市道平原権田畑線

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記事作成日:2020/10/27
最終編集日:2021/1/2
市道平原権田畑(ひらばら・ごんたばた)線は、市道下小野平原市小野線より分岐し、平原集会所の前を通って平原岳東側の山中に入り、塩見峠を越えて人家のない平石(へらいし)地区を経て山口市境に至る認定市道である。
写真は未舗装路区間。先方に野獣避けの柵が見えている。


隣接市に向かう路線に共通するように、峠を越えて山口市境までが本路線となっているが、市境付近は近年誰も訪れていない模様で詳細はよく分かっていない。
《 経路の概説 》
本路線の経路を地理院地図で示す。
地理院地図を台地図として経路を書き込む形で作成


●印は起点、→は終点の位置を表す。赤い経路はアスファルト舗装路、橙色の経路は山道(恐らく全線が未舗装路)である。周辺の認定市道との位置関係などは「うべ情報マップ|地図表示」に示されている。

起点は市道下小野平原市小野線上にあり、分岐点には圃場整備記念碑が据えられている。
起点からは右側先に平原集会所が見える。


農林の対面交通規格の道路を横断すると、道は二又に分かれる。その中央に石仏が据えられている。


本路線は左側である。右は圃場整備の後で認定された市道前原線で、かつて平原岳への前原地区からの登山口だったようである。
通る人がなくなり整備されなくなった模様

数軒の民家の間を通りながら少しずつ勾配を上げていく。


最後の民家を通り過ぎた先で左側への分岐に出会う。市小野地区へ向かう市道東市小野線で、ここを終点として接続されている。

分岐を過ぎると一民家へ下る枝道を境に、先が未舗装路へと変わる。


未舗装路を50m程度進むと本路線の正面は野獣避けのフェンスで塞がれている。
左側に観音堂がある。


公道であるのでフェンス門扉で塞がれてはいるものの当然施錠はされていない。掲示物は何も出ていないが、このような場所は、元通り閉じておくことを前提に誰でもいつでもラッチを外して通過して構わない。
他のフェンスで塞がれている認定市道や里道も同様

フェンス門扉より先も同程度の幅の道が続いている。ただし路面は非常に荒れており歩行での踏査も困難である。
平原川に沿って遡行する形で山の中へ入っていく。


足元の悪い道が延々と続いた後、ほぼ直線的に塩見峠へ到達する。
峠の手前で平原岳・禅定寺山縦走コースが横切っており、案内標識がみられる。


塩見峠は荒れているが、かつて幹道の重要な峠であった風格を今に伝えている。
周囲の木々が伸びすぎているため残念ながら峠から瀬戸内海を望むことはできない。


平原地区より塩見峠までは登山客が歩くこともあるからか荒れていながらも何とか歩行可能であるが、峠を越えた平石側は往来需要がないせいか極端に荒れている。


塩見峠は平石側が大きく痩せた片峠で、大きなカーブを反復しながら急速に高度を下げている。途中には道が斜面の中に消えていて元々は何処を歩いていたのか判然としなくなっている場所も目立った。ある程度の日照が得られる地点まで到達したとき、足元と周辺の低木繁茂が酷く道自体が分かりづらくなった。来た道を引き返す以外にエスケープルートがないため、市境と推定できる箇所まで踏査していない。

平石には戦後3軒の民家があったとされる。道沿いに民家の跡と推定できる石積みが確認できている。
《 歴史 》
以下の殆どの記述は[1]に依る。

市小野より塩見峠を経て嘉川や深溝へ至る幹道であった。陸路より海路が重要であった時期は、内陸部より深溝へ至る道は特に重視されたのである。江戸期の干拓事業により深溝港は機能しなくなり、更に後には四輪が容易に通行可能な道が選択整備される過程で塩見峠越えの経路は廃れていった。

塩見峠は、その名の通り内陸部から深溝へ向かっているとき初めて瀬戸内海が見えたことに由来する。平原岳と禅定寺山の縦走路は塩見峠を横切っており、登山ルートとしてはやや難易度は高めだが安全に塩見峠を訪れるコースとなっている。

峠より南へ下った平石地区は終戦頃まで3軒の民家があったとされる。現在では居住者がなく民家の石積みが僅かに遺るのみである。
《 Googleストリートビュー 》
本路線の採取は行われておらず、農林の道路より平原集会所が見えるワンショットしかない。
本路線の沿線にみられる史跡などを収録した派生記事群。(2021/1/2)
派生記事: 市道平原権田畑線・派生記事

2020年9月下旬に本路線の起点から観音堂までを自転車で調査したときの時系列レポート。単巻。(2021/1/2)
時系列記事: 市道平原権田畑線【1】

2020年10月下旬に観音堂より先の山道を経て塩見峠とその先の平石地区周辺まで歩行踏査したときの時系列レポート。2巻。(2020/12/20)
時系列記事: 市道平原権田畑線【2】
なお、この2〜3巻は登録会員(無料)のみが閲覧できる限定公開記事として外部サイト「凜 - RIN友の会」で公開する予定である。当サイトから記事テキストと付随する画像を預託しており、掲載の仕様については一切を任せている。諸々の著作権は当サイトに帰属しているが、記事ダイジェストを除いて掲載先の承諾なしに当サイトで当該記事を一般公開することはない。
【 限定公開記事ダイジェスト 】
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この記事のタイトルは「市道平原権田畑線【2】」である。これだけでいきなり書き始めては、いくらマニアック路線を旨と為す宇部マニとて不親切の誹りを免れないだろう。市の管理する道らしいことは分かっても何処の道か分からないし、それがレポートとなり得る意義も理解できない。更に【1】ではなく【2】から始まっているのも奇妙である。

ここでの市道とは、我が町宇部市の管理する道ということである。具体的には市道路整備課が管理責任を負っている道で、市内には991路線(2020年10月現在)ある。その中には上下線4車線あってひっきりなしに車が往来する道路があれば、車どころか何年も人が通ったことがなく経路さえ判然としないほど荒れた道もある。

およそ想像つく通り、今回の題材は後者の道だ。車どころか人の往来さえ困難な国道・県道に対してしばしば酷道・険道といった表現がなされ、好んでそういった道をトレースする向きがある。さすがに市道を死…
出典および編集追記:

1.「わが里の故きを温ねて」(平山智明編)p.75〜79

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