塚穴川【9】

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(「塚穴川【8】」の続き)

県道から撮影した現在の塚穴川河口部だ。
あまりにも大きく改変されていてもはや昔がどんな眺めだったのかも思い出せない。


しかしすべてが分からなくなったと嘆く必要もない。国土画像情報閲覧システムによって昭和49年度時点の上空からの眺めを得ることができるからだ。
「国土画像情報閲覧システム - 常盤池西部(昭和49年度)の航空映像」
http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WC_AirPhoto.cgi?IT=p&DT=n&PFN=CCG-74-12&PCN=C24&IDX=14
別ウィンドウで開いたページ右上にある400dpiのリンクをクリックすると高解像度の画像が表示される
現在ではまだ水路の形で続いているように見える塚穴川も昭和40年代後半まではここから河口部が砂浜だったことが確認される。
砂浜とは言っても面積は狭く、何よりも塚穴川が注ぎ込んでいるので遊泳には適さなかった。亀浦近辺から以西は「泳いではいけない海岸」とされていた。遊泳禁止の立て札も出ていたように思う。何よりも河口部付近は不衛生で海岸にはゴミも多く打ち上げられていた。遠浅なので潮干狩りは出来たかも知れないが、私たちの頃から既にアサリ貝は殆ど棲息していなかった。

それでも幼少期はわざわざ歩いてこの海岸まで遊びに来ていたようだ。恩田から草江および亀浦までは今でも歩けば距離があるが、広い砂浜に磯の香り、ちょこまかと動き回るカニの姿…どれを取っても日常生活ではまず体験できない新鮮な眺めがあった。

この間知石が埋められたコンクリート護岸は昔からのものだろう。
多分この外側が砂浜だったと思う。


振り返って撮影。
先の航空映像によれば、この間知石混じりの護岸は真っ直ぐ海に向かって伸びていたようだ。


昔の基準で言えば塚穴川を河口部まで辿るミッションはここらあたりで完遂とも言えるだろうか…
もっとも起点と終点が明確な道路と比べ、河川は必ずしもそうではない。県管理の河川では上流に管理限界を示す標識柱を見かけるが、水の流れ自体は更に上流まで遡れるのが普通だし、河口部も海に突出した堤防が続いていて終点部が不明瞭な場合が多い。

ここから先は改変される前ではなく「変わってしまった後」の塚穴川だが、今後年月を経てまた姿を変えるかも知れない。専ら「山派」である野ウサギ(?)にとって海の見える景色や記事は僅少だから、今ある姿を遺す意味でも行ける場所まで辿ってみた。

そのためにはまずこの関門をやり過ごす必要がある。
かつては立入禁止だったようで、立て札は今も有効かも知れない…しかし現に通行する人はかなり多い。
通行可能としても自己責任となるのは当然のことだが…


散歩する人が通り抜けるのは造作ないことだが、ここに自転車を通すのはちょっとした労力が要った。

既に潮が混じる領域らしく、ボートが往来できる程度の水深がある。


この水路部分自体それほど古くないものの筈だが、ちょっと気になる構造物がある。


この水路である。
暗渠らしきものが接続されているが、この先に水路らしきものは見あたらない。上部は普通の空き地になっている。
塚穴川ポンプ場からの排水路だろうか…


その先に塚穴川と言うか「塚穴水路」の両岸を往来できる最後の橋が架かっている。


先の昭和49年度版航空映像では確認できないことから、空港周辺の埋め立てに伴って架けられた橋だ。
親柱など橋を特徴づける要素は一切ない。転落防止の白いガードレールがあるのみだ。かつては作業車両が通ったのだろうが現在は車どころか行き交う人も殆どない。
名前を与えるとしたら…沖塚穴橋だろうか…


沖塚穴橋(勝手に命名…^^;)の上から上流部を撮影。
私なら他に紛れて似たような写真が沢山あってもあの半円形の穴から塚穴川の写真だと当てられそうだ。


下流側。
塚穴川と言っても今やボートを縦列駐車状態に配置できる程度の幅をもっており、ここらは「塚穴運河」とも言えるだろう。


この橋より左岸の下流側は有刺鉄線つきネットフェンスが張られていてる。
県の管理区域らしく立入禁止の札も見えるのだが、その脇をすり抜ける踏み跡がある。この先は空港公園にも繋がっているので実質的にフリーな場所となっているらしい。


そこで再び自己責任で先を追跡することにし、当然自転車も連れて行った。

有刺鉄線付きネットフェンスは一様に塚穴川へ向けて建てられている。かつてこの区域が空港建設の工事現場となっていたことの名残だ。


フェンスの切れたところに樋門があり、宇部空港公園内に造られた遊水池に繋がっている。
この遊水池に鍋島のミニチュアが造られている…いずれ記事で案内するだろう


更に下流へ。
両岸ともフェンスはないが、水路(運河?)へ降りる用途は想定されていないらしく昇降用の階段は何処にも備わっていなかった。


空港敷地を前に”塚穴運河”は軽く左へ屈曲する。
幅広のコンクリート路の末端部にプラットフォームのような構造物が造られているが、何のためのものかお分かりだろうか…
私は答を知っているが…この記事は塚穴川が題材なのでわざと答を載せない^^;


左岸は埋め立て地を内回りする形で伸びているので、塚穴運河はもはや殆ど海と同一視される位に拡がっている。
屈曲しているのは沖合に延伸された空港の滑走路があるからだ。


塚穴川を辿るミッションも終わりが近づいてきた。
進攻可能な経路はそこで断たれており、先は厳重なネットフェンスに遮られていた。


この先は山口宇部空港の滑走路敷地になるので侵入阻止の本気度は極めて高い。さすがに自転車を押して…なんて訳にはいかない。
無理やり侵入すれば誰でも翌朝の地方新聞に顔写真付きでトップを飾ることになるかも知れない…^^;


勝手に決めた終点…いや、終着点とでも言うべきか。
塚穴川…塚穴運河…ないしは塚穴海峡(?)は海と完全に一体化していた。


ちなみに今回右岸を辿ったが、左岸を進むなら本当に海の突端部分まで進攻することができる。
立入禁止にはなっていない…ただ行ったところで何もないだけだ^^;

それにしても…
本当にある一つの川の開始地点から河口部までを辿ってしまった。

塚穴川は夫婦池が出発地点であり、延長も県道までなら精々1kmちょっとだ。今ある姿を忠実に辿るだけならそれほど困難はない。ただ、塚穴川に相当する本川部分が昔どうだったかについて調べるとするならかなりの困難を極める歴史探索になるに違いない。下流部は改変され、途中経路は夫婦池と常盤池の底に沈み、水源付近は恐らく黒岩山の裾野まで遡れるからである。
とりわけ常盤池が造られる以前の常盤原の地形図が手に入らない限り経路の同定は絶望的

常盤池にいくつかの入り江が存在するということは、かつてそこを流れていた支流の存在を窺わせる。そのそれぞれに名前がついていたか、あるいはその一本を本流とみなし塚穴川のような名称が与えられていたかは、残念ながら今後永遠に解明されることがない歴史の闇として眠り続けることになるだろう。

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