桃山配水池【1】

インデックスに戻る

写真撮影日:2015/2/28
記事作成日:2015/3/18
辞書的でややもすればカット・アンド・ドライで退屈かも知れない総括記事ばかり続いたから、久しぶりにちょっとまとまった時系列記事を仕立ててみようと思う。

桃山配水地で探索的な記事を書くとしたら、一般見学のときくらいしかない。そもそも桃山に限らず浄水場関連の施設はすべて立ち入り禁止であり、しかも近年は電気水道などライフライン関連の設備はテロ対策が重んじられ厳しくなっている。自由に中へ入って探索できる環境ではない。昭和期などは中山浄水場の沈砂池で泳いだなんて猛者の話を聞いたこともある[1]が、現在では桃山浄水場に限っても従来のフェンスから容易に侵入できないよう上部に有刺鉄線を備えたものに変えられた。中へ入ればコラーッどころではなく場合によっては翌日の地方新聞のトップを顔写真と実名つきで飾ることになる。何しろフェンスの外側から撮影していただけで担当者から誰何されるのが今の状況である。[2]

一般公開される3号配水池のあるエリア内しか時系列記事として成り立たないので、一連の記事タイトルを桃山配水池のままとした。同じ場所を再訪した場合は続編記事扱いとする予定である。

---
桃山配水池の展望台が見学可能になったらしい…
そのことを知ったのはFBでメンバーがタイムラインに上げた情報だった。現地で仲間たちと一緒の写真がアップされ、どうやら日曜日ならあの場所を見学できるらしいことを悟った。いや、実は本当はそれ以前から見学可能だったのかも知れない。
自分は訪れたタイミングが絶妙に悪く、去年などは土日を選んで3度以上訪れていながら中に入ることができず、フェンスの外から侘しく眺めることしかできていなかった。以前みたいにまた毎週土日には見学できるようになったのだろう…それで2月末の土曜日に現地を訪れてみることに。

市道小松原通り線を道路レポート向けに撮影した後、桃山配水池前にやってきた。
入口の前に軽四が2台停まっている。既に見学者があるのだろうか…


実のところそれだけでは見学できるようになったという証明にはならない。しかし自分は殆ど間違いないと確信して自転車に跨がり最後の坂を登り切った。
フェンスは開かれていた。


赤地に白の立入禁止札はそのままだが、誰の目に見ても「自由にお入りください」と解釈できる門扉の状態だ。
たまさか担当者が閉め忘れていたとしてもこの状態なら中に入っても責められることはないだろう。

何年振りだろうか…
この日を待っていたよ。
サッと自転車で乗り込んだ。

どうやら再び見学できるようになったらしいと確信できたのも管理人が常駐するユニットハウスとその手前の青緑色の設備の存在からだった。


この青緑色の設備は…確かめてみるまでもなく簡易トイレだ。見学者の便宜をはかって設置されたのだろう。
それでもわざわざ扉を開けてやっぱりトイレであることを確認してしまった^^;

フェンスの内側から3号配水池を撮影。
以前はそんなに労せず撮ることができていたので実のところ全体像を収めた写真が手元になかった。


3号配水池は昭和後期の竣工なので今すぐ形を変えることはない。いつでも撮れるターゲットなんてのは撮影が後回しになるのが常だ。手元にはフェンス越しに撮った写真しかなかった。

ところで…門扉が開いていたから勝手に入って来ちゃったんだけど、見学してますって一言何か言いに行く必要があるのだろうか。
簡易トイレの横に置かれたユニットハウスを遠巻きにちょっと観察してみた。ガラス戸越しに見えたのは制服を着た市の職員ではなく数人の年配女性だった。恐らく地元在住の方だろう。常駐役は一人で足りるのだろうがそう頻繁に見学者が訪れる場所でもなければおしゃべりに興じているようであった。
自分としての希望は毎年「森と湖の旬間」に行われるダム見学会と同じである。最初に管理区域外で見ておきたいところを自分のペースで眺めてそれから見学会に入っている。一人で好き勝手に観察できるのならそれがベストだからだ。普段は自由に入れない場所なら、なるべく時間をかけて丹念に撮影しておきたいからである。

ユニットハウスから離れた位置を歩いたせいもあってかまだ私の入場には気づいていらっしゃらない様子だった。まあ、門扉が開放されている位だから容易に歩いて行ける場所は自由に観られるって解釈でいいよね?

そうなるとまず最初に撮っておきたかったのがこれだ。
六角堂と並んで国の登録有形文化財に指定されている旧1号配水池の監視廊入口である。


総括では通り一遍の説明しかしていなかったから、ここでは細部までを写真で観察することとしよう。
《 旧1号配水池 》
さて、六角堂に次いで知名度のある登録有形文化財である。 向かって右側に説明板が、入口の左側には旧配水池監視廊というプレートが設置されている。


入口を正面から撮影。
文様の入ったアーチが設置されている。この部分は当時のままだ。
鉄の門扉は恐らく後年取り替えているだろう


敢えて平坦に均さず微妙に波打たせることで装飾性を出している。
大正期のものでありながら表面の荒れなどは殆どみられない。良質のコンクリートを用いているのだろう。


国の登録有形文化財であることを示すプレートは右側下に貼られていた。


このブロンズプレートは六角堂にも同じものが貼られている。
最初の35は山口県に付与された汎用の番号、後ろが指定番号だ。
六角堂は0007号となっている


監視廊の上部は更に凝った造りになっている。
四隅に柱状となって突き出た部分があり、その側面に装飾がみられる。


柱部分に施されたレリーフ。
他の場所で見たことのないデザインだ。


現代風の些かドライな見方を許せば、そこまで手間暇かけて装飾を施すものだろうかという考え方ができる。配水池への入口に過ぎず装飾が機能面では何の貢献もしていないからである。

博物館や銀行など一般庶民がよく訪れる公共性の強い建築物では、本来の機能から離れて審美性を意識した意匠がしばしば見られる。独特の装飾時代が一つのブランドとなり知名度を上げることができる。
浄水場の配水池などそう一般庶民が訪れる場所ではない。大正の創立期から庶民が頻繁に訪れて見学できたとも思えないなら、機能面を重視した最低限の造りにもできるものである。そうならなかったのはこの設備が造られた時代的背景もさることながら、待ち望まれた構造物であったことにも依るのではないかと思う。

旧配水池が造られた大正期は一般向けではない構造物に対しても特に重視されたものに同様の装飾が施されたものがある。ジャンルは異なるが、中国電力(株)所有の錦川第一発電所の壁面には本来の機能に関与しない装飾が施されている。しかもこの旧配水池と竣工時期が一致する。およそ現代のようなスクラップ・アンド・ビルドといった考え方が皆無だったから、丁寧に造って永く大事に使うという建築思想が窺える。[1]

正面からは見えないが横の面に円形の穴があって塞がれたように見える部分がある。学校の校舎正面に取り付けられた時計の跡を思わせる。
何のためのものだったのかは分からない。[3]


国の指定文化財データベースには「旧桃山一号配水池監視廊入口」として登録されている。説明板やその他の案内でも「旧桃山一号配水池」とは書かれていない。旧一号配水池の設備全体が指定されているのではなく、独特の意匠が施された監視廊入口部分に限定されるからである。[2]したがって配水池それ自体は完全な形で保存されているのではなく、一部は改変されている。

指定外ではあっても配水池の主な部分が大正期そのままであることに変わりはない。丹念に観察すれば、あまり知られていない部分が見られるかもと思った。

入口の後ろは一段高くなっている。
さて、この上に登って良いものだろうか。ここを訪れたことはあってもまだ監視廊入口の背面を観察したことはなかった。


別に危険なことはないし配水池の上部への段差は1m程度で容易に登れる高さだった。しかしさすがに周囲とユニットハウスに常駐するオバチャンたちの視線が気になる。そこでやや距離を置くようにこの旧配水池に沿って先まで歩いた。

かなり距離があいた。もう少し進めば監視廊入口にユニットハウスがちょうど隠れる位置になる。


ちょっとズームでハウスを偵察した。
おしゃべりに熱中なさっているようでこちらの様子を窺っている様子はまるでない。


大丈夫そうだけど…まあ後で行ってみよう。どのみち来た経路を引き返すだろうから。


旧1号配水池の末端部まで来た。ここから先は現役の3号配水池関連の設備が連なる。フェンスの内側になるので一般開放時以外は入ることはできない。


「これはもしかしたら旧1号配水池時代のものでは…」と思われる古いものがいくつか見られた。


実はこれらはフェンスの外の通路を歩くとき既に見つけていた。気になっていたがフェンスの網目越しで充分に観察できていなかった。今なら丁寧に写真を撮っておけそうだ。

(「桃山配水地【2】」へ続く)
出典および編集追記:

1.「FB|旧桃山一号配水池監視廊入口(要ログイン)

2. 文化庁の登録データベースで旧桃山一号配水池監視廊入口の詳細を調べると、構造及び形式等の項目に鉄筋コンクリート造,建築面積16m2と記載されていることから分かる。

3. 採光用の小窓があったのを塞いだ跡ではないかという意見があった。

ホームに戻る