大岩郷

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記事作成日:2017/3/5
最終編集日:2017/12/11
情報山岳の岩郷山とは異なります。
小野区にある岩郷山については こちら を参照してください。

大岩郷(おおいわごう)とは山口県西部にある巨大な岩が海状に広がる景勝地で、美祢市奥万倉にあるもの(以下「万倉の大岩郷」と略記)と宇部市東吉部にあるもの(以下「吉部の大岩郷」と略記)の2ヶ所が知られる。いずれも国の天然記念物に指定されている。
《 万倉の大岩郷 》
南西斜面に大きな岩が無数に積み重なっている奇景である。


地理院地図を示す。


美祢市側の県道宇部美祢線に万倉の大岩郷を案内する大きな看板が出ている。中国縦貫道の下をくぐって美祢市道を進むと駐車場への案内看板が出ている。駐車スペースは充分に広い。

天然記念物指定の石柱。昭和10年に指定されている。


一般的事項については[a1]を参照されたい。
出典および編集追記:

a1.「Wikipedia - 万倉の大岩郷
《 吉部の大岩郷 》
同様の景観だが岩の広がっている面積が若干小さい。
万倉の大岩郷とは逆に東側への傾斜に岩が分布している。


地理院地図を示す。
ポイントされている場所は車で到達できるもっとも近い地点である。


東吉部側からのアクセスは、県道小野田美東線より分岐して県道伊佐吉部山口線に向かう。400m程度先で藤ヶ瀬川を渡る左側への分岐路(市道笛太郎線)に吉部大岩郷の案内板が出ているので迷う心配はない。

現地へ至る道は舗装整備され幅員も充分だが、登り坂がきわめてきつい。短い距離で標高を100m以上も上げている。四輪の到達できる最終地点は充分なスペースの駐車場がある。
吉部の大岩郷にも[b1]に一般的記述がある。当サイトは宇部市主体に記述しているので、当サイトは宇部市主体に記述しているので、以下の項目の多くは吉部の大岩郷を中心に記述している。
出典および編集追記:

b1.「Wikipedia - 吉部の大岩郷」「宇部市|吉部の大岩郷」「宇部市公式サイト|吉部の大岩郷
【 記事公開後の変化 】
2017年11月頃から駐車場入口手前左側の斜面を直線上に伐採し、岩などを除去して作業道が造られた。


杉の樹を伐採するための作業道のようである。置かれているセフティコーンにはカルスト森林組合の文字がみられる。言うまでもなく作業道は文部省の設置した天然紀年物境界標の外側にある。
吉部の大岩郷の駐車場に至るまでは舗装された市道だが、その名称の通り市道笛太郎線は笛太郎地区まで山道の形で繋がっている。この経路は森林組合の作業道とは異なる。相互に往来可能かどうかはまだ調べられていない。
《 成因について 》
大岩郷の成因については山体崩落説と河川堆積説の両説が提示されている。
写真は吉部の大岩郷に設置された説明板。


山の尾根を隔てて存在することから、昔語りとして「天秤を担いだ大男が岩をこぼれ落としてしまったのが万倉と吉部の大岩郷」と表現されることがある。[c1]その妥当性はさて措いて、この近辺に黒川断層帯が走っており大岩郷の形成に関与している可能性がある。[c2]

地形一覧の項目をネットで調べる過程で、広島県三原市と府中市に「久井・矢野の岩海」と呼ばれる同種の地形が存在していることが分かった。[c3]大岩郷と同じ花崗閃緑岩が広範囲に転がっている様子は同じで、規模はこちらの方がはるかに大きい。日本の地質百選に選定されているが、国の天然記念物指定は昭和39年と大岩郷より後である。現地は集落からやや離れているため発見が遅れたのかも知れない。久井・矢野の岩海の成因は山体崩落説が推定されている。

久井・矢野の岩海と大岩郷を比較すると、それぞれの相違は規模の違いでしかないことに気付く。一定の傾斜を持つ沢地を大きな岩が散乱している点が酷似する。その岩も写真で参照する限りでは同種のものである。
花崗閃緑岩自体が典型的な火成岩であることから、大岩郷の成因については河川作用の堆積によるのではなく山体崩壊によって生じた岩塊が長期間にわたって風雨に晒されることによって出来たという説を支持したい。
出典および編集追記:

c1.「宇部観光コンベンション協会|吉部の大岩郷

c2.「地震にそなえて 宇部市ゆれやすさマップ

c3.「Wikipedia - 久井・矢野の岩海
久井の岩海のもっとも広大な部分は Google マップで確認することができる。
《 注意したいこと 》
大岩郷は文化財保護法によって護られている天然記念物であり、毀損に対する罰則規定もあるので相応な扱いが必要なのは言わずもがなである。それ以外において先読み能力が弱った現代人にとって現地見学にあたって見落としがちな点を言及しておく。

・現地は駐車場が整備されていてすぐ近くまで車で行けるが、観光スポットに期待されがちなそれ以外の設備(水道・手洗い・売店など)はない。携帯の電波状況は調べていないが、キャリアによっては不都合が生じる可能性がある。

・岩が積み重なった地なので当然予想されるように足場は悪く歩きづらい。岩の海を安全に観て回れる周遊園路のようなものは存在しない。対象が岩なため来訪者の踏み跡もなく岩場歩きは自己責任となる。落下し脱出不能になるような岩の隙間はないと思われるが、転倒すれば状況によってはかなり厳しい怪我となる。子どもを連れて行く場合は特に注意が要る。ハイヒールは論外で、足掛かりの悪いサンダルやビジネス靴もあまり良くない。乾いた岩は比較的足掛かりが良いので平坦な部分に足を乗せているうちは殆ど滑ることはない。草が生えていたり湿った苔を被っている岩は滑りやすいので、そういった場所を避けて乾いた岩の上を歩くようにする。特に岩の海の両端は日陰がちなせいか苔などが覆っていることが多い。

・大人でも注意すべきなのは、岩のみが積み重なって隙間だらけになっているという点である。釣りに行って積み重なった波止めブロックの上を歩くときと同等の注意力が要る。


特に岩の上を歩いていて不用意に落としたものが岩の隙間から下の方へ落ちると回収不能になる確率が高い。車のキーや財布のような大事なものをポケットへ粗雑に入れて岩の上を歩き回らないよう注意したい。
吉部の大岩郷を歩き回ったとき見つけたもの。
時系列記事: 吉部の大岩郷【1】
《 個人的関わり 》
幼稚園のとき親に連れられてピクニックに行っているようで、岩の上で手作り弁当を食べているモノクロ写真が存在する。吉部と万倉のどちらの大岩郷で撮影されたものかは分からない。
天然記念物の保護意識からすると現代では信じがたいが、モノクロ写真の中には表面を棒などで削って名前などを落書きされた岩がいくつか写っている。現代では経年変化で表面が風化しているため傷の目立つ岩は殆どない。
鑿のような尖った道具を用いて数字を彫りつけた岩が見つかっている
《 地名としての大岩郷について 》
大岩郷というキーワードからはすぐに吉部および奥万倉の大岩郷が想起されるほどに知名度のあるキーワードである。前掲の説明板にもあるように、大きな岩が海の如く広大に積み上がっているさまを指して「岩郷」と呼ぶとされているだけに、地名と言うよりは一般名詞に近い。
そうは言うものの古くからある景観で人々の暮らしに関わってきたせいか、地名として存在する点は川上村の北迫遺跡に存在する蛎塚と同様である。地名明細書では西吉部村の小河内小村に大岩合(おおいわごう)の表記で収録されている。大きな岩が寄り合うという意味ではこの表記の方が近い。現在の大岩郷の表記は岩の郷(さと)を含めた書き換えかも知れない。

岩郷と呼ばれる山が吉部の大岩郷とはまったく離れた場所に存在する。東吉部より厚東川を挟んだ東側、むしろ下小野に近い側に岩郷山という山がある。この山裾をたどる山道に対して市道岩ごう線[d1]が存在する。吉部や万倉の大岩郷が岩郷と呼ばれることはないのだが、現地へ向かう道が藤ヶ瀬川を渡る橋には岩郷橋という名称が与えられている。地名としては元々大岩合だったことから、これは大岩郷橋では長いので短く切り詰めたものだろうか。
出典および編集追記:

d1. 市道路河川管理課の台帳でもこの路線は「岩ごう」と漢字平かなの交ぜ書きとなっている。これはいくつかある山地字の一つかも知れない。
岩郷・岩ごうなどといくつか異なる小字名が知られている

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