才ヶ峠【2】

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(「才ヶ峠【1】」の続き)

そのまま奈古方面に向かって歩く。
峠の最高地点に表示板があり、同じ位置に県道への分岐がある。


上の写真だけを見ると随分明るく感じられるが、撮影時に光量調整しているからだ。
時刻は既に午後4時半近く、実際の明るさはこの写真の方が近い。


国道の最高地点に県道分岐がある。立木に隠れて分かりづらいが、コーナーには比較的大きな会社の営業所もあった。


この県道は阿武町福田を経由し県境を越えて益田に向かう。益田側に起点があり、この場所が終点となる。
一度も通ったことはないしこれからもまず通ることはないだろう
「Wikipedia - 島根県道・山口県道14号益田阿武線」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%A0%B9%E7%9C%8C%E9%81%93%E3%83%BB%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%9C%8C%E9%81%9314%E5%8F%B7%E7%9B%8A%E7%94%B0%E9%98%BF%E6%AD%A6%E7%B7%9A


T字路の前にある青看。
車に乗ってこの看板を眺めることも今後まずないだろう。それ位に奈古は私にとって遠い地だ。


交差点の様子。交通量が少ないので信号はない。
峠の表示板が国道側正面に見えている。


国道191号奈古側の様子。通常レベルの勾配だが長い坂を一気に登っている。見通しは良くカーブも穏やかだ。


時系列は飛ぶが、帰りに撮影。
奈古側にはこんな感じで坂の途中に広い駐車帯があった。県道分岐から100m程度奈古側寄りの場所である。
何でこの写真があるのかは…謎笑


いい加減引っ張ったが、峠の表示板がある歩道側に移ろう。
その表示板は殆ど県道分岐のT字交差点の中に立っている。


距離標で言えば117K320地点付近になる。


標識柱は歩道上に建てられており、表示板部分が通行車両に接触しないように途中で柱が曲げられている。


標高39m。

驚きの低標高だ。
峠名の漢字表記、読み方、絶対高度のいずれも間違いないと確認できたことだろう。
ゴシック体表記のせいか「おけ峠」のようにも見える…


反対側からも写しておいた。
最高地点に県道の終点があり民間企業の営業所と倉庫がある…峠らしからぬ風景だ。表示板がなければ、国道を通る殆どのドライバーが峠であるという認識すら持たないだろう。


一連の撮影を行った後、一旦車まで戻った。


峠には表示板があっただけで、例えば西見峠に見られたような道祖神らしき祠などは、旧道と思しき狭い道にも見つからなかった。

この場所に纏わる古くからの伝承があるのかも知れないが、予備知識なしで名称だけから考えれば、この峠の名称は山を登って下る場所という一般的な地勢を元に命名されたようにも想像される。その理由は、私の知る限り峠名や地名に現れる「さい」や「さえ」「さや」が概ねある特有な地勢の呼び方として古くから呼び習わされてきたと思われるからである。
それらは恐らく「塞の神」に関連するだろう。
「Wikipedia - 塞の神」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%9E%E3%81%AE%E7%A5%9E
古来から峠は集落の境とされ、そこを隔てて異なるムラが広がった。悪しき神は人の往来する峠を通って侵入して来るので、このような場所に祠や石碑など目に見える形の物を祀った。悪霊を塞ぐための神という存在だ。
後世において大陸から伝来した道祖神と志向するものを一にし、それ故にムラ境となる峠には道祖神をはじめとする石仏や祠が目立つのだろう。
庚申塚は別の流れと思われるがやはり同じような場所に遺っている

人の暮らしにまつわる要素があるせいか、同様の読みを含む峠は、その近くまで人の住まう集落がある事例が多いように思われる。ここ才ヶ峠も最高地点から木与、奈古いずれの集落も近い。かつてのムラ境になっていたのは確かだろう。
我が市の東岐波にある古道「サヤノ峠」もかなり類似する地勢である

なお、国土地理院の地図では「サエガ峠」と記載されていながら現地の表示板や多くの地図では「才ヶ峠」となっている。漢字表記が重視されず読みの音が峠名の由来となっていることを裏付ける。恐らく「さい」と読む最も簡単な字として「才」の字を当てたと思われ、才の字自体が持つ字義には無関係ではなかろうか。
この他に「塞」「祭」「幸」などの読みを借りて字を当てた峠や地名も同じ流れと思われる

以上の論拠は私のオリジナルなものではなく、山口県地名考/続・山口県地名考を読んで著者の主張する地名解釈の手法を踏襲したものである。

書名: 山口県地名考 / 続・山口県地名考
発行所: 山口県地名研究所
著者: 高橋文雄
発行年月日: 1977年2月20日 / 1979年9月1日初版発行
書籍コード: (なし)
体裁: A5版265ページ / A5版282ページ
図書館管理コード: Y0291 タ 1/2


【追記】(12/25, 19:50)

萩往還道路の尾根一つ西側を隔てた大屋川の上流に、全く同名表記となる「才ヶ峠」が存在することが判明した。

峠は人里から離れた山奥にあり、前出の”近くに集落がある”という仮説は誤りだと分かった。


さて、最後にこの表示板の位置を中心にポイントした航空映像を眺めてみよう。

上空から見ても国道は実に素直な線形で、カーブと意識されない位の大きなアール(半径)である。他方、JR山陰本線は才ヶ峠の前後で軽く屈曲し、トンネルによって国道との位置関係を入れ替えている。

私が鋭角のカーブを曲がって車を停めた場所まで戻ったとき進行方向右側が気になった理由が分かるだろう。
鉄道トンネルの坑口が見えるのでは…


そう思って注意深く観察したし、可能な限り路肩に寄って右側の低くなった部分を注視してみた。
しかしあまりにも藪が酷すぎて線路が通っていると思われる部分の堀割が見えるのがやっとだった。
鉄道トンネルは見えませんでした。

まぁ…いいや。
これは道路の峠レポートなんだし…鉄道は守備範囲外だし…

…ということで、


えっ?
そんなに簡単に終わっちゃダメだって?
押しが足りない?

でも、もう午後4時過ぎてるんだよ。
……………。

やっぱり鉄道のトンネルを観に行かなくっちゃダメですか?
無理だって。半端じゃない厳しい戦いになるよ。まだ藪に勢いあるし、堀割も深いし…

どうしようか…
「どうしようか」って言う以前に↓に次の記事リンク張ってるじゃないかw

(「才ヶ峠トンネル【1】」へ続く)

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