厚東川ダム取水口ゲート建屋裏手にある採石関連の遺構

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記事作成日:2017/6/15
最終編集日:2021/4/16
厚東川ダム取水口付近のゲート建屋後ろの斜面に橋脚のような形をしたコンクリートの遺構が隠れている。
写真は県道小野木田線の終点側から北を向いて撮影。


推定される位置を地図で示す。


上部をズーム撮影したときの写真。
見たところ橋脚の下部構造にそっくりである。


この構造物は採石所跡を訪れた帰りに再度ゲート建屋を撮影する過程で偶然に見つかった。季節柄木々の繁茂が薄くなっていたため気付いた。予想しない巨大な遺構の存在に驚き、携帯でも撮影して画像をメンバーに送っている。
【 この構造物の正体について 】
かつてこの地で鉱石が採取されていたときの坑道のポータルと聞いている。[1]近くにある厚東採石所跡との関連性は不明である。郷土マップなどには何も記述がないが、周囲の状況によってはかなり目立つ存在で公共写真などでも実物が写っているものがある。[2]
現地は急な斜面にあり接近は極めて困難である。後述しているように接近を試みたものの失敗しまだ詳細な現地調査はできていない。詳細が判明したなら以下の記述部分を時系列記事へ分離し、本ファイルを総括記事に変更して初回踏査レポートをリンクで案内する形式に変更する。
出典および編集追記:

1. 2015年3月にうべ探検博覧会による直営イベント「水がめの秘密」で現地説明員として参加したとき同行した二俣瀬区の郷土史研究会の方からの聞き取り情報による。伺った話によればかなり昔に現地へ訪れたことがあり、坑口から水が流れ出ていたという。恐らく内部は塞がれていないのではと示唆された。現在どうなっているか、何の鉱石を採取していたかは尋ねていなかった。

2. 例えば宇部市上下水道局による「宇部のみず(PDFファイル)」の4ページ目に厚東川ダムの空撮写真があり、ゲート建屋(それ自体は見えない)の近くにアーチ状のコンクリート構造物が写っているのが分かる。(2017/6/24)
《 初回踏査 》
現地撮影日:2012/2/16
記事公開日:2017/6/17
以下、この遺構を発見したときその場で試みた接近レポートを記述する。現地撮影日で分かるように、調査は5年近く前である。

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時系列では「厚東採石所跡」を訪れた日の帰り際となる。時刻は既に午後5時近かったので帰る腹づもりで県道を木田方面へ進んでいた。それでもこの辺りはそう頻繁に訪れるところではなく、厚東川ダム取水口の前を通るので、ゲート建屋の現在の写真を撮っておこうと思って車を停めた。

アングルを変えてゲート建屋の写真を撮っていたとき、本記事の冒頭に掲載したような眺めを目にしたのである。最初、何かコンクリートの壁のようなものがあるらしいという感触だった。移動しつつ観察していて上部が平らで両側が出っ張っている構造から橋脚らしいものがあると分かった。まったく予想外のものだったので、携帯でも撮影してメンバーに送付した。そして既に薄暗くなり始めていたが、正体を調べるために現地への接近を試みた。

まず県道から直接斜面を登ろうとしたが、あまりにも急な上に足元が滑って危険だった。それでゲート建屋の裏側へ回り込んでの接近を考えた。
ゲート建屋の裏手である。敷地の裏側に山の方へ登るスロープがあり、そこだけ鉄柵が切れていた。[1]


もしかしてゲート建屋と関連性があるのだろうか。しかしコンクリートの遺構は遠目で眺めただけでもかなり古そうだ。ゲート建屋が出来たのは昭和40年代後半から50年代にかけてなので関連性があっても時期は異なるだろうと思った。

まともに通路がついていたのはスロープ部分だけで、すぐにまったく踏み跡さえもなくなった。足元が悪い中を強引に登り未知の構造物へ接近した。

しかし安泰に進攻できたのもここまでだった。
ゲート建屋が見えるこの位置である。視座は7mくらい上がっている。


あまりにも危険でこれ以上進攻不可能。
斜面が急なだけではなく至るところ礫石が転がっていて手足を掛ける場所がみあたらない。


そこからでも例の構造物は木々の枝の間から僅かに目視できた。
手前の枝にピントを奪われて巧く撮影できない。


このとき例の構造物上部に向かって電線が伸びているのを見つけた。
坑内作業を行うのに必要な電力線を張っていた跡だろう。


それ以上進攻する手立てがなく引き返さざるを得なかった。

先ほど進みかけて諦めた県道からのアクセスを再度試みた。
ここなら斜面はやや緩く木々が繁茂している分だけ掴んで身体を支えられそうだ。


元々道などない場所なので初っ端から完全な藪漕ぎとなった。登り始めるとすぐ斜面も先ほどと同じくらいきつくなった。予想はしていたものの目標となる遺構そのものは木々に遮られてまったく見えなかった。

代わりに別のものだろうか…奇妙なコンクリート構造物が斜面の最上部に鎮座しているのを見つけた。


現在位置でさえ既に県道から数メートルほどの高さである。その構造物の一番下ですらまだ私の背丈より高いところにあった。足元は嫌に湿っていて周囲の木々を掴んでも滑りそうだ。

せっかくここまで登ってきたのだからあの構造物の下まででも接近してみよう…
こうして目の前に見えるコンクリート構造物の開口部の下まで何とかたどり着いた。


開口部は地面から更に2m近く高いところにあった。そこから溜まり水がジワジワ滲み出ているのが足元の悪さの原因だった。
見たところ割と新しそうなコンクリートだ。最初に見た橋脚状のものとは年代が異なりそうだ。これは採石場関連の遺構だろう。

右手で枝を掴んで全身を保持し、思い切り左手を伸ばして開口部の中を撮影したショット。
蓋のないコンクリート桝のようである。


フラッシュ撮影無しバージョン。
コンクリートに型枠の跡が遺っているのが見える。


そして進攻自体もここまでだった。藪を漕ぐ程度なら我慢して進むもここは本当に危険だ。

下を撮影した様子。
県道までの高低差は10m以上。その道中は一続きの急な斜面な上に落ち葉が堆積していて足掛かりが極めて悪い。


撤収するにも不用意に降りると一気に県道まで転がり落ちそうな状況で、何とか無傷に戻ってくることができた。

こんな塩梅なので、現地への接近は極めて危険で勧められない。道など皆無なのだがむしろ一旦裏側から山を登って構造物の反対側からアクセスした方が容易かも知れない。
もっとも木々が繁茂していて接近しづらくなっているだけかも知れない。昔は山々に生える木々は燃料源として採取されていたので、例えばゲート建屋ができる以前はもっと明瞭に見えていた可能性がある。

この方面を訪れる頻度自体少ないのだが、山へ入るのに適した冬場などに訪れた折には再調査を予定している。初回踏査の2月の時点でこれほどの状況なので、春先から夏場にかけては接近どころか県道からも見えなくなるだろう。
《 第2次踏査 》
この案件は接近が極めて危険なため、永らく放置されていた。県道のこの方面を通ったときも精々車を停めて下から見上げる形でコンクリート構造物を撮影した画像しかない。

2021年1月17日に県道の通行および撮影を行ったとき、きわめて慎重に急斜面の登攀を行うことで現地に接近しこの物件の調査と詳細な画像採取に成功した。地元の郷土史研究会の方から伝え聞いていた通り、鉱石の採取地だったことが判明した。道路から見えている巨大な橋桁のようなコンクリート構造物はポータルではなく、恐らく斜坑からトロッコを引き揚げるための巻き揚げ機を固定していたものと思われる。

坑口は有刺鉄線付きフェンスで塞がれていたが、経年変化でフェンスが倒れ内部へ潜入できる状態になっていた。


坑口付近において既に金気もしくは硫黄臭がしていたことにより、斜坑へ立ち入ると窒息の危険がある。周辺には電源関係の設備や資材を保管する倉庫などが存在していた。更に周辺の至る場所を掘削していたらしく、倉庫などの周辺には陥没孔がいくつも見つかった。それらは木の葉などに覆われているに過ぎず、踏み抜き転落リスクがある。

このような状況であるので、この物件はメンバーに報告後原則としてこれ以上の単独踏査を行わない(封印)ことが宣言された。[2]当サイトでも不用意な接近を誘発しないように、本項目の編集追記について更新履歴で案内していない。詳細なレポートを作成した折りには限定公開する。
出典および編集追記:

1. 宇部丸山ダム向けの厚東川ダム取水口総括記事でも書いているように現在ではフェンス丈が高くなり有刺鉄線が張られて敷地内へは入れなくなっている。

2.「FBタイムライン|来てはいけない、知ってはいけない

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