市道平原権田畑線・派生記事

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記事作成日:2020/10/27
ここでは、市道平原権田畑線の沿線にみられる派生的項目をまとめて収録している。なお、それぞれの項目は他の適正なカテゴリへ移動する場合がある。
《 平原集会所 》
平原集会所は、この市道の起点から数十メートル南寄りにある地元管理の集会所である。


位置図を示す。


玄関上部に掲げられた木製の扁額。


敷地の入口付近に古い石仏が据えられている。
台座部分に文字が刻まれているが、充分には調べていない。


集会所は地元管理の施設なので、近年では見つけた折にはカメラを向けて記録している。中には開北集会所のように古い建物がそのまま使われている場合があり、他の公共施設と同様改変される前の記録が重要である。
開北集会所は2017年6月頃に取り壊され同じ場所に新しい集会所ができている

このような地域共同の寄り合い所の呼称として、集会所の他に公会堂・公民館・自治会館といった語を持つものがある。この用語の区別についてはまだ調べていない。

同名の集会所が厚南の平原八幡宮の境内に存在する。
《 平原鎮守様 》
この市道の両脇に民家がある場所を過ぎて坂道が始まった先の左側高台に、平原集落の鎮守様が祀られている。


大体の場所を示す。


市道の登り坂とは反対方向に向かって登っていく階段がある。
その高い場所に鎮守様がある。


御堂の中にお札が納められている。
捧げられている榊は新しく、地元の方が丁寧に看ていらっしゃることが分かる。


この鎮守様は初めて自転車で通ったとき階段の存在には気付いていた。しかし引き返したとき別の里道を通ったので調べるのを忘れていた。一ヶ月後に再訪し、柵を開けて通って良いか地元在住者に話を伺ったとき「階段の上に平原集落の鎮守様が祀られていますよ」と教えられた。一連の写真はそのときの撮影である。

小野地区の史料[1]を参照すると、該当する場所に秋葉神社と書かれているようにも見える。同一場所かどうかは分からない。
《 平原の薬師堂? 》
未舗装路区間を進み、鉄柵で塞がれた場所の左側にかなり大きな御堂がある。


御堂の前に自然の岩を加工した手水石があり、側面に寛政年間に製作されたことが分かる文字が刻まれている。


正面から向かって左側に樹齢がどれだけか知れない巨木がある。


樹種はよく分からない。
上部で何本かに枝分かれしているが、それぞれが独立した樹と思えるほどに太い。


御堂自体は比較的新しい。
内部には文字の刻まれていない自然石が納められているようだった。


したがってこの御堂も無文字庚申を祀ったものだろう。先述の鎮守様の話をされた地元在住者は薬師堂か何かそのような語で説明されていたと思う。

再び[1]によれば、近い場所に馬頭観音として記載されている。小野地区には既に存在しなくなったものも含めて寺社が無数にあり、正確に同じ場所のものを示しているのか分からない。いずれも正確な名称が判明次第修正する。
出典および編集追記:

1.「ふるさと小野 史跡案内」

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