談合峠

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記事作成日:2012/3/9
最終編集日:2020/2/1
峠の漢字表記をご覧になった県外の方にとってこの名称は俄には信じ難く、何か別の読み方をするのでは…と思われることだろうか。
峠の読み方は全くそのまんまで、談合(だんごう)峠である。

位置を確認しておこう。


広域地図でも名前が表示されるほどの知名度がある峠だ。車交通の大動脈たる国道2号は、かつて小郡から下関に至るまでに4つの峠越えがあり、談合峠はそのうち最も西側にある一つだった。
他の3つは西から順に西見峠、吉見峠、今坂峠

かつては民家も何もない山道を通るだけの峠だったのだが、厚狭・埴生バイパスが全通してからは交差点が2つ造られ、ガソリンスタンドなどの店舗も寄り集まってきて峠のイメージはかなり薄れた感がある。

現在は厚狭・埴生バイパスと旧国道2号(山陽小野田市道談合道上市線)の交わる談合峠交差点にうどん屋があり、峠には簡単に立ち寄ることができる。[1]
時期は去年の末になるが、埴生方面を訪れる帰りにお店へ立ち寄り、軽い夕食を取った後にカメラ片手に撮影してきた。


談合峠交差点自体が殆ど最高地点に近い場所にあり、そこから少し市道を進んだところに峠の表示板が存在する。


埴生側に向かって撮影。
国道2号時代に建てられた表示板だが、撤去する理由もないのでそのまま残されている。
国土交通省の管理から外れ市の管轄になったせいか、あまり管理されていないようだ。


峠より少し埴生側に向かって歩いた。
道路には線形改良の痕跡が窺える。かつてはもっと大きなカーブで、側面の切り通しも今より狭く切り立っていた。


コンクリート吹き付けのある法面側に移動する。
今でこそ交通量は少ないが、バイパス全通以前はこんな山奥ながら道路を横断するのも困難な位に車列が連なっていたのだ。


旧国道2号時代から存在していたと思われる青看。
ここまで歩いて引き返した。


法面の勾配が緩やかになった分、いくらか明るく開放感がある道になった。


峠名のサインと交差点が写るアングルで撮影。


峠の最高地点には多くの場合、道祖神などの石仏が置かれているものである。西見峠には私が知らなかっただけで石仏が祀られていた。
ここ談合峠にもあるのでは…と思っていたら…

やはりあった。


石碑を見れば何でもお墓を連想してしまいがちだが、明らかに違う。


ちょっと失礼して飾られている注連縄を少し動かしてみた。
やはりそうだった…これは庚申塚だ。


峠表示板との位置関係。
車で通っていたときには全く気づかなかっただけで、表示板とうどん店の間に山手へ分け入る道があった。


庚申塚は今のバイパス寄りに向かう山道の傍にあった。
古道かも知れない。


談合峠が古くからある峠なのは疑いないが、この経路はいわゆる山陽街道(西国街道)ではない。それは現在のJR山陽本線に沿って通っている。
車交通の大動脈は今なお国道2号なので、談合峠付近を通るルートが標高面と距離の点について優位に立っていたことになる。

以下の5枚は、今から3年前に撮影された写真である。
まだ峠の表示板が綺麗である。定期的に清掃されていたのだろうか。


名前の付いた峠でありながら、標高はたったの69mである。
数百メートル、ときに千メートルを超えるクラスの峠が一般的な中部・中越地方などの方には信じがたい光景かも知れない。


埴生側へ向いて撮影。
新しい線形に沿って設置されたアルミのガードレールが新しい。恐らく線形改良されてまだ間がない頃だと思う。
旧道の一部へ入り込まないようにコーンバーが置かれていた。


最高地点の少し交差点寄りには国道2号のものと思われる距離標補助(508K700)が見えている。
初代の砲丸型の距離標補助も同じ位置にあったようだ。
一連の距離標は現在では撤去済み


3年前に一連の写真を撮影したときもこのうどん屋で食事し、その後車をそこへ置いてカメラだけ持って歩いて撮影している。
写真では店の影になって見えづらいが、 このときは交差点の周囲にある店舗はこのうどん店だけだった。
店の奥側の山手に掘削を行っているバックホウが写っている


国道2号談合峠交差点周辺の山肌が赤茶色いが、この後にコンビニやガソリンスタンドが続々と進出し今の姿になったのである。峠の庚申塚はこの場所に車が通るようになり、高度経済成長期から平成の初期まで交通のピークを経て再び静かな峠に戻りつつある変遷を静かに眺めていたに違いない…

最後に峠名の元となった談合という地名や個人的関わりについて述べる。
《 地名としての談合について 》
「談合について」などと書き始めると、土木建設会社による受注協定や企業の価格カルテルなど些かグレーっぽい臭いがする話題となってしまいそうだ。そこでまずは談合峠までを含めた地名で考察すると…
中国西部地方、特に山口県にあっては「〜峠」を「とうげ」とは読まず他の読み方をする例が多いと聞いている。とりわけ峠を「とう(どう)」と読む例があり、一部は「湯ノ峠(ゆのとう)」「梅ヶ峠(うめがとう)」の如く正規なJRの駅名にもなっている。
この法則からすれば、談合峠は「だんごうどう」と読まれる可能性も一応ある。実際、この峠を含む格下げされた市道の路線名は談合道(だんごうどう)上市線と呼ばれており、談合峠の揺らぎ読みに漢字が当てられたのではという気もする。

しかし厚狭・埴生バイパスとの交点となっている談合峠交差点は、取りあえずそのまま正規の読み方をするらしい。ローマ字で併記されているから間違いはなさそうだ。
まさか…「だんごとげ」ってことはないよね


当時は談合峠は国道2号に属するので建設省中国地方建設局の管轄だった。そうなれば発注工事名は「国道2号談合峠道路改良工事」あたりになるだろう。発注・受注者側の双方が周囲から白い目で見られるようでやりづらかったのでは…

談合という地名は、この峠よりもむしろ中央自動車道にあるサービスエリアなの談合坂[2]の方が知名度が高い。かつてYahoo!知恵袋で回答活動していたとき談合峠についての質問が出て、飛びつくように回答したことがある。[3]

談合は元々の意味を持つ熟語なので、地名の由来が気になるものである。かつて寄り合い所があった場所に由来するのではという説を聞いている。それほど高度のある峠ではないので当時の峠を挟んだ集落がほぼ等距離にあったなら、峠が寄り合いを行う場所として選ばれる可能性はあるだろう。談合の内容は、双方の境界付近の入会地に関するものではないだろうか。
初めて談合峠について記述したブログ記事。2008年2月16日作成。なお、Yahoo!ブログが閉鎖したのでAmebaに移動している。
外部記事: 談合峠
出典および編集追記:

1. 2012年頃から営業時間が変更になり、午後4時頃訪れても店舗が空いておらず利用する機会がなくなっている。

2.「Wikipedia - 談合坂サービスエリア

3.「国道2号線に談合峠と言う峠がありますが、大…|Yahoo!知恵袋
《 個人的関わり 》
アジトから遠いこともあり、談合峠それ自身に関しては私の父が道路改良工事に携わったという以外、これといった特別な結びつきや想い出はない。ただ、別の意味を持つ談合という言葉がそのまま峠の名前になっていて面白いと思っていた。

宇部から下関へ行くには国道190号を通るのが一般的なので、昔から父の運転する車でも談合峠はそれほど通る機会がなかった。親元へ立ち寄る用事があり、その便で下関方面へ行くとき通る程度だった。また、下関方面からでは宇部市へ向いて帰ることになるので埴生側から親父の運転で通ったことが殆どない。

この記事を作成している現在においては、埴生のスポーツクラブへ向かうときたまにこの経路を通る。談合峠から市道・国道190号を経由する方法と厚狭・埴生バイパスをそのまま走り中村交差点から県道に降りて前場交差点を右折する2通りがあり、どちらを通るかはまったく気分次第である。一般には中村交差点から県道に降りる車の方が多く、そのためか現在では談合峠を通過する車の量は非常に少ない感じがする。

帰りに船木方面の仕事に向かう場合はかならず上市交差点を直進し談合峠越えルートを選択している。中村交差点で右折し厚狭・埴生バイパスに向かうときランプが長くきつい坂で、登坂能力の弱い軽四だと本線へ合流するときスピードが出ず危険だからである。この意味で、まさに生活時間軸の現在がもっとも談合峠を通る頻度が高くなっている。

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