私にとっては仏坂隧道そのものが初めて訪れる場所だった。その古さ故に覚悟はしていたが、隧道そのものの荒れ様よりも周囲の環境の悪さが気になった。過剰とも思えるほどの湧水が足元を悪くしていたのは仕方ないにしても、伐採された樹木が隧道に至る堀割部分へ乱雑に投げ込まれている現状に些か興ざめした。
この隧道は文化遺産として認識されていないのだろうか…
予備知識として私の手元に送り届けられた映像によれば、坑口は機械のない当時、掘鑿するにも大変な労力が要ったであろうと思われる全面的な岩盤だった。少々のことでは閉塞したり落盤したりはなさそうだが、堀割部分に放置された伐採木が自然のダムとなり、坑内の自然排水を妨げているのは明らかだった。恰も一般人が目にして中に入ると厄介な事故の元になるから…と隠しているようにも思われた。(時期が至れば片付ける予定なのだろうか…)
いずれにしろ坑口全体の遠景が撮影できないので、まともな写真を望むなら伐採樹が片付けられるまで少し時期を置く以外ないと思った。もしかすると割と最近伐採したばかりで、年明けには片付けられるのかも知れない。
一旦撤収したが、すべてを諦めた訳ではない。隧道があって閉塞していないなら、反対側がある。峠を越えてここから直接宇部市側の坑口にアクセスすることを考えた。
伐採樹のせいで坑口には到達できなかったが、プラスな面もあった。
伐採作業で自然に生じたのか元から峠を越える経路があったのか、踏み跡が生じていたし地山部分が見えているので地形がよく分かった。特に坑口の上は峠らしいきれいなV字形地形を形成している。
伐採され歩きやすくなった山道を進む。
隧道へ向かう経路は全く高度を上げる努力をせず山肌に向かっている。まるで常盤用水路の隧道を思わせるものがある。
坑口の末端部分。撮影場所からの高低差は目測で6m以上。
坑口部分は頑丈な一枚岩のようで、容易に崩落してしまう恐れはなさそうだ。
ちょうど隧道の上を越すように峠道ができている。
隧道は峠より10m程度低いだけなので、峠の高度を切り下げるだけではなく荷車程度を通せる幅と勾配の道を求めていたのだろう。
隧道のほぼ真上にある最高地点。近くで眺めたとき思わずおぉーっと歓声が上がった。
もしこの場所に仏坂峠という名前が冠せられていたなら、とても秀麗で典型的な峠の外観を呈する場所だ。越えていく旅人や行商人の労力を少しでも軽くするために、最高地点を切り下げたと思われるV字形がきれいに描き出されている。自然の地形として形成されたとは考えづらく、隧道以前の古道だったと信じたいくらいだ。
伐採のお陰でV字形の堀割がハッキリ視認できるのは収穫だった。
その先はもう遮る斜面や尾根はなく、かなり明るい。
ところが…
典型的な峠らしい地形の先には、どうにも納得いかない光景があった。
道がない!!
突拍子もない表現だが、V字形の堀割はそこで突然、地面を失っているように思われた。
行く手には伐採から逃れた木々が数本遺っていて、すぐ下は明らかに人為的に造られた急斜面になっていたのだ。
急斜面と言うか、見たところ殆ど崖である。
下の下の方に中国自動車道が見える。
気が付けば物凄い高低差がついていた。。
中国自動車道の道路敷まで少なく見積もっても20m以上ある。
古道はどうなったのか…
宇部市側の隧道坑口は何処にあるのだろうか…
できることならここから下ってみたかった。他に降りる場所はあるかも知れないが、少なくとも直接ここから降りるのは絶対に無理。あまりにも危険過ぎる。宇部市側の隧道坑口は何処にあるのだろうか…
自然の傾斜地ならまだどうにかなろうが、あろうことか45度程度の角度でコンクリート吹き付けの斜面になっていたのだ。昇降用の階段もタラップも見当たらず、元から人が接近することを想定していないようだ。
(仏坂トンネルの美祢市側坑口にある堀割にはアルミ階段が設置されているのに…)
進行できる限界地点から振り返って撮影。V字の堀割部分からいくらも進んできていない。そしてこの先の何処にも踏み跡を見つけることができなかった。
地形的にはかなり仏坂隧道以前の山越えの道を思わせる要素がある。しかし伐採作業で往来する人々によって自然に踏み固められたようにも思われ、今一つ断定できなかった。
先へ進む方法がまったくなく、引き返さざるを得なかった。
強引にあの斜面を下ろうとするなら相応の覚悟と時間、下降経路の検討が必要だ。どのみち今日のような天候では満足いく写真が撮れそうな環境でもなく、初回踏査の段階では致し方ないとも思った。
峠に向かう道と隧道の堀割を振り返って撮影している。
峠越え部分は牛車も押せないほどの勾配だが、堀割部分までは整備さえすればここまで車を乗り入れられる程の勾配と幅だ。
元から沢筋の伸びる部分を利用して限界まで深く掘り割り、隧道の長さを切り詰めたように思える。
この場所でパノラマ動画撮影をしておいた。
[再生時間: 28秒]
美祢市側は車でも直前まで近寄ることができる位なのに、宇部市側の嶮岨な地形が際だつ。中国自動車道が斜面を削り取ってコンクリート吹き付けに変えたことを差し引いてもである。古道は何処を通していたのだろうか…
一旦これで撤収だ。
ひとまずデータを持ち帰ろう。アジトからは遠いが、作戦を練って再来できる場所だ。
(右側に見える白い立て札は罠設置の注意書き)
宇部市側の踏査では全く何の成果も得られず、そして美祢市側でも坑口の写真がなく峠を越えた先の踏査も成らなかった。如何にも消化不良な踏査だから、せめてもう少し考察を加えなければなるまい。
これは隧道の坑口を中心点にポイントした拡大地図である。このように、地図では美祢市側の坑口と推測される記号が明記されており、古道の隧道として認識されていたことが窺える。
(現在なら明らかだが市境を挟んで地図に記載されている坑口2つは繋がっていない…宇部市側のはボックスカルバートに至る入口である…そもそも両坑口の標高差が全く異なる)
これを元に、古道の経路と宇部市側の坑口の予想図を書き込んでみた。
宇部市側では市道柳小野宗国線を歩行踏査し、ボックスカルバートをくぐって●印の平場で完全に先の踏み跡を失った。先では今までの幅の道はもちろん、獣道レベルの踏み跡すら見つけることはできなかった。そのとき「市道は単なる未成線で古道とは経路が違うのだろう」と自分なりに結論付けて引き返した。
しかし今となってはこの市道が仏坂隧道を通る古道とするなら、先のルートとしてここ以外有り得ないと考え直している。ボックスカルバートまでは幅広な道がありながらその先で全く踏み跡を失っているのは、次の理由のどれかまたは複合要因ではないかと考える。
(1) 中国自動車道のトンネル管理用としてボックスカルバートまでは管理道として整備された。
(2) ボックスカルバートから先はアスファルト舗装されなかったので急速に自然へ還った。
(3) 仏坂トンネル上部の法面工で古道が分断され通れなくなった。
仏坂トンネルの配電室は宇部市側坑口にある。(2) ボックスカルバートから先はアスファルト舗装されなかったので急速に自然へ還った。
(3) 仏坂トンネル上部の法面工で古道が分断され通れなくなった。
(地図では上下線の間に見られる建て屋)
メンテナンスが必要なときは直接中国自動車道を走れば済むが、I.C.のある小郡や美祢から乗り入れるのは非効率的である。そこで市道柳小野宗国線がトンネル配電室の管理道として整備された。行き止まりながらボックスカルバートまでは場違いにアスファルト舗装路となっている理由になると思う。
(道路公団からの補助があったかも知れない…)
ボックスカルバートから先にも古道があったのかも知れないが、トンネル管理上は無用だ。そのため整備されることなく、仏坂トンネルの施工によって改変された上に元から通行人がなくなれば廃道化が進むだろう。
特に古道の原形を不明瞭にさせている最大要因と思われるのが、仏坂トンネル上部の法面工だ。古道はボックスカルバートから先、仏坂まで高度を稼ぐために山の斜面を縫いつつ宇部市側の坑口に向かっていたと推測される。先の地図で航空映像モードにしても分かる通り、仏坂トンネルの宇部市側坑口の上部は崩落防止のためか一面にコンクリート吹き付けが施工されている。遺憾ながら、仏坂トンネルを施工する際に古道は分断され失われてしまったのではないだろうか。
地図に表記されている仏坂隧道の美祢市側坑口の位置が正しいと仮定すれば、標高から勘案して宇部市側の坑口は■で示したあたりを予想する。隧道の伸びる方向からすれば、既に削られコンクリート吹き付けとなっている灰色の領域内にあってもおかしくないのだが、隧道は現存し宇部市側に抜けられるという情報に基づけば、この施工部分を避けた位置にある筈だ。
(極端な話コンクリート吹き付け領域内にポツンと取り残されている状況もあり得る)
以上は地図を眺め、現地で得られた限りの情報を元に推察したものである。この仮説が覆される可能性は大いにあり得るだろう。
日柄が整えば、この仮説を元に宇部市側坑口の存在を確認しに第二次踏査を行うことになるだろう。
ただしここで遂行可能なのは、失われた古道の経路を推定することと、仏坂隧道の宇部市側坑口の位置を特定することにとどまる。隧道内の歩行踏査は遺憾ながら一筋縄ではいかない。どの位の長さを持つ隧道か分からないし、内部は明白に滞水しているので、足元を確保する長靴とサーチライトが必須だろう。内部の状態が不明なうちは、単独踏査は危険だ。
できることならスコップ等の器具を持ち込み、坑口前の夾雑物を除去して隧道内部の排水を実行できればと思う。名所に祭り上げる必要はないが、と訴えておきたい。
終