市道田の小野車地線・横話

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ここでは、市道田の小野車地線の派生的記事をまとめて収録している。
《 国道490号分岐点の一旦停止 》
現地撮影日:2015/4/22
記事公開日:2015/4/28
情報この項目は古い内容を記述しています。最新の状況は記事公開後の変化を参照ください。

本路線の起点、国道490号の分岐点は終点側から走行したとき一旦停止を求められる地点である。しかし遵守しないドライバーが多いためか頻繁に一時停止取り締まりが行われていることで知られる。

国道側から撮影。
国道のこちら側から本路線に入る場合は対向車に注意してそのまま右折することができる。


写真でも実感されるようにこの地点での見通しは国道・市道双方とも良好である。
市道を車地から走ってきてここで左折する車も相応に多く、しばしば一旦停止せず(ときには減速すらせず)国道に合流する車が見受けられる。

この理由はある程度見通しが良いことに起因している。市道側からは一旦停止ラインへ到達する前から国道の右方より来る車が分かる。まったく車の姿がなければ一時停止する理由に薄く運転のテンポも悪いからということらしい。
通行の優先権は当然ながら国道側にある。しかしどうかすると現に瓜生野方面からの車が近接しているのに、自分が前へ出てやろうと一旦停止どころか加速して出てきて国道の走行車両にブレーキを踏ませるとぼけたドライバーも散見される。衝突事故が多いとか、あまりにも法規を守らない車が多く対処が必要とされたのか、ここは市道から出てくる車が確実に一旦停止を遵守しているか頻繁にチェックされている。

面倒な一旦停止をお座なりに済ませて行き過ぎるという横着心は無いとしても、ドライバーにとってこの場所は実際やや分かりづらいかも知れない。横断歩道前のラインが近いからだ。
まず、横断歩道の前に引かれているラインは歩行者があったときの待機場所である。ここには標識がないので一般の道路にペイントされている横断歩道と停止線に準ずる扱いである。


その先には「止まれ」のロードペイントと標識が2箇所も設置されている。「気づかなかった」「標識の設置位置が悪く見えなかった」などとは言わせない状態だ。
国道へ合流したとき先の左側はこちら側からは見えづらくなっている。


この見えづらい場所に白黒車が待機していて正しい一旦停止を行っているか監視している。市道終点側から来たときは見えないが、国道490号を走っていれば取り締まりが行われているのが明白に分かる。まさに市道側から出る車が等閑な一旦停止をしたために警棒で制止を求められたシーンを見たことがある。

国道490号側から見たところ。
この先の民家近くに白黒車を待機させ、車中ないしは車外に出ての目視により一旦停止をチェックしている。


この場所における一旦停止の妥当性は別として、現状は標識が設置されている以上法規を守らねばならない。本来、公安も反則金計上や取り締まり実績目当てではなく交通事故の低減を目的としているのだから、一旦停止義務違反などというつまらないことで挙げられないよう心したい。開のハーモニーヒルズ付近のシートベルトチェックもだが、基本的でまともな振る舞いをしていれば犯すことのない違反で反則金を徴収されるのはまったくつまらないことである。
【 記事公開後の変化 】
現地撮影日:2016/5/20
項目作成日:2016/10/20
この三差路は2016年の2月中旬までに国道490号への取り付け形状が改変された。本路線の終点側から走行したとき、国道で斜めに合流する形状だったが、この部分を直角に近い形で取り付けるよう変更している。


国道接続部付近は歩車道境界ブロックが据えられたので見かけ上車の走行空間は狭まった。代わりに恐らく同時期と思われるが本路線の起点から国道へ出る際の一旦停止義務が解除された。現在は横断歩道前の停止線があるのみで、止まれのペイントも一旦停止を要請するオーバーハング標識も取り除かれている。


市道取り付け部は左右共に見通し良好なのだが、以前は終点側から走ってきたとき瓜生野方面から来る車が明白にないことが分かっていながら、標識の前で一旦停止しなければならずスムーズな合流の妨げになっていた。

規制解除の裏には、縁石が設置されたことで走行スピードが充分に下がるため、一旦停止なしで合流することに問題ないと判断されたからかも知れない。ともあれ一旦課されていた規制が取り除かれるのは極めて珍しい。この変更は交通実態と現地の状況に即したまったく妥当なものとして評価できる。今後は本路線から国道へ合流するときには法規的には一旦停止も徐行も義務ではない。(必要ないという訳ではない)明らかに瓜生野側から来る車がなければそのまま合流して構わない。

他方、国道を走行するドライバーはこの場所の変更に対して注意が要る。長いこと市道側に一旦停止義務が課されていたので、停まると思っていたところを市道側から停止せずそのまま本線へ合流する車に慌てる可能性はあるかも知れない。
《 田ノ小野橋竣工記念碑 》
同じく本路線の起点、国道490号との分岐に参道があり、その傍らにひっそりと石碑が設置されている。


田ノ小野橋架設記念とだけ記されている。


制作年月などを知ろうと石碑の後ろを観察したのだが…尋常で無い状態になっていた。
何も刻まれていない。いや、文字を刻むのではなく何かのプレートを貼り付けてあったように見える。


それというのも背面には前面と同様長方形状に削った部分がありながら表面は異様にザラザラになっていたからである。
これは元々はめ込まれていたプレートを留めていた接着剤のように見える。四隅にはプレートを固定するためと思われる釘の跡も遺っていた。


普通に考えれば詳細を記録した銅板なりを貼り付けたように見える。表面が荒れているのは剥がし取られたからだろう。あるいは…まさかとは思うが、元々は表面と同様に文字が刻まれていたものの何かの問題があってモルタルで塗り潰されたのだろうか。
いずれにしても本来あるべき記録が意図的に取り除かれていることに変わりはない。
これは一体、どういうことだろうか?
田の小野橋の架橋については歴史的にみて瓜生野側の猛烈な反対があったことが知られる。総括でも書いたように初代の架橋では竣工式の餅撒きに瓜生野区民が誰一人として餅を拾いに行かなかったという記録がある。[1]本来なら架橋は祝福されることであり、瓜生野区民としては歓迎していないという総意の現れだった。

架橋記念碑は厚東川からやや離れた田の小野地区にある。田の小野側では組合を組織して架橋に係る必要な費用を調達し、県の助言と補助も得て工事に漕ぎ着けた。もしかすると瓜生野側の意向を聞かずに田の小野側独自で架橋運動を展開したために遺恨を招いたのだろうか。そのため田の小野側に架橋記念碑を設置したものの、その内容を快しとしない人によって銘板を剥がされたとか背面に刻まれていた内容を塗りつぶされたのだろうか…いずれにしろ石碑の現状は尋常ではない。

思えば現在の田の小野橋の親柱も一対が失われている。経年変化や往来する車の衝突で剥がれた可能性はあるが、石盤そのものが存在せず壊れたまま放置されていることも普通にあることとは思えない。[2]
現在架かっている田の小野橋は昭和38年の2代目である。これは初代の橋から30年程度経っている。30年は短くはない期間だが子どもが親の言明を耳にして次世代へ伝えられる程度の年月である。もしかするとあまり公にされるのは宜しくない遺恨が今もあるのだろうか。
出典および編集追記:

1.「二俣瀬小学校百年史」p.75

2. 2代目の橋も既に50年が経過している。3代目の架橋計画があるか国道490号の拡幅計画もあるため追加費用を投入してまで補修していないということも考えられる。

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