仙巌園は磯庭園とも呼ばれ、島津家の別邸として知られる。詳細は[1]を参照して頂くとして、2017年3月に塾旅として現地を訪れたときの写真を収録する。なお、園内をざっと歩いた範囲で見つけたものに限定されているので収録されていないものが存在する。市内物件とは異なり現地を見て推測した範囲の言及でしかないので、歴史的背景などの考察は含まれていない。
《 高枡 》
高枡(たかます)とは仙巌園の湧き水を園内の池などに給水するために造られた設備である。(説明板はこちら)
片側に急勾配の階段があり、上部には鋼製の桝が据えられている。
給水用と貯留用の2本の管が接続されている。
この石段は大変に急で踏み代が小さく最上部まで登ることはできなかった。
下部構造。
すべて直方体に成形した石材で造られている。
わざわざ石材を積んで高くした場所に桝を据えているのは送水効力を高めるためであろう。動力を用いていないならば、これより上流側の水源は桝の底よりも高い位置にある筈だ。
上部の桝はそれほどの容量はなさそうに見える。一定水位を保ち、給水側で使われた分だけ流れ込む機構になっているのだろう。
《 濾過池 》
仙巌園において濾過池は水利に関する恐らくもっとも重要な遺構で、御殿の北側斜面に存在する。写真は上部建屋部分を含めた全容。
(説明板はこちら)
この濾過池は沢地からの湧き水を集めて貯留し、砂塵などを鎮めて御殿などへ給水するための設備であった。
明治40年(1907年)に造られ、国の登録有形文化財に指定されている。
(ブロンズプレートの拡大映像はこちら)
コンクリートのように見える外観だが、上部構造や壁などすべて石材で造られている。
正面中央部には縦書きで濾過池、その下には明治四十年七月十三日起工、同 年九月十三日竣工と陰刻されている。
表面は苔で覆われるだけでなく古い石碑などによくみられる地衣類の跡が見えていて時代を感じさせる。
説明板の英語表記にもあるように、この濾過池は既に使われていない。先に見た高枡よりも高い位置にあることから、ここで濾過した沢地の水を高低差のみで供給していたのではないかと思われる。
大きな開口部は点検用の出入口だろうか。
格子戸がはめ込まれていた。さすがにこれは当初からのものではなく何度か取り替えられているだろう。
さて、中がどうなっているかは当然観たいところだろう。あまり腕を伸ばしてカメラを落とすと回収不能になってしまうので程ほどのところで撮った映像を…
内部の様子。深さ2m程度の水槽に間仕切りが入れられている。
水は溜まっておらず水分と間接光だけで生きていける苔が育っていた。
隣接するもう一つの水槽。
地面とほぼ同レベルのところ内側に出っ張っている石材は点検用の通路だろうか。
外側側面には2箇所に格子窓が取り付けられている。
レンズを押し込んで撮影したところ。これ以上は押し込めなかった。
石材に削った跡が遺っている。
即ち水槽は上部がドーム構造をもったものが2列に設置され、それぞれ中央部分に間仕切りを持つ構造となっている。水槽の内部はドーム状ながら屋根の外観は平坦である。まったく水が溜まっていないので、現在は流入と流出ともに塞がれているのだろう。
今のところ同種の濾過池のような機構は市内はもちろん県内でもあるかどうか調べていない。
我が市内と比べるならば、桃山にある旧1号配水池がもっとも近い物件であろう。それですら大正期のものである。また、監視廊は原型を保っているものの新しい配水池の建設で配水池そのものは改変されている。内部も一般には自由に観ることが出来ないのも残念である。
《 迫ン太郎 》
前述の濾過池から通路一つ隔てた場所に迫ン太郎と呼ばれる水力の変換機構が展示されている。写真は動作しているときの状況。
(説明板はこちら)
上の写真を見るだけでも何をするためのものかが理解できるだろう。低いところへ流れる水の流れからエネルギーを取り出す機構と言って良い。
水を受ける桝のついた材木の中央部を固定し、片方の先端に杵を取り付ける。水が溜まることで重みで杵が持ち上げられる。限界まで溜まって流れ落ちるとき、一気に軽くなって杵がストンと落ちる。ここに臼を置くことで脱穀などの仕事をさせることができる。
実際に動作しているときの連続動画。
[再生時間: 12秒]
水力で杵を上下させる代わりに足踏み式にしたものは、私たちの郷土では台唐(だいがら)と呼ばれている。台唐も今や絶滅危惧種であり、実際に操作したことはもちろん見たことがある人も少なくなっている。迫ン太郎という名称は聞き慣れないが、むしろ派生する「さこんた」は古語の一般名詞のような存在であることが分かった。
当サイトでは一般記事として西岐波にある迫田坂を掲載している。この迫田は古くからの地名で「さこんた」「さこんだ」などと読まれる。迫田坂の名称の由来は、傾斜がきつくて足元の悪い坂だったことに依るという説がある。即ち迫田坂を往来する人々は足元の悪さに難儀し、一歩進めば二歩滑り落ち後退する有様で、その足取りが恰も「さこんた」を踏む動作に似ることから名前がついたという。詳しくは以下の記事を参照。
一般記事: 地名としての迫田について
現地で見たこの現物と命名により、この「さこんた」が一般名詞であることが確認できた。ここ仙厳園でなくとも見られるものかも知れないが、少なくとも現物と対応する名称板が確認されたことは収穫だった。《 備考 》
この他に仙巌園には水力発電所用のダム跡とされる記載がある。[3] どういう説明板があったかは現地確認していない。また、高枡や濾過池、迫ン太郎はマップに収録しきれなかったためか記載されていない。再訪は極めて困難なため、微細な編集追記はあるにしても続編が作成される予定はない。