仏坂トンネル

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情報この記事は中国自動車道に属する仏坂トンネルについて記述しています。
近くにある古道の仏坂隧道については こちら を参照してください。
現地踏査日:2011/12/23
記事公開日:2011/12/28
仏坂(ほとけざか)トンネルは中国自動車道にあるトンネルで、宇部市と美祢市を隔てる分水嶺を穿っている。
これはトンネル中央部を中心点とする航空映像である。


地図モードに切り替えると分かるように、この近辺では宇部市・山口市・美祢市の3市が頂点で接している。小郡I.C.を出て西に向かうと、中国自動車道は一旦宇部市入りし、山裾を1kmほどなぞった後に仏坂トンネルを経て美祢市に入る。
したがって「中国自動車道は宇部市を通っているか?」の答はイエスとなる…宇部に関するローカルクイズの頻出問題なので覚えておくと良い

11月下旬入りした寒い日の午後、私は仏坂に纏わる古い物件を踏査するために北へ車を走らせた。その途中(と言うか殆ど現地と一致するのだが)で仏坂トンネルの美祢側坑口付近を通るので、立ち寄ることにした。

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宇部市の最も東側にある市道柳小野宗国線を踏査した後、私は市境を越えて美東町側へ入った。
小野区の品地という集落から峠越えの道があることを確認していた
美東町入りすれば既に中国自動車道が見えているので、あとは自動車道に沿って大きな沢を遡行する砂利道を進むだけである。


初めてでも迷うことはなかったが、如何せん途中の道はかなり酷かった。
写真では何処の田舎にもありそうなダブルトラックの未舗装路に見えるが、栗石ゴロゴロな区間がかなりあって車でも低速走行を強いられた。そんな砂利道が延々と続いていつまでも沢の先端部分に到達しないのでうんざりさせられた。我がひ弱い自転車だったら、あんな道を乗って走ったら絶対パンクするだろう。

やっと沢の幅が狭まり自動車道と未舗装路が接近してきた。そこで大きく左へ曲がって自動車道の下をくぐる経路と直進する山道に分岐していた。
今の未舗装路も相当荒れていて車通りが少ないのだが、直進する山道は更に通行量が少なそうだ。


直進の行き先は分かっている。むしろそっちの方が本命なのだが、今は自動車トンネルの坑口を観たいので左へ曲がった。

面倒なので乗ったまま撮影している。
”小郡18”というカルバート番号が参考になるだろう。


ボックスをくぐってすぐ右へ折れる道があった。未舗装路だが農作業での通行需要があるらしく周囲は草刈りされていた。
自動車道の路肩にトンネル情報を告げる電光掲示板が立っている。
何も表示されていなかった


未舗装路は徐々に高度を上げて自動車道のレベルに追い付いた。
制限速度の電光表示があり、先の方にトンネルの坑口が見えている。


車を乗り入れても先で転回できる保証はないので、適当なところで車を停めた。どのみち私が撮影する短い時間にこの農道を通る軽トラなど居ないだろうから、道のど真ん中に放置し、カメラだけ持って車を降りた。

寒い。
さすがに街中とは寒さが全然違う。気温は一ケタ台だろう。風でも吹いていたらもう踏査どころではなくなっていただろう。

農道はトンネルの坑口を前にして左へ逃げていた。
トンネルの土被りはそれほど厚くはない。それほど長くないトンネルなので山口市側の明かりが見えている。


相手は自動車専用の高速道だ。歩行者や自転車などが立ち入る隙があってはならないので、フェンスはきっちりしていた。この場所では農道とトンネル坑口の間に深い側溝があって近づくことはできなかった。


仏坂トンネル
Hotokezaka Tunnel
長さ 210m
坑口の真下に羊のイラストをあしらった485の数字は距離標である…何故に羊なのかは分からない^^;


振り返って撮影。
農道、自動車道ともかなりの登り坂になっている。高速走行実現のために自動車道は遠くから登り始めることで縦断勾配を緩めている。


反対側を撮影。
堀割の深さが物凄い。段切りされた小段が延々と山の頂上まで続いている。


逆光を避けてズーム撮影してみた。
小段は10連続以上あるから50m以上を掘り割っていることになる。
冒頭の航空映像でもこの部分がハッキリ見える


それにしても昇降用の梯子があるということは、管理目的か何かで一番上まで登ることがあるのだろう。
下から休み無く一気に頂上まで登るとすれば、かの悪名高い間上発電所の急階段といい勝負かも知れない。
拷問級な階段や梯子を観るたびに引き合いにしてしまう…^^;

そして自分が今居る側の堀割にも同じアルミ梯子が掛かっていた。


梯子を途中まで登って高い視座から撮影してみた。


梯子には昇降を阻むチェーンなどはなかったので、労力さえ厭わなければ最上段まで登って見下ろすショットが撮れた。しかし本命の踏査はこれからで無用な体力を使いたくなかったし、何よりも高速車両がひっきりなしに行き交う交通の大動脈を前に、とっても目立つ切り通し斜面の梯子に登ってカメラを構える度胸などなかった。

車に戻り、ここまで進攻するとき転回できそうだと目鼻をつけていた場所までバックで戻った。
しつこいようだが車でも歩行でも元の位置に戻れるかの確認は常に必要

再びボックスをくぐり、先ほど入口の確認だけ行って通過した草地の道に乗り入れた。


ここから”本命の物件”は近いと思われたのだが、まあ慌てることはない。先に下り車線側からもトンネルの写真を撮っておこう。

坑口の真横である。まるで正月に玄関を飾る門松の竹の切り口みたいな形だ。
正月が近いのでついソッチの方に発想が向かってしまった^^;

高速道路ではトンネルや橋はランドマーク的役割を果たすので、大抵はキチンと名称を記した標識が道路脇に立てられている。その代わりにトンネルの上部に扁額がない場合が多い。
もっともトンネル坑口付近の内部に諸元や施工業者などを記したプレートが設置される

振り返って撮影。
トンネルに入る前で上下線が離れているため、緩衝地帯ができている。そこに美祢市の市境標識が立っていた。


下り車線を西に向かって走る車は、実際にはトンネルを抜けきる前に美祢市入りしている。しかしトンネル内部に市境表示板を出しても分かりづらいのでトンネルを出た先に立てたのだろう。
外国人旅行者が Mine City の表記を観れば「美祢市」ではなく「鉱山都市」と解釈するのでは…当たらずと言えども遠からずというのが面白い


坑口の真上は平場になっていて、フェンスはその手前で折り返していた。


フェンス近辺は物凄い藪で寄り付きならない。これが限界だった。
恐らくポータルを造るときコンクリート搬入路として使われ、最後に流用土で平坦に埋め戻したのだろう。


トンネル名の仏坂は、紛れもなくこの近辺にある仏坂の隧道および山越え部分から来ている。しかし仏坂という命名そのものの由来が何であるかは、これから取り組むべき課題の一つになるだろう。

撮影の合間もひっきりなしに普通乗用車や大型トラックが行き交っていた。
僅か200mちょっとのトンネルなら、どの車両も例外なく秒単位で通過してしまう。その傍らではるか昔、人がどうにか通れる程度に岩を削って造られた隧道が特に語り継がれることもなく自然に還ろうとしていたのであった…
それでは…
行ってみようか…
(「仏坂隧道(初回踏査・美祢市側)」へ続く)

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