迫田坂

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記事作成日:2015/11/30
最終編集日:2021/2/21
迫田(さこんた)坂市道迫田長谷線の途中、旭ヶ丘団地入口付近から岡ノ辻に向かう途中にある里道の坂である。[1]
写真は最終編集日時点での迫田坂の様子。


地理院地図では山の斜面に沿って岡ノ辻の方へ向かう道が記載されている。この道は山口宇部道路を迫田跨線橋で横切り、岡ノ辻を通る市道まで接続している。


この道は恐らく床波から善和方面へ抜ける主要な道であった。車も通れる子落とし坂よりも近道であり頻繁に通られていたようである。
山口宇部道路が堀割で通されたとき古道が分断され、跨線橋で結ばれる形になった。しかし四輪が通れないことから次第に歩く人が居なくなり、現在はまったく普請されておらず道の経路すら判然としない状態になっている。冒頭の写真を撮影したとき進攻を試みたものの、部分的に道の形が喪われるほどに藪化している。しかし迫田坂付近には道の両側に境界杭らしきプラ杭がみられる。
初めて訪れたとき誤って迫田坂ではないかと考えて作成したときの記事。
派生記事: 迫田にある里道の坂
地名としての迫田について。
派生記事: 迫田
《 個人的関わり 》
坂の下の市道は道路レポート向け以前に数回自転車で通っている。ボックスカルバートをくぐった先の分岐路について気づいてはいたが当時まだ名前は知らなかった。
その後山口宇部道路に架かる未知の跨道橋に到達する里道を調べる過程で岡ノ辻から偶然この坂道の上部へ来たのが最初である。この記事に用いられた写真はその翌日に再訪し撮影されている。
《 近年の変化 》
・2016年1月末のこと、萩原方面を訪れた後に現地へ立ち寄り攻略を試みた。非常に難航したものの山口宇部道路の上を通る跨道橋への到達に成功した。里道そのものはほぼ自然に還っており、周囲を適宜伐採したところで道の形は明白にはならない。跨道橋より先の岡ノ辻側も同様であった。ただし迫田側入口より跨道橋までは散発的に一定幅をもって地籍プラ杭が確認できており、現在も里道と思われる。一連の踏査記録は時系列記事としての作成が予定されている。

・2016年12月頃より山口宇部道路通行時に迫田坂の先の跨道橋に撤去を予告する立て看板が設置されているのを見つけた。翌年2017年1月には山口宇部道路から看板が見えなくなっていた時期があり、地元の要望などで撤去が取り下げられたと思われていた。しかし3月中旬に古道を経由して跨道橋に到達し、橋の両側に撤去予告の立て看板を確認した。この時には初めて岡ノ辻側から跨道橋のかなり近くまで接近し、酷く荒れてはいるものの古道の線形が確認された。[2]
跨道橋を落とすと岡ノ辻と迫田の往来が完全に分断され、先々で車での移動から徒歩や自転車での往来が見直されるようになったとき後悔することになるかも知れない。車が通れないというだけで、萩原から黒岩方面へ抜けるときもっとも距離が短く高低差も低くて済む経路である。温存して前後の里道を整備した方が得策と思われる。

・2022年2月より山口宇部道路の迫田跨道橋の撤去工事が始まった。現地を迫田坂経由で接近するとき入口付近の田周辺を刈り払いする地元在住者に出会った。田への往来のためにそこだけ自己負担で普請されているようである。今は道がなくなっているが水道管が通っていると話された。実際には迫田跨道橋に配管はないので、黒岩橋との混同と思われる。
出典および編集追記:

1.「常盤ふるさとまっぷ」に地図と共に迫田の坂として記載されている。そこに迫田(さこんた)という名称の由来についても言及されている。

2.「FB|迫田跨道橋が撤去されます(2017/3/17)

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