越川近くの海岸にあるパイプラインのようなもの

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現地撮影日:2016/3/21
記事公開日:2016/3/26
異様に長い記事タイトルだが、発展性を持つ物件ではないので総括は拵えずそのまま時系列的に記述している。地名の越川は本件との関連性は薄い。[1]

岐波海水浴場の南側、山口宇部医療センターの近くの海岸にかつてパイプラインのように見える正体不明の配管が存在していた。
位置図を示す。


地図では沖へ突き出た長細い突堤のように表示されている。上記Yahoo!地図の航空映像では既に撤去された後なのか解像度のせいか明瞭には見えていない。

地理院地図ではこの記事を作成する現時点ではまだ明瞭に表示されている。


航空映像が改訂されれば見えなくなる可能性もあるので、キャプチャ画像で示しておく。


赤い矢印部分で示したように陸地から50m程度離れた岩礁へパイプラインのようなものが伸びている。等間隔に見える白いものはパイプを支える基礎柱だろうか。パイプラインと呼べるほどの規模でないのは確かにしても、実物を見ていないので適切な表現を思いつかなかった。

この存在はかなり早くから気づいていた。岐波の広大な干潟や山口宇部医療センター内にある石碑を撮影しに何度か訪れ、事前に地図で調べていたからである。昭和49年度の航空地図映像でも同じものが写っていた。
前面を市道丸尾岐波浦日の山線が通っていて、パイプラインのようなものは線形改良された直線部分の途中にある。去年のこと干潟の写真を撮るために道路からだけではなく海岸まで降りていたが、そのときには遠くに見える日の山と干潟の広大さに魅了されてこの物件のことはまるで忘れられていた。

去年撮った干潟の写真を調べたもののパイプラインらしきものが写っているショットはなかった。しかし航空映像で見えているような実物は現地には既にないであろうことはかなり確信できていた。
市道は殆ど海岸線をなぞるような経路を辿っている。海に向かうこんな長いパイプが現地にあるならカメラを向けて当然だ。それが一枚もないなら、既に解体され片付けられたと考えるのが妥当だ。

既に現物はなくとも、部材の一部とか基礎跡などが遺っているのではないだろうか…それで天気の良い日に再度干潟の写真を撮るのに合わせて調べてみようと思った。

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時系列では村松にあるとん堤の攻略を果たした後のことである。この日のメインディッシュとなる本件の調査で一路現地に向かっていた。今回は分かりやすい場所なので野帳へのメモ書きはない。山口宇部医療センター下の市道直線区間で、旧道が一部遺っている区間のは始まり地点と覚えていた。

この場所だろう。
航空映像の通り現在も旧道部分が遺っていた。


海へ伸びるパイプラインのようなものがあるなら、ここからすぐ海側ということになる。しかし自転車を停めるまでもなく既になくなっていることが理解できた。この辺りは充分に見通しが効く区間で最初のカーブを曲がった時点で見えていたからだ。この時点で「存在しない」の結論が導かれ、あとは「何が遺っているか」の興味だけとなった。

まあ取りあえず海岸まで降りてみよう。見落としていたものが色々見つかるかも知れない…
…と考えたものの、ここから直接浜辺へ降りるにはちょっと塩梅の悪い事情があった。
海岸清掃なさっている先客があった。
道路のちょっと広いところに軽トラが停まっていたのである。とん堤のときよろしくまたバッティング劇か?と思われた。
一部画像加工を施しています


実際、カメラは向けなかったが白いガードレールのすぐ下には夫婦二人で伸びすぎた草を伐採する作業をなさる姿があった。そこはまさに今から調べようとする物件へ向かうのに最短距離となる場所だったのだ。
調査目的でまさにこれから行こうとする場所に既に先客がある…もう何度経験したことだろうか。もしかすると私の脳内に格納されている本日の行動予定がリークされているのではないだろうか。(←ないってなw)

海岸は誰でも入って良い場所なので遠慮することはない。しかしご主人は草刈り機を使って人の背丈以上もある草を刈り取っていらした。無用に近づくのは危ないという現実的な理由で、この場所から降りるのを避けてしばし市道に沿って歩いた。

ガードレールの下は結構な高低差があった。護岸から足を伸ばして降りられないこともないが、こないだ成し遂げた火力発電所タービン冷却水の排出口探索で真締川の河床へ降りたときのようなタスクになりそうだ。


そう無理して近回りすることもない。日の山を眺めつつのんびりと歩いた。
穏やかな日和で暖かく、海を眺めつつ歩くのも悪くない。本編では掲載しないが、市道からも干潟や日の山の写真を数枚撮った。道路沿いに民家などは殆どないものの天気の良い日には毎日堪能できるのは羨ましい。
結局、上の写真でガードレールが切れている場所まで歩いてそこから引き返すように砂浜を歩いた。

さて、パイプラインがあった筈の場所は草地部分がやや海の方へ出っ張ったところだ。
画面右側に見える雑草の海の中で先ほどのご夫婦が刈り取り作業をなさっていた。


パイプがあったらしい岩礁の方へ歩く。
来るとき自転車に乗りながら、確かこの辺りで石積みのようなものが見えた気がしたのだが…


どうもそれは人の手が入った間知石積みではなく、平面部分が形成された自然の岩らしい。
ちょうど前方に見えているような感じの岩だ。


自然の岩とは異なる人工物に目を光らせて歩き回っていたところ…あった。


さて…これはどうだろうか。
約40cm角のコンクリート基礎である。外観はかなり古そうに見える。


写真だと茶色い芋虫が3匹這っているように見えて読者は一瞬怖じ気づいたかも知れない。
正体は古い鉄筋だ。突き出たままだと怪我をする恐れがあるから叩いて曲げたのだろう。


航空映像で見えていたパイプのようなものを支える基礎部分というのが一番近い。しかしその外観から私は探し求めている物件とは関連がない別のものかも知れないと思った。
更新間隔が短いYahoo!の航空映像には写っておらず、それより更新が遅い地理院地図では写っている。遅いとは言っても5年以上は経っていないだろう。しかるにこのコンクリート基礎や鉄筋は傍目にも古い。海水を浴びると劣化が早まることを割り引いても十年以上経っているように見える。

もう一つ断定しかねた理由は、パイプの基礎跡にしてもこれ一つしか見つからなかったからだ。
航空映像では等間隔にいくつも並んでいる。ここから右寄りに見えるあの岩礁までいくつか基礎がある筈だ。


干潟の一部は取り残された海水で浸っていたため自由には歩き回れなかった。
あの長方形状に見える何かが怪しい。スニーカーが浸らない程度の場所を探して迂回した。


これは何だろうか。
何かの人工物であることは確からしいがコンクリート基礎と見るには無理がある。


網みたいなものはいくら何でも関係ないとして…その周囲に細い鉄筋のようなものが見えていた。
下に基礎が埋まっているのかも知れない。面倒だし道具もないので敢えて砂地を掘り起こしはしなかった。


パイプが到達していた岩礁はこれだ。
ここから海水を汲み上げていたのか、それともここから海底の砂地に潜り込んでいたのか…


不思議なことに、周囲はまったく自然な岩礁があるだけでパイプどころか基礎の痕跡すらも分からなかった。よほど丁寧に除去したのか、それとも航空映像ではパイプラインのように見えているだけで容易に除去可能な太いロープが張られていただけなのだろうか。

陸地の方を振り返っている。
ここまでで見つけることができた関連ありそうな人工物は最初のコンクリート基礎だけだった。


何かがここにあったらしい。しかしその手がかりは現地からほぼ完全に喪われていた。


現地ではそれ以上追求はせず、せっかく来たのだからと干潟や日の山の写真を存分に撮影した。メインディッシュとしての成果はなかったが、青空に映える海の良い写真が撮れたのでそれだけでもここまで来た甲斐があった。
岐波の干潟と題してギャラリー的な写真記事を載せてもいいかも知れない

基礎跡一つだけというのも不思議な気がする。仮にそれが関連するものだとすると、恐らく一番大きな基礎で除去しきれなかったのだろう。冒頭の航空映像に戻ると、岩礁まで伸びるパイプラインを支える基礎は、中間地点にもっとも目立つ大きなものがある。先ほど撮影したのは恐らくこの大きな基礎で、他のものは小さなコンクリート柱だったので比較的容易に除去できて痕跡もなくなったものと思われる。

さて、現地では諦めて上陸に向かっていた。しかしすべてがここで終わったわけではなかったのである。
先ほどのご夫婦は刈り取りを終えて、根元から伐った背の高い雑草(何という名前か分からない)を束ねて引き上げる作業をなさっていた。私は降りてきたときの遠回り経路をたどって自転車のところまで戻った。

このとき老夫婦のご婦人はガードレールの下から束ねた草を押し上げ、ご主人は市道に立って束を引っ張り上げては軽トラに積み込む作業をなさっていた。人の背丈を遥かに超える長さなので、傍目にも高齢者には重労働に思われた。多少なりとも力がある私がお節介を入れるついでに何か情報が得られるかも知れないと感じ、せっかくのバッティング劇ならこれを活かしてみようと思いお二方の方へ近づいた。
「すみませーん。ちょっとお尋ねしますが…この辺りに昔何かパイプのようなものはありませんでしたか?」
まあいきなり唐突なことを尋ねるものではあったが、そこはさすがに地元在住民だった。奥さんは即座にこう答えられた。
「ああ、確かにありましたよ。こっからあーんに見える岩のところまでパイプが突き出ちょった。」
「そう…それなんです。地図で見ると確かに写ってまして…それが何だろうかと思ってたんですが何もないようで…あれって一体何だったんですか?」
「この上に病院がありますわぁーね。元山陽荘だったんですけど…病院で処理した排水を流すパイプが海まで伸びちょりました。
何と、一発解決だった。
これほど詳細な説明だったのでほぼ間違いないと思った。現物を目にすることは結局できなかったが、何であったかの答は得られたのだった。

ガードレールの下にはまだ2束ほど残っていた。一つはご主人が持たれたが、私は解決に至る情報を聞き取りできたので、お手伝いの一つ位はせねばなるまい。
「お持ちしましょう。」
私は名前が分からない長い草を束ねたものを軽トラへ積み込んだ。結構な重さがあったが、私にとっては何の問題もなく易々と抱え上げて荷台へ積むことができた。
若干離れて撮影…何かの材料に使う目的で刈り取られたのかも知れない


ガードレールの下で私の所作を眺めていた奥さんが一言。
「さすが…若いと力があるねぇ。」
束ねた草を全部積み込み終えると、ガードレールの上からご主人が奥さんの手を取って引っ張りあげていた。ちょっと乱暴で痛かったからかそこで一言。
「そねー強ぅに引っ張ったら腕がもげるっ。」
先ほどまで身を置いた岩礁と草地をバックに影だけ撮影している。


「干潟が美しくていい海岸ですね。」
「えぇ所じゃろう。今日みたいな天気のええ日には秋穂の方まで見えよる。」
そう言って遥か遠い干潟の向こうに見える陸地を指さされた。前回来たときよりもずっとハッキリ見えていたしズームで何枚も撮影していた。
「それでは失礼しますー。」
「ありがとのぅ。」
自転車を漕ぎつつ振り返って撮影。
何だか郷土ふれあいレポーターになったような気分だった。


踏査の成果は殆どなかったが本日のメインディッシュを堪能させて頂いた。自転車を進めつつ別のアングルから干潟の写真を数枚撮影した後、本日のタスクをすべて終了しアジトへ向かった。
《 調査後の変化 》
・今回の調査を行った場所に関して、目的を伏せたまま干潟と日の山の風景をFBページへ投稿したとき、このパイプのようなものに関して存在を知っていたと思われる読者からのコメントがあった。(要ログイン)
外部記事: FBページ|2016/3/21の投稿
コメントを寄せた読者は岐波在住者か山口宇部医療センターの勤務者のようで、海へ向かう排水管は比較的見慣れた景色で2015年の夏頃に撤去されたような気がすると述べている。敷地内に汚水処理設備が整ったので浄化槽を経由して海へ流す必要がなくなり撤去されたのかも知れない。

・山口宇部医療センターへ占領軍が遺していった石碑を撮影に行った一昨年のこと、日の山方向を撮ったショットが数枚だけ見つかった。
これは八塚台と呼ばれる藤棚のところから撮った一枚である。例の岩礁は写っていたが既にパイプは見えていない。


このことからパイプが撤去されたのは少なくとも2014年の春以前だったことになる。

・市道丸尾岐波浦日の山線を撮ったもっとも古いショットは2009年である。このとき日の山の麓まで自転車で走っているので、間違いなくこの物件の横を通っている。しかし海を撮った写真が一枚もなくまだ存在していたかは分からない。
目に見える景色を時系列で記録するという意識がまだ希薄な時期だった

・この道自体はドライブで十数年前に通ったことがある。高さ2mくらいのヒューム管をコンクリート柱で支えたものが海の方まで伸びているのを見たような記憶もあるが、後付けの記憶かも知れず確証がない。

海水を汲み上げるのではなく逆に排水を海へ流す管だったと判明はしたが、どうして架台に載せる形であの岩礁のところまで管を伸ばしたのかは不明なままである。排水によって砂浜が削れてしまう影響を考慮したのかも知れない。
また、航空映像では旧道と医療センターの間にコンクリートの建屋のようなものが見えている。これは排水の最終浄化処理を行う設備かも知れない。この建屋も既に存在していないようである。

この案件は現地の写真が得られる見込みはなく、独立物件としての重要度も低い。寄せられた情報の追記があり得る程度で今後の追加調査予定はない。
出典および編集追記:

1. 現地は越川の北にあたり黒崎自治会に属する。しかし黒崎では床波の黒崎と紛らわしいし小字名の柳田では場所が分かりづらいので「越川近くの…」と表現している。

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