西見峠【1】

峠インデックスに戻る

現地撮影日:2011/10/10
記事公開日:2012/1/26
2025/4/14 画像リンク修正済み
船木の街並みを後にして国道2号を西に走ると、逢坂(あいさか)という情緒のある名前の集落に差し掛かる。
国道2号の500Kの距離標があることでも有名
坂に逢うという言葉の通り、集落を後にするあたりから国道は徐々に高度を上げていく。現在の国道2号は後で述べるように別の経路を通っているが、今は県道へ格下げされた旧国道を走ると、右手に山の斜面が迫って来る。峠に向かっていることが体感される。

そして峠となる最高地点とそこを過ぎた先には強く印象づけられる景色が展開されていた。
宇部と山陽小野田の市境にある西見(にしみ)峠である。

この峠は国道2号から格下げされた県道225号船木津布田線[1]にあり、宇部市と山陽小野田市(かつては旧厚狭郡楠町と山陽町)の市境になっている。

地理院地図で位置を示す。


峠は等高線の50mラインを僅か上回る位置にあり、一般に考えられている峠としては極めて低い。しかし地図にも明確な峠名が記載されている。峠の低さと同じくらい印象的なのは、峠を越す経路の両側が崖として記述されている[2]である。
国土地理院の地図表記は、その後現地の改変が行われても地図利用者に大きな影響がない部分は修正されない傾向がある。この崖は、かつて山陽街道を行き交う行商人たちに労力を強いたかも知れないが、車で通過するドライバーにとって何の支障もない。更に現在では崖の相当部分が切り崩されて広がり、現在では地図中の記号で記載されている程の厳しい崖ではない。

西見峠の深い崖と堀割は、平成時代に入って少なくとも2度手を加えられている。私が野山に暮らしていた頃、厚狭・埴生バイパスが全通するまでは週に一度ここを通っていたので、姿を変えていく過程は把握していた。遺憾ながら手を加える前の写真を撮っておくほど当時は記録活動に価値を感じていなかった。

しかし私の脳裏には平成の改良どころか、それ以前の昭和中後期の姿が焼き付いていた。
通る回数こそ少なかったものの、当時車の窓から見える峠越えの奇特な眺めは、子ども心にも強く印象づけられたのである。

厚狭・埴生バイパスが全通してからは西見峠ルートを通らなくなり、国道2号から横目でチラリと眺めるだけの存在になった。更に3年前、野山暮らしから現在のアジト暮らしに変わってからはその回数さえも減っていた。
現在、西見峠はどうなっているのだろう。
何が変わって、何が昔のまま遺っているのだろう…
私は今ある西見峠の姿と合わせて、脳裏に刻まれている想い出を記録に遺したいと思った。
ある物件の踏査で西へ向いて走る機会に合わせて、私は遠回りながら西見峠を経由するルートを選定した。そして峠の宇部側に車を停め、デジカメ片手に踏査してきた。
幼少期の私が脳内に保存している記憶という、現在では再現不可能な光景を元にした描写を交えることをお許し頂きたい。

---

これが宇部市側からの現在の西見峠である。
残念ながら、私の脳裏に焼き付いている昭和中期の景観には程遠い。


峠に差し掛かる手前には車を留め置ける充分な余地があった。私はデジカメのみ持って道路の左側を歩き始めた。

ここから脇に伸びる細い道には平成時代に入ってからの想い出(そうは言っても今から十数年前のこと)がある。
まあ、後で述べようか…


あの堀割を眺めるべく、まずは厚狭方面に向かって左側を歩いた。
歩行者は右側通行すべきだが、私の「求めるもの」は左側の崖下にある筈だからだ。


峠の最高地点少し手前で右カーブしており、大きめの標識が出ている。
もちろん昭和期にはこんなドライバーに過保護な標識などなかった。


最高地点はゆるめのカーブで越えている。縦断勾配もそれほどきつくはない。
ただ、両側は比較的切り立った崖になっている。特に左側の崖の傾斜がきつい。

しかし…
昔はこんなものではなかった。
もっと狭く両側が切り立った断崖絶壁だった。
写真を観る限り、山を掘り割っただけの何処にでもあるような峠に思えるだろう。
左側の急な崖のコンクリート吹き付けは昭和期のもので傾斜は昔とそう変わらないが、歩道がある右側の崖は平成時代(それも恐らくここ4〜5年以内)に入って大幅に削り取られている。

昭和中期のイメージを言葉だけで伝えなければならないのだが、
右側の崖も左側のとほぼ同じ角度。
歩道は存在していなかった。
平成時代に入って右側の崖を削ったのは、恐らく歩道確保が最大の目的だったと思う。副次的効果として峠を通過するドライバーは圧迫感から解放され、斜面の落石リスクも和らげられたことだろう。
歩道がなかったので、昔の右側の崖は現在の上り車線の路側付近まで迫っていたと考えていい。それも左側の崖と同じような傾斜と高さだった。これで当時どれほど狭隘な峠越えだったかイメージできただろうか…

危険な左側通行ながら、私は昔の痕跡と想い出を求めて西側斜面の下を歩いた。
あった。
昔からこの峠をご存じの方なら、コンクリートで吹き付けられた下側にあるものに見覚えがあるかも知れない。


崖の真下に直方体のコンクリート塊が等間隔に並んでいる。


それはコンクリート吹き付けの真下に並び、崖と一体化しているように見える。


これが昔を物語る証人だ。
直方体のコンクリートの表面には、鋼材を切断したような跡が遺っていた。
切断されてかなりの年月が経っているらしく、付近には錆びて粉々になった破片もあった。


このような直方体がいくつも並んでいる。


容易に想像されると思うが、
かつて、ここに落石防止の高い柵が設置されていた。
いくつも並ぶ直方体のコンクリートは落石防止柵の基礎で、ここに高さ10mを越える鋼材が並んでいた。崖部分がコンクリート吹き付けされた時に撤去されたものと思われる。
それまでは岩肌が剥き出しで、崖に沿って建てられた鋼材の間には隙間なく落石防止ネットが張られていた。もしかすると今の歩道がある側も同様になっていたかも知れない。

元々の堀割が深く幅が狭い上に落石防止の鋼材などがあったせいで、峠越えの堀割部分は異様な圧迫感を醸し出す空間になっていた。殆ど垂直に近い崖の狭い溝状領域を通るために、峠越え前後の区間は昼間でも日の光が届きにくく暗かった。車の後部座席に乗っていると崖の一番上は見えなかった。

トンネルに興味を持っていた幼少時代の自分は、これほど高い山を前にしていながらトンネルではなく深い堀割になっている理由が分からなかった。ここを通るたび、ハンドルを握る親父に何度か話したものだった。
「ここって、何でトンネルにせんかったんかねえ?」

「そうっちゃのう…」
その後年配の方に西見峠の件について尋ねたものの昔から堀割だった…隧道だった時期はないという

掘り割り区間を通る間、車内はまるで隧道を通っているみたいに暗くなった。怖い感覚はなかったが、昼間なのに夕暮れのように暗くなるこの峠越え部分は子どもの私に充分なインパクトを与えた。

峠を少し過ぎた場所から振り返って撮影。
当時を覚えている私が責任もってお伝えするのだが、この崖の上部で木々が垂れ込めている最高地点に、古い木製の電信柱が2本立っていた。


昭和中期まで国道2号沿いの電信柱は殆どがクレオソートの塗られた木製柱だった。それが次第にコンクリート柱に置き換えらる中、この崖の上に立てられた昭和初期の木製柱は最後まで遺っていた。崖の上に建てられており、容易に更新できなかったからだと思う。

この古い木製電柱はかなり最近まで遺っていたが、崖を削り歩道が造られた数年前に電柱が歩道敷へ移動された後に撤去されたようだ。
昭和初期に設置された現役の双柱タイプの木製電柱は市内でも極めて稀になってきている

この深い堀割を過ぎると視界がぱっと開け、開放感のある山の斜面に躍り出る。


個人的にはあまり馴染みがなくこのたび初めて発見したのだが、ここから左へ降りる道があった。


この分岐点に山陽街道を示す石碑が立っていた。山陽街道はここから急斜面を駆け下りていたようだ。

当時のものではなく後から建てたものだが、それでも「山陽町教育委員会」となっており、山陽小野田市併合以前のものと推測される。


古道は山陽街道であり、現在の県道は恐らく時代が下って山を削り盛土して拵えたものだろう。
しかし私が個人的に想い出深いのは今の県道の方より正確には旧国道2号)なのだ。


なお、ここまでの写真にはあまり車が写っていないが、意図的にやり過ごして撮影しているだけである。厚狭・埴生バイパスが出来た後も厚狭の街並みへ向かう重要な経路であり、相応な交通量があった。

下り線側の路側にあまり余裕がないので、ここで渡って反対側の歩道に移動した。

県道は山裾を伝って下り、途中で大きくカーブを描きながら高度を消化している。
山陽街道とは全く線形が異なる…後から車が通行可能な経路を造ったのは吉見峠と同じ
残念ながら、木々が繁茂し過ぎたために昔ながらの眺めが得られない。しかし幼少時代は後に述べるような景色がこの下り坂の何処からでも見えていた。


私の脳裏に記録されている眺めが現れることを期待したが、ずっと坂を下りて歩くのは大儀なので、近い景観を思い起こせそうな場所まで歩いた。


かつてこの大きなカーブの内側に郊外型ドライブインがあった。
確か厚狭を代表する「寝太郎」という名前で、大きな屋根に一文字三ツ星の家紋が乗っていて旧国道の遠くからでもよく見えた。
ただし食事したことがあるかどうか全く記憶がない
吉見峠にも同様な食事処があったし、かつては峠のようなランドマーク的場所に食事処を造る全国的な傾向があった。こうした郊外型ドライブインは時代が下るにつれ斜陽化したのか、急速に姿を消していった。
現在では宇部市管内の国道2号沿いに郊外型ドライブインは一つも存在しない

木々の隙間からズーム撮影。これが一番昔の景観に近い。
こんな感じで、ゆったりと下っていく旧国道の先に厚狭の街並みが見えていたのである。


一連の眺めは、幼少期からかなり強く焼き付いていた。
そこには読者の皆様の共有体験からは離れるが、私個人の忘れがたい想い出が詰まっていたからだ。

(「西見峠【2】」に続く)
出典および編集追記:

1.「Wikipedia - 山口県道225号船木津布田線

2. この時系列記事を作成後に地図の編集がなされたようで現在は北側斜面にのみ崖の記号が描かれている。(2016/8/21)

ホームに戻る