市道恩田通り小路線・横話

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本編では、市道恩田通り小路線の派生的記事をまとめて収録している。
《 砂利敷の三角形領域 》
本路線の起点と市道恩田通り線で造られた鋭角三角形の部分には白い砂利が敷き詰められ、駐車スペースとゴミステーションになっている。


別に変わったことは何もなさそうな空き地だ。この場所に個人的関わりがあるというものでもない。しかし初期に見たときから気になっていたのは、一面に敷き詰められている白い石だ。紛れもなく小割りにされた石灰岩である。

市内をあちこち見て回っているから分かるのだが、市街部においては屋外の月極駐車場や空き地の9割方はアスファルトやコンクリートで舗装されている。市街部をやや離れるにつれて砂利敷きの駐車場もあるのだが、その場合も殆どがごく一般的にみられる黒い砕石だ。石灰岩をそのまま敷き均している場所は少ない。このことは狭い道路の路肩処理でも同様で、石灰岩を敷いて養生している場所は少ないので場所までよく覚えている。
市道沖ノ旦末信持世寺線など

一般の砕石は採石場で砕いて一定の粒径以下のものをスクリーニングしたものである。砕いた後は需要地まで運ぶ費用がかかるだけでそれ自体は基礎材のように埋めるなどして使うのみだ。他方、石灰岩は砕くまでは同一なもののセメントの材料になる。双方の単価の差は分からないが、わざわざ石灰岩を路盤材に使わない理由だろう。

それでもこの場所のように石灰岩の砕石を敷き均している場所は何ヶ所かに見られる。例えば道路敷の縁石で囲まれた余剰部分に樹木を植えず砕石や玉砂利を入れて均すのみの施工(グラベルマルチ)がある。外観の白さを利用した景観目的だろう。この場所もその意図かも知れないが、結構ありがちなのは「余っていたから」「近くに石灰石を消費する場所があって安価に調達できたから」という理由だ。道路の場合はかつて企業の管理道であったものが後年一般向けの道路になった場合もある。

総括記事でも書いたようにこの道も広場部分も個人的関わりはない。しかし奥の方に植わっている樹木と共に私の学童期から今と同じ状態だったように思う。特に目が留まったのはそういう要因もあるのかも知れない。
《 寿橋通踏切周辺の不合理な道路設計の理由 》
この派生記事は将来的に市道宇部新川恩田線を作成したとき参照すると思うので、本路線からはやや外れるがその部分も含めて記述する。

寿橋通踏切の周辺は道路設計が救いがたい状況になっている。即ち東西を貫く交通量の多い市道宇部新川恩田線をメインの道として、踏切の前後に市道恩田通り線、市道神原町沼線がダブルのT字路状態で接続するという状況である。

本路線の終点位置を基準にした地図を示す。


T字路部分に信号はない…と言うか設置できるような状態ではない。夕刻時はメインの道を直進する以外なるべく近寄らないようにしているドライバーは多い。
およそ想像されるようにこんな道路状況だから混雑するのみならず接触事故が非常に多い。自分の存在を認識し入れてくれるものだろうと思って発進させたところ、向こうは逆のことを思っていたか気づいていなかった…というパターンだ。ちょっと当たったとかヒヤリハットの部類なら毎日起きていると想像するに難くない。

どうしてこんな酷い設計になったのかを訝る向きは多い。そして最近のこと、過去の単写真などを閲覧することで今の道路状況が遙か昔からのものではなく、更に問題があった状況をいくらかでも緩和した結果であったことが明らかになった。

JR宇部線に突き当たるところで本路線は折れ点の形で線路と並行に進み終点に至る。この区間は終点からの一方通行になっているので、この方向に辿ることができるのは歩行者だけである。
個人的関わりが何もないので昔この場所が正確にどうだったかは知る由も無いのだが、それでも適切な資料をあたることによってかつてここを踏切で平面交差していたことが明らかになった。そして総括側でも書いているように、踏切と平面交差していた時期には本路線の西側の対面交通仕様の道はまだ存在していなかった。[1]

[1]の他に現地と入手可能な資料によってそのことを示してみよう。
本路線の折れ点箇所に有力な証拠と思われるものが見られる。


時系列記事でも登場していた排水路だ。
グレーチングの掛かり方がそれまでの道路線形と一致している。線路の下を横切っていると考えられるだろう。


もっともこの折れ点から終点接続部の区間にはマンホールのようなものが存在することから、この排水路に落ちた雨水は現在ではマンホールを介して流れているかも知れない。折れ点からの区間は後年付け足されたものなので、その時に排水路も付け替えられた可能性がある。

グレーチングの掛かった蓋を元に進行方向を撮影した画像。
この線形で今のサイズの道が通っていたとしたら、右側に見えている民家をちょうど掠める形になる。


このままカメラをズームすると…
フェンスの向こう側に市道神原町沼線の起点が見える。その線形は今居る細い道の道路センターと一致するのであった。


現地で眺めただけでも平面交差で先に伸びていたことが想像されるだろう。そうなれば、宇部線に対して非常に近い位置に十字路が存在していたことになる。実際、その十字路が存在していたのだ。

昭和12年発行の宇部市街図によるこの場所の描写である。
鉄道に近い場所で寿橋通りと交差していたことが分かるだろう。


この白矢印で示されたのが本路線である。西側を通る恩田通り線は線路を横切らず東新川駅寄りで市道宇部新川恩田線に接続されている。[1]でも分かるようにこの道は昭和30年代後半以降に造られたものであった。

もし上の宇部市街図の道路状態のまま幅を拡げていたらどうだろう。本路線を北進する車は、東新川駅方面へ向かおうとするなら踏切を横断しすぐ左折、再び踏切横断ということになる。踏切では一旦停止が義務づけられているので、交通量が増えればこの十字路は忽ち慢性的な渋滞に陥るだろう。

昭和30年代後半と言えばモータリゼーションの萌芽期であった。市街部ではそろそろ交通量増加によって道路事情が悪くなり、幅広の道やバイパスが求められ始めた頃合いだ。そこで本路線の細い道を拡幅するのではなく西側に新しい道を造り、T字路が重なることには目をつむって鉄道との平面交差付近に十字路ができてしまうのを避けたと思われるのである。[2]

この道路改良はネクストベストな選択肢だった。したがって更に交通量が増える平成期以降になって今のような困難な状況に置かれることになった。しかし深く考えず宇部市街図にあるままの状態で道路を拡幅していたなら今どんな交通状況になっていたかは想像するもおぞましいものがあるだろう。

本路線に限定した話に戻れば、かつて真っ直ぐ鉄道を横切っていたなら、そこに踏切が存在していた筈である。
横切っている場所付近を調べたが踏切の痕跡は何もなかった。


かつてどんな踏切名であったかは今では知る由もない。順当に行けば恩田通踏切となりそうなものの、その呼称は市道恩田則貞線の平面交差箇所に与えられている。そもそも、この細い道と幅広の道に対して「恩田通り」という認定市道名を与えている理由も推測がつかない。

以上の考察は、[1]に掲載したような過去の航空映像による助けが大きい。こういった単写真により同様の事項が明らかになった他の例としては、国道190号の芝中第2踏切がある。記事では現在の国道立体交差がある位置に踏切があったのではと書いているが、恐らく誤りであり現在の国道の線形を造ったときから芝中橋の立体交差であったと考えている。それというのも単写真を精査することで、現在の国道筋より南寄りに現在喪われているあぜ道が平面交差しているのが確認できたからだ。この辺りの詳細は別途記事化を予定している。
以上の記述は別途記事化されたとき移動する予定
【 今後の道路計画について 】
項目記述日:2016/12/31
この場所の問題については都市計画レベルでも認識されている。東西に伸びる市道宇部新川恩田線と、南方からこの場所へT字に接続する市道恩田通り線はそれぞれ都市計画道路 3.3.7 (25) 宇部新川八王子線、3.4.12 (20) 恩田通線として策定されている。都市計画情報によれば、双方の道路のT字路部分が鉄道付近にかかるのを回避するために宇部新川八王子線をこの場所で屈曲させ、その屈曲点に恩田通り線の起点を置くというイレギュラーな経路変更が計画されている。[3]

現状は机上の計画であり用地買収などはまったく進められていないが、この変更が有効な道路計画であるかは疑念がある。
北の方へ伸びる市道神原町沼線は都市計画道路ではないが、恐らく南へ移動したT字部分へ接続され宇部線と平面交差するようになるだろう。即ち新たに一つ踏切が増えることになる。
本線となる宇部新川八王子線を西へ進む場合、元の寿橋通踏切近くで無用な屈曲区間ができる。それから鉄道と平面交差した先で恩田方面へ行く本線と清水川へ向かう別の都市計画道路との三差路にさしかかる。どんな場合でも道路の平面交差における三差路は往来効率を悪化させる元なので、今後の道路造りでは既存の三差路も可能な限りまとめて十字路とすべきである。

都市計画を離れて一般的な道路環境の改善を目的にするなら、この場所は触らずもう少し様子を見る以外ないだろう。現状の道路環境の悪さはドライバーに熟知されているため、本線直進以外のルートを通るドライバーは少ない。また、今後道路を往来する普通車の絶対数が更に増えることは(意図的な経路誘導となる周辺の道路改良を行わない限り)考え難いし、そもそも渋滞の元となる一旦停止義務が今後の法改正により廃止されるか、踏切信号に置き換えるだけで少なくとも渋滞問題だけでもかなり改善される。問題の大元となっている宇部線の存在が今後何十年とわたっても安泰である保証は何処にもない[4]状況で、将来の道路計画を鉄道の継続を前提に考えるのは危険である。
出典および編集追記:
1.「地理院地図|1962/06/01撮影の航空映像」による。
ページ左下にある高解像度表示をクリックすると閲覧できる

2.「FB|2016/10/26のタイムライン(要ログイン)

3.「うべ情報マップ|東新川町付近」に都市計画道路の概要図が掲載されている。(要利用規約許諾)


4. 私見だが現在のJR西日本鉄道による宇部線が廃止され鉄道以外の他の交通経路に転換されるまで精々十数年のオーダーと考えている。

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