原田橋

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現地踏査日:2013/9/25
記事公開日:2013/9/26
原田(はらだ)橋は、市道助田鍋倉線に存在していコンクリート橋である。
市道起点側から撮影している。


「何処にも橋はないぞ?」と言われてしまいそうだ。そういう意味で前述の説明を過去形にしている。ここには昭和中期までは栄川という現在の新川と同様海に向かって人為的に掘られた川があった。原田橋も当時は歴とした橋として機能していた筈なのである。
この付近は時を違えて複数回行われた栄川埋め立てにおいて最後まで残っていた場所で、昭和40年代後半に埋め立てられ現在に至っている。

橋の中央部分をポイントした地図を下に示す。


地図では薄緑色の帯状領域が明確に読み取れるだろう。この部分が栄川の痕跡とされていて、現在は後述するように児童公園となっている。

橋と言っても今やコンクリート製の親柱のみが健在な状態だ。注意していなければ見過ごしてしまう。
この位置は栄川の左岸下流側になる。


漢字表記で「原田橋」である。
一頃、表札によく使われたのと同じ素材の石板だ。


同じく左岸の上流側。


河川名表記で、「栄」の漢字表記が新字体になっている。


欄干部分はまったく存在しない。僅かに橋本体部分より高くなっているだけだ。
まさかこのままでは渡るとき転落しかねないので、かつては欄干があったものを削り取ったのだろう。


現在は埋め立てられた河川敷相当部分が栄川児童公園になっている。
昔の栄川の上を歩く形で下流側にある榮橋にも行ける。


この児童公園については公園関連として別途記事を制作する。
派生記事: 栄川児童公園
上流側も同様に欄干部分を欠き、公園としての仕切りを意識したチェーンが張られている。もっともこの空間は児童公園の空間としては奇妙だ。
詳細は公園の記事で述べる


上流の右岸側。


かなり煤けて汚れているが昭和33年3月竣工と読み取れる。


昭和30年代ということで、栄川の表記が新字体になっていたわけである。

下流の右岸側。


平仮名で「はらだはし」となっていた。


市道の終点側から眺めた原田橋。
橋自体は現在のコンクリート床版と同等で、完全にフラットである。


橋の部分だけコンクリートが遺り、その前後は通常のアスファルト舗装だ。注意していなければ普通のコンクリート舗装路と見間違えてしまう。


この場所を初めて訪れたのは、記事制作年を基準にすれば4年も前のことだ。かつて真締川が現在のような直線ではなく、樋ノ口付近で屈曲して居能方面に流れていたということは知っていた。その当時の旧河川は何処へ消えたのか疑問を抱き、痕跡が遺っていないかを辿る過程で最初に以前から知っていた榮橋を訪れた。
その後、児童公園の中を歩いたとき原田橋が元は橋だったことに気付かないまま横切っていた。[1]

栄川埋め立てに伴い、榮橋と共に橋としての役目を終えたわけだが、現状を見るにいくつか疑問がある。
最初はどんな橋だったのだろう…
元から今の形状だったとは到底考えられない。親柱があのサイズなら、同程度の高さの欄干があった筈だ。


やはり、欄干の上部があった。
切断面に棒鋼4本が遺っていた。同様の残骸が等間隔でいくつか見受けられたのである。


親柱の近くには欄干の底部分に四角い穴が空いていた。これも4本の親柱付近に共通してみられた。
橋の上に溜まった水の排水口だろうか…
多分角材で盗みを入れてコンクリート打設したのだろう


親柱の厚みに比べて欄干の幅が細いようにも思われる。
もっとも上部構造が完全に喪われているので元の状態を想像しようもない。


橋本体と道路の継ぎ目部分。
まったく段差がないので本当に橋らしくない姿だ。


このような状況なので、かつてどんな橋だったのかは知る由もない。
隣接する榮橋についての記述はさまざまな書籍にみられるが、原田橋に関する記録は今のところ見つけられていない。
橋の竣工が昭和33年なので、架橋から廃用まで僅か十数年しか現役で活用されなかったことになる。これはコンクリート橋としては異例の短さだ。コンクリート橋を架けていながら20年も使われることなく昭和49年3月には栄川自体が児童公園へと姿を変えたのであった。

現在ある原田橋がコンクリート橋として誕生したときの姿のままだとすると、栄川のこの区間を最後に埋め立てたときコンクリート床版同然の橋の下をどうやって埋め戻したのだろうかと思う。横から土砂を押し込むだけでは充分な締固めが出来ず何処かに陥没が生じてもおかしくはない。
実際榮橋の下は一部で陥没が起きている

原田橋の親柱などが今後喪われることは考えづらいので、当分の間はいつ訪れてもこの写真と同じ姿を見せてくれるだろう。他方、元の橋の意匠などはまったく分からず、このまま「誰も本当の姿を知らない橋」になってしまうのだろうか…

出典および編集追記:

1. Yahoo!ブログ「消えた河川の謎【4】」に初回踏査時の記録が残っている。
ブログ記事はテーマ踏査初期の取り組みで知見が浅く現在では誤りがかなり見受けられることに注意

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