常盤公園・ときわ丸【1】

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現地踏査日:2013/1/6
記事公開日:2013/7/8
ときわ丸は常盤公園の動物園区画に存在してい巨大なコンクリート造りの船である。
下の写真は常盤公園の正面入口から進んだ先に見える方向から撮影している。


地図で位置を示そう。


何年か経てば上記の地図は動物園ゾーンのまったく適当な位置をポイントしているように表示されるかも知れないが、この記事を作成している現時点ではときわ丸の中心部分を指している。

動物園区域に至る道はいくつかあるが、正面入口から訪れられることが最も多い。その場合、冒頭に示したようにときわ丸の舳先が左を向いた姿を眺めることになる。

ときわ丸は子どもたちが遊ぶためではなく、動物園で飼育されているボンネットモンキーというサルたち(一時期はヤギも同居していた[9])が遊ぶ姿を来園者に展示するための設備である。
周囲より数メートル掘り下げたヤードを造り、その中央にコンクリート船が据えられていた。


もしかすると最近この記事をご覧になった市外・県外の方にとってはショッキングな事実をお伝えすることになるかも知れないが、
ときわ丸は、もう存在しない。
碇など、ときわ丸を構成していた一部の部材、雲梯を除いてすべて破砕処理された。この記事を作成公開する僅か一週間前のことである。記事公開時現在では現地はすべて片付けられて整地状態になっている。[11]

ときわ丸は”ときわ公園動物園ゾーン計画”のスケジュールにより、他の動物園関連施設と共に全面撤去されることが以前から決まっていた。一連の大まかな流れを時系列で説明すると以下の通りとなる。

年月日概要
平成24年3月 ときわ公園動物園ゾーン基本計画が策定される。
平成25年5月上旬 連休期間中にお別れ会と称して普段入れないときわ丸の内部が一般公開される。
6月9日 ときわ丸のボンネットモンキーの最終展示日。
6月10日 ときわ丸周辺の一部獣舎の撤去作業開始。
7月1日 ときわ丸の解体撤去作業完了。[8]
平成26年 動物園ゾーンの一部をオープン予定。[12]

この船が造られた時期や経緯、誰による発案かなどは調べてみないと分からない。船の高さや全長などの諸元も詳細なデータがない。ただ、幼稚園時代に動物観察で訪れたときには既に存在していたので、恐らく50年近く経っていると思う。
常盤公園の動物園部門で飼育されている動物は、サルに限らず大抵は檻に入れられた状態での展示だった。その中でも開放された空間で動物の生き生きとした暮らしぶりを目の辺りにできるときわ丸の施設は好評で、ときわ丸自体の精巧な造りと巨大さ故に動物園の一つの象徴的オブジェにもなっていた。

以下、かつて人々に鑑賞されていた時代のときわ丸をお届けしよう。

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船の全長は目測で30m以上あり、全体を撮影するのに苦労した。
全体を入れようと後ろへ下がると今度は手すりが写ってしまう


舳先付近に船尾に常盤公園の公式ページを示すインターネットのURLが描かれている。
これは平成期に入ってからの書き足しだろうが、その文字もかなり掠れていた。


単に形だけ船を模したのではなく、ちゃんと窓の部分があってサルが出入りできるようになっている。
煙突は宇部市の市章入りだ。


撮影は年明け直後の6日に行っている。
最初の日曜日だったが寒い時期でもありさすがに来園者は多くなかった。


ヤードにはシーソーや雲梯が置かれていた。


甲板に上がるための階段が着いており、サルたちはこの階段や碇に結ばれた鎖を頼りに昇降している。


身軽なサルたちのことだからときわ丸のどの部分にも到達できるらしい。
手がかり足掛かりがなさそうな側面の窓部分や出っ張りにも居座っているのに感心する。


舳先は当然ながら海の方に向いている。
常盤公園の出航をイメージしてそのように配置されているようだ。


モニュメントが船である以上、灯台も付きものだ。
高さはときわ丸とほぼ同じ。人間が昇降するものではないので、梯子はあるものの登った先の手すりが開いていないのが如何にもおサルさんたち向けだ^^;


トラック型のヤードは一面コンクリート張りされ、階段でその前まで降りられるようになっている。
側溝蓋は取り替えられているが、ヤード部分のクラックはある時期から補修されなくなったようだ。


正面から撮影。
来園者が少ない時期なだけにじっくりと撮影することができた。


ボンネットモンキーたちはときわ丸の住み心地をどのように思っていたのだろうか…


以上がときわ丸本体の写真である。
ボンネットモンキー自体は現在別の場所に移され一年あまりは一般公開されない。[1]しかし展示スタイルが変わるだけでまた撮影できるので、このたびはおサルさんには申し訳ないが重点的には撮影しなかった。
5月の連休時期までには解体撤去が決まっていて、毎週日曜日には内部を公開するイベントが開催されていた。しかし私は参加しておらず内部の写真は撮影していない。そのためだけに現地へ撮影に行く本気度は持ち合わせなかった。お別れ会が開催されるくらいなら、自分が撮影しなくても他に映像として記録してくれる参加者が大勢居ると考えたのも理由だった。

恐らく宇部市民には共通すると思うが、常盤公園は身近で「いつでも行ける場所」という意識がある。精々、子どもが小さい間くらいのもので、遊園地にしろ動物園にしろよほど興味を示さなければ親は連れて行かないものである。そして自分自身、遊園地の乗り物や動物に興味を示さない子どもだったためにときわ丸に関してもこれと言った想い出はない。自分が幼少期時代から存在していた船であることを知っているだけに、むしろ現在の方が思い入れが強いくらいである。
そうでなければ写真など撮らないし記事化もしないだろう

「今と昔を遺す」というコンセプトから私が着手しておかなければならないと思ったのは、ときわ丸だけでなく周辺の様子も併せて記録しておくことだった。こうした考えあって可能な限り撮影を行っていた。引き続き掲載しよう。

ときわ丸のヤード部分へ降りる階段。
ここはボンネットモンキーが展示されていた早い段階から閉鎖され降りられなくなっていた。


階段を降りた先でときわ丸のヤードとペリカン飼育ゾーンに分かれていた。


ペリカン飼育ゾーンは、ときわ丸周辺に先立って撤去されていた。その時期は二代目ジェットコースターの軌道敷が撤去されてすぐ後のことだった。

下り階段を逆から撮影。
階段横の観覧スペース下は倉庫になっていたことが分かる。


階下に降りれば金網越しにはなるが、ヤードと同じ目線で観察できていた。このヤード下には横方向からの階段にも通じていた。


撮影した1月の時点で既にヤード部分へは降りられなくなっていたので撮影はしていない。

この記事を作成するにあたって手元の写真や動画を調べたところ、2009年8月末にヤード前まで降りてボンネットモンキーを撮影した動画が見つかった。

[再生時間: 15秒]


この動画を撮影した経緯はよく分からない。街中へ越してきて常盤公園も自転車で行ける距離になり、どうなったか久し振りに行ってみようという流れだったと思う。自分にとっては本当に何年振りかの常盤公園訪問だったらしく、普段は行かない動物園で結構丹念に写真や動画を撮っていた。
常盤池のハクチョウも含めてその殆ど全てが今となっては撮影できない被写体となった

動画では檻の下に側溝蓋が見えているので、ときわ丸のヤード部分で撮影しているのは間違いないと思う。したがってこの下り階段が閉鎖されたのは2010年頃ではないかと思われる。

再び2013年に戻って、この5月下旬に撮影した写真である。
ゴールデンウィーク最後にお別れ展示が開催されたので、その後すぐときわ丸が撤去されたものとばかり思っていた。実際にはまだボンネットモンキーが活動していた。


しかし5月下旬に撮影したこの写真がときわ丸に遊ぶボンネットモンキーを撮影した最後だった。

それ以後の動向は、専らFacebookの「ときわ公園」アカウントから発信される公式情報を参照していた。居住者のボンネットモンキーが移された後、最初に周辺施設の解体が始まった。

これは6月11日の撮影である。
既に周囲にあった建屋などはすべて撤去されているが、ときわ丸本体はまだ遺っていた。


上の写真でカメラを構えている人物は報道関係者で、プロ仕様のカメラを携え、ヤードに居る作業員と何か対話しながら撮影を進めている様子だった。
メディアが伝えることは任せておけば良いので、私は撮影の邪魔にならないようにその場所を離れた。代わりに入口部分が解体され接近できるようになったペリカン飼育ゾーン近くの写真を撮っていた。
時が至ればそれらもかつて存在した施設として記事化する予定

同じ月の28日、これが自分としてはときわ丸近辺を写した最後のショットである。
市道常盤公園江頭線からフェンス越しにズームで撮影している。


アタッチメントを取り替えた重機が進入するための通路が掘削され、ときわ丸のヤードとなる外壁の一部は既に取り壊されていた。ヤード内部の状況は分からないが、ときわ丸を構成していた部材を取り外したらしく単管足場の一部が見えていた。
このときは帰途だったのでフェンス越しに撮影するだけだった。もっとも時間があっても現地には接近できなかっただろう。

取り壊し作業は7月1日に行われた。週明けの月曜日であり、終日雨だったので私は当然行かなかった。一部のメディアは破砕状況を取材したようである。[8]ときわ丸が解体されたニュースは地方誌にも掲載された。

情報以下の記述には個人的見解が含まれます。

現在すすめられている「ときわ公園動物園ゾーン計画」について異を唱える意見はほとんどみられないが、ときわ丸が撤去される件については惜しまれる声が大多数だった。それは昭和中期に設置された園内の構造物としては巨大かつ精密な造りで、来園者にも知名度が高かったからである。
ときわ丸本体は今の位置にそのまま遺して老朽化した獣舎だけ更新するなどの意見もあったことだろう。刷新ではなく部分的に少しずつ改修するならその手法も有り得た。
動物園ゾーン計画では、野生動物がそれぞれの生息地に近い本来の行動を発揮できる環境を提供するという基本コンセプトがある。[12]どの種のサルも草原や樹木のある環境に身を置くのが自然であり、ゾーン計画ではそのような全面改修が進められる。コンクリート構造物のときわ丸は残念ながらそのコンセプトにはそぐわなかったし、ボンネットモンキーが引っ越した後にその場所へ展示させ続けるにはあまりにも大きかった。

ときわ丸に由来する鋼材や碇、ボンネットモンキーが遊んでいた雲梯は確保されているという。どこか園内の一角に一連の部材を展示し、ときわ丸のミニチュアを制作して過去を伝えるようにしたら良いと思うのだが如何だろうか。古びて時代にそぐわなかったものを壊すのは致し方ないとしても、来園者の想い出は温かめたまま遺しておいて良い。今の時代、貴重なのは「モノより想い出」であり、新生「ときわ公園」としてもそういう基調であって欲しい。
私が破砕作業中あるいは直後のときわ丸を撮影しに行かなかったのも同じ趣旨である。私は今と昔を伝えれば足りるのであって、市民の慣れ親しんだ想い出が目の前で破砕されているのを淡々と実況中継できるようなレポーターにはなりたくない。遺憾ながらそういう作業は事実を伝えることが日常業務だと割り切れるメディアの方にお任せしたいと思っている。
現物が存在しない以上、本編の【2】は執筆されようがないと考えるのが普通だろう。しかしそうは断定できないかも知れない。得てして注目されていた物件が消え去った後になって、関連する重要な情報が提示されたり写真が見つかったりするものである。特にときわ丸本体の全長などの諸元が把握されておらず、判明すれば記録しておきたい。
一連の情報や時期の異なる新しい写真が得られたなら続編を案内できるようにテキストだけ残しておこう。

(「常盤公園・ときわ丸【2】」へ続く)

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出典および編集追記:

1-10. 本記事の出典については、その大半をFacebookの「ときわ公園」公式アカウントから発信された「さよならときわ丸」の連載に依っている。記事文中の出典番号は以下の連載記事番号に対応している。
[1 2 3 4 5 6 7 8 9 10]
タイムラインへの掲載なので各記事は連続していない。ときわ丸について関係者以外まず知り得ない情報が多く含まれており、興味ある方はぜひ一読をお勧めする。

11. 7月8日撮影の現地の状況。現地周辺は騒音や飛散物防止を兼ねて一面に高い目隠しフェンスが設置されていた。

12.「ときわ公園MAP」裏面。

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