蟻ヶ迫池

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現地踏査日:2013/2/22
記事公開日:2013/12/23
蟻ヶ迫[1](ありがさこ)池は、小松原町1丁目付近にある溜め池である。
写真は岸辺に設置されたフェンス越しに撮影している。[2011/5/8]


下の地図は、蟻ヶ迫池の余水吐部分を中心にポイントしている。


地図で見ると蟻ヶ迫池は三角形をしている。その形状から近辺の在住民からは「三角ダブ」とも呼ばれていた。[2]溜め池の名称はこの三角形領域に対する小字の蟻ヶ迫に依るものであるが、蟻ヶ迫という字の由来は分かっていない。詳細は末尾を参照。
派生記事: 蟻ヶ迫について
灌漑用水需要が皆無で管理の手間がかかることを考慮すると、東平原1にかつて存在した神田池のように埋め立てられるか、調整池機能のみ残して縮小されるのではないかとも思われる。
《 アクセス 》
溜め池のどの部分も車で進入可能な道に面しておらず、自転車ないしは徒歩のみである。
市道下条浜通り線の終点側から進み、最初の右カーブを過ぎた先の左側に細い路地がある。


民家と里山の間に狭い通路がある。ここを辿ることで溜め池に接近することができる。
恐らく里道と思われるが保証はできない


用水路に沿って通路を進むと余水吐が見えてくる。


余水吐は溜め池の左岸側に存在する。
周囲は有刺鉄線付きネットフェンスで厳重に囲まれていて堰堤には一切立ち入りできない。


溜め池の撮影は余水吐の横から山側に伸びる場所へ移動しフェンス越しに行うことになる。
後で戻ってくることとして、先の道を進むと…

溜め池の堰堤は練積ブロックで側面を固めた上に築堤されたような形態になっている。このため下の通路から堰堤までは民家の軒先程度の高さがあり池の様子はまったく窺えない。


溜め池の通常の出水口は堰堤の中央部に設置された門扉のすぐ下にある。
大量ではないがこの時も池の水が流れ出ていた。


民家側にはずっとネットフェンス付きの擁壁が続いている。その内側は草木が伸び放題になっていて刈り払いされている形跡がない。
蟻ヶ迫池がもう灌漑用としては利用されていないと考えた所以である。


溜め池の水も雨水排水路に流れ込んでいるだけで、利用されることなくそのまま最寄りの水路か準用河川へ合流し排出されているだけである。溜め池の水を引いて利用できそうな田畑がこの近辺には皆無だからだ。

蟻ヶ迫池から浜バイパスを挟んだ南側は鵜ノ島校区になる。鵜ノ島は市内でも初期に開作された地で、足りない灌漑用水需要に応えるために蛇瀬池が造られた経緯がある。鵜ノ島に最も近い溜め池なので、灌漑用水確保のため人工的に造られた溜め池とすれば当時はかなり重要視されていたのではないだろうか。

この通路をずっと進むと市道小松原桃山線に出てくる。この市道からも入って来れるが車は通れない。また、溜め池の左岸側は民家の敷地となっているので接近自体不可能だった。

再び余水吐の場所まで戻ってきている。
以前はフェンスに遊泳禁止の立て札が取り付けられていたが、物理的に池へ近づくことができず接近不可能が周知徹底されているせいか現在は撤去されている。


ここから余水吐の走水路に沿って山の方へ向かう踏み跡がある。
竹の進出が目立つ中、ところどころ鍋倉山にも見られるような蛇紋岩が露出している。
この地勢は向山にもみられる


この道は墓場へ向かっていてそこで行き止まりである。
池に接近する形で竹藪の中を漕いで進むことでフェンスの近くまでは行ける。


何とか溜め池を眺めることのできる場所は精々この辺りだけである。


フェンス周辺には灌木や竹が多く、それらが視界を遮り気味で撮影アングルはかなり制限される。
堰堤付近にだけ僅かに水が溜まっているのが見える。堰堤の内側は張りブロックと思われるがここからでは分からない。


水際を好む草が生えては枯れて水深を浅くし、更に翌年新しい草が生えて…のサイクルを繰り返しているようだ。
その過程でどんどん溜め池が狭められている。


冒頭の写真も含めて殆どの写真はこの場所からフェンスの網目越しに撮影している。
夏場は酷く藪化するのでこの場所への接近自体が非常に困難となる。

桃山にある二反田池は歴史的に成り立ちが知られているものの、蟻ヶ迫池については文献が皆無で殆ど何も分からない。
最も近い公道として市道下条浜通り線があるが、私有地の駐車場を通してわずかに堰堤部分が見えるのみである。堰堤部が高いため溜め池の存在自体も殆ど市民には知られていない。


厳重なネットフェンスからも想像されるように、蟻ヶ迫池は危険な溜め池として認識されている。昭和期には子供の溺死事故も発生している。[2]堰堤部のフェンスに立入禁止の文言はないが、有刺鉄線の存在で接近拒否の度合いが分かる。それ以外の場所も民家に接していたり山の急斜面に面していたりで、溜め池本体に接近できる場所は殆どない。堰堤部のフェンス門扉は常時施錠されており、夏場は背丈を超えるほど草が伸びる。秋口以降の草刈りもまったくされない。

用水需要が皆無なせいか、溜め池の水位は常時最低位となっている。地図では水色に塗られている領域がかなり広いが、実際の湛水面積はその4分の1以下である。沢の上流部は緑地のようになり、堰堤に近い部分も湿地帯のようになっている。既に陸地化している部分も多いと思われるが、観察可能な場所の制約上詳しいことは分からない。

地図では沢の上流部にひょうたん型の小さな溜め池がみられる。この池の堰堤部に向山と立山地区を結ぶ里道が通っていることが最近分かった。
堰堤の下にはヒューム管が埋設され、蟻ヶ迫池へ水が流れ込むようになっている。現地の構造物を観る限りでは蟻ヶ迫の堰堤部の張りブロックとほぼ同時期で、昭和後期の施工のように思われる。

溜め池の左岸側にある墓場の横からかつて道が存在していたらしく、境界石のような御影石がみられる。


この近辺は鍋倉山にみられる蛇紋岩系の岩が多く御影石は皆無である。何かの目印のため外部から持ち込み設置されたらしい。


もっとも道があったにしても現在はほぼ完全に失われている。[3]

蟻ヶ迫池を詳細に撮影できるチャンスは恐らくない。沢の上端からアクセスできなくもないが、元々が危険な溜め池でありそこまでして写真を撮るモチベーションが得られない。それ故に本編の総括記事のみで続編記事が作成される予定は今のところない。精々、別アングルからより良好な写真が撮れた折には差し替える程度だろうか。
外部ページの投稿と読者の反応。(要ログイン)
外部サイト: 宇部マニアックス|2015/7/21の投稿
出典および編集追記:

1. 市役所前などに設置されている住居標示板に蟻ヶ迫池として記載されている

2. 鵜ノ島校区在住民の話による。大人の言葉を音感だけで覚えた子どもの中には誤って「三角ダム」とも呼んでいたようだ。ダブとは余剰水を一時的に貯留する池などをさす宇部の古い方言である。
かつての藤山村には小林ダブ、オイヤダブなどが知られる

蟻ヶ迫池での溺死事件は衝撃的なものだったらしく地元住民に広く知られている模様。時期は昭和後期と思われる。(FBページへの読者コメント情報による。2015/11/21)

3. 2015年1月下旬に再訪したときは堰堤上の雑草が刈り取られ、この石柱があった先の100m程度が刈払いされていた。昔からの里道があり普請する方がいらっしゃるようである。
但し刈払いは途中までで先には何処にも抜ける道がなかった
《 蟻ヶ迫について 》
記事作成日:2015/2/7
蟻ヶ迫(ありがさこ)は現在の小松原町1丁目付近に存在した小字である。
写真は宇部新川駅前に設置されている駅周辺案内図に掲載されている蟻ヶ迫池。


制作時期の異なる小字絵図のいずれにも蟻ヶ迫として記載されており、更に古くは小串村の小松原小村に蟻ヶ迫という小名が現れている。小松原小村には他に鵜ノ島堀、浜ノ浴、原田、横田の小名がみえるが、いずれも蟻ヶ迫配下の小名となっている。[1]小松原の小村時代には蟻ヶ迫は中核的な位置づけであったようだ。

小字絵図で記載されている蟻ヶ迫の範囲は、現在地図で記載されている蟻ヶ迫池を含んだ三角形状の谷地全体である。上流部にある小さな溜め池も含まれる。西側の向山に接する部分はおよび浜ノ上、東側は立石である。蟻ヶ迫池の堰堤下にある排水路を境にして南側は北蛭子となるが、現在ではその殆どが小松原1丁目となっている。蟻ヶ迫池のある北側は現在も住居表示改定は行われておらず大字小串なので、正確な所在地表示で字蟻ヶ迫が表記に現れる可能性がある。

古くからの地名でありながら蟻ヶ迫という地名の由来は何一つ分かっていない。迫は谷地に与えられる一般的な呼称としても「蟻」が何を形容しているものかは謎である。少なくとも昆虫類の蟻でないことは明らかだろう。元々、動物由来の地名は殆ど観測されず、まして蟻が地名由来として日常的に観測される対象とはとても考えられないからである。
漢字のみ借用しているとしても「あり」の示すものが何であるかを推測するのは難しい。同音を含む地名としては有帆地有時有間田など意外に多い。そのいずれも地勢的な共通点は見いだせていないが、漢字表記は「有」となっているものが大勢で「蟻」の字を用いるものは蟻ヶ迫以外知られていない。

蟻ヶ迫の名称を現代に伝えるものはこの溜め池以外に知られていない。詳細が記載されている地図以外では蟻ヶ迫池という溜め池の名称記載もなく、古くからの地元住民以外忘れ去られつつありそうな地名となっている。継続して文献を探る予定であるが、謎を秘めたまま地名自体が消滅してしまうのだろうか。
出典および編集追記:

*「防長風土注進案」該当巻のp.453には「蟻ヶ坂堤」水面四反として収録されている。このことから当初は蟻ヶ坂だった可能性もある。その場合でも「あり」の音が何に由来しているかの問題は残る。最近、元々は「なし」の音を含む地名に関して「無し」に通じて縁起が悪いため「あり」と読み替えられた地名の事例(例えば亀有など)を知った。有帆や有間田など他の「あり」の音を含む地名についても検討の余地があるかも知れない。(2015/4/15)

1.「山口県地名明細書」(山口県文書館専門研究員 田村哲夫著)p.137

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