが分かっている。
まさか小割りにすることを試みたとも思えないから、恐らく自然発生したのだろう。


クラックの幅は20cm程度あり、遠足に訪れた学童たちが足を踏み外すと危ないからか上部はモルタルが充填されている。クラック自体は八丁岩の一番下まで走っていて、下部では広がっていて洞窟のようになっている。
後で下部を調査している

下池に面する中央広場側には転落防止の鉄棒が打ち込まれていない。
このすぐ下に大事な文字が刻まれていて鉄棒打ち込みで破損するのを避けるためだろう。


カメラを持った両手を差し出して斜め下に向けている。
大自然の文字が逆に見えている。上部からの高低差は5mを超える。かなりゾッとする。


下の中央広場への階段。
石段の上には清掃過程で見つけ出されたと思われる割れた皿と瓶が置かれていた。
もう少し近接して写した映像はこちら


周囲の木々の伐採によって五重塔と大自然碑が同時に見えるようになった。
初回踏査時に五重塔を見つけたもののすぐ隣りにある筈の八丁岩にまったく気付かなかったというのが今となっては信じ難いだろう。


記事向けに五重塔の各種部位を撮影し、その後八丁岩の下部に向かった。
このとき撮影した八丁岩と五重塔の映像については、特段新たな発見もなかったのでいずれも法篋印塔と同様、個別記事向けに使用する予定である。

しかし…八丁岩のクラック下部を撮影したときのことはここで述べておかなければならない。今となっては詳細は不明だが、現地で撮影した映像に「何かが写っている」ような気がしたのであった。
心霊写真の類ではありませんのでご安心を…^^;

(「白岩公園・第九次踏査【3】」へ続く)

出典および編集追記:

1.「藤山新四国霊場案内図」にはこの場所に割り当てられた札所が記載されていない。ただし園内にある第59番のように後年何かの理由によって移設が予定されていた札所だった可能性はある。

2.「Wikipedia - ササクサ

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