白岩公園・第九次踏査【3】

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(「白岩公園・第九次踏査【2】」の続き)

大自然の文字が刻まれている通称八丁岩の横に来ている。
側面には短歌が刻まれていて、手前に邪魔していた雑木が伐採されて全体像が見やすくなった。
以前の写真ではいずれも短歌の手前に一本の樹が写り込んでいた筈だ


短歌も詳細な画像を分割して撮影しておいた。それらはいずれ個別記事の方で掲載することとして…

八丁岩のクラック部分を下から写している。
上部は10cm程度の隙間しかないが、下へいくにつれて次第に幅が広がり、地面に接する辺りでは人が潜り込める程度の洞穴になっている。


この洞穴部分はまったく自然の産物と思う。元から八丁岩がこのような形状をしていて、岩の下にあった柔らかな土砂や礫石が浸透した雨水で流されたためであろう。これほどの深さがあるなら遠足で訪れた学童が入り込んだり、あるいは遊び半分に潜り込み木切れなどで掘り進む位のことはあったかも知れない。
同様な状態になっている場所は八丁岩に限らず他にもある。例えば上池の斜面上部にテーブル岩があり、その下は土砂が流れて空間ができているし、つい先ほど排水作業で悪戦苦闘した小井戸の横も小さな洞窟状態になっている。[1]

それほどありふれた存在なのでこういった場所に関して詳細には調べられていない。奥がどこまで続いているかの興味はあるが、いくら山野に遊ぶ野ウサギとて暗闇は苦手だ。潜ったところで道具なしでは何も見えないし、中に野生動物が潜んでいるとか岩天井からMKDが落ちてきて背中と服の間に入ったりなんてリスクも有り得る。
火挟みはいいとして次回踏査時の携行品は手揉みポンプをサーチライトに入れ替えようか…

奥の方は24時間自然の光が差し込まない永遠の暗闇空間となっている。
手前には吹き込んだ落ち葉が堆積していた。


フラッシュ撮影は躊躇われた。何度目の踏査だったか、倒木峠から北上し「鼻の穴」に最初に出くわしたときもそうだった。息を潜めていた野生動物が飛び出すリスクがあるからだ。それでここまでの撮影で、わざと落ち葉を踏み締める音を立てて洞穴の入口に接近していた。もし中に何か生物が潜んでいれば人の気配を察して脱出しているだろう…

潜るのは怖い。しかし奥に何か遺構のようなものが転がっているかも知れないので、可能な限り両腕を洞窟の奥へ押し込んでフラッシュ撮影した。
これがそのときの映像である。


一番奥は閉塞しているようであり、低いながら更に奥があるかも知れない。

暗闇へカメラを向けてフラッシュ撮影するのは気持ち良いものではない。割と最近のこと渡り八十八箇所の踏査で背筋がゾッとするような映像が撮れてしまったのを忘れもしない。それで事務的にパシャッと一枚撮って撮影結果をその場で確認せず八丁岩を後にした。
ここで時系列からちょっと離れるが…上の写真を観察すると…
画面の左端中央に何か居ない?
もちろん現地から帰ってしまった今となっては写真以外から何も得るものはない。何か小動物のようなものが蹲っているように見えるが…深く考えないことにしよう。

素早く時系列に話を戻して…主要な遺構の再撮影を念頭に置いていたので、倒木峠から北へは行かず上池の端を経て東ピークへ移動した。


相変わらず竹の侵入が酷い。見た目は風流だし地山の保水力にも恐らく貢献しているだろうが、遺構類に対しては破壊的に働く。ある程度間引いても良いのでは…


上池の上端にも石材を加工して架けた石橋がある。かつて園路の一部だった証拠だ。
同様の石橋は、この他には今のところ先ほど排水調査を行う途中にあったものしか知られていない。


斜面に沿って歩くとテーブル岩がある。
現在は不明瞭だが恐らくこの岩のすぐ下を園路が通っていたと思われる。


テーブル岩でも個別記事向けに全体像などを数枚撮影した。
この岩は白岩公園によくみられる「安定化処理」である。園内のきつい斜面に大岩が目立つので、滑り落ちないように別の岩を下に噛ませている。テーブル岩に関しては安定化処理と共に上部を水平に保つことで園内を眺めるベンチ代わりになっていたのだろう。

テーブル岩から西ピーク側を眺めている。
ちょうど上池と下池の中間で、八丁岩が斜めに見える位置だ。雑木が少なかった当時はもっと眺めが効いていた筈だ。


上池・下池へ降りての撮影のは今回は見送った。水場はまだヤブ蚊が多いのでもう少し季節が進んでからの方が良いと思ったからだ。

テーブル岩から更に高度を変えず斜面に沿って歩いた先に奇妙な外観の岩がある。


人間の鼻柱を思わせる形の奇妙な岩は、初期の踏査時でも写真を撮ってコメントしていたと思う。
まだ勝手呼称を与えていない…例えば鼻岩とか…


この岩は石材を採取しようとして切り出された途中の状態のものと考えられる。
上部には自然では形成されない加工の跡がみられるからだ。
暗くてやや分かりづらいが接写画像はこちら


何かを設置するのに邪魔になった…などの理由が考えられないので、小割りにして石材を調達していたのだろう。その場合小割りにした岩を何処に使ったかどういう器具と手段を用いればこのような形状に割ることができるのかという疑問がある。
前者の推測は容易で、園内の至る所に築かれている石積みの素材だろう。上池や下池の堰堤部には小割りにした岩がモルタルで塗り固められているし、適当に砕いた岩を側面に押し込んでいる部分もある。この岩は公園が完成する最終局面まで割られていたのだろう。石積みなどの材料をすべて現地調達していたなら、園内にはかつてもっと多くの岩が転がっていたことになる。

石材が採取された後の岩の形状は如何にも奇妙である。棒状の跡を境に両側は直交する平面であり、その下側は角度の異なる稜線となっている。岩肌も色彩も異なり、恰も異なる2つの岩がメリ込んでいるように見える。どうすればこのような断面ができるのか分からない。例えば間知石を採取しようとするために鑿を決められた方向にのみ宛てて鏨で叩き続ければ、ある程度整った平面を持つように割れてくれるのだろうか…
石材加工は私にとってまったく未知の世界である

倒木峠から先の石橋で沢の上端を渡り、テーブル岩の前までは園路があったと推測されるものの、中央広場に至るメインの参道ほど明瞭な経路とはなっていない。沢側に石積みなどはなく、園路幅を確保するために斜面を削った痕跡もみられない。落ち葉が堆積して不明瞭になっているか、あるいは当初から造られず適当に歩いていたのだろうか。
上池の堰堤部へ降りられるものの斜面に石段は見つかっていない

したがってここから先の東ピーク斜面を辿る経路は今のところ完全には確定されておらず、木の枝にテープでマーキングしたり目印になるものを覚えておいてそこへ進むことで経路再現性を確保している。白岩公園の設立当時の設計図などが見つかれば明らかになるのだが…

園路のないこの辺りの目標物としている一例として、鼻岩から高度を変えずに山裾を進んだところに大きな岩の下に目立つ根の形をした樹木がある。
一応分かるように枝にうちのメンバーが青のテーピングを施している


この樹は大地に広がるべき根の部分が地表に露出している。それもどういう訳か太い根の断面は円形ではなく、縦に細い板のような形状をしている。


同様の樹木は園内他にも観測されている。この樹は特に大きく、更に大岩の下にあるので一つのランドマーク的存在となっている。この大木は「板根の樹」と勝手呼称されている。
K氏が初めて白岩公園の東側ピークを踏査して藤山八十八箇所・第7番御堂を発見する過程で目印にすべき樹木として命名されている。

高度を変えず更に山裾を進むと、何度目かの踏査で知られた崖地に出会う。
初めて訪れたときはこの下から崖地の上、写真では左側に見える斜面を進んだのだった。


雑木が消えた先でいきなり地面がなくなっている。
高低差は5m以上あり、山裾側は巨大な岩の崖となっている。


降りるのは大儀なので崖の上からズームで撮影した。
崖の下は平地で何やら意味ありげな長方形の石材が散らばっている。


明らかに人の手が入った地でありながら、この下の平場へ通じる道はどれも喪われ外の世界から隔離された空間となっている。帰りに立ち寄ることとして、まずは藤山八十杯箇所の第7番御堂の撮影に向かった。

さて、そこへ向かおうとしていた途中のこと…
斜面のもう少し高い所、藪の奥に何やら白っぽく光るモノが見えているではないか。
こう書くと何だか昔人気を博した某探検モノ番組の隊長の台詞を彷彿とさせるような…


白岩公園の東ピーク側は経路が殆ど喪われているせいか充分な調査が行われていない。エリアとしてはそれほど広くない筈なのだが、全体が著しく藪に包まれているので少し先にあるものでも気付かず見落とされる可能性がある。もしかすると未発見の御堂とか遺構ではと思われた。上の写真ではあまり目立たないものの実際には木の枝や幹を通してかなり目立っていたのである。

気になるなら確認せねばなるまい。さっきからずっと左手を塞いでいる火挟みと手揉みポンプが邪魔だが…この藪の中で適当に置き去りにした場合元の場所へ戻って来れる保証はない。まあ安物の品々なので紛失は構わないとして、私有地に持参品を置き去りにするのは気持ちよくはないので「連れて行った」。

直線距離で30m程度だろうか。しかし体感的にはかなり長く感じられた。元から道がない藪だけに木の枝を振り払い危害を加えるイバラチェックしながらの進攻なので手間と労力を要した。

そして何とかその正体が確認できる距離まで近づいたのだが…完全に騙しだった。
倒れた樹木と上部が平坦な岩が西日を受けてひときわ明るく見えていただけなのだった。


倒木の幹が直線的に見えただけに遠くからでは何かの構造物を想像させた。完全に現物へ到達する以前に想像していたものとは異なる自然の産物と確認できた時点で引き返すことになった。
このような事態は過去の踏査でも記述しないだけで何度もある。白岩公園に限らず突拍子もない場所に見える奇妙なものは、如何に信じがたい様相に見えても大抵は期待に反する結果に終わるものだ。数多くの空振りを経て、ごく僅かだけが話題に上せるに値する物件となる事実がある。

深追いしたばかりに元の場所へ戻るのが難しくなった。
適当に藪を漕いで斜面を下っていて何とか藤山八十杯箇所の御堂に向かう経路を見つけることができた。


確かここからは第7番御堂には確実に行ける。そして忠魂碑もそれほど離れた位置ではないと思う。いずれも新たな成果は期待していなかったものの個別記事向けの写真は確保したいと思った。

(「白岩公園・第九次踏査【4】」へ続く)

出典および編集追記:

1. 第7次合同調査会において、小井戸の横の洞穴はその外観から胎内潜りを模して造られたのではというメンバーからの意見もあった。

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