峠池(高麗谷池)

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記事作成日:2016/11/4
最終編集日:2022/10/18
峠池は、厚東区の持世寺にある溜め池で、高麗谷池とも呼ばれる。[1]
写真は堰堤からの撮影。手前に見えている石は特徴的なケルンである。


余水吐の位置を中心にポイントした地図を示す。


峠池は市準用河川持世寺川上流にあり、地図のように西と南へ突き出たL字型をしている。西側は霜降岳方向に、南側は男山の方へ伸びている。この方向には更に小さな2つの溜め池があるようで、昭和池と呼ばれている。
《 概要 》
堰堤の東端にケルンが積まれている。
単に礫石を積み上げただけではなくコンクリートで固められている。


このケルンは溜め池に付随するものではなくこの先へ更に進んだところにある旧キャンプ場の目印だろうか。
まだこの先へ進んだことがない

ケルンのすぐ南側登山道沿いに峠池の立て札がある。


堰堤は池の北側にあるので、午後訪れると強烈な逆光となって溜め池を巧く撮影できるスポットを探すのに苦労する。
写真は東側の端からの撮影。


堰堤からの撮影。


堰堤の東の端に余水吐があり、登山道は開渠部分を古めかしい石橋で横切っている。
写真は余水吐に降りて石橋を横から撮影している。


この登山道を進むと前城と本城の中間にある鞍部の持世寺分岐へ出てくる。
まだ歩いたことはない
《 アクセス 》
持世寺方面からは持世寺川に沿って遡行する登山道(持世寺コース)を歩く。車が入れるのは砂防公園手前のところまでで、そこからは徒歩になる。

後城分岐に直進として旧キャンプ場、東側の分岐に本城を案内する道標が出ている。
最近、峠池を案内する標識が追加された。


この分岐から歩いて600m程度である。
《 名称について 》
峠池という名称の由来はまだよく調べていない。読み方さえも正確なものは得られていないが、恐らく率直に「とうげいけ」と思われる。地名に含まれる場合、峠は「とう」や「たお」とも読まれるが、単独で峠と書かれる地名では「とうげ」と読まれる場合が目立ち、そうでない場合はしばしばという漢字で書かれる。

名称の由来は、恐らく持世寺と男山を結ぶ往還路を考えたときこの溜め池の南で尾根を越えることによる。[2]現在は尾根伝いに市道霜降山登山線が通っているのみで峠越え方向の道は男山側は廃道状態になっている。しかし徒歩での往来が主体だった時代では近道として通られていたのではないかと思われる。

溜め池の管理主体は高麗谷溜池水利組合で、余水吐を渡る橋の近くにその名称が書かれた札が下がっている。


また、峠池のある場所には高麗谷(こうらだに)という山地字の存在が読者情報として寄せられている。[3]高麗谷溜め池が本来の名前で、峠池は後年与えられた慣用名であろう。

高麗谷という地名の由来はいくつか推測される。漢字表記からすれば大陸の高麗を想像うるが、移民が住んだという伝承がない限り直接の関連性は考えられない。宇部村エリアの高良宗七との関連性も(距離が離れているため)考え難い。高良大明神との繋がりがあるかも知れない。同様の地名として神奈川箱根の強羅が想起される。
《 個人的関わり 》
上記の時系列記事を作成した2016年11月に訪れたのが最初である。ただし霜降山の至る所を歩き回っている方の提示される写真でケルンなどを見たことはあった。

2018年に再訪して写真を撮り直した。今のところこのときの撮影分が一番きれいに写っている。最終編集日の数日前に温見古道を持世寺側から調べた折に峠池まで歩いた。日射と空模様がそれほど良くなかったので少ししか撮影していない。
初めて峠池を訪れたときの時系列記事。全2巻。(2016/11/6)
時系列記事: 峠池【1】

出典および編集追記:

1. うべ情報マップで峠池を表示させると高麗谷池と表示されている。

2.「FBページ|2016/11/3の投稿

3.「FBタイムライン|更新通知(2016/11/7)

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