坊主池

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現地撮影日:2014/4/25
記事作成日:2015/2/7
市道猿田住宅線において旦の辻市営住宅群の北側にある沢地に樹海のような小さな沼地がみられ、坊主池と呼ばれている。[1]
写真は堰堤上からの撮影。


余水吐の位置を中心にポイントした地図。


地図では長方形をした溜め池として描かれているが、冒頭の写真のように殆ど湛水しておらず盛大な植物園状態になっている。溜め池の水を利用する田畑がなくなり、管理の手を離れているように思われる。

本路線に面して余水吐があり、堰堤上は一般の人も通れる生活道のようになっている。


殆ど水が溜まっていない点では浜町の蟻ヶ迫池に似るところがある。
もっとも堰堤上は通路として開放されており池の姿を眺めるのは容易だ。


堰堤からやや汀へ近い側にネットフェンスが設置されている。有刺鉄線は付属しない。
池とは名ばかりで水面がまったく見えていない。


樋門を操作するためか、フェンスには門扉が設置されている。


コンクリート製の階段と樋門がみられる。
とても操作されているようには思えない。恐らく最低水位で維持されているのだろう。


堰堤からは本路線を挟んで旦の辻市営住宅群が見える。
奥から順に4棟、5棟である。


堰堤の北側から撮影。


北側の端には僅かばかり水が溜まっているのが見えた。


常時水に浸っているのを嫌う植生なのか、ここだけは植物が生い茂っていなかった。


この場所にはフェンスがなく、汀にはそれほど困難なく近づくことができた。
深い溜め池ではないにしてもむしろこういった沼地化した溜め池の方が危険度は高い。足も届かない深さの川や池なら足を掻いて泳ぐことができるが、緩い沼地に転落するとどういう事態が起きるかは想像に難くないだろう。転落時の姿勢によってはただちに生命にかかわる。少なくとも周囲に子どもの姿が見えるときには大人も近寄らないようにする態度が要る。

坊主池という名前の由来はよく分かっていない。この近辺の小字は下佐尾であり地名以外に由来を持つらしい。現在でも釣りにおいて獲物がまったく得られなかったことを「坊主」と表現する。何かがない、欠けている状態を表現した名称なのだろうか…もっとも命名された当時から今のように水が少なかったわけではない。[2]
小さな溜め池ながら坊主池の歴史は極めて古く、今から250年以上前に作成された絵図にも記載されている。[3]この絵図で名称の記載されている溜め池は他に常盤池と山門堤しかなく、かつて重要な溜め池だった可能性がある。もっとも上宇部校区の史跡マップには坊主池の記載はあるものの、詳細については何も記載されていない。

これほどに狭く灌漑用水貯留用としても利用されていない溜め池であれば、土地利用の観点から埋め潰されてしまいがちである。実際、藤山校区の神田池はこれより広大な溜め池ながら一昨年すべて埋め潰され新興住宅地となっている。しかし坊主池はその深遠な歴史故にもう暫く今の姿を留めていてくれるかも知れない。
《 記事公開後の変化 》
上記の結びとは相反する結果を報告することになるが、坊主池は埋め潰されることとなった。2015年9月28日より歩道の縁石とガードパイプの一部を除去して大型ダンプで運んだ土砂を投入する作業が始まっている。[4]工事開始直後からこの方面を訪れる折に写真撮影を行っており、現在継続観察中である。一連の変化は以下の派生記事での記述を予定している。
経過観察記事: 新興住宅地へと変化する坊主池
(記事が書き上がり次第リンクで案内します)

なお、上記の記事は歴史在る溜め池の変化を記録することが目的であり、この新興住宅地の土地履歴を殊更に広く伝播する意図はいっさいないことを付言しておく。(2016/9/11)
かつてどのような土地であったかは調べれば誰でも容易に知り得ることである
出典および編集追記:

1. 宇部市役所本庁の左横歩道に設置された宇部市住居表示案内図の山門5丁目の6に坊主池として記載されている。

2. 昭和49年度の航空映像では地図の記載とほぼ同範囲に水面が見えている。十年程度前、まだ灌漑用水需要が相応にあった時期まで水が溜まっていたようである。

3. 山口県文書館蔵の「地下上申絵図」に赤松堤と共に坊主堤として描かれている。「琴芝」(琴芝小学校二十周年記念誌)p.1 参照。
なお、読者情報は「FBページ|2015/2/5投稿分」も参照。(要ログイン)

4.「FB|2015/9/28のタイムライン(要ログイン)

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