佛坂隧道

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情報この記事は古道の佛坂隧道について記述しています。
中国縦貫道の仏坂トンネルについては こちら を参照してください。
記事作成日:2020/1/4
最終編集日:2020/5/21
佛坂(ほとけざか)隧道とは、美祢市宗国地区から佛坂垰のほぼ真下を穿ち宇部市柳小野地区へ出る素掘り隧道である。
写真は宗国側から撮影した隧道入口。


位置図を示す。


宗国地区にかつて存在した鉱山や、更に北側の長登銅山からの産出品を小郡方面へ搬出する需要の元に宗国在住の有志たちによって掘削された隧道であり、それ以前は佛坂垰の厳しい上り下りを強いられていた。明治16年(1886年)竣工の記録があり、往来用の隧道としては県内で最も古い。[1]
《 現在の状況 》
現在も里道となっており、宗国地区から隧道まで物理的には四輪も通れる幅の未舗装路がある。隧道周辺は湧水が極めて多く、入口に水が溜まっている。また、内部10m程度のところで天井が崩落し破砕岩が積もっている。ただし閉塞しているわけではなく物理的には跨ぎ越しての進攻は可能。

宇部側は中国縦貫道建設により古道部分が丸ごと喪われており、斜面に唐突に隧道出口が生じる形となっている。市道柳小野宗国線に接続されるものの、この市道自体は終点付近が仏坂トンネルへの管理道に繋がっており古道と同一視されない。終点より佛坂隧道の坑口まで水平距離は100m程度と思われるが、高低差は20m程度あり、未だ宇部側からのアクセス路が確立されていない。

杉の植林などで地元在住者がたまに立ち寄る程度で、人里遠く離れた地にあるため案内板は元より里道自体がかなり荒れている。隧道は立入禁止にはなっていないが、暗がりに伴う転倒の怪我や野生動物との遭遇などの危険があるため、単独行動は勧められない。以下の内部と柳小野側坑口の写真は、随伴者の協力を得て撮影されている。
【 宗国側坑口 】
佛坂垰のほぼ真下に堀割を設け、地盤が充分に安定した露岩を穿っている。断面は正方形に近く人がほぼ立ったままで通行可能な高さをもつ。


隧道の長さを切り詰めるために可能な限り岩を切り下げて切り通しを造り、上部の被り厚が充分になったところで隧道の形にしている。
【 内部の様子 】
全面が露岩で吹き付け施工はいっさいされておらず掘削された当時のままの姿である。沢地に堀割を造ったせいか湧水量が極めて多く、坑口前から内部にわたって大量に溜まっている。

宗国側より10m程度のところに崩落があり、そこを越えると柳小野側に向かって下りとなる。洞内は乾燥していて障壁は何もないが、下地に土砂が殆どなく露岩のため転ぶと怪我をする。


通行されなくなって年月が長いせいか人工物(ゴミなど)は殆ど見られない。隧道の半分以上の区間が日の光が差し込むことのない永遠の暗闇である。そのような区間には(佛坂隧道に限らないことであるが)コウモリやゲジが壁や天井に潜んでいる。
【 柳小野側坑口 】
先述のように現在のところ宇部市柳小野側へ到達するには隧道内部を通る以外の手段がない。坑口は仏坂トンネル建設の影響を受けてコンクリート吹付けされている。


柳小野側坑口を出た先は数メートル四方の平坦地が遺るだけで道がまったくない。コンクリート吹付けの法面も昇降用の設備はなく、佛坂垰までよじ登る手段もない。再び隧道内部をくぐって引き返すのみである。
《 考察 》
以下は手持ちの情報と現地で観察した範囲で導き出された推論である。
【 勾配と線形 】
宗国側から入坑した場合、土被りが最も大きい峠の下へ至るより手前までほぼフラットであり、それより先は下り勾配である。勾配は一定ではなく場所によっては数パーセントの傾きに及ぶ。線形も不定形に蛇行しているため反対側の明かりは相互に見えない。扁額などはなく岩を穿ったのみである。このことより隧道自体にも固定された名称はなく、その形状や明かりが見えないことから「への字トンネル」「目かくしトンネル」などと呼ばれていたようである。[2]

この勾配と線形の不定さは、精密な測量なしに掘削された所以とされている。実際に峠越えをしてみると分かるように、佛坂垰は典型的な片峠で宇部側の標高が極端に低い。したがって宇部側坑口をできるだけ低く造った方が小郡から大八車を牽いて登るときの労力が少なくて済む。他方、あまり低くすると隧道が長くなってしまう。柳小野側では峠越えの古道から近い場所に接続する必要があるので、あるいは柳小野側からも掘ったのかも知れない。
【 工事に関与した人々 】
宗国地区の有志によって掘削されており、これには宗国鉱山を始めとして美祢市側に鉱石搬出需要が高かったためと推察される。柳小野在住者による工事関与の記録は恐らくない。工事費や労務の提供はなかったが、柳小野側に坑口を設ける以上用地の提供が生じた筈である。

柳小野側の在住者にとっても宗国側への往来需要が皆無だったとは考えられず、隧道の掘鑿によって旧来の峠越えより楽になることは明らかなので、少なくとも工事への反対はなかったのではと推察される。
【 中国縦貫道建設の前後 】
佛坂隧道のすぐ北側を中国縦貫道が通じている。道路建設で隧道はどうにか温存されたが、柳小野側の地形が著しく改変され古道が消失している。佛坂隧道自体にも影響が及び、仏坂トンネル周辺の法面処理工事で現在はコンクリート吹付け面の端に柳小野側の坑口が存在している。法面を削る過程で佛坂隧道の坑口付近が切り崩され当初より長さが短くなっている可能性もある。

縦貫道建設時には既に北側の二本木峠を経由する県道が完成し、主要な往来はそちら側に移っていた。モータリゼーション黎明期のことでもあり、古道の往来需要は殆どなくなっていた可能性がある。そうは言っても里道(赤線)の重要性は令和の現代よりも遙かに高かったので、佛坂隧道や接続される柳小野側の里道が工事の影響を受けることに関して議論が起きた筈である。

柳小野側は市道柳小野宗国線によって中国縦貫道の下をくぐるボックスカルバートまで通じている。しかし現在の市道の経路は、特に後半部分において古道とはまったく無関係であることが最近確認された。佛坂隧道の柳小野側坑口は中国縦貫道の南側にあるので、古道がボックスカルバートをくぐると佛坂隧道へ至るのに再度中国縦貫道の上を跨がなければならない。このことに関して、柳小野側の古道は中国縦貫道建設ですべて喪われたのではなく、隧道からの接続がなくなっただけで未だ山の中に遺っていると考えられている。これは客観資料による推論であり、実地の踏査が予定されている。(→佛坂古道
2011年12月に初めて現地を訪れたときのレポート。所在地は特定できたが、堀割部に伐採された杉が投げ込まれていて坑口まで到達できなかった。また、峠部分も訪れて古道が分断されているらしいことを確認している。
時系列記事: 佛坂隧道【2】
2019年に再訪したときのレポート。初めて坑口へ到達し全容と内部を窺うことができたが、大量の溜まり水で内部への進攻を断念している。全2巻。
時系列記事: 佛坂隧道・第2次踏査【1】
なお、この地を訪れたのは通算2度目だが、隧道の本体をキチンと観察できたのはこれが初めてであるためファイル名は hotokzaka1 としている。

同年に山口ケーブルビジョン「にんげんのGO!」編成部の松田氏と下見に行ったときのレポート。運営しているFBページに前回訪問時の写真を載せることで関心を示され、湧水対策をした上で臨んでいる。全3巻。収録画像30枚。文字数約17,000文字。(2020/5/15脱稿、5/21配信開始)
時系列記事: 佛坂隧道・第3次踏査【1】
同上のロケ時の時系列レポート。「にんげんのGO!」のレギュラーメンバー全員で現地を訪問した。概要は個人的関わりを参照。
時系列記事: 佛坂隧道・現地ロケ
なお、第3次踏査レポートについては後述する登録会員向けの有償記事として配信されるため、当サイトではダイジェストのみを公開する。
【 限定公開記事ダイジェスト 】
以下に上記限定公開記事の主要300文字(但しタグや埋め込みオブジェクトを除く)を掲載する。
私がFBページにアップロードした佛坂隧道のおどろおどろしい映像を目にして、山口ケーブルビジョン「にんげんのGO!」ディレクターの松田氏が反応した。ページへのコメントやメッセージではなく私の携帯に直接連絡が入った。
「昨日あっちのページに上がったあの洞窟みたいなの…あれ凄いですね。」
私はやはり…と感じ内心ニヤリとした。折しも「にんげんのGO!」の次企画として県内のトンネルを題材とした”隧道どうでしょう”が案内されており、面白そうな物件を探していると聞いていたからだ。そこへ来て県内最古の素掘り隧道となればトンネル企画においてインパクトは充分であり、しかも宇部市柳小野を結ぶという意味で「宇部マニアッ…
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外部サイト: 「凜」RIN - 友の会
出典および編集追記:

1.「ふるさと小野 史跡案内」
往来用ではない隧道(灌漑用水導水など)では更に古い事例がいくつも存在する。

2.「わが里の故きを温ねて」(平山智昭著)p.74〜75
《 個人的関わり 》
遠隔地の物件であり、当然ながら自力で見つけたものではなく他者による情報源を元に存在を知って現地を訪れている。その正確な時期は今となっては判然としないが、かつて運営していた Yahoo!ブログに一つも記述がないことから、地域SNSを始めるようになってメンバーから寄せられた情報が元と思われる。

注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

・2019年12月に市道柳小野宗国線の写真撮り直しを兼ねて宇部市柳小野地区側から徒歩で進攻した。沿線沿いにある民家で佛坂隧道までのアクセス路を尋ねる積もりでいたが不在だった。中国縦貫道のボックスカルバート手前から左へ分岐する道に、初回踏査時では分からなかったブロック積み擁壁を見つけている。しかし佛坂隧道とは別の谷地に向かっており、里道であるにしても関連性は恐らくない。縦貫道建設によって完全に古道の往来が断たれたか、それとも別の代替経路ができていたのかは地元在住者からの聞き取りを要する。

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