市道丸山黒岩小串線・横話【5】

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(「市道丸山黒岩小串線・横話【4】」の続き)

《 中村地蔵尊 》
市道丸山黒岩小串線の中村地区、間違いやすい変形十字路の近くによく整備された地蔵尊がある。


ご本尊にカメラを向けるのは畏れ多いので、少し離れて撮影している。
隣接して休憩所があり、石碑と由来板が設置されていた。


石碑と由来板。


開基三百十年記念とされている。平成期に入ってから整えたようだ。


設置日の横に中村・川津・鎌田、講中[1]と記されている。

中村地蔵尊の由来が書かれていた。


当サイトでは当初から寺院関係などを物件として扱わない方針としているが、そこに現れる古い地名や由来については無視しきれない。地蔵尊の詳細については古文書を紐解いていただくとして、小字について推測も交えて触れておきたい。

由来板には「京納台地南側の講堂の地に安置開基され…」という記述がみられる。現在では失われているが、南京納に隣接して古講堂という小字が存在していた。
経典を納めた塚に由来するとされる京納という小字と共に、地勢ではなく講堂という人の営みによって発生したものが小字の由来となっている例である。このことは古講堂の存在と人々がその地に暮らし始めた歴史が同程度であることを物語っているように思われる。
《 上宇部の荒神様・不動様 》
市道丸山黒岩小串線の中村に荒神様・不動様の祠が存在する。


中村地蔵尊ほど新しさは感じられないが、瓦葺きが落ち着いた感じの印象を与える。
入口部分には後補と思われる門柱が設置されていた。


縁日は毎月28日で、それ以外の日は外構が見られるだけである。
上宇部歴史マップの番号では35番が与えられている。地元再発見のテーマとして取り上げられているらしい。


もっとも手元に上宇部マップなるものがないので由来などは不明だ。
通し番号で35番ということは、歴史マップにはこの他にも相当に多くの見所が眠っているのだろう。
《 信行寺坂 》
現地撮影日:2013/10/10
記事公開日:2013/12/2
情報この記事は検証不十分な情報を元に記述されており、内容の信頼性に疑義が差し挟まれます。正当性を補強する資料が得られ次第、このタグは除去されます。

中村にある荒神様を過ぎて南京納に向かう途中に信行寺(しんぎょうじ)坂と思われる坂が存在する。

概略の場所である。


信行寺はかつて上宇部鎌田に存在していた真宗のお寺で、現在は常盤町に移っている。坂に名前を遺すのみとなっているも現地に呼称を案内するものは何もない。


それほどきつい坂でもなく、直線的かつ一定勾配で京納の丘陵地帯へ登っていく。
古い石積みが印象的である。


冒頭のタグに示された通り、この場所が間違いなく信行寺坂であるという保証はできない。鎌田にある坂道[2]ということしか分かっておらず、他の場所の道を指す可能性がある。
ただしこの道が阿知須・床波方面から行商人の通う古道であったこと、相応な交通量を有する近辺の坂道が この場所に限られることから、信行寺坂であることはかなり確からしいように思える。確定的な情報が得られ次第、冒頭部分のタグを除去する予定である。
《 踏査活動中に史上最悪の怪我を負った場所 》
現地撮影日:2015/5/13
記事公開日:2015/8/16
タイトルの通りだ。まさかこんな場所に”伝説の地”を造ることになろうとは思わなかった。
下の写真は、事故直後に撮影したものである。
奥に写っている車を含めて周囲の車や人は事件とはまったく無関係


この写真だけでは何が起こったかまず分からないだろう。事故直後の写真にしては全然それらしき状況が感じられない。いや自分自身、最初は何が起こったのか理解できなかったくらいなのだ。自転車を歩道に起こし、状況が分かるように撮影している。
明らかに自歩道で起きたことであり車道に破片などは何も散乱していない。傍目には大したことがなさそうだが、私と自転車の受けた損傷は以下の通りだった。
・右手の甲: 酷い擦り傷
・左手  : 変な角度で衝撃を受けたことによる捻挫
・右足の膝: 挫滅による酷い出血
・左足の膝: 挫滅による出血
・自転車 : ハンドル曲がり、サドルカバー損傷
この事故は私自身によるまったくの不注意が原因であった。自分が痛い目に遭っただけで被害者は居ない。ただ、後述するように目撃者はあった。以下、写真と共に記録しておこう。

注意以下には衝撃的かも知れない画像(怪我の患部)および記述が含まれています。承諾頂ける方のみ「閲覧する」ボタンを押してください。

なお、現在はこのときに負った怪我の後遺症は殆どない。かなり長いこと捻った左手首の痛みが消えず骨の異常が心配されていたが、どうやら腱を痛めたレベルだったらしく現在では元に戻っている。ただし挫滅を受けた右膝頭と右手の甲は皮膚に色素が沈着し引き攣れた状態で治癒している。恐らく完全には元の皮膚に戻らないだろう。[4]

それにしても通常は踏査を含めてものすごく慎重で周囲の状況に注意深いのに、如何にも不注意過ぎると思われるこの事故の原因に例の痒みを伴う皮膚病で服用している薬が遠因と思われる。鎮静化作用によって痒みを抑えられる代償として、眠くなったりぼんやりしたりの症状が自覚される。現在服用している薬は眠気を催す要素は低いにしても、周囲の状況に対して注意散漫になっていた要素は否定できない。
《 宇部興産(株)宇部研究所常盤分室 》
現地撮影日:2015/9/12
記事公開日:2015/9/17
本路線の岡ノ辻交差点より200m程度手前左側にフェンスで囲まれた建物がある。


表題の通り宇部興産(株)の研究所の一つで、常盤分室と呼ばれる施設である。かつては農薬研究を行う拠点で、研究所の周辺には試験用の育成圃場があったという。[5]
元々が研究所なので一般向けではない。しかし本社から遠く離れた場所にあり、かなり昔からあることは分かっていてこの道を通るたび気になっていた。個人的関わりとしては本編でも少し述べているように、調査員として一度だけ訪れている。当時のことは全く思い出せないが、入口部分の銘板やタイル貼りの門柱はなかったと思う。

離れた場所にポツンと存在するように思えて、岡ノ辻交差点から常盤池寄りは現在も広範囲に宇部興産(株)および宇部興産開発(株)の所有地で、随所に管理会社を明示する立て札が設置されている。現在は常盤アパートや岡ノ辻寮があるのみだが、以前は更に炭住もあったようだ。研究所がこの場所にあるのもかなり早い時期に広範囲に土地取得したからかも知れない。
出典および編集追記:

1. 末尾の講中は小字ではなく、この地蔵尊開基記念に携わった集落における信仰者の集まりを意味する語である。「請中」の検索結果による。

2.「宇部ふるさと歴史散歩」p.46
なお、信行寺坂には名残の梅の木があったとされるがまだ確認していない。

3.「FB|【思い込んだら過ぎてまったく気が試練の道でのアクシデント(意味不明)】」参照。(要ログイン)

4. 大学時代、体育の授業でバスケットをしていて眼鏡をしていた学生が左手首に当たって深い切り傷を負った跡が今も目視できる程度に遺っている。

5.「FB|2015/9/15のタイムライン」の読者コメントによる。(要ログイン)

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