市道了善河内線・横話

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現地踏査日:2013/11/23
記事公開日:2013/12/21
ここでは市道了善河内線の派生的な記事をまとめて収録する。

《 墓参道路標 》
本路線の起点、市道藤曲上条線の分岐点にやや大きめの石柱が建っている。


藤曲線 墓参道路 竣工記念碑となっている。
西日の反射で文字が見づらいかも知れない…数年前に撮影したもう少し見やすい画像はこちら


設置年月などは反対側に刻まれていたのだが…すぐ背面にコンクリート擁壁を築いてしまったのでワンショットで全体を写そうとすると斜め上からの読みづらいアングルになってしまう。


そこでデジカメを石碑の背面に押し込み、ファインダーを見ずに三分割撮影している。
石碑の後ろが狭いのでファインダーを覗いた状態でカメラを構えられなかった


設置が昭和36年なので石碑の部類にしては割と新しい。

この石碑について解説している書物を図書館で借りたことがあるが、メモし損なっているので詳細が分からない。次に借り出したとき編集追記で出典を明らかにしようと思う。

《 グラウンドのような溜め池 》
本路線から分岐して中の山団地へ向かう道は、用途廃止された溜め池の堰堤部分になっている。


この場所だけ窪地のようになっており、市道側と堰堤部分に張ブロックの斜面があるので溜め池の痕跡ではないかと想像がつく。


中に降りてみるほどの価値を感じなかったので道路から撮影している。
窪地の中へ降りる斜路があり、どういう目的か不明だが転落防止柵が設置されている。


記憶も曖昧だがこの場所には随分と昔、仕事で訪れたことがある。確か溜め池の用途廃止で内部を整地し護岸ブロックを施工するときの工事写真撮影だったと思う。
施工状況の写真が必要なものの撮影しに行ける人員がおらず、カメラを持たされ撮りに行った記憶がある。他に用途廃止した溜め池が近辺にないので、多分ここだった筈だ。
この元溜め池と自分との接点はその一事象のみで、かつての姿は分からないし何という名の溜め池であったかさえも知らない。

以下の3枚は4年前に撮影したものである。
溜め池の痕跡自体は当時から変わっていないが、窒素線のNo.82がまだ写り込んでいる。


当時から不可解な気がしたのは、水の溜まらない筈の溜め池痕跡に樋門操作用のバルブがそのまま遺っていたことだ。


これは当時のものだろうか。
まだかなり新しそうな外観だ。溜め池の現役時代から存在していたかどうかは分からない。


護岸部分を見ると樋門の横には階段も設置されている。完全に用途廃止するなら全面を張ブロックにする筈だしそもそもこのような樋門自体不要だ。当面は灌漑用水需要がないので干上がらせているものの、先々で用水需要が起きれば樋門を閉めて湛水可能な仕様にしたのかも知れない。

1974〜1978年版の航空映像でこの場所を眺めてみよう。


確かに当時はまだ溜め池だったことが窺える。中の山団地の造成は既に始まっていて区画割りが見えている。
国土地理院の地図も現在なお溜め池のように表示されている。

なお、この溜め池痕跡の堰堤上を通って中の山団地へ向かった先にはかつて宇部興産(株)窒素線のNo.83鉄塔が建っていた。現在は昇降用階段以外は何も遺っていない。詳細は以下の派生記事を参照。
派生記事: 宇部興産窒素線・No.83鉄塔
出典および編集追記:

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