常盤池・荒手【2】

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(「常盤池・荒手【1】」の続き)

流水路は夫婦池の方に向かって真っ直ぐ伸びていた。
私が斜面を降りた付近は切り取られた岩の高さも相当あったが、先へ進むにしたがって両岸の岩は低くなっていた。
滞留する水はそれほど多くなく、スニーカーでも飛び石伝いに歩くことができた。


石橋の手前まで到達した。私が降りた場所から概ね50m程度離れているだろうか。
花崗岩を荒削りして造った石橋だ。周囲には倒木や朽ちた竹が被さり、橋も一部が落下していた。


この石橋は荒手そのものよりは後の時代だろう。
橋の上まで木の葉というか土砂が積もりに積もっており、地面と一体化しているような状態だった。


橋があるということは、ここで荒手を横切る小道が存在していたということになる。
しかしこの場所に道なんてあっただろうか…という気持ちだった。繋がっていそうな場所が全く思い当たらず、外部からは切り離された空間になっている感じだったからだ。

石橋の状態は傍目にも良くなかった。幾たびもの豪雨で荒手を走り抜ける余剰水の洗礼を受け続けた結果だろう。

橋の下部構造を撮影した。さすがにこの撮影にはフラッシュが必要だった。
手前の橋脚石には成形するとき生じたと思われる縦筋が見えている拡大対象画像です。
画像にマウスをかざすと拡大、ダブルクリックで最大化します。
クリックすれば元のサイズに戻ります。


橋脚は平面的に削られた水路底へ単純に立てられ、その上に横の部材を置き、直角方向に石材を架けて造られていた。現地では詳しく下部構造を観ていないが、写真を見る限り石材同士は緊結されておらず、自重だけで今の姿を保っているように思われる。
橋自体不安定で今にも崩れそうだったので不用意に橋の下へ入って調べる気が起きなかった

振り返って撮影。
下流側は上流部ほど左右の岩壁が高くはない。切り取られた岩のすぐ上まで木々が進出し、ところどころ岩が崩れて線形が不明瞭になっていた。


私はこの石橋を必要とする小道の経路が知りたかった。何処から来ていて何処に向かっているのかさっぱり見当もつかなかったのだ。
そのためにはどうしてもこの石橋の上に登り、小道に出なければならなかった。

私は自分がこの上に乗ることで石橋が壊れることを極度に怖れた。傍目にも状態がよろしくなく、足を掛けただけでグラッとなりそうな感じがしたのである。

別に有形文化財指定されている石橋ではないし、今の状態で放置されるなら時期が至れば何もしなくても再び荒手を流れる水流が石橋に最後の一撃を喰らわせるだろう。しかし今を記録し後世に伝えていこうとしているこの私が自らその引き金を引いて良いわけがない。

最も丈夫と思われる中央の橋脚部に足を掛け、何度か体重を移すことで安定度を確かめ、慎重を期して石橋の上に登った。幸い何十年(もしかすると百年以上)もの年月を耐え忍んできた石橋が、私如きの体重で容易に崩れ落ちるほど柔ではなかった。

石橋から左方向を撮影している。橋から先はもはや小道の状態すら全く分からないほど原形を失っていた。


もしかすると別の細い水路があったらしく、その上を横切る花崗岩らしき部材が見えた。多分上を横切るのがかつての小道だったのだろう。


その先を辿ることはできなかったが、現在の居場所を特定できそうなものが木々の間から見えていた。
沢を下る遊歩道である。さっき訪れたあの廃道部分だ。


同じ場所から振り返って石橋を撮影している。
石橋の上に倒れかかっている最も大きな木はまだ緑色の葉を付けている。最近の豪雨でなぎ倒されたのかも知れない。


石橋の左岸接続部分の石積みが酷く壊れている。大きめの割石を乱積みして支えを造ったのだろうが、岩との隙間を削られ今にも崩れそうだった。


何よりも驚いたのは、この石橋から下流側の眺めであった。
夫婦池の入り江と思われる部分までかなりの高低差がある。全く人の手が入った形跡がなく、ごつごつした岩が剥き出しになっていた。


岩を切り取って造られた流水路は、削り取る岩がなくなったこの場所で終わっていた。末端部分に石橋が架かり、そこから先は夫婦池の入り江の一部に放流されるようになっていたのだ。流水路を大量の水が流れるなら、ここで滝のように落下するだろう。


石橋から夫婦池の入り江まではかなりの高低差があったし、滑りやすい苔を纏った岩ばかりで降りられそうになかった。
石橋の反対側は、ごく自然な感じの山道になっていた。何処にも通じていないと思われる山道ながら下草も刈り取られている。


何処へ通じているのだろう…
辿ってみた。

その小道は石橋から少し離れたところで酷い荒れ道になっていた。振り返って撮影している。


その先にもう一つ、現在の居場所を推定させてくれそうな物件を見つけた。


つい先ほど見つけた夫婦池の入り江部分を渡る”謎の鉄管”だ。
しかし高低差がかなり違う。先に訪れたときは2m程度低い場所だったが、現在地は5m以上高い場所にいる。


やがて前方が明るくなり、市道を往来する車の音が聞こえ始めた。そのことでこの小道が始まっている場所が理解できた。
しかし閉ざされた空間に眠る小道であることに変わりはないらしい。伐採した後集積されたのか自然に倒壊したのか、積み上がる朽ちた竹に進路を奪われた。藪を漕がなければ市道まで到達できない。


なるほど…
この状態なら、この小道の存在自体気づかない筈だ。
納得して引き返した。

ここから市道へ出れば、遠回りになるが安全に自転車を置いた遊歩道まで戻れる。
しかし私は敢えて来た道を戻った。まだ見残しているものがいくつかあったからだ。

(「常盤池・荒手【3】」へ続く)

【追記】(2012/6/18)

読者よりお寄せいただいた情報によれば、半壊状態の石橋には名前があり「常盤堤東荒手石橋」と呼ばれているそうである。
もしかすると親柱が存在していたのかも知れないが、詳しいことはまだ分からない。

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