中山浄水場・押し上げ管路【1】

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現地踏査日:2013/11/9
記事公開日:2013/11/27
中山浄水場の押し上げ管路と言っても私が即興的に命名しただけで、正式な名前は分からない。要は中山浄水場で浄化された上水を高台の桃山配水池へ汲み上げるための管が埋設された斜路である。
現地まで行ったことがない方が殆どと思われるので、概略の場所を地図で示そう。


この写真は、地図でポイントした場所から眼下に見える中山浄水場を撮影している。
ケーブルカーの索道のようなきつい斜路が中山浄水場まで降りている。


桃山配水池関連と言えば、かつて流量計測器が格納されていた六角堂を想起する人が多いかも知れない。それは市道小松原通り線の途中に存在し、尋常でない索道のような直線的な坂道にある。
さて、現在地の押し上げ管路もそれと同等のものを想像すると良い。標高が精々十数メートルしかない中山浄水場から市内の広域に上水を供給するために一度だけ位置エネルギーを与える場所と言える。即ち動力を使って中山浄水場から桃山配水池までこの斜路に埋設された管を経て上水を押し上げる。桃山配水池から六角堂のある本管を経て市内へ向かう上水は、基本的に高低差のみで給水する自然流下方式である。[1]

旧桃山配水池や六角堂は大正期の沖ノ山水道時代からのものであり、したがって押し上げ管の埋設された経路自体も当時からのものである。[2]詳細はもう少し調べる必要があるが、後述するような理由によりまったく新規に管路を開拓したのではなく、元からあった古道の一部を利用して布設したのではないかと思われる。

市道の項目でも触れている通り、この場所は市道の経路がおかしなことになっている。
概略を色分けしてみた。


殆ど訪れる人もない山の中ながら、この近辺の山道の多くの区間が認定市道である。まず、栄ヶ迫溜め池を過ぎて山の中へ分け入る市道藤曲門前線はこの十字路で右折し、桃山配水池に向かって登るようになっている。更に十字路から高度を変えず直進する市道金山線という廃道同然の山道路線もある。この指定により中山浄水場から索道の如く伸びる斜路は浄水場の裏門から十字路までは水道局の管理通路十字路から桃山配水池手前までは市道路課と水道局の重複管理という奇妙な状況になっている。
実際は母体が同じ市なのでそれほど問題にはならないのかも…

殆ど同等の斜路を水道局関連と道路関連で分断し別々に記事作成するのもおかしな話なので、些か例外的だが斜路全体を中山浄水場の「その他の道路」として本記事をかき、市道藤曲門前線の右折点から先も重複状態で記事を作成することとした。この記事および後続記事は上の地図の紫色で着色した経路を記述している。したがって一部の区間について市道藤曲門前線と中山地区のその他の道路という重複記事が生まれることになる。

今後の記事化の流れとしては、中山浄水場関連として市道上条金山線の分岐点から浄水場の正門まで、正門から裏門までの間のフェンスで隔てられた簡易通路(まだ相互に行き来できていない)、そして裏門から押し上げ管路末端部(斜路の未舗装区間相当分)を中山地区のその他道路として記述する。桃山配水池周りの市道に属さない埋設管路などは桃山地区のその他道路として記事化を予定している。
管埋設の斜路を「その他の道」へ区分するのも些かおかしな話ではあるのだが…

現地では些か冗長なほどに撮影しているので、後続記事は市道藤曲門前線と重複しているもののなるべく異なる写真を掲載している。
ここまでの記述は将来的に中山浄水場の総括記事を作成した場合には移動する予定

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市道藤曲門前線の攻略過程でここを訪れたので、現地には自転車で来ていた。
この後引き続き市道攻略を進めるし、何よりもこのきつい斜路は自転車にはまったく馴染まない。そこで斜路の下からでも見える場所に留守番させ、歩いて斜路を降りることにした。


斜路の幅はかなり広い。両側の草が刈られた範囲をみても幅5〜6m程度はある。
特に目立つのは、斜路の中央に設置されたこの奇妙な形のコンクリートだ。


比較対照するために自分の足を写し込んでいる。
ベース盤とも将棋の駒とも言えぬ変な形で、これと同じものを他の場所で見たことがない。


これが一体何のためのものであるかと問われれば、埋設された管を固定するものという推測が最も妥当だろう。何しろ蓋構造になっていない。曲がりなりにも管渠だから相当な年数ごとに点検する必要は出てくると思うが、まさかこのコンクリート将棋駒(?)を持ち上げ外すなんてことはないだろう。
この形をしている理由はさっぱり分からない。別に上部の隅を切り欠かなくても機能する筈である。いつの時代のものかも推測できないが、沖ノ山水道時代よりは後だろう。[3]

同じものが斜路に数ヶ所並んでいた。
鋳鉄管のジョイント部分を押さえるための重しのようにも思える。


下るほどに勾配がきつくなり、裏門の手前10mくらいから階段になっている。
「この先行き止まり」の錆び付いた看板が立っている。しかしこれを目にした人は少数だろう。


両側に排水の溝がついている。
最近誰も歩いたことがなさそうな階段で、苔まみれだった。これは造られた当時のままと言えるのではなかろうか。


斜路から中山浄水場の敷地内は一応見渡せるが…それほど開けた場所でもないので、何枚かに分けて撮影しなければ全体像が入らない。
高い位置からだと敷地の遠くまで見渡せるが範囲が狭まるし、階段を降りると横が広がる代わりに奥が見えなくなった。


浄水場敷地の沢の上流側にも建屋や設備が見えるが、この方向へ接近する道はまったくない。


沢の下流側に建屋が集中し進入路も見える。
しかし今のところ相互の往来は達成されておらず、当然ながら敷地内は立ち入り禁止である。


フェンスに沿って細い道がついているが、追跡すると自転車からどんどん離れてしまうので今回は少し先を辿るだけにとどめておいた。


もっともフェンスの外側は人が歩ける程度の狭い幅はある。実際このときも2つ目のコーナーあたりまでは藪に邪魔されずに進攻できることを確認した。ただしここへ到達する以前に正門側からフェンスの外側を歩いており、そのときはすぐに酷い藪に包まれ進めなくなった。時期を選べば相互に往来できるかも知れないものの、今のところ未達成状態である。したがって現時点では中山浄水場の裏門へ到達するには斜路を上から降りて来る以外ない。

聞いた話によると、フェンス外側の側道部分は一応は通れるようになっているともいう。中山浄水場ができる以前は真っ当な道があったのは確かで、浄水場が造られたことにより道が分断された事実がある。往来の便宜をはかるためにフェンス外側を経由することは以前からできていたらしい。[4]ただ、現状は通行需要がなく普請する人も居ないために廃道状態になってしまっているとも思われる。
いずれこの区間は藪漕ぎ可能な時期をみて通行可能性を検証し記事化する予定

有刺鉄線付きのアルミ門扉はがっちりと施錠されていた。
基礎コンクリート部も最近打ち換えたようで新しい感じだ。


フェンス越しに撮影。内側も同様の階段が伸びていた。
階段の下には関連すると思われる桝が集中している。
右側奥にあるコンクリート建屋などはかなり古そうだ


最後の階段部分を横から撮影。
階段の下側4分の1あたりの場所にフェンス門扉が設置されていることになる。


引き返しに階段を登っているとき、異常に古めかしいコンクリート杭を見つけた。


頭を赤くペイントされた痕跡がある。コンクリート製ながら骨材が露出していて見るからに古い。


何の杭であるかおよその想像がついた。そして想像した通りであった。

微かに「水道用地」という文字が読み取れる。
太い字で陰刻されているものの経年変化で彫りが浅くなっている。管路の内側の土地を水道局が買い上げたのだろう。


「この先行き止まり」看板の裏側には何も書かれていなかった。
ここだけ中途半端に階段とした理由はよく分からない。泥が敷地内へ流れ込むのを防ぐためだろうか…


戻る途中、斜路に鋳鉄管が露出している場所を見つけた。
ちょうど将棋駒コンクリートの通りの真上である。


間違いなく押し上げ管の外側だ。少し膨らんでいる部分は接合部のカラーと思われる。
上を重量物が通る心配がないので浅い場所に埋めているようだ。現在も当初と同じ管を使っているのだろうか…
内部にはもの凄い水圧がかかっているはず


ここまで撮影して十字路部分へ置いていた自転車の元へ戻った。
この先は市道藤曲門前線と重複する区間になる。次編からは何枚か撮影した写真のうち浄水設備に関連しそうなものを優先的に掲載しつつ記事を進める。

(「中山浄水場・押し上げ管路【2】」へ続く)
出典および編集追記:

1. もっとも充分な水圧が得られない高層ビルなどでは独自に再加圧した上で給水している。

2. 斜路の設置は当時からのものでも管自体は更新されているかも知れない。

3. 宇部興産(株)によって造られた昭和初期のコンクリート構造物はどういう訳かやたらと角を切り欠いた八角形構造が目立つという観測的事実があるが…^^;
赤岸の管埋設跡のカルバートや沖ノ山水道仮取水地の遺構など

4. 4年前に市道崩金山線の走破を試みたとき出会った金山在住民の談話による。

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