常盤池・荒手【3】

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(「常盤池・荒手【2】」の続き)

見残したものを確認するために、市道には出ずここで引き返した。

枯れた竹が乱雑に積み上がっているのは、小道の正面だけではなかった。小道の横にもこんな感じで整然と積まれた形跡が見られた。歩行の邪魔にならないよう片付けられたらしく、通行需要は意外にあるらしい。


石橋のところまで戻ってきた。
来たときと同様、流水路の中央に設置された土台の石を足掛かりに降りた。


再び飛び石伝いに流水路の中を歩き、本気モードで下降した場所の真下に戻ってきた。
遊歩道から投げ捨てられたと思われるゴミが酷い。


まだ遊歩道へ復帰するには早い。ここまで来たからには、行ける場所はすべて踏査…の方針によって、余水吐の方まで歩いた。
派生記事: 常盤池・余水吐【1】
一連の写真を撮り終えて、再びボックスカルバートをくぐってここへ戻ってきた。

コンクリート水路はボックスカルバートを過ぎて数メートルで終わっていた。コンクリート水路の方が若干幅が狭く、円滑に流れるように荒手よりは少し高めに造られていた。


そして岩を切って水路を拵えた部分。
両岸の岩の高さは当然不揃いだが、一定の幅と縦断勾配を保って造られているのがよく分かるだろう。恰も巨人が大きな彫刻刀で岩をゾリッと一剃りしたようなイメージだ。拡大対象画像です。
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余水吐から引き返した直後に撮った写真に比べて、すぐ目の前を遮る枝がなくなっているだろう。
この写真を撮るために、流水路へしだれかかった枯れ竹や木の枝を取り除いたのだ。
本当言うと溜まっている木の葉や砂利なども除去してみたい…どんな岩肌が現れるのだろうか

距離にして50m程度。流水路としては短いが、その殆どすべてが岩だ。
地学に知見がないのでこの場所の岩がどういう石質でどの程度堅い物かは分からない。しかし砂岩など堆積性の石でないのは確かだから、相応な硬度をもっている筈だ。

もしこれと全く同じ物を今造る必要に迫られたなら、現代人なら迷わず油圧機械を投入するだろう。岩山があって流水路の邪魔になっているなら、流水路の底面が現れるまで全部破砕し、転石を除去して保守性の良いコンクリート水路を拵える…それが現代の土木施工における一般的な考え方だ。しかしそうした暴力的手段をもってしても岩を破砕して水路を造る工事が一週間やそこらで竣工するものではない。

それを江戸期の人々は人力で削りあげた。私たちが一般に想像する鑿や鏨より効率的な道具があったのかも知れないが、人力頼みであることに違いはない。
一体どれだけ多くの人の努力が
この岩山に向けられたことだろう…
荒手の驚くべき点は、途方もない岩山を人力で削り上げただけでなく、それが緊急用の流水路にはそぐわないと思えるほどの精度で仕上げられている事実にもある。
現代人の論理なら、余剰水が流れてくれれば足りるのだから、何もコンクリート水路に見まがう程の精度で岩を平面的に削る必要はないのでは…と考えるだろう。
実際それは極めて直線的で、水路幅の何処を測定してもほぼ一定なのではないかと思われる程の精密さで岩が削り取られているのである。
メジャーなどを持ち出して水路幅を複数箇所測ると面白いと思う

現在の視点で考えて無駄になっているものは別として、昔の人の考えでも当初から無駄や余計なものは造らない筈だ。即ちこの精密度は充分な理由があったのだろう。それは
緊急時に少しでも速く余剰水を排除できるようにするため
…だったのではなかろうか。

緊急時のための排水路なら、洪水発生時にはいち早く余剰水が排除できなければ本土手に負担がかかってしまう。このとき流水路に無駄な凹凸があれば、その部分で水流の乱れが生じて流速が落ちる。岩場の多い自然の渓谷で流下速度が遅くなるのは昔の人々も観測していた筈だ。
更に流速を上げて迅速に余剰水を排除するなら、下り勾配にする方法もあった。しかし元が岩山だから下り勾配にすると削るべき岩の量が膨大になるだろう。そこで底面や壁面をできるだけ円滑に仕上げることで対処していたのではと想像される。恐らく設計段階でどの位置に、どの程度の幅の流水路を造るか綿密な検討が加えられたのだろう。

荒手は経常的に水が流れる用水路ではない。しかし常盤池の余水吐を超えて余剰水が流出することは現在でも稀なことではない。まして想定を上回る短時間に極めて激しい降雨があったらどうだろう。それも灌漑水の需要期で常盤池が満水位となっていた時にだ。
もし荒手が粗雑な造りだったら、余剰水の排除が追いつかず常盤池の水位は上昇し続けるだろう。仮初めにも本土手から越流などという程の洪水に見舞われれば、遂には本土手は崩壊し、常盤池の貯水機能は根底から失われてしまうだろう。
そんな事態はまず起きないと思いたい…しかし万が一にも満水位状態で常盤池の本土手が崩壊したなら夫婦池の湛水面積からして緩衝池の機能は殆ど期待できない…直ちに夫婦池の堤が脅かされ国道190号分断…塚穴川両岸の家屋流出すらあり得ない話ではない

数百年も前に暮らした人々は、現代人を凌駕するフェイルセーフの発想を備えていたと言わざるを得ない。

凄い…
凄いよ。昔の人の努力と発想って。


そろそろ戻ろう。

降りてきた場所の真下まで戻り、急斜面を登り直した。
決して楽なタスクではなかったが、この苦労に見合うだけの成果があったから苦痛ではなかった。
斜面を登っている途中でこの成果をいち早く届けたいと思ってケータイで画像を送りつけられた人がいるだろう…手を挙げなさい^^;

自転車の元へ戻ったが、もう少しシメの作業が要る。
朽ちた竹の山に阻まれたあの小道がどこから伸びているか調べておきたかった。入り口が判明すれば、次回荒手を訪れるとき危険を冒して急斜面を降りる作業を回避できるからだ。
怪我の危険があることに加えて斜面を昇降すると土砂が落ちることからも回避したい

余水吐から市道を常盤公園入口方面に走りつつ、入口らしい場所がないか探った。
それは容易に見つかった。


かつては遊歩道として提供されていたのかも知れない。入口部分に黄色い車止めが置かれていた。その奥には小道らしきものも見える。


自転車を留め置いて進攻する。
市道のカーブ外側が平場になっていて、その一角に小道の入口があった。


小道を少し進むまでもなく再び枯れた竹の山積み場所に出会った。


しかし先ほど訪れた場所とまったく同じとは確信できない。もう少し踏み込んでみた。
間違いない。
さっき訪れたあの裏側だ。


竹の山積み場所に行く手を阻まれた。しかしその先には明らかに見覚えのある小道が続いていた。
冬場の今でこの状況だから、他の季節だったら進攻しようという気も起こらないのが普通だろう。

一連の情報を先ほどの手書きマップに書き加えてみた。


が自転車を停めて強引に降りた場所だ。
流水路は遊歩道に沿って適当に書き入れたが、実際はもう少し遊歩道から離れるような線形だと思う。

等高線が一本しか入っていないので追加的に説明すると、から流水路までの高低差が5m程度あり、そこから石橋まではほぼレベルで推移する。石橋から夫婦池の水面まで高低差が5m以上あって、よほどの覚悟がなければ容易に降りていける状況ではなかった。
このことから夫婦池の水面は常盤池の標準的水位に対して常に5m程度低いと思う

石橋を利用する小道は、かつては市道から伸びていた筈だ。現在も入口は分かるものの途中に朽ちた竹が積まれている場所があって線形が分からなくなっている。また、石橋から先は小道の痕跡すら不明瞭で全く分からなかった。
あの傾いた広場は新しい感じがする…かつての姿は沢地で広場を造成したとき小道も失われたのではなかろうか

したがって今回私が着手した遊歩道から直接降りる”暴力的な手段”によらずとも、黄色い車止めのある場所から進攻すれば、やや遠回りにはなるが少しは安全に荒手へ到達できる。
朽ちた竹の場所を回避するとき若干の藪漕ぎが必要になりそうだ
なお、手書きマップの左上に今回「夫婦池・汀踏査【1】」で辿った経路があるが、この朽ちた竹に塞がれた小道とは高低差が数メートルあるので相互に存在すら認識できない。
たった1m程度の高低差であってもあの藪なら気づくことはできないと思う
取りあえず今回はこれで充分だ…
既に午後4時半を回っていた。
時間が遅く明瞭な写真が撮れなかったが、再び草木が周囲を覆い隠す前に訪れなければなるまい。早い時間に来て明瞭な写真を撮りたいし、もし可能ならあの石橋から直接夫婦池の汀まで降りることも検討してみたい。

まずは成果を持ち帰ろう…
私は初めて知った物件だが、きっと同じかそれ以上に驚きと興味を持ってこの成果を待ちわびている読者がいらっしゃるに違いない。

興奮冷めやらぬまま私はアジトへ向けて自転車をこぎ始めたのだった。

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