真締大橋【1】

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現地踏査日:2013/6/6
記事公開日:2013/6/22
時系列では「真締大橋」の続きとなる。踏査日は同じで記事化された日にちだけ異なっている。
《 眞締大橋(遺構)》
現在の立派な親柱を持つ橋は平成期に入って架け替えられたもので、前代の橋の遺構が橋の両岸に残っている。このうち親柱を含めた主要な部材は、右岸の下流側の一角に据えられている。


歩道の外側に芝生のような領域があり、そこに親柱や欄干が散らばっている。
市道に面するもっとも分かりやすい位置に橋の名前を記す親柱があった。


眞締大橋という表記で、黒御影石に金文字という構成は現在の橋と一緒だ。


歩道とこの緑地の間に柵などはなく、自由に出入りできるようになっている。もっともこれが何かを示す説明板などの類はなく、注意していなければ見過ごすだろう。


旧橋の部材であることは想像つくのだが、配置は芝生の中へ適当に並べたという感じである。殆ど土中に埋もれている部材もあった。


他の親柱が何処にあるか分からず、探すのはまるでパズルである。
連なった欄干の端部を一つずつ点検した。


これは橋の名前を平かな表記したものだろう…銘板部分が芝生に埋もれていた。


芝生を押し分けて解読する。「まじめおほはし」のようにも読める。
「お」の次の文字は「お」ではなく明らかに「ほ」だ


直線部分の欄干もそのまま配置され、まるで簡易なベンチを意図しているようでもある。


思うにこのちょっと外側に飛び出た形の欄干は、現在街灯を建てるために外側へ張り出している構造と似ている。
現在の張り出しは、旧橋のこの部分を再現しているのだろうか…


肝心の竣工年を記した親柱を探すまでさんざん欄干の端部を点検しまわることになった。
竣工年の部分は欄干の切り口面ではなく側面部に見つかった。


旧橋が昭和17年2月竣工であることが判明した。


いや…よく見ると竣工ではなくて竣功である。もっとも意味するところは同じだ。


親柱は4基存在する筈で、あと一つがどうしても見つからなかった。
あるとすれば「眞締川」と表記されたものと想像される。[1]


旧橋を撤去したときに発生した部材をそのまま廃棄するに忍びず、原形のまま保存しているのだろう。配置の仕方は些か気まぐれだが、門前橋のように無造作に傍らへ積み上げただけ…というよりはマシだ。

恐らく同じ時期に整備されたものと思われるが、隣接して造られた休憩所のようなものがちょっと謎めいている。


歩道から直角にインターロッキングが設置されており、その端に陶器製のスツールが8基据えられている。
このスツールは常盤公園の野外彫刻広場で藤棚がある付近に設置されたものと同一だ。
妙に記憶が細かいが自分がこれと同じものを園内に据え付けたので覚えている

これはちょっと中途半端だ。公園を意図するのなら、親柱がある芝生に寄せて設置するものだ。とりわけ奥の4基のスツールは殆ど隣接する情報関連会社の植え込み近くにあり、わざわざあの場所まで行って座る人が居るとは思えない。
インターロッキングの一部が芝生に侵食されているところを見ると、どうも造るだけ造って最近は管理されていない感じを受ける。そもそもインターロッキングの通路を行き止まりが明らかなこの方向へ設置する意図が読めない。悪く言えば予算が余ったので取りあえず公園っぽく整備してみたが案の定誰も利用しなかった…という顛末のようだ。

せっかく手間暇かけて旧橋の親柱などを据え付けたのだから、ここにあるものが何かを明示する説明板くらいは欲しい。陶器製のスツールも今の場所から芝生の方へ移設した方が良いのではないだろうか。
《 旧橋の欄干など 》
真締大橋の右岸側下流の緑地に親柱が設置されていた。しかし全体として部材の量が少なく、その他のものは処分されたのだろうかと思っていた。

左岸の真締川公園の中にそれらが見つかった。


この配置のされ方ですぐ気が付いた。
あの張り出し部分である。笠の部分がなく欄干部分だけ据えられていた。


もう一つの張り出し部分の石材は笠石を伴っていた。
鋳鉄蓋を取り囲むように設置されている。
鋳鉄蓋は厚東川2期東部ルートのNo.47蓋


また、足元には石畳のように長方形の石材が並べられていた。
これは石畳を造るためにわざわざ調達したのではなく、旧橋の欄干部分を流用したと考えて間違いないだろう。

真締大橋の本編では「親柱が夜間点灯する」と述べた。実際に薄暗くなって車で走り、点灯しているのを目撃したからなのだが、その裏付けとなるもう一つのヒントを見つけた。


「真締大橋外灯盤」と表示された制御板が見つかった。
夜間点灯の電源はここで一括制御しているらしい。
こういう場合夜間点灯に係る電気代は市道路課の負担になるのだろうか…


真締大橋から殆ど外れて真締川公園関連になるのだが、すぐ近くに若干のネタを見つけた。
いずれ真締川か真締川公園の記事を書いた折には該当部分を移植する余地を残して、続編で書いておこう。

(「真締大橋【2】」へ続く)
出典および編集追記:

1. 2014年の秋口にここから遙か離れた市外である踏査の過程で「眞締川」の石盤が付着した親柱をまったく偶然に発見している。この発見は恐るべき低い確率によりもたらされた出来事である。恐らく誤って搬出されたものではないかと考えている。

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