常盤池・荒手【1】

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現地踏査日:2012/1/8
記事編集日:2013/7/10
踏査の時系列から言えば、「夫婦池・汀踏査【3】」の続きになる。

常盤ふれあいセンターの裏手にある遊歩道から伸びる廃道を経て夫婦池の入り江部分を踏査し、再び自転車に跨った時には既に午後4時を回っていた。

自転車を乗り回し、旺盛過ぎる好奇心を満たすために大人が顔をしかめる藪の中でも平気で入り込むのは昔の子どもと同じだが、すっかり大人となった今では遅くまで遊ぼうが誰も叱りはしない。何時まで外を彷徨こうが自由ではあるが、今の時期は日が傾くのが早い。デジカメ撮影し記録を残すにも暗くなると明瞭な写真が撮れなくなる。何よりも急速に気温が下がってくる。私は今日のところはこれで充分だろうという気持ちで、成果をデジカメに詰めてアジトへ戻ろうと遊歩道を進んでいた。

この場所で私はちょっと自転車を停めた。
せっかく通りがかったのだから…という気持ちだった。午後4時は本格的な踏査を始めるには明らかに遅い。


この場所を広域地図でポイントしている。
地図では遊歩道しか記載されていないが、このすぐ下に常盤池の余剰水を流す水路が存在する。


特に遊歩道の市道接続部付近は流下水路が隣接している。そのことは初めて訪れたときから分かっていた。周囲を覆い隠す藪が浅いせいか、今までになくハッキリと目視できた。もう少し接近もできそうだ。


元から周囲が鬱蒼としている上に今の時刻だから、どうやってもピントが甘めに写るのは仕方なかった。
流下水路のぎりぎりまで大きな木が押し寄せて生えている。内部には多少のゴミも落ちていた。

かなり深い。
確認しようと接近するも水路の縁は絶壁状態に近いくらい切り立っていて容易に人を寄せ付けない。
周囲の木の幹につかまり、可能な限り視座を下げて注視してみた。

それは私にとって初めて目にした荒手そのものの姿だった。


流水路は一定幅で直線的に伸びている。しかしよく目を凝らすと、水路の壁部分は綺麗な平面ながら高さがバラバラだ。底の部分もコンクリートにしては妙に不陸が目立つ。
んっ?
これはコンクリート水路ではない!
私にとってはかなり衝撃的な事実だった。
それと言うのも余水吐から夫婦池まで流れ出る経路は後世にコンクリート三面張り水路に改修されたと信じ込んでいたからだ。
実際、余水吐はコンクリートで造り直されているし、そこから市道をくぐる部分もボックスカルバートになっている。その先は当時辿らなかったが、市道から見下ろす限りではコンクリート水路になっているのを確認していた。
初めて余水吐を踏査したとき市道の反対側から撮影した写真


この写真を撮った後、遊歩道に入り込んでいた。私はこの流水路の存在は知っていたが、訪れたのが8月下旬で藪が酷く詳細を眺めようにも接近できる状態ではなかった。遊歩道を進みつつ藪の切れ目越しに見える姿は、傍目にも整ったコンクリート用水路だった。それなら無理して踏査する必要もなかろうと考えていたのである。

私が荒手という呼称を知ったのはそのずっと後のことであり、更にその名称を知ってからも今まさにこの場所へ立つまで、改修されたコンクリート水路と決めつけていたのだった。

水路の両側は極めて整った平面を形成しているので、遠目にはコンクリート三面張り水路のように見える。私がこの場所に立って見下ろしたときもなお暫くの間、実は岩を切り出して造られていたという事実に気づけなかった。換言すれば、それほど緻密な精度をもって造られていたのである。
何ということだ…
もしかすると当時のままの姿?
またしても私は「知ってしまったからには、このまま帰る訳にはいかない」状態に置かれていた。

水路の内部にはところどころ溜まり水がある程度で、降りる場所さえ慎重に選べばスニーカーでも足を濡らす心配はなさそうだった。問題はこの高低差と極めて急峻な側壁だ。高低差は目測で5m以上あったし、しかも殆ど崖のようになっていた。もっとも完全な岩の崖なら降りられようもないのだが、露出している殆どは柔らかな地山で、体重の半分を支える太い木々も適度に茂っていて下降を助けてくれそうに思えた。

降りて観察したい。
それも次回送りではなく、今すぐに。

私は留め置いた自転車を施錠した。
踏査が長丁場に及ぶと予想したとき必ずやる習慣だ。

大丈夫…
飛び降りるようなことさえしなければ安全に降りられるし、必ず遊歩道まで登り直せる…
私は自分の身体能力を推し量った上で次の行動に移っていた。

注意高低差が大きく、転落すると大怪我の恐れがあります。なるべく同じ行動を取らないことをお勧めします。(より安全に接近できる別経路がある

カメラをポケットに仕舞い込んで両手を空け、本気モードで下降にかかる。崖の上部は殆ど木の葉を被った地山で足元はかなり悪い。しかし下半分は自然の岩で、滑ることさえ気をつければ足掛かりは良かった。

数分後、遂に荒手の底に降り立った。


降りた直後と言うか、実際にはもう半分降りかけた段階で私はここ最近なかったほどの興奮を覚えていた。今年一番の興奮と言っていい。
荒手が造られた当時の姿から殆ど姿を変えず遺っていることが窺えたからだ。

何処から撮影しようか…
驚くべきものにあふれていて、本当に何処からカメラを向けるべきか迷った。

下流側。人工的に造られた水路のせいか、余計なカーブなど一切ない。一定幅を保った直線だ。
しかも…
直線部の末端部分に、いつの時代のものかも知れない石橋が半壊状態で観察できたのだ。


遊歩道の上から眺めた驚愕の事実は、充分に私の期待に応えてくれていた。
このキッチリとした両岸の直線部分のすべてが岩を削って造られたものだった。

再び余水吐側を眺める。
ここなど特に顕著だ。正面にコンクリート三面張り水路が見えるが、僅か数メートルばかりで終わっており、そこからは自然の岩を削った痕跡が見て取れる。


近寄って撮影した。
元から暗いので鮮明には見えづらいかも知れないが、どうだろう…
これって当時の鑿の痕では?拡大対象画像です。
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これなど特に鮮明だ。
岩の側面には無数に細かな彫り跡が観察される。自然現象でこんな文様は生じないだろう。拡大対象画像です。
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場所によっては削り取った岩の高さは1mを超えていた。
まさか…本当に水路の高さに到達するまで上から削ってきたのだろうか…


壁面だけではない。
足元を観察すると、壁面ほど精密ではないが底面にも削り取られた痕跡が窺える。微細な不陸はあるが、流水路として機能する程度の平坦性をもって削られている。拡大対象画像です。
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荒手の造られたこの場所は、かつて地山のすべてが岩だったらしい。恐るべきことに江戸期の人々は、この流水路を造るために鑿と鏨をもってこの三面張り水路を削りだしたのだ。それも適当に水が流れれば足りるという粗雑さではなく、遊歩道から眺めれば三面張りコンクリート水路と見まがう程度の緻密さで。

何という恐ろしい工事をやり遂げたものだろう。

これって…どうなのだろうか。
荒手が完成したのは元禄十年(1697年)であることが文献によって判明している。
その後まったく手を加えられていないとするなら、この壁面に刻まれているのは今から300年以上前の鑿の痕ということになるのだろうか…

何だかゾクゾクするものがある。
いや…暗くて薄気味悪いという種のものではない。数百年も昔の人の営みがそのまま遺り、まさに現在の時間軸で観測できるという事実だ。

まるで江戸期にタイムスリップしたような感覚だ。荒手の中に立つと、遠くに見えるボックスカルバートは別として、この周囲に見えるものの殆どが何百年も前と変わらない姿を伝えていたのだ。

この周囲にある岩は数百年どころではない昔からここにあることは明らかだ。恐らく時期は特定できないほど古いだろう。その岩に刻みつけられた鑿の痕。それは特定できない古さではない。私と同じ生身の人間が道具を使い、この岩に働きかけた痕跡なのだ。
誤謬があるとすれば、江戸期以降で荒手の排水効率を高めるために追加で削り取られたとか、昭和期に入って削岩機などを使って幅を拡げたなどの可能性だ。もしそれらを排除できるなら、この岩々に遺る鑿の痕は今から数百年も前に刻みつけられていながら、その時期を数年以内の誤差で断言できるということになる。
常盤池関連で、これほど古い姿を現在もそのまま伝えるものがあっただろうか…
現地では感慨に浸っている余裕はなかった。
次なる興味の対象は、下流側に見える半壊状態の石橋だ。


もう時間が押して…などとは言っていられない。
完全に日が暮れて写真も撮れなくなる前に、ここに眠るものを洗いざらい自分の目で見てデジカメに収めなければ納得して帰れる状況ではなかった。

私は溜まり水を避けながら正面に見える半壊状態の石橋に向かって流水路を歩き始めた。

(「常盤池・荒手【2】」へ続く)

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