逢坂三差路

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記事公開日:2016/8/22
逢坂(あいさか)三差路は国道2号と県道船木津布田線(旧国道2号)の分岐点であり、国道2号に関しては厚狭・埴生バイパスの起点である。
写真はバイパス起点側から写した三差路の映像。


位置図を示す。


厚狭・埴生バイパスの起点であることから分かるように、バイパス以前は三差路ではなく西見峠へ向かう一本道だった。船木方面から厚狭へ向かうときの主要な分岐点である。
詳細は厚狭・埴生バイパスの項目に記述する予定だが、逢坂交差点から市境までは当該バイパスにおいてもっとも工事進捗が遅れた区間として知られる。[1]

以下のGoogleストリートビュー映像は逢坂三差路の東側からの撮影である。


画面の右側に西見峠の方へ伸びていく道路敷が昔の国道2号である。この区間は舗装盤を撤去せず(カーブの道路標識なども含めて)そのまま遺されている。


この道路敷の存在により、厚狭・埴生バイパスと逢坂三差路が存在しなかった時代の昔の景観を思い起こす助けとなっている。
なお、現地での確認は困難だが、山陽(西国)街道は逢坂バス停付近よりやや北側の細い道(市道第三逢坂線)に入り、上の写真の右側に見える藪の中へ出てくる経路となっている。途中まで農道のようになり、そこから先は経路が不明瞭である。西見峠へ向かう部分は旧国道2号拡幅により消滅したものと思われる。
出典および編集追記:

1.市境付近の用地取得が難航したためと聞いている。現在の逢坂三差路から少し先の沢地と里道を横断する大型のボックスカルバート施工はかなり早期に行われていた。(楠改良工事)
《 個人的関わり 》
厚狭・埴生バイパスが全通したのは平成期に入ってからであり、この場所自体は西見峠に向かう国道2号の一本道だったのを眺めた時代の方が長い。船木側から車で走ったとき、ほぼ直線的ながら西見峠に向かって徐々に高度を上げていく景観だった。枝道はほぼ皆無であり沿線に現在のようなコンビニエンスストアや病院などもなかった。この景観は学童期から馴染んでいて、厚狭の家へ行くまでの気分を高揚させてくれる眺めだった。

逢坂という地自体には個人的関わりはない。船木全体が幼少期から車に乗って厚狭に向かう通過地点に過ぎず、逢坂の地に足を着けたのは現在のような活動を始めてからのことである。
《 地名としての逢坂について 》
逢坂(あいさか)は船木の西側、山陽小野田市厚狭に隣接する地域名である。
写真は厚狭・埴生バイパス起点の逢坂交差点の地名表示板。[1]


古くから山陽街道の経由地として知られ、船木の宿場を出た旅人が厚狭の町並みへ入るにあたって西見峠を控える最後の集落であった。このため歴史的にも後述するような旅人の往来にまつわる伝承がある。

大変に風流な地名で、色恋沙汰の言い伝えを想起してしまう。実際、逢坂地区は厚狭郡山陽町に西見峠で隔てられており、当然ながら峠越えの前後は坂である。船木と厚狭にそれぞれ想いを寄せる若き男女が居て、人目を忍び秘やかにこの峠で逢い引きしていた…という伝承でもありそうだ。
逢い引きではないが、逢坂の地名由来としてこのような話が逢坂観音堂に伝わっている。
逢坂観音堂は西岐波村出身の千林尼が最後に堂主を勤めた場所として知られる
二条院讃岐が和歌の修行で諸国を巡礼していたとき、この地で乳母と出会った。逢坂はこのことに由来して名付けられた。[2]
歴史の由来としては興味深いが、この言い伝えは後世による付会と考えている。純粋に逢坂という地名の成り立ちを考察した場合、些かロマンに欠ける話だが、地勢的推論から単純に「坂にあいまみえる地」と思われる。この地勢説は地名考でも指摘されている。船木側・厚狭側いずれから歩いた場合でも西見峠(古くは西目垰と呼ばれていた)まで坂道が長く続くので、当初「大坂」であったものを佳字の「逢」に置き換えたものと考えられる。

逢の字からは密会や逢い引きが連想されるが、今のところ(個人的な談話レベルを除いて)許されぬ恋に落ちた二人が逢瀬を楽しんだ坂…のような資料は見つからない。そもそも一般論として遙か昔から人々の暮らしがあった地において特定人の所作が地名の由来となる事例は極めて稀である。
逢坂は山陽街道沿いの地であり、遙か昔から人々の暮らしがあったと推定される。二条院讃岐が乳母とこの地で出会ったという歴史的事実があったとしても、その事件を契機に「逢坂」という新しい地名に塗り替えられるとは思えない。恐らくそれ以前から「おおさか」のように呼ばれる地名があり、最初期は大坂のように書いていたのかも知れない。その後に歴史的邂逅になぞらえて逢坂と書き換えたものが定着したものと思われる。

しかし男女の逢い引きや歴史的邂逅とはまったく無縁であったとしても、逢坂という地名の響きに些かの翳りも与えない美しい地名である。「あい」の音を含む地名は市内にいくつか知られるものの、漢字の「逢」を用いる地名は今のところ市内で他には知られていない。

京都と滋賀を隔てる逢坂は同じ表記で「おうさか」と読み、逢坂山トンネルとして知名度が高い。そのため市外ないしは県外の方だと、楠町の逢坂をみて同じ読み方をしてしまうかも知れない。
自分も中学時代あたりまで「おうさか」と読むものと勘違いしていた

逢坂は国道2号において宇部市内を西に向かう最後の坂となる地である。また、逢坂バス停付近に国道2号の500kmキロポストが存在することは道路好事家たちには広く知られている。
出典および編集追記:

1. 信号機の地名表示板では之繞(しんにょう)は一つ点なのに対し本記事では「逢」の字は2つ点で表示される。これは漢字データのデザイン改訂によるもので、現在では一つ点の漢字表記が一般的である。
旦の辻のような「辻」の字を含む地名も同様

2. 船木史跡マップ 24番

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