琴川橋【旧版】

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記事作成日:2014/2/9
最終編集日:2019/5/19
情報この総括記事は内容が古くなったので旧版に降格されました。現在の総括記事は こちら をご覧下さい。旧版は互換性維持のために残していますが、編集追記はされません。

琴川(ことがわ)橋は厚東川の岩鼻と東割を連絡する橋である。
写真は左岸上流側から撮影している。


橋の中央部分をポイントした地図を示す。


橋の左岸側が市道岩鼻東割線の起点になっており、橋自体の管理も市に帰属する。本編では総括記事として琴川橋の概要を取り上げている。干潮時の橋の下部構造など河川に属する内容については踏査を複数回行っており派生記事を作成する予定である。
《 琴川橋の現況 》
すぐ上流側にこれより高い新琴川橋が竣功し供用開始されたと同時に、琴川橋は全面通行止めとなった。既に両岸からの入口が封鎖され通行できなくなっている。また、橋を撤去するための作業ヤードが建設されているが、この総括記事の最終編集日時点でまだ撤去作業は行われていない。詳しくは新琴川橋の総括記事を参照。

以下、現役時代の記述をそのまま流用する。

左岸、市道岩鼻東割線の起点からの撮影。


構造上3.0tまでの重量制限が課せられている。
また、台風や大雨に伴う増水時には通行止めになることがある。


左岸下流側に「厚東川」の石版が設置されている。
親柱はコンクリート製だが、経年変化で護岸から外れた状態になっている。


車の衝突によるものか、親柱の角が欠けていた。
側面の下の方にも小さめのプレートがある。


道路側には「有限会社 福島組」の文字が見える。
中宇部にある福島建設の前身だろうか…


橋を渡って右岸の下流側には、平かなで「ことがわはし」のプレートが設置されている。
文字は黒く染め直したのか新しい感じだ。


右岸の上流側。昭和36年3月竣工となっている。
上部の鉄骨から流れた錆が親柱まで浴びせられていた。こちらは墨入れがされていなかった。


同じく右岸の下流道路側には、ピー・エス・コンクリート株式会社施工の文字が見える。
右岸と左岸で橋脚部の構造が異なるところに関係するらしい。


以上が現在の琴川橋の状況である。
橋脚の下部構造の違いについては後述する。
《 橋の成り立ち 》
琴川橋を含めてこの地は昔から通行の要所で、複数の書籍において詳細な記録がなされており現在でも架橋以前の歴史的概要を把握できる。
護岸整備される以前の時代の厚東川は水量によって川筋が変わる状態で、数ヶ所に渡し場があった。現在の琴川橋の架かる場所は木屋の渡しがあった場所[1]で、右岸側には記念碑が設置されている。

現在のコンクリート橋は昭和36年の竣工でありながら、初代の木橋が架かったのは明治41年のことである。何ヶ所も厚東川の舟渡しがありながら琴川橋が比較的早期に架橋されたのは、現在の山陽本線(山陽鉄道)の駅招致が極めて大きな要因であった。

山陽鉄道が下関まで通じたのは明治34年のことで、当時は現在ある厚東駅が舟木駅で、現在の宇部駅はまだ駅として存在していなかった。宇部村・藤山村・厚南村は宇部駅の設置を陳情したが、その折りに「厚東川に橋が架かりそこに繋がる道路ができること」が前提条件として課せられた。これを受けて三つの村は合同調査を開始したが日露戦争にかかり頓挫した。戦後、厚東川架橋組合を造り一株15円の組合株千株を募集して着工し、初代の木造の琴川橋が架かったのは明治41年のことである。[1]架橋には居能の船大工たちが榮橋を架けた技術を活かして竣工させている。[2]

琴川橋という名称は厚東川をもじった語であること、木橋を横からみると橋脚部が琴のように見えることに由来している。秀麗な姿の橋で人々の評判は良かったという。琴川橋の架橋によって宇部村・藤山村と厚南村を連絡する道が確保されたので、明治43年7月1日のこと山陽本線に待望の宇部駅が開業した。したがって琴川橋の竣工は、歴史的にみても単に厚東川両岸の連絡のみならず厚南をはじめとする地域の鉄道輸送の恩恵を受けることに間接的ながら寄与したと言える。

木橋時代の琴川橋は何度か流されている。特に昭和17年の風水害では、繋留から離れた舟が橋に衝突して大破してしまった。戦時に近かった時代背景もあり、改修が完了したのは昭和22年のことであった。[2]
舟渡しから橋に代わった当時も渡橋には料金が要った。大人は八厘、子供は五厘、自転車一銭五厘、馬車三銭だった。渡し船時代は五厘であったので「五厘渡しの八厘木橋」と呼ばれていた。[1]1915年に県が琴川橋を買い上げた後は渡橋料金が要らなくなった。[2]

現在あるコンクリート橋の下には、干潮時には幾度もの水害を経て流された木橋の橋脚部分の遺構が観察できる。したがって現在の琴川橋は恐らく初代の木造橋を解体しまったく同じ場所に架けたと考えられる。


更に上流にある宇部線の厚東川橋りょうは、松崎付近で最も厚東川の幅が狭まる場所を選定している。他方、琴川橋は橋の長さを切り詰める架橋位置選定についてはあまり考慮されていない。木屋の渡しがあったことから両岸に昔からの道があり、通行の便を考えて場所を変えずそのまま架橋したようである。
《 特記事項 》
・市の管理する厚東川の橋としては最も下流にあり最長である。現在の琴川橋は少なくとも3代目以降で、コンクリート主体の橋としては恐らく初代である。

・厚東川の川面に対して橋が異様に低い。このため現在でも厚東川ダムの緊急放流などで水位が上昇した場合には橋の両端にあるゲートが閉じられ通行できなくなる。
ゲートの閉じられた状態をまだ見たことがない


・欄干も当初のものは異様に低い。安全面を考慮して鋼管の手摺りを継ぎ足して暫定使用している。

・橋の造りは完全にフラットで、幅員は普通車が辛うじて離合できる幅しかない。離合を容易にするために橋の中央付近は若干幅広になっている。この造りは当初からのもののようである。
琴川橋を渡る多くのドライバーは、この中央部分の構造を熟知していることを前提に運転している。即ち橋を渡っている際に対向車がやってきた場合は、先に中央部分へ到達した側が速度を落とし幅広区間で離合するよう配慮する暗黙ルールが存在する。続けて対向車が数台渡って来るような場合は、離合劇を回避するため橋に入らず手前で待機する場合もある。いずれもその判断は先頭車両がもつ。[3]

・琴川橋付近の厚東川は左岸に砂礫が堆積し右岸に偏って流れている。このため橋脚の形式が左岸側と右岸側で異なっている。
干潮時には左岸側の半分近くが水上に現れるが、右岸の橋接続部は常に浸っていて干上がることはない。


・厚東川の流下量が少なく干潮の時間帯には、琴川橋より下流側の右岸寄りに古い石積みが露出することがある。これは初期に築かれた厚東川の護岸かも知れない。


この石積みは昭和49年度の航空映像でも確認可能で、琴川橋の上流部にも水没状態で遺っている。[4]

・右岸側に木屋の渡し場に関する石碑と休憩スペースに説明板が設置されているが、充分に管理されておらず説明文が経年変化で褪色しまったく読み取れない状態になっている。


・左岸側に河床へ降りるための階段が設置されていて、干潮時には橋の下を観察できる。この階段は厚東川でのシジミ採り目的の来訪者にも利用されている。


琴川橋の左岸側は砂が堆積し、潮が満ちてこない限り殆どの時間帯で河床へ降りることができる。
干潮時は干潟を伝って橋の中央部分より右岸寄り、橋脚の種別が変化する場所まで到達できる。この特性を利用して過去に幾度も橋の下部を調査している。

・現在工事が進められている上流側の琴川橋の左岸は現在の橋付近に接続されている。
以下の2枚は2013年7月において右岸側から撮影している。


一連の過程を追った記事は新琴川橋の総括記事に記述されている。
派生記事: 建設中の新琴川橋
この橋は市道岩鼻中野開作線の一部として機能し、市道中野開作黒石目出線の起点に接続される。現在T字路である場所が将来的には十字路になるよう計画されている。

・新しい橋が架かれば現在の琴川橋と重複する。上流側の橋が供用開始された折には、現在の琴川橋は撤去されることになっている。交通量が多い割に橋の幅が狭いこと、架橋後50年以上が経過し老朽化が進んでいることが理由である。[5]


もっとも幅員は狭く車の離合が困難ながら、余分な登りを要しないために自転車での通行は快適である。厚東川の流下対策が取れるならば歩行者・自転車専用の橋に転用したらどうかという意見もある。
両岸に暮らす住民にとって慣れ親しんだ橋であり、撤去されれば妻崎神社方面への往来が遠回りになる。また、新橋は従来の橋よりかなり高いため車は問題なくとも自転車では負担になる。既存の琴川橋の橋脚補強など別の手段により双方を存続・利用するという選択肢があるかも知れないが、この方面での再議論の余地は恐らく薄い。

・厚南地区の在住民は琴川橋を指して「旧橋」と呼ぶ方が多いようである。[6]これは国道190号の厚東川大橋より前に架かった橋であることに由来すると思われる。
《 現行の橋の撤去について 》
情報以下の記述には個人的見解が含まれます。

一連の記事を記述する時点で現在の琴川橋の撤去は既定事項となっている。撤去の理由は先述の通りだが、橋を保存して歩行者ないしは自転車の専用橋に転用することに関する意見がある。この理由は次の通りである。
(1) 宇部駅の招致を実現させた橋を安易に撤去していいものかということ。(歴史的価値による理由)
(2) 橋の撤去により遠回りになる利用者が相当数あること。(実用上による理由)
(3) 河川中に存在する橋脚が落橋や破堤リスクを及ぼすほどの影響を与え得るか。(リスク評価の問題)
(4) 建設中の琴川橋を自転車通学する学生の安全性に対する疑義。(利用主体の変化)
(1) は架橋の背景や歴史重視の意見である。もっとも時代が変遷することでかつてここに存在していた船渡しも失われ現在は説明板しか遺されていない。橋を存続させて得られるメリットよりも橋脚による流下阻害のデメリットが上回るのが明白という結果が得られたなら、些か説得力に欠ける理由となる。
(2) は最も素朴な意見である。そもそも現に橋が架かっているものを撤去するなら移動経路の一つを失うわけであり、特に近隣住民の影響度は高い。既存のリソースを有効利用できるなら、新しい橋は車を含めた汎用、現在の古い橋は歩行者・自転車専用とすることで経路が二条化されるため交通量の緩和に貢献する。それは往来の交錯による事故発生率を低くするのは明らかである。

このことに関して新しい橋の規格はかならずしも自転車通学する学生の安全に貢献していないのではないかという指摘がある。車道部は対面交通であるが、自歩道は上流側の片側のみに設置されている。したがって岩鼻から厚南方面へ向かう自転車は右側の自歩道内を走るか車道を通ることになる。現代のように自転車の利用者が増えているなら当初から幅を少し狭めてでも上り下り線の双方に自歩道を確保しただろう。このことは建設中の橋が相当早期に計画・着工されていながら何度も休止期間を挟んだため、その間に自転車利用者の急増という交通情勢の変化が起きてしまい当初の計画が現代において最適とは言えなくなったことに起因する。遺憾ながら既に上部構造の竣工した現時点で再度自歩道の仕様を変更するのは困難である。

もしこの方面において何も意見が提出されていないならば、個人的な意見として既にほぼ建設を終えた新しい橋は整備して供用し、現在の古い琴川橋は運用コストと影響の評価を前提に歩行者・自転車専用橋として継続使用できる可能性の検討を提案する。厚東川ダムが緊急放流を行い流下水量が増大したとき、既存の橋脚がどれほど流速を阻害しているかの影響評価、上流からの流木が流れてきたとき橋脚部へ滞留するのを回避する手法があるかの検討である。ただしそのすべてが検討済みで旧橋撤去が妥当とされているならばやむを得ないだろう。
《 個人的関わり 》
高校生時代、厚南に引っ越した友達の家へ自転車で遊びに行っていた時期があった。当時既に琴川橋の存在は知っていたものの、目的地まで最短経路にはならなかったことから殆ど渡っていない。
車に乗るようになってからは時たま通るようになった。最も多かった利用時期は、平原にあるパルセンターでクラブ運営をしていた時期だった。当時はゆめタウンいずみでの買い物頻度が高く、平原から市道厚東川東通り線を進み琴川橋を渡っていた。道は狭いが国道へ出るよりも早いのでこの用途では第一選択経路だった。

撤去が確実視されているため、自転車でこの方面を訪れたとき時間的な余裕があればかならず撮影している定番スポットである。
《 近年の変化 》
・2016年の6月上旬、琴川橋の岩鼻側接続部からJR宇部線の梅光橋りょう下の間の道路整備工事が始まり下旬までに舗装を完了している。

・2016年7月号にVol.3として「厚東川に架かる琴川橋」と題してコラム配信を行っている。コラムの中でも将来的に琴川橋が撤去されることに触れている。

・2017年5月頃、新しい琴川橋に向かう市道岩鼻中野開作線周辺の道路付け替えが行われた。これに伴い、琴川橋を渡るドライバーが混乱しないよう橋の中央付近に告知看板が設置されていた。


・2017年7月中旬頃に新しい橋への切り替え時期を30日午後3時とする告知看板が設置された。


この看板は橋の両端入口に設置されている。同時刻に市道岩鼻中野開作線の新しい琴川橋を供用開始するので、バリケードをそのまま古い琴川橋の入口部分へ移すものとみられる。
このことより、橋を撤去する時期は未定なものの現在の古い橋は30日午後3時以降立入禁止になるものと思われる。[7](2017/7/24)

・2018年3月に現地を通ったとき、琴川橋の撤去に伴う仮桟橋設置工事が行われていることに気付いた。工事名は「市道岩鼻東割線(琴川橋)橋梁撤去工事」で、当初は3月末までの工期だったが、後に6月末まで工期変更されていた。受注者はミツヤ工業(株)。工事内容は琴川橋の岩鼻側に橋梁撤去作業に必要な重機の乗り入れ口を造るのみで、仮設足場を設置した後は撤去工事が始まる2020年3月まで放置された。
・2019年10月27日に市道路課主催で琴川橋の最後の渡り納めイベントが開催された。先着数十名に渡り納め参加証が手渡された模様。当日は午後2時より匿名で取材に出かけていた。

・2020年3月中旬より同名の工事名で本体工事が始まった。受注者は日立建設(株)で、4月始めに大型機械を仮設の台座に据え付けて仮設足場の下部構造となるH鋼を打ち込み始めた。同月中旬までには3スパン分の仮桟橋を造って重機が進出した。5月中旬までに岩鼻側より最初の3スパン分のコンクリート床板を撤去している。

なお、撤去の本体工事が始まり原形が喪われ始めたため、この琴川橋の総括記事を閉鎖し旧総括記事に降格する。琴川橋を過去に存在した橋と位置づけて新しい総括記事を作成し、旧総括記事は以後編集追記を行わない。なお、撤去工事は完全な撤去が終わるまで継続されることから、琴川橋を継続監視物件として変化を追う時系列記事を別途作成する。

上流の橋 上流側に架かる橋に移動 下流側に架かる橋に移動 下流の橋
新琴川橋厚東川大橋

初めて琴川橋および橋の下部を調査したときの記録。2009年4月19日と21日の作成。全2巻。
外部ブログ記事: 琴川橋【上】
出典および編集追記:

1.「ふるさと歴史散歩」p.156
木屋の他に沖の旦、松崎、中渡し(厚東川橋下流付近)、居能の渡しがあった。

2.「なつかしい藤山」p.34, 53
改修が完了したのは昭和22年6月19日だった。
当初は渡橋賃八厘をとっていたが、1915年に県が橋を買い上げてその後は賃料が要らなくなった。

3. もっとも軽四同士であれば減速するだけで橋の幅広区間以外でも離合できるので暗黙ルールに依らない場合もある。
物理的には幅広区間以外においても普通車同士の離合は徐行すれば可能であるが、不慣れなドライバーは自分の車を充分欄干側へ寄せ切れない場合があるようだ。

4. 昭和49年度における琴川橋付近の航空映像を参照。

5.「宇部市|藤山地区と厚南地区を結ぶ琴川橋の架け替え【市道岩鼻中野開作線】」による。
この他にも現在の琴川橋の構造が厚東川増水時の流水処理に障害となり得ることも理由にある。
河川敷に多くの橋脚を下ろす橋は上流からの流木が引かかりやすい。多くの流木が滞留すれば水圧で落橋の危険に晒されるばかりでなく、流木と橋で河川が堰かれた状態になると堤防にまで危険が及ぶ。
企業局の設置した厚東川水路橋の撤去も(老朽化も一因ではあるが)河床に降ろされた橋脚が厚東川の流下の阻害要因となり得るためとされる。

6.「FBページ|2014/9/1投稿分」の読者コメントによる。

7.「FBページ|2017/7/24の投稿」によりページ購読者に通知済み。

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