市道迫田長谷線・横話

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ここでは、市道迫田長谷線の派生的記事をまとめて収録する。
《 迫の田池 》
現地撮影日:2015/5/31
記事公開日:2015/9/16
迫の田池は西岐波区今村北1丁目にある灌漑用溜め池である。
余水吐の位置を中心にポイントした地図を示す。


迫の田池は東西に細長い二等辺三角形をした形状で、市の危険溜め池として指定されている。[1] 後述するような事情により堰堤へ接近できないので溜め池の写真は撮影していない。以下、初めて現地を訪れようとしたときの状況を報告する。

堰堤への入口自体は容易に見つけられる。
市道から分岐していて奥の方に堰堤と思しき土盛り部分が見えていた。


取り付け道部分は未舗装で、誤って車が入り込まないように単管バリケードが置かれていた。一見分譲前の私有地のように見えるが、先の方に堰堤へ上がるスロープがあって白いガードレールが見えていたので管理道と推測できた。[2]

単管バリケードから先は立入禁止になっていなかったので、ちょっと自転車を引き連れて偵察してみた。
殆ど訪れる人がないせいで草ぼうぼうだった。


余水吐は堰堤の南端にあり、三面張りのコンクリート水路となっている。
割と最近改修されたようだ。


さて、堰堤へ向かう階段だが…
その前にフェンス門扉があって南京錠が下りていた。


どうしても溜め池本体を撮影したければエイヤッと跨ぎ越すなりフェンスの切れている場所まで歩いて行くなり手段はあったが、そこまでの本気度はなかったし足元がくるぶしまで草に埋もれる状態だったので引き返した。

今のところ再訪の予定はないが、堰堤へ接近し池の全容を撮影できたなら本項目は溜め池セクションの独立記事に移動するかも知れない。溜め池への個人的関わりは何もなく、後述する地名への興味のみである。
出典および編集追記:

1.「宇部市|宇部市防災マップ」の西岐波地区防災マップによる。

2. 写真では伸びた雑草に隠れて見えないだけでバリカーの左側には色褪せた「立入禁止」の札が取り付けられている。
秋口になって草がなくなった後に判明した
《 迫田にある里道の坂 》
現地撮影日:2015/9/13
記事公開日:2015/11/30
情報この項目はかつて迫田坂として掲載していましたが、誤りが判明したために内容を書き換え市道の派生記事に差し戻しています。

本路線と山口宇部空港の立体交差するボックスカルバートをくぐったすぐ先の左に岡ノ辻方面へ上るやや急な坂道がある。


分岐点をポイントした地図を示す。


上記の地図では水路しか記載されていないが、実際には農道のような道がある。
相応な往来需要があるからかすべてアスファルト舗装されている。


そのまま登ると急過ぎる高低差を斜めに辿ることで勾配を緩めている。
市道側とレベルな位置にある家とは見る間に大きな高低差が生じる。


人の通路だけでなく汚水管が埋設されているようで随所に点検用の蓋が見えていた。


途中にあったポストコーンの残骸部分。
これはちょっと意味が分からない。坂の登り始め近くにもあった。


これは元々原付などの通行を阻止するのを目的に埋められるもので、お椀形の台座を路面に固定して中央にフレキシブルな棒を差し込んで使う。幅の広い歩道に車が乗り入れるのを防ぐ目的でも設置される。
この坂道は認定市道ではないが、地元負担でポストコーンを取り付けるとも思えない。坂が急なのに原付の通り抜けが多くて転落などの事故があったために地元からの報告を受けて市が設置したのだろう。

些かお節介ながら、通行を阻止するなら坂の上下両端に設置しなければ無意味だろう。こんな中ほどにあったら坂を下るときなら既に勢いがついている分だけ余計に危ない。棒状の部分がなくなっている現状でも台座部分は残っており、自転車や原付でタイヤを乗り上げれば転倒する危険がある。[1]

最後の方ほど勾配がきつい。


坂の上から振り返って撮影。
ほぼ直線である。


坂の上端はそのまま住宅地の道に取り付いていた。
入口部分には四輪が入れない程度の柵がしてあるだけで標識などは出ていない。


床波方面から自転車通学する一部の宇部高校の学生がこの道を「距離と勾配の中間的条件を満たす最適のショートカット路」として利用していたという報告を受けている。
床波から通う場合もっとも選択されがちなのは萩原から岡ノ辻へ上がって開に向かう経路である。これは距離は短いが途中に子落とし坂というもの凄い坂がある。国道190号で則貞方面を経由すれば坂は緩いがかなり遠回りになってしまう。この道を経由するルートは分かりづらいがかなり近道だし稼ぐべき高低差も少なくて済むという。

これは岡ノ辻交差点が周辺のほぼ最高地点であることに起因する。子落とし坂が思いの外厳しい登りに思えるのは、本路線の起点となる標高10m程度の位置から岡ノ辻の最も高い場所まで短距離で向かうからである。岡ノ辻交差点から黒岩方面へ進むと幾分下り坂になっている。このショートカット路は最高地点を避けてそれより若干低くなる黒岩寄りに出てくる分だけ労力を削減できている。

現在は舗装されているもののかつては未舗装だったのは明白だろう。坂の始まり口は変わらないだろうが、登り詰めた場所は現在住宅地の端になっているので、里道の経路はもちろん地勢も含めて当初とは変わっているかも知れない。

これは地理院地図の昭和49年度版航空映像である。坂を登り詰めた場所を十字の中心に設定している。


自然の水路はこの坂道より低い沢地を流れており、山の斜面をなぞるように登っている様子が分かる。
ここより南側で岡ノ辻と迫田および今村を連絡する里道は未知の跨道橋2ヶ所による経路と子落とし坂しかない。子落とし坂は現在バスも通る程度に広い道となっているが、2ヶ所の跨道橋を経由する里道は勾配がきつく経路も複雑なせいか現在は廃道となっている。

なお、この項目は当初本路線の派生記事として公開しその後に迫田坂として坂道カテゴリへ移動したが、歴史的に知られる迫田坂はこの坂ではないことが判明したため、再び派生記事へ差し戻している。迫田坂への里道は殆どが失われておりこの派生記事を作成する現時点ではまだ現地へ到達できていない。

前述の通り、この坂道も新興住宅地ができる以前から通行されていたと思われるが、名称や成り立ちなどは分かっていない。
《 自己路線中のショートカット 》
現地撮影日:2015/9/19
記事公開日:2015/9/27
例えばの話、市道の起点から終点までをコースとして設定したショートマラソンを考えるとしよう。殆どの路線では実直に走る以外ないのだが、本路線の場合はズルをこいてタイムを大幅に圧縮できるショートカットをいくつも見つけることができる。もちろんそのためには一旦コースアウトしなければならない。いくつかあるうちもっとも有望そうな場所がここだ。


地図でその場所を示そう。


マーカーで示した位置の太い道は後年臨空頭脳パークから直接山口宇部道路へ出られるように新しく造られた道で、マーカーの下側にある細い道は昔からある道だ。そして双方とも市道迫田長谷線という単一路線として指定されている。これほと近接しているのに相互に行き来可能な道はない。異なる市道同士でもこういったケースは稀なのに、同一の市道では恐らく市内で唯一だろう。

物理的に近いなら強引に通ってやろうという需要が出てくるもので、踏み跡が自然発生しがちである。つい最近のこと真に近道したい事態が起きて通り道を探した。そのときのことを時系列で書いておこう。

上の写真にあるように山口宇部道路を自転車で走っていて下を通る道へ降りたいと思っていた。
車なら律儀に臨空頭脳パークの中を通って市道片倉請川線へ出た後に引き返してこなければならない。これは数百メートルものロスである。前日は逆方向のコースを走り、そのときは素直に遠回りした。そして今日で2度目である。実際に自転車で走ってみると分かるが遠回りになるだけでなく無駄にアップダウンが多く大変に疲れる。それで自転車を抱えて歩くことになっても良いから近道したいと思った。

物理的に近接する場所はいくらでもあるが、さすがにフェンスで仕切られていたり高低差が大きい場所は自転車同伴だときつい。
そんな中で少し離れてはいるが、既に近道として「開拓されている」場所を見つけた。


ガードレールの切れ目に路上の雨水を流す竪排水路がある。その下にはコンクリート水路があって渡れるように板が置かれていたのだ。


地図ではまだ何も表示されないので分かりづらいが、新しく西岐波給食センターができたすぐ前のカーブだ。交通量はあっても殆どが車で周辺に民家がないせいか歩行者や自転車乗りの姿は見かけない。

道路からの高低差は2m程度ある。竪排水路は急勾配で徒歩でもちょっと足元が覚束ない。
しかしそこさえクリアすれば空き地を介してショートカットが成立する。


徒歩なら殆ど問題ないだろう。しかし自転車はかなり気を遣った。
板の幅が狭いし三面張り水路は結構深かったからだ。


自転車と共に渡った後に振り返って撮影。


降りた場所は砂利の敷き詰められた空き地だった。
私有地かも知れない。ちょっと道路まで通らせてもらおうか…


こうして古い道に到達した。
新しい道は山口宇部道路に向かって僅かに下っているのに古い道は逆にゆるゆると上っている。


古い道からでも今ショートカットしてきた場所はすぐ分かる。
かなりの労力は要るが数百メートルも遠回りするよりは断然マシだ。


道でない場所を強引に通るのでもちろん勧められない。相互に連絡する道がないのは新しい道ができてからまだ十数年程度しか経っていないこと、昔からの道も交通量が少ないからだろう。
散歩する人の姿は割と見かけるので、要望が多ければ連絡する階段程度なら造られるかも知れない。
《 迫田について 》
迫田は西岐波区の今村北に存在する小字である。
写真は岡ノ辻にある地元管理の岡ノ辻迫田公園の標識柱。


この公園名をはじめ認定市道の路線名、前項の迫の田溜め池にその名を遺している。現在の今村北という住居表示は平成期に入ってからのものなので、迫田という地名は最近まで使われ地元住民にも認知されているだろう。

迫田は古くから知られる地名で、地名明細書では西岐波村の今村小村に迫田(さこんだ)として収録されている。昭和期に作成された小字絵図でも迫ノ田と記載されている。この表記は溜め池名において現在も継承されている。
迫田と表記される地名は市内で他にもあるかも知れないが、この地に限定しての迫田は「さこた」または「さこだ」の読みが標準的かも知れない。元々は助詞の「の」を含んでいた地名が後年脱落したり読まれなくなる現象は現在ある芝中町の前身となる芝ノ中を筆頭格として非常に多い。「さこのた」から「さこんだ」への音便変化は通常起こり得る範囲である。表記は「迫ノ田」としつつも読みは「さこんた」が一般的だった可能性もある。実際どのように読まれているかは地元在住民の聞き取りを要する。

ただし助詞「の」を含む地名のすべてが「ん」に変化するわけではなくむしろ例外的である。この変化は前後に配された音に影響されるし地域性も存在する。東岐波にある古原田池は、地名明細書では率直に古原田(ふるはらた)として記載されているにもかかわらず現在も「ふらんだいけ」が最も一般的な読み名として通じている。美祢市西厚保町にある平沼田は「ひらんた」ないしは「ひらんだ」と読まれる。

迫田の由来は山間いの迫る地にある田という率直な地勢である。字迫ノ田は本路線の起点から山口宇部道路のボックスカルバート付近に至るまでの谷地すべて(迫の田溜め池の谷地も含む)にわたる。平成初期までは道路沿いに民家が殆どなく、両側から迫り来る狭く深い谷底に道が伸びる地勢がよく分かった。萩原側の斜面が一部削られ住宅が建ち並んでからは当時ほどの圧迫感はなくなっている。
【 一般名詞としての「さこんた」との関連 】
項目記述日:2017/4/9
現在では殆ど認知されないが、長い棒状の中央を固定して片方を足で踏み、片方にふいごや杵を取り付けて一定の運動を発生させ動力源として用いる機構を指して古くは「さこんた」と呼ばれていたようである。西日本の地区による方言では台唐(だいがら)と言った方が分かりやすいかも知れない。ただし台唐は専ら脱穀や餅搗きに供されるのに対し、さこんたはその用途を含む包括的な機構で、河川から水を汲み上げて田に導く用途にも使われた。

西岐波迫田地区でも古くは田に引水する目的で足踏み式の機構が使われていたという。片方を足で繰り返し踏み付けることで田へ水を汲み上げる。また、迫田地区は岡ノ辻へ抜ける古道の登り口があったところで、岡ノ辻までの坂は迫田坂と呼ばれていた。この古道の坂道は急な上に粘性土で足元が悪く、三歩進めば滑って二歩戻されるといった状況で、その足取りのさまが「さこんた」を踏む動作に似ることから迫田(さこんた)坂の名称が生まれたとする説もある。前述のように迫田は明治期以前から「さこんだ」と読まれていた証拠もあるのだが、さこんたという道具を用いたときの動作をなぞらえて迫田という地名が発祥したとする説には些か疑義が差し挟まれる。地勢的にも狭隘な谷間であり、迫(さこ)はそのような地形を表現するごく一般的な呼称だからである。

「さこんた」それ自体は西岐波地区で用いられた道具の特異的な呼称ではなく一般名詞と考えられることは、仙厳園の一角にある同種の用具「迫ン太郎」の存在から明らかになった。迫ン太郎(さこんたろう)はまさに上記のような台唐の端に水を受ける部分を取り付けて水の重力を杵の上下運動に変換する機構であり、動作的にみて同一のものと考えられる。詳細は以下の記事を参照。
一般記事: 仙厳園|迫ン太郎

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