向山

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記事作成日:2014/4/27
宇部市において向山(むかいやま)と言えば、概ね藤曲の東寄りにある丘陵部を指す呼称である。
写真は向山近辺の代表的な景色。


後述するように向山という名称の単独山岳はないので、この名で称されるあらかたの場所をポイントした地図を示している。


この辺りは小字絵図では南向山という地名が与えられており、浜バイパスで分断された北側の丘陵部を指して向山と呼ばれることが多い。小字としては更に北側には丸山、中山などの地名が見られる。本編は総括記事であり、向山やその周辺の山野部分に関する記述も含まれている。
《 アクセス 》
台地状の丘陵部は広範囲にわたって人の手が入り、今も畑地となっている。しかしながら浜バイパスを含む周辺道路から現地へ到達する四輪の通行可能な道はない。踏み跡として自然発生した山道が網の目のように存在しており、主要な道ですら一度ではまず覚えられない。
この山道は急な坂や幅の狭い場所を含み、二輪の通行はもちろん自転車や一輪車の押し歩きですら困難である。日々、畑の手入れをしている在住者も麓の民家から歩いて行っている。
《 特徴 》
向山は中山から小串を経て鍋倉に至る尾根の南端にあたる。かつては恐らく鍋倉山まで続きであったが、昭和40年代後半の浜バイパス築造時に開鑿され分断された。この工事には自衛隊による破砕作業が必要とされ、浜バイパスの開鑿部端に開鑿記念碑が据えられている。
参考記事: 開鑿碑
現在、バイパスが通る部分は元から小さな峠であったようだ。この古い道は現在も市道藤曲線市道浜助田線として残っている。
写真は市道藤曲線の起点付近


ここにある階段は向山へ登る小道の一つであり、開鑿部の真上に到達することができる。
階段路の途中には藤山八十八箇所の御堂が存在する。これは向山近辺にある唯一の祠である。


詳しくは以下の記事に。
参考記事: 藤山八十八箇所・第60番
(記事が書き上がり次第リンクで案内します)

また、この登り階段の途中には私設と思われるペットの共同墓地が存在する。


この他、浜ノ上側に由来が不明な石仏が置かれている。現役の墓地が一箇所あり、藪に埋もれ無縁仏となっている墓石群が少なくとも2箇所に確認されている。

向山以北の尾根にも共通する地勢として、東側が普通の山地状態であるのに対し西側が極端な急傾斜地となっている。西側は藤曲集落に面しており、この急傾斜が藤曲という地名の由来になったと考えられる。

土質は鍋倉山と同様の蛇紋岩で、鍋倉山側よりも風化が進み粘土状の土がかなり多い。そのような場所は畑地化されている中、ところどころに露岩がみられる。


畑地の区切りや農道の側面を補強する目的でこれらの露岩を割ったものが積み上げられている。

先述の通り、向山は外部からは徒歩でしか到達できない。そして現地へ行ってみると、こんな高台でアクセスも不便な至る所が畑地となっていることに驚かされる。現在はネットの航空映像閲覧で確認できるものの、一般には現地へ行かなければまず畑地が拡がっていることを知り得ない。
かつては台地部の殆ど全面にわたって畑で、これは戦前の食糧増産の必要性から開拓されたものだという。[1]

丘陵地帯なので水を多く必要とする田は皆無ですべて畑である。灌漑用水を導ける溜め池がないので用水路も存在しない。井戸はまったくなく当然ながら水道も引かれていない。畑作に必要な水を確保する目的で至る所にコンクリートの雨水溜め桝がみられる。


丘陵部の周囲は原生林が多く、畑地の外側に多く生えているので高台でありながら市街部の眺望はあまり得られない。
写真は西側の眺めである。


向山へ至る山道は至る所にみられる。浜バイパスに面した道は階段やコンクリート張りで整備されていて歩きやすいが、藤曲側からの道はきわめて急で送電線の保守目的以外は殆ど通行されていない。
丘陵部には畑地の間を縫うように造られた枝道が極めて多く、原生林で視界が効きづらいため不用意に歩き回るとかなりの確率で道に迷ってしまう。
地元在住民が畑作を行った経緯から、民家の敷地から直接登っていくような道もある。大方は里道であり来訪者が通っても差し支えないようである。向山の畑地自体も恐らく個人のものであり、その意味では私有地となる。しかし外部から立ち入って適宜歩き回ることに問題はなさそうである。[2]

北側は恐らく昔の道があったものの現在はまったく通る人がなく廃道化している。立山(たちやま)方面には蟻ヶ迫池の上端にある小池の堰堤を通って往来可能だが、尾根を伝って小羽山方面へ行く道は道の形はあるらしいもののかなり荒れている。
写真は一番奥にある畑地…これより先は道普請する人が居ないため春先以降は通行不能になる


藤山変電所から市街地に送る家庭向けの配電線路は、向山の中を通っている。これは藤山幹線と呼ばれ昭和20年代に通された古いものである。
経路中には今でも木製の双電柱が建っており、現役使用されている恐らく市内唯一の例である。


向山方向に点々と並ぶ藤山幹線の木製電柱は、幼少期に車の窓から眺めていた一種独特な風景だった。木製の双電柱が丘の上を直線的に横断する風景は向山を特徴付けるものと言えるだろう。
参考記事: 藤山幹線
(記事が書き上がり次第リンクで案内します)

蟻ヶ迫池の西側にはかつて宇部興産(株)による窒素工場向けの特別高圧線が通っていた。正確には向山ではなく蟻ヶ迫ないしは浜ノ上になる。
末端部となるNo.90鉄塔は蟻ヶ迫池近くに存在し、現在も地中化部の痕跡だけは残っている。
写真は碍子と鋼線を撤去されたNo.90鉄塔


以下に記事を書いている。
参考記事: 宇部興産窒素線・No.90鉄塔
最近の調査によると、畑作だけではなく養蜂を営んでいらっしゃる方もあるようだ。ミツバチの営巣用巣箱が数ヶ所に置かれている。
イノシシの出没目撃談があったようで、畑地の中心付近に注意喚起する立て札が出ている。
《 個人的関わり 》
未だ浜バイパスが存在しなかった昭和40年代、産業道路を通るとなだらかな山に向かって真っ直ぐ伸びる家庭向け配電線が見えていた。電柱は道路沿いに建てられるのが普通だが、その電線はどういう訳か真っ直ぐ山の方へ伸びていたのが印象深かった。

その配電線は今なお現地に残り、藤山変電所からの送電を受け持っている。実際に現地へ出向いて写真を撮ったのはここ数年前のことである。市街地に近いながら、下界を離れて昭和期が今もそのまま遺る畑地は他には観られない一種独特な風景となっている。
出典および編集追記:

1. 撮影中、現地で山歩きをなさっていた方からの聞き取り情報による。

2. 畑地面積が広いため、平日でも天気が良ければ誰かが必ず手入れをしている。これまで何度も現地を訪れているものの立入禁止などの札はないし注意されたことも一度もない。

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