市道焼却場線

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現地踏査日:2014/10/10
記事公開日:2014/11/9
市道焼却場線は船木山田にある認定市道で、市道開拓道路線から分岐して宇部市楠清掃センターへ向かうピストン市道である。

市道の起点をポイントした地図を示す。


上の地図で市道開拓道路線は北から降りて来て矢印でポイントされている本路線の起点で右折する。右折点から沢を南東方向に遡行して焼却場前まで至る経路が本路線である。路線名は終点に旧楠町営のごみ焼却場があったことに由来し、かつては楠町道焼却場線だったと思われる。厚狭郡楠町の宇部市編入により宇部市道となった。このような移行路線は従来の宇部市認定市道と区別するためか、いずれも3000番台から始まる整理番号が付与されている。[1]

…と、ここまで概要を書いておきながらいきなり出だしでコケてしまうのだが…
本路線は立入禁止になっていた。
起点の様子。
分岐元となる市道開拓道路線は左から来て背中方向へ進む経路となっている。


入口にはチェーンを伴った車止めが設置され、立入禁止の札が出ている。ただし有刺鉄線を張り巡らせる程の拒絶感はなく、施錠もされていない。
路面を見ると相応に車が通ったらしいタイヤ痕がみられる。


ここを訪れたのはまったく初めてだったが、車で入れないらしいことは現地を訪れる前から分かっていた。冒頭の地図を見ると、焼却場へ向かう本路線の道路部分入口に横棒が記述されているのが見える。これはフェンス門扉やバリカーなどが設置されていて一般の四輪を通さない状態であることを示している。四輪以外の規制状態は現地へ行ってみなければ分からない。登山道を兼ねている場合などではバリカーの横を少し開けて自転車や歩行者を容認している場合があるし、厳重な管理区域への道では施錠されたフェンス門扉で上部には有刺鉄線が施され、無断進入は警察に通報という立て札付きのものまである。

立入禁止の理由はこの先にあるごみ焼却場が運用停止されているからだろう。この道が認定市道であることは道路河川管理課でメモを取っていた時期から分かっていたし、終点位置をYahoo!地図で確認したときも当時は建物部分にごみ焼却場と表示されていた。[2]運用停止されているらしいことは最近の千林尼石畳道撮影の過程で知っていた。
後述する

本路線の終点にあるごみ焼却場については末尾に記述しておいた。
派生記事: 宇部市楠清掃センター
市道の記事ファイルを作成していながら総括のみで道中の写真がない異様な状況だが、取りあえず総括記事としての記述を追加する。
《 個人的関わり 》
2010年に初めて千林尼の石畳道を棚井側から歩いたとき、船木の山田側へ到達する少し手前で焼却場のすぐ横を通ることに気付いていた。[2010/1/10]
写真は初めて棚井側まで自転車を押し歩きしたときの撮影


焼却場に至るまでの本路線が認定市道であることは既に分かっていた。ただしこのときは本路線には立ち寄らずそのまま県道まで出てアジトに帰っている。

千林尼の石畳道を改めて記事化しようと考えた2014年の秋口に棚井側からと山田側から峠に至るまでを分割して撮影を行った。山田側から歩いたとき、焼却場の様子がおかしい(廃墟のようになっている)ことに気づき、本路線のレポートを兼ねて焼却場がどうなっているか調査してみようと考えていた。

現状は起点から堂々と進攻できる状況ではない。もし本路線を撮影し掲載できる状況になった場合は本編に追加し、現在掲載されている後続の派生記事は別ファイルへ移動する予定である。
 後続記事(予定): 市道焼却場線【1】
【路線データ】

名称市道焼却場線
路線番号3375
起点市道開拓道路線・右折点
終点楠町焼却場前
延長約400m
通行制限一般車両の通行不可。
備考関係者以外立入禁止。

延長など各データの正確性は保証できません。参考資料とお考えください
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さて、これだけでは何とも食い足りないので現地へ訪れたときの時系列に戻って引き続きレポートしよう。

この日は夕方船木に仕事で訪れる便があり、いつもの埴生へ行った帰りに空き時間を使って車を走らせていた。千林尼石畳道の山田側までは知っているものの、そこから100m程度しか離れていない本路線の起点場所を訪れたのはまったく初めてだった。四輪が通れないことは分かっていたので、それほど長くない路線だから歩いての撮影を考えていたので肩透かしを喰らった格好だ。

認定市道に接する形でもう一つ進入路がある。その先には携帯の電波塔があり、更に奥には何やら古めかしい祠が見えていた。


本件について参照用のインデックスを付けてこのまま続けて記述する。
《 道祖神の祀られた御堂 》
本路線の起点からすぐ左側に携帯会社の電波塔が2基設置されており、その広場の一番奥に何やら小屋のようなものが見える。


ズームで撮影。瓦屋根で葺かれた小屋のようなものがある。その前に石灯籠が見えているので、何かの御堂だろうと推測した。


こちらの敷地入口にも同様にチェーンが張られているものの侵入禁止の掲示はない。また、すぐ横が空いており歩いて入っていける状態になっていた。
この先は…さあどうだろう。私有地かも知れない。しかし携帯会社の電波塔があるしフェンスで囲まれている訳でもないから、先にあるものが何か偵察するために入る程度なら問題ないだろう。
実際、せっかくここまで車を走らせておきながら何の収穫もなく退散するのも面白くないので、もう一つの敷地奥にある祠が何か調べようとチェーンの横からスッと抜けて先に入っていった。

手前側にある携帯電波塔。さすがにここはフェンスで囲まれ立入禁止が明示されている。
大丈夫…携帯の電波塔は物件には入っていないし個人的な興味はないから今後もその予定はない。
でも全国津々浦々調べたらこういうの撮って回っている人が居るかも…


更に奥には恐らく別の携帯会社と思われる電波塔が建っていた。


しかし…先にも述べたように電波塔は物件の対象外、何処の社か調べもせずそのままターゲットに向かった。

敷地はくるぶしが埋まる程度に草が蔓延っている。車が出入りしたような形跡は見当たらない。最近整地されたのかも知れない。
以前この場所は田んぼだったようだ[3]


周囲はかなり草が生えているが御堂自体は割と新しい。
屋根瓦も破損一つなく最近建てられたように思える。


正面から撮影。
入口の上部に正月飾りと思われるものが遺されていた。今年の正月のものだろうか…


正面の階段を上がると石灯籠と手水らしき石が置かれていた。
石灯籠の側面には寄進者と思われる個人名が刻まれていた。
近接画像はこちら…個人名が入っているので埋め込みではなくリンク形式にした


手水と思われる石のサイズが興味深い。これほど小さいものを初めて見た。


入口部分の隙間からは雑草が伸びている。扉も下半分は雨に打たれて傷んでいた。上半分はガラス戸なので開けなくても中の様子は窺えた。しかし埃を被ったガラス越しでは中の様子を鮮明に見ることができない。
さて…勝手に開けて良いものかどうかは分からないが…私有地に設置された私的物件かも知れない。もっともそうであれば既に私有地立ち入りという禁を犯しているわけであり、ここまで足を踏み入れてしまった以上は詳細を知るために力を入れて扉を動かしてみた。

左側の若干開いたもののレールが錆び付いていてそれ以上は容易には動かなかった。
強引に開けようと扉をガタガタとやっていると、賽銭泥棒かと疑われてしまいそうなので自重した。
もっともこの近辺には民家はまったくない…車も殆ど通らない


カメラを差し出せる程度に開いて撮影している。
コンクリートの台座上に祀られていたのは立像などの類ではなく、見かけは何処にでもありそうな自然岩だった。


しかし岩には注連縄が施され御幣もそれほど埃を被っていない。何よりも榊の色が青々しい。見かけに反してきちんと看ていらっしゃる方があるということだ。

コンクリートの土間には床を這っていた状態のままミイラ化してしまったカベチョロの姿があった。間違って入り込んでしまい日射病状態になってしまったのだろうか…
近接撮影画像はこちら…但し閲覧に耐える方のみに限定


岩の表面に文字らしきものは…読み取れない。それを確かめるには中へ入る必要があるが、自分の身体を通せるほどに扉は開かなかった。


したがって全くの推測だが、これは自然石による道祖神か塞の神を祀ったものだろう。同様のものが東岐波のさやの池付近にもみられる。このためだけに屋根付きの御堂を設置しているので、よほど昔から大事に受け継がれてきたものなのだろう。

御堂と石灯籠、手水の石以外には他に何も見当たらなかった。
瓦が何とも立派である。


ついでながらこの敷地から沢を遡行して先に道がないかざっと調べてみた。もしあれば本路線に直接立ち入ることなく先の様子を窺えるかも知れないと思ったのだが…しかし道らしきものはなかった。

まあ、本路線の撮影が思うようにならなかったための付け足し的踏査なわけで…特に興味を惹く物件でもない。再度来ることは多分なかろう。
ざっと撮影した後、敷地を後にした。


あまりに内容が乏しいので派生記事に収録すべき記述も合わせて載せている。以下はこの踏査を行った日以降、この記事を作成する現段階で判明した内容も合わせて盛り込んでいる。
特に脚注部の出典リンクは殆どが記事段階で明らかになったもの
《 宇部市楠清掃センター 》
最終編集日:2019/6/20
情報以下の記述部分は、将来的に追記内容が増えたとき単一記事に分割されるか他記事へ併合される可能性があります。

宇部市楠清掃センターは、大字船木字奥石原峠1157番地1に存在する旧ごみ焼却場である。

本路線の起点写真でも触れている通り、認定市道部分の起点には立入禁止の表示が出ている。起点側にチェーンが張られ閉鎖されているものの路面に車が通行した形跡がみられる。これは焼却場としての機能は完全に廃止されているものの、収集ごみの積み替え場としては現在も使われているからである。[4]廃止された後の焼却場はそのまま放置され廃墟のようになっている。

以下の写真は、千尼林の石畳道の山田側入口から少し進んだところでのフェンス越しの撮影である。
焼却施設を含めて敷地全体が著しく藪に覆われ廃墟のようになっている様子が観察される。


ざっと外観を見たところ焼却関連施設はコンクリート建てで比較的新しい。藪に覆われているものの扉などに傷みはなく、楠町時代はもちろん宇部市へ編入されてからも使用されていた。
焼却関連の設備が運用停止になった理由は確定的ではないが、過去に焼却施設から規定量を超えるダイオキシン類濃度が検出されたことによるものではないかと思われる。[5]

この施設が将来的に環境基準を満たすよう改良補修された上で利用を再開するのか、全部撤去され他の用途に転用されるのかはまだ手元に情報がない。追加の情報については、以下の限定公開記事を予定している。
 限定公開記事(予定): 宇部市楠清掃センター【1】
出典および編集追記:

1. より正確には3100番台から始まる11路線、3200番台から始まる13路線、3300番台から始まる109路線で構成される。この整理番号は楠町時代とは異なるので注意が必要。

2. 現在のYahoo!地図では該当する建屋部分は表示されるものの文字は何も表示されない。

3.「地理院地図(1974〜1978年版)による。

4. ☆公共施設カルテ(情報シート)(PDFファイル)」
事業内容として「現在、ごみ処理施設としては廃止済みであるが、楠地域で収集した不燃・資源ごみの積み替え場所として使用している」の記述がみられる。

5. 1997年6月24日における厚生労働省の報告ドキュメント「ごみ焼却施設排ガス中のダイオキシン類濃度についてには楠町清掃工場がリストアップされており、対応策として1997年8月〜11月の2ヶ月間運用を休止して近隣の市町に処理委託したという記述がみられる。

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