市道琴芝通り南京納川津線・横話【1】

市道インデックスに戻る

ここでは市道琴芝通り南京納川津線の派生的記事をまとめて掲載している。
《 琴芝橋 》
現地撮影日:2015/8/2
記事公開日:2016/8/17
琴芝橋は、本路線が塩田川を横切る橋である。
写真は起点側からの撮影。


位置図を示す。


コンクリート床板構造の橋で、橋の中央部が若干高くなっている。塩田川自体がそれほど幅のない川なので、橋の長さと幅が同じ程度である。橋を渡った先で琴芝駅からの乗降客があり、特に朝の時間帯は慶進高校への登校でかなりの生徒が通るので、コンクリート床板部分に朝の時間帯の車両進入禁止がペイントで明示されている。

欄干や親柱といった部材はなく、単純にガードレールのみの設置である。ガードレールは見慣れない色にペイントされている。起点側の下流に漢字表記のプレートが設置されている。
プレートの詳細画像はこちら


橋を渡った下流側には平かなで「ことしばはし」。


橋手前の上流側には河川名の「塩田川」の漢字表記。
橋の両側には琴芝駅通り商店街組合による広告塔が設置されている。
この広告塔については別項で記述している


そして琴芝駅に近い上流側に竣工プレートがある。


昭和43年5月20日竣工となっており、月日まで明記されているのは珍しい。


こういったプレートは年月まで表記するのが通例である。日にちまで記載されているのは、早くから今の橋が架かる時期が確定していたのだろう。

橋の中央から上流側を撮影。塩田川は宇部線に随伴する形で直線的に伸びている。
現在の流路を確定したのは、松月堀にあった本鉱閉山後に耕地整理を行った大正初期と言われている。[1]


この辺りの塩田川は両岸石積みであるが、その下に犬走り状のコンクリートを設置し意図的に川幅を狭めている。現在の琴芝橋と同時期かも知れない。

塩田川については河川カテゴリで総括記事を作成する予定である。なお、橋の名称および町名になっている地名としての琴芝については以下に記述している。
派生記事: 琴芝について
出典および編集追記:

1.「宇部ふるさと歴史散歩」p.53
《 琴芝通りに存在していた広告塔 》
現地撮影日:2015/8/2
     :2016/8/15
記事公開日:2016/8/18
上の項目の琴芝橋にも写っているが、本路線の橋の手前両側には円筒柱をした広告塔が設置されていた。

市内にはいくつもの商店街が存在し、上部をドームで覆ったアーケード街として新天町と銀天街が知られる。アーケードタイプでない商店街も大抵は通りの両端に商店街を案内するアーチが設置される。このアーチにはかつて商店街を構成する協賛店舗が掲示されていたが、テナントの入れ替わりが起こり得る最近では商店街名のみのアーチが目立つ。新しいアーチへの架け替え工事も行われている。[1] こうした中、琴芝通りの広告塔は市内の他地区ではみられない独特なものであった。

広告塔は直径約1m、高さは5m近くある大きなもので、上部には琴芝駅通り商店街の文字があり、協賛商店として入っている店舗名が書かれた板がはめ込まれている。道路面に接した広告は目につきやすいが塩田川を向いた面は見えづらい。このため公平を期するためにすべての面が見えるよう回転する仕様になっていた。

実際に回転していた場面を観たことはないが、間接的にそのことが分かる映像がある。
上は2014年1月5日の撮影、下は2015年8月2日の撮影である。


両時期で琴芝駅に近い側の広告塔は面の向きが変わっていることが分かる。もう一方の塔は同じ面のままである。ただし電動で自動回転させていたのか、手動で面を変えていたかは分からない。

この広告塔の存在に気づいたのは2014年のはじめで、数枚撮影している。その翌年2015年には広告塔の特異性に気づいたことと、協賛店舗のいくつかは既に存在しないことから広告塔がなくなるかも知れないと感じて丹念に撮影した。このとき広告塔の下部構造を調べ、回転可能な造りになっていることを知った。

本項目の表題が過去形になっていることから分かるように、この広告塔は2016年の夏頃撤去され既に存在しない。
これは8月中旬に撮影した現地の様子である。


琴芝駅に近い側の広告塔跡。
かつて広告塔は塩田川に面してギリギリの位置に設置されていたので、この部分だけ柵がなかった。応急処置として金網が置かれていた。


基礎部分の映像。鋼管一本で広告塔を支えていたことが分かる。
電源線の痕跡がないので自動回転や照明機能は恐らく当初からなかったのだろう。


下流側も鋼管の根元部分で切断されている。
ここも広告塔を避けて塩田川の柵が設置されていたのでトラロープが張られている。


広告塔が撤去された理由は何も分からない。広告塔に記載されている中には営業していなかったり店舗そのものが存在しないものがある半面、現役の事業所も含まれている。
広告塔の最上部には「お買物は琴芝駅通り商店街へ」の文字があるので、撤去は商店組合の意向と思われる。営業していない店舗が多いため一旦外して造り替えるのか撤去のままなのかも不明である。

この変化にどれほど気づいている方があるかのリサーチも兼ねてFBページに(意図的に広告塔が入っている写真のみ取り除いて)掲載してみたが、広告塔がなくなっていることを明確に指摘した読者は誰も居なかった。[2]

広告塔に関する個人的関わりはない。私とてもし広告塔の写真を撮っていなかったなら、今の現地の様子を見せられ「何が無くなったか?」を問われてもまず正答できないだろう。何となくなくなりそうな予感がして撮影しておいたのだ。その無くなりそうな予感ということに呼応して、恐らく広告塔は撤去であり再設置はないと思う。その理由はあまりにも多くの店舗がなくなり歯抜け状態になっていて商店街というイメージから離れているからだ。また、琴芝駅通り商店街の一員として協同出資し広告塔に掲載してもらって一致団結して商売するという構図も成り立ちにくくなる時代である。[3]

最後にこの記事は広告塔撤去の是非を問うという意図はまったくなく、純粋に街の景観の変化を記録したものに過ぎないことをお断りしておこう。
「あれ?広告塔っていつ無くなったの?」という疑問が生じても検索一発で判明するだろう
【 Googleストリートビュー 】
なお、琴芝駅通り商店街はストリートビューで画像採取されているので現時点ではまだ広告塔を観ることができる。
これは起点から本路線を進んだときの琴芝橋手前の映像である。


画像採取は2013年5月なので、後述の広告塔がそのまま写っている。橋の手前で交差する塩田川沿いの道(市道塩田川線)の映像も採取されているので、移動することで広告塔の別の面も観察することができる。
ただし次にストリートビューの映像が再度採取された折りには広告塔も見えなくなるだろう。
出典および編集追記:

1. 例えば新川駅前商店街では宇部新川駅に面した入口側へ2016年4月22日に新しいアーチの架け替え工事が行われている。

2.「FBページ|2016/8/16(要ログイン)

3.「FB|2016/8/16のタイムライン(要ログイン)

ホームに戻る