松崎の用水路・第一次踏査【2】

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(「松崎の用水路・第一次踏査【1】」の続き)

水路には殆ど水が流れておらず木の葉が著しく堆積していた。スニーカーでも浸水しないことを確認して水路に降りてカメラを構えた。遠い奥に明かりが見えているだけで隧道の中は何も見えない。

導水隧道に限らず、穴蔵の入口部分へ立って撮影開始する前にかならずしておくべき動作がある。私はわざと足下の枯れ草をガサガサさせて声を発した。夜行性の小動物などが潜んでいる可能性があるからだ。たとえ小ダヌキ程度でも勢いよく飛び出して来たらびっくりするし、体当たりの怪我はなくても驚いて転倒するかも知れない。
穴の奥から何の反応もないことを確認して、まずはカメラを構えた腕だけ大きく伸ばしてシャッターを切った。

最初のワンショット。
フラッシュを使わず外部からの自然光だけで撮っている。
不慣れなカメラでありフラッシュ強制オンの操作が分からなかった


ポータルの造りからは想像と異なるのだが、
素堀り隧道である。
レンガ造りはポータル部分のみであることは分かるとして、内部は数メートルほどがコンクリート巻きなだけでその奥は素堀りだった。もう少し奥の状態を知りたい。それにしても当然ながら内部は真っ暗だし天井や壁に不快害虫がくっついていそうなのも気になった。

あと一歩踏み出して思い切り両腕を伸ばして撮った一枚。
水路の底がかなり高くなっている。側面の素堀り部分が崩れた結果だろう。


隧道は直線で長さは100m程度だろうか。奥の素堀り部分はコンクリート巻き部分よりも径が数十センチ大きい。補強目的で後から部分的にコンクリ巻きにしたように思える。

当然ながら次の興味は隧道の反対側だ。
一体何処に続いているのだろう…
昨日、写真でこの物件を見たときには秋富重太郎による請堤への導水隧道を疑った。そして場所が岩鼻公園の裏手、松崎にあると聞いてその可能性が濃くなったと考えた。それでありながら、現地での観察結果はそれらの憶測をいちいち否定した。
(1) 隧道や水路の位置があまりにも高い。
(2) 浜田から請堤への導水経路と考えるには不自然。
(3) 末端部が円筒状の井戸で終わっている。
これが浜田で堰いて請堤に導水する水路だったとすれば、現在位置は水路の経路として「あり得ない高さ」だ。汐差川の水をここまで高低差のみで導くなら、相当に上流で堰かなければ流れては行かない。県営の常盤用水路のように末信ポンプ所で動力を用いて押し上げるのなら可能性はあるだろう。例えば自然流下できる一番低い場所まで水を導き、そこからポンプアップしてこの円筒井戸の下から湧き上がっていた…という原理も考えられようが、竣工時期は明治期なのだ。そんな高尚な仕組みの筈がない。
隧道の方向も導水路として納得いかないものがある。精確な経路は不明なものの資料によれば浜田で堰いて松崎を回して…とあるので、どうしても必要な隧道箇所があるなら斜面がもっとも急峻な岩鼻駅の裏手あたりが予想される。しかしこの隧道は厚東川から大迫池を結ぶように掘削されている。これは想定される導水経路の一部になるどころか、むしろ直角に横切る方向なのだ。

明治期に導水隧道を掘ったという記録は確かに存在し、場所的にもほぼ一致する。特に現在の松崎町を通っていたことはほぼ疑いない。そして報告のあった隧道ポータルも明治期に成された大工事に相応しい立派な外観だ。
円筒状の井戸になっているのは不要になったための後年の改変とみなすとして、もし秋富氏による導水隧道ならこの先が浜田まで繋がっているのだろうか…いや、逆に請堤へ向かっているのかも知れない…
見つかるものが矛盾だらけで今ひとつも二つも決め手を欠いていた。そもそもこの灌漑用水路がどちら向きで流れていたのかさえ断定ができなかった。

分からないことだらけな状況にしろ、確かに言えることが2つだけあった。一つは答えに近づくためにはこの隧道の反対側を調査する必要があること、もう一つはそこを調べるにしてもこの隧道の中をくぐって行くのは命を危険に晒すリスクが大きいということだ。
隧道内部に崩落で生じた土砂が堆積しているのは目視できた。経年変化で少しずつ崩れて溜まったのは明白で、強度はとても信頼できない。仏坂の素堀り隧道のように岩をくり貫いた形跡が明らかならまだしも、隧道内部は玉石のような砂利がみられる。落盤する確率は低いとは言っても起きてしまえば人生終わりだ。
もっとも現地の自分は端から内部を通ろうなんて考えの微塵も起こらなかった。反対側の明かりが一部反射して見えるということは、隧道内の何処かで滞水している。仮に隧道の強度が問題ないにしても靴を濡らさず通り抜けは無理だからだ。

ここまでの踏みつけ道は円筒井戸のところで終わっていて何処にも通じている気配はなかった。
尾根を越えて反対側へ移動する以外ないと腹をくくり、隧道ポータルのすぐ横から登攀を開始した。


斜面はかなり急な上に落ち葉が多く、手がかりに使える樹木も乏しかった。足下が危ういのでカメラ構えながらというわけにはいかず、ポケットへ仕舞い込んで両手両足を駆使した。

見る間に先ほどの円筒井戸が眼下で小さくなっていく。
隧道を出た先で水路がいきなり円筒井戸で終わっているのがよく分かるだろう。


気温高めに推移する気候で風も殆どなく、着ているジャンパーのせいですぐ汗びっしょりになった。ここまでの道中の自転車で厳しい向かい風に遭っていたせいかかなりきついタスクだった。
やはりこの種の肉弾戦的踏査は身体の動くうちにやっておかないとと痛感した次第…

垂直高で10m程度登ってきたところで尾根伝いの踏みつけ道に出会った。
もちろんどこから来て何処へ繋がっているかは分からない。


踏みつけ道を横切った反対側も同様な下り急斜面になっていた。
これを降りていけばあの隧道の反対側に行ける筈ではあるが…


ざっと観察した限りでも反対側の沢地も同じくらい傾斜がきつかった。ここまでの労力を考え合わせて、今すぐ反対側を下るのは自分の体力に相談して厳しいと感じた。別の踏みつけ道に出会ったなら、もしかして労力少なくして訪れる手段があるかも知れない。それで先に周辺の道を下調べしようと思った。言い換えればすぐ次の下り行動へ移れないほど体力を消耗する登攀だった。

まずは浜田側を向いて尾根伝いの踏みつけ道を歩いた。
程なくして視界が開けたので自分の居場所を知ることができた。


西宇部線の鉄塔だ。この先行き止まりの表示板があった場所から既に見えていた。
どうやらこの踏みつけ道は鉄塔管理用の索道らしい。


前編でも少し触れたように西宇部線の鉄塔は去年のこと旧来の箱形鉄塔から現在の二導体タイプに建て替えられている。更新前は今ほど明瞭な索道はなかったと思う。
会合への出席時間まではまだ余裕があった。別便でここまで歩いて登り撮影しに来るのも大儀なのでちょっと鉄塔の撮影に寄り道した。

== 数分が経過.. ==

歩いてきた索道を引き返している。
先ほど強引に登ってきたのはこの辺りである。


そこはほぼ尾根伝いに進む踏みつけ道の中で鞍部に当たる場所だった。尾根に対し両方から直角に沢が伸びていてその下を隧道が通っているので、水路隧道としては順当な位置選定ということになる。
水路と隧道がある以上、管理する作業が必要になるから反対側のポータルにも接近できる道がある筈だ。そこで踏みつけ道が何処へ向かうかの探索も兼ねて逆方向へ辿ってみた。

鉄塔とは逆方向の区間はなかなかに長かった。大したアップダウンはないが途中で一ヶ所大きくカーブする場所があった。枝道は個人所有の畑に降りる道以外見つからなかった。

最後に少し起伏を登って再び視界が開けた。
ああ…ここへ出て来るのか…が分かった瞬間だ。


何年も前に訪れたことのある岩鼻公園の最高地点である。ここには東屋が設置され国土地理院の設置した三角点が近い。もっとも周囲の樹木が伸びてしまったせいか眺めはあまり効かずここまで訪れる人は少ない。自分も過去に一度訪れたきりである。
東屋スペースへ出てきた途端、強烈な日射が降り注いできた。暖かいを通り越してちょっと暑いなーと感じるほどだ。

ショルダーバッグの中でメールの着信音があった。さっきの速報メールの返信だろう。
しばしベンチに寝っ転がるだらしないスタイルで休憩だ。
さすがにこういう写真は小さめのサイズで良いだろう…


== 再び数分が経過.. ==

さて、時間はあると言ってもあんまり余裕をかましてはいられない。先ほどの隧道の反対側をどうするか決断が要る。体力を要するが降りてみるのか、それともカメラが無事に戻って来るまでお預けにするか…踏みつけ道を引き返しつつ考えていた。

隧道に沿って反対側の沢を下るならここがスタート地点だ。
当然踏み跡などない。手がかりとなる樹木は適度にあるがかなり厳しい下り勾配だ。


かなり目立つ大きな沢なので、隧道があるのとは異なる沢地へ降りてしまうリスクは小さい。他方、この後は午後の会合を控えて再び自転車で戻る体力をキープしておく必要があった。当然ながら下って隧道の反対側へ到達した後は、同じ場所を登って来なければならない。
4月入り前は藪漕ぎのラストシーズンである。下旬になるとそろそろ葉の裏に不快害虫が目立ち始める。5月にもなれば、虫嫌いな向きは管理された山道以外は歩けなくなる。そして実のところ一体いつになったらカメラが修理されて戻って来るものかこの時点では分からなかった。

まあ、自分のカメラが修理から戻ってきたらどのみち再度来なければならないだろう…ダイジェストだけでもいいから反対側のポータルを撮影したい。最初の報告者となったうちのメンバーも反対側へは到達していないと話していたので。

下降を開始する。
斜面の勾配は殆ど45度で大量に枯れ葉が積もっていて如何にも足下が覚束なかった。


隧道が現れるのはこの沢地だろう…そう断定できるほど沢は深くて明瞭だった。
しかし高度を下げても一向にポータルらしき部分が見えて来なかった。

沢地の末端部で急激に落ち込み、その先から筋状のほぼ水平な溝状領域が見え始めた。
あの溝が水路部分で、下にポータルがあるのだろう…


ポータル上の斜面には手がかりになる樹木が少なく接近には細心の注意を要した。
そして遂にその上へ到達した。この真下にある。


水平のエッジ部分が見えることでポータルの真上に立っていることを理解した。
コンクリート製であることは推察されたが、どれほどの強度があるか分からない。こうして立っている間に足下から崩れ落ちるのではないかと不安だった。


周囲に踏み跡などまったくなく、山の奥深い沢地で唐突に隧道が現れているような状況だった。この場所は一体どれほどの人に知られているものなのだろう…もしかすると何十年にもわたって誰も接近することなく時を過ごしていたのではないだろうか…と思われるような場所だった。

ポータルの上から身を乗り出せば…確かにそこには同様なレンガ造り構造が見えた。

すぐにでも下へ降りて正面から観察したい。しかし現地は不用意な行為を跳ね返す如くに接近困難な場所だった。沢地を水平に掘り進み、両側が深い切り通しになっていてこれ以上は掘削しきれないという限界地点から隧道となっているので、ポータル前の水路両側は殆ど垂直に切り立っていた。
これは降りられないかも知れないな…
周辺を含めて観察してそのように感じた。沢を先の方まで進めば両側の傾斜が緩くなる場所があったが、斜面も水路内部も著しく木の葉が堆積している。斜面は滑るだろうし水路内部は水がどれほど溜まっているやらも分からなかった。

ポータル上からカメラを構えたまま差し出して下を覗き込ませたショット。
この位置に立つ生身の人間はこれと同じものは見られない。両足をポータル上に置いた人間から差し出されたカメラのみが得られる眺めだ。
水路までの高低差は精々3m程度だが、それでも落下すれば登り直すのは無理かも知れない。


カメラに偵察させて得た画像を再生することで自分が殆どポータルの真上に居ることを悟った。自分程度の体重なら問題はないだろうが、見るからに古い隧道で強度が心配になったので、摺り足でポータル端の方へ移動した。

隧道の反対側を撮影している。
これはもう灌漑用水路というレベルではない。どう見ても自然の沢地である。現在使われていないのはかなり明白だった。


ここまで来たからにはせめてもう少し分かりやすい映像が欲しかった。できれば水路へ降りて隧道を正面から撮影したい。そこで一旦ポータルから離れて足下が安全そうな場所まで登り、深い沢地を巻くように移動した。

先ほど立っていた場所を撮影している。
ポータルの構造はほぼ同じだが、深い沢地の底にあるせいか苔の付着が半端ない。


横へ移動しつつ沢地へ降りられそうな場所を探した。有り体に言って安全に降りられそうな場所は、少なくともこの深い沢地沿いの何処にも見つからなかった。一旦高低差が完全になくなる場所まで進んでそこから戻って来た方が良いかも知れないと思えるほどだった。
溝状領域には夥しい木の葉が堆積していてその下の状態が読めなかった。土砂なら足下を確かめつつ何とかなるが、水が溜まっているなら水路沿いに辿るのは不可能だと感じた。

もう少しポータルに歪みのない映像が欲しい。斜面の中腹でカメラを持つ手を低く構えた。
左手で枝を握って身体を保持し、右腕を思いきり伸ばしてシャッターを切っている。もし枝が折れたら水路へ即転落だ。


もうここまでやっておけば良いだろう…今でなくてもカメラが修理から戻ったら、再度撮りに来なければならないのだ…ここで引き揚げようという意識に傾きかけた。
一度だけやってみよう…
どうしても無理そうなら諦めて引き返そう…
降りるのはかなり困難で危険なことは頭にあったが、半面「ここまで来たのに引き返すのか?」なんて声が自分の脳内とディスプレー画面の向こう側から聞こえて来るようだったので。

疲れたなどと言っている状況ではない。怪我だけは慎重に回避して何とかやってみよう…服が汚れたり靴が溜まり水にハマってびしょ濡れになったら、この後の会合で困ることになるのは自分だ。
いや…会合先の相手方も部屋が汚れるから困るだろう…

ショルダーバッグを外して下からでも手が届きそうな場所に置き、カメラは一旦ポケットにしまい込んで両手をフリーにした。

(「松崎の用水路・第一次踏査【3】」へ続く)
出典および編集追記:

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