蛇瀬池・余水吐と石橋

インデックスに戻る

現地踏査日:2012/1/11
記事公開日:2012/7/4
蛇瀬(じゃぜ)川は真締川の支流の一つで、小羽山地区にある蛇瀬池から流れ出ている。

既に記事を公開している塚穴川も同様に夫婦池から流下し、夫婦池の上部に常盤池が位置していて上流側に目立った川がない。このため塚穴川は夫婦池が川としての流下開始地点と言える。他方、蛇瀬川は蛇瀬池より上流に流入経路をもち、同名の川として呼ばれているようなので、本編では既に踏査済みの蛇瀬池から流下する部分を先行して記事化する。

蛇瀬池に溜められた灌漑用水は、樋門より出水量を調整しつつ蛇瀬川に放流される。しかし満水状態でなおかつ大雨によって上流からの流入量が増えた場合に堰堤の決壊を防ぐため、別の場所に余水吐が設けられている。

下の地図は蛇瀬池の余水吐の位置を示している。
蛇瀬池の汀をなぞるように記載されている水色の線は常盤用水路である


ここには蛇瀬池に接して人工の余水吐が造られており、水位が上昇したとき余剰水が排出される仕組みになっている。この排水路(常盤池の余剰水排出路に倣って「荒手」と呼ぶことにする)には余水吐が見える近い場所に石橋が架かっており、本記事で合わせて解説する。

現地への行き方は蛇瀬池の畔に向かうメインの道と同じで、小羽山郵便局の横から伸びる市道小羽山4号線で郵便局の横手にある扉から本土手の上を伸びる小道を真っ直ぐ進む。

本土手の北端で小道は右へ折れている。既に余水吐と石橋が見えかけている。



ここで若干高度を下げて石橋を渡る。


この橋の全長は10m程度で、高さは人の背丈程度ある。昔からの姿で今も通路として使われているが、この小道の用途は蛇瀬池を眺めるための散策用と常盤用水路の管理用である。先では何処にも抜けられないせいか殆ど通る人は居ない。
5月頃は近辺で事件があったらしく蛇瀬池への小道は侵入禁止になっていた…現在は通行可能
しかし昭和50年代に市道小羽山中央線の蛇瀬橋が架かるまでは本土手を通って対岸へ往来できる重要な経路だったのではなかろうか。[1]

現在の石橋の様子である。


歩行者も滅多に通らない小道なので、石橋は些か過保護化された現代社会を生きる一般人が求めるような安全構造にはなっていない。
およそ危険が推測されるとは思うが、自転車は決して乗ったままこの橋を渡ってはならない。橋の前後は地面が抉れていてバランスを崩しやすいし、石橋の幅は充分ではない。途中で停止したりコースアウトした場合、足を着く余地が無く転落する危険が大きい。石橋の高さは大人の背丈程度あるし、特に右側の荒手側は更に深く突出した露岩が目立つ。
何度も自転車を連れて渡ったが今まで乗って渡ったことは一度もない…怖くてとても出来ない

これは今から4年前、初めて蛇瀬池を訪れこの石橋に出会ったとき写したものである。
季節による落葉の量の違いだけで、石橋を含めて周辺は殆ど変わっていない。


このときからなかなか風流な石橋と感じ、蛇瀬池の写真はそれほど撮っていない中でもこの橋は撮影していた。
もっとも当時は蛇瀬池の成り立ちを知らなかったし、池や橋にカメラを向けて記録しようという観念からしてまだ薄かった。
むしろこの先にある常盤用水路の踏査が本命だった…しかし志向するものは同じ

石橋の上から余水吐を撮影している。
常盤池の余水吐とは異なり、堰堤状の隆起部分が存在しない。幅は石橋の跨ぐ開渠部より若干長く、天端に花崗岩の柱が植わっていた形跡が見える。現在も形をとどめているのは一基に過ぎず、他のものは根元から折損してしまっている。


石橋の下まではコンクリート壁と床版で固められている。昭和期に改修されたのだろう。


石橋を渡り、東小羽山側から振り返って撮影している。
石橋の架かっている部分だけ両岸より低くなっている。このため自転車に乗ったままだと石橋へ向かうとき加速してしまうし、逆に渡り終えるときは登り坂に押し返されることになる。


土手に自転車を留め置き、苦労して余水吐に降りた。
周囲は木々が密集しているので冬場でなければ接近は非常に困難

余水吐の池側はコンクリート斜面になっている。水位は今の季節とすれば標準的だった。

天端に植え付けられた花崗岩柱は、かつては等間隔に3〜4本設置されていたらしい。コンクリートで固めた後から折損されているので、失われたのはそう昔のことではないようだ。


健在な一本を撮影。
石橋に使われるのと同等の石材を建て、一つの角が細く溝状に削られている。池に向いた角が削られているので、堰板か何かを固定するためのように思える。


しかし堰板固定用の石柱と考えるには些か疑念が残る。そもそもここから越流するような事態なら、蛇瀬池に用水が溜まり過ぎた状態でありそのままだと本土手が危険に晒される。一刻も早く余剰水を排除したい状況で余水吐にこのような石柱があれば、流下が阻害される。
有り得そうな用途は、荒手に夾雑物が流れ込むのを阻止する網を固定するためだろうか。もしかすると余水吐中央部分の石材が根元から失われているのも、洪水で夾雑物が引っかかり、次に押し寄せた流木が衝突した衝撃で折れたからかも知れない。
実際一部の石材は石橋の真下にある荒手に落ちている

余水吐の天端から蛇瀬池を見下ろしている。
コンクリート斜面になっているのは余水吐の周辺だけで、他の入り江部分は自然のままである。


次の2枚は2年前、蛇瀬池の水位がもっとも低下したときに汀を歩いたときの写真である。
通常は樋門から取り出されているせいか、余水吐前の入り江部分には砂礫が運ばれがちで浅くなっている。


余水吐の斜長は4m程度で、下部は運ばれてきた砂礫に覆われていた。
通常水位では中央の打ち継ぎ目は水面下にある


さて、今渡ってきた石橋はこの余水吐から数メートル離れた場所を横切っている。
下から観察してみよう。


余水吐から観た石橋。
全景が入りきらない…これ以上後ろに下がると池に転落してしまうsweat
2ヶ所の橋脚で支えられている。橋脚の下はコンクリートが巻かれているので後年補強されたらしい。


観ての通り全く簡素な造りで、欄干や親柱など装飾的な意匠はまったく施されていない。奇を衒わず、かと言って普通に振る舞えば渡橋に高度な技術も要さない純粋に機能面優先の石橋である。
親柱がないので名称が分からない。市道が造られる以前からあったことからすれば、蛇瀬橋あたりが妥当な呼称だろう。しかしこの橋に言及した文献に未だ行き当たらず、地元の方から具体的な呼称を耳にしたこともない。
名称が判明次第追記する

接岸部は割石を積んで補強されていた。下部はコンクリートなので積み直したと考えられる。空積みで不安定なように見えるが、充分に長い年月が経過して安定しているのだろう。


石橋はすべて細長い直方体状の石材を組み合わせることで造られている。橋脚部は直方体の角を上流側に向け、流水の抵抗を受けにくいよう配置されている。
橋桁部分を安定的に支えるために、横に渡された要石に橋脚が当たる部分を削り、安定させているようだ。


東小羽山側の橋脚には角の部分に青黄赤のスプレーを噴いた痕跡がある。かなり残念な気がした。
初めてこの石橋を下から眺めた3年前からそのようになっていた


よく観察すると、スプレーは橋桁を支える橋脚部分の端だけに付着している。いたずらなら他の部材にもペンキが付く筈なので、各部材を分離した後にスプレーを噴いたようだ。過去にこの石橋が崩落したとか、あるいは安全に通行できるよう補強を兼ねて組み直し作業を行ったとき位置出しおよび橋脚部の形状を整える目的でマーキングされたのかも知れない。
それにしても折角の由緒ある石橋に対して処置が粗雑な気がするのだが…

橋脚は根巻きされておらず、単に基礎コンクリートの上に載っているだけのようだ。既に観てきた通り、今や余水吐には夾雑物流入防止の手だてがないので、大きな流木が流れ込み橋脚を直撃したら落橋するかも知れない。
もっとも余水吐を大水が流下するほどの洪水は極めて稀


桁の接合部分。
この構造は常盤池の荒手下流部にある半壊の石橋に酷似するが、もっとも自重で支えられる石橋の構造としては他に特別な形態はない。直接の強い関連性はないだろう。
時期的にはこの石橋の方が古いはず


真下より撮影。
桁から橋脚までどれも緊結されている部材はない。全くの自重とバランスのみで安定を保っている。


自然の石を少し整形しただけなので、表面の凹凸はあるし完全な直方体ではなく歪んでいる。こうした石橋が自重だけで何十年も持ち堪えることができるというのが不思議だ。
実際、石橋がどれほど安定であるかは外観からは分からない。上を通行する分はまだしも、橋桁を横から押すなど通常かからない方向から強い力を加えると安泰とは言えない。橋桁の部材は大人の体重を遙かに超える。下から観察するときは注意が必要だろう。

もっとも、これほど簡素な構造ということは、万が一洪水で落橋しても再建は意外に容易かも知れない。石材は大人でも抱えきれない重さがあるが、昔は数人掛かりで持ち上げたに違いない。現在ならチェーンブロックを使えば一人でも動かせる。構成する部品が少ないので、部材に欠けがなく対岸部の石積みも健在なら、再度組み直すだけで渡れるようになる。
もっとも橋が再び安定相に落ち着くまで安全性は若干損なわれるだろう
余水吐の石柱が折損し流されている状況からして、この石橋も一度や二度は落橋の憂き目に遭っているのかも知れない。

さて、冬場の藪が薄い状況に乗じて、石橋から下流部の排水路部分に踏み込んでみることにした。

(「蛇瀬川・荒手」へ続く)

出典および編集追記:

1. 小羽山郵便局の横から樋門小屋の前を通ってこの石橋に至る道は、小羽山ニュータウン造成以前は川上方面に抜ける古道だったようだ。[要出典]

ホームに戻る