真締大橋

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現地撮影日:2013/6/6
記事公開日:2013/6/21
真締(まじめ)大橋は、真締川のもっとも河口側に架かる市道東海岸通り線の橋である。
写真は右岸の上流側から撮影している。


橋の位置を地図で示そう。


市道東海岸通り線が現在の形で全通したのはそれほど昔のことではなく、かつては真締大橋から国道に出るまでの区間と昭和町付近には道がなかった。ただし後述するように少なくとも昭和17年には前代の橋が架かっており、両岸の行き来があったようだ。
前代の橋に関する遺構は特に右岸側によく遺されており、後続記事として掲載する。

右岸側の上流。
この橋にまみえてまず驚くことは、親柱の巨大さだ。


八角柱の外観は寿橋を思わせるものがある。材質は御影石で人の背丈よりもはるかに高い。その下部に真締川のプレートが設置されていた。見た目はかなり新しそうだ。

最上部には半球状の笠を被っている。
開口部には強化プラスチックらしき板が取り付けてあり、夜など現役で点灯するように思えるだろう。


実際、この親柱は現在でも周囲が暗くなると自動的に点灯する。先日たまたま暗くなって東海岸通り線を車で走る用事があり、その折りに夜間点灯を確認できた。
制御盤の設置場所も確認済み…後述する

横から撮影してみた。
親柱と同様レトロ感覚の街灯が並んでいる。


真締川に架かる橋としては異色なことに、真締大橋は直線状ではなく起点側がカーブしている。
橋の前後で中心線がかなりずれるのを橋の部分も含めて補正している。


少し歩道を進んで振り返っている。正面に見えるのは法務局の合同庁舎だ。
市道は真締川を渡り終える前からかなり大きく右へカーブしているのが分かる。


目で見ても明白に分かる程度なので、車で走るとかなりきつい曲線と感じられる。標識で明示されていないせいか、どの車も殆ど上限の60km/hを出して橋を通り過ぎていく。市道を利用する工場群が多いせいか大型車両の通行も多い。カーブの外側へ荷台を傾けながら豪速で走り去っていくトラックをよく見かけた。

歩道は幅2m以上あるゆったりした規格で自転車も通行できる。表面はタイル貼りで異なる色をランダムに配置して模様を造っている。かなり手の込んだ意匠だ。

街灯の建つ部分の補強も兼ねて数ヶ所ほど外側へ張り出している部分がある。やすらぎ橋のような景観向けの機能もあるのだろう。
しかし…手すり部分のペイントは経年変化でかなり剥げていた。
意匠が凝っているだけに残念…近いうちに塗り直してもいいのでは…


半円部の出っ張りは海の上を飛ぶカモメをイメージした欄干デザインになっている。
細かなところまで気の利いた意匠を凝らしている橋だ。


上流側を撮影。すぐ上流に見えているのは錦橋だ。
海が近いのでボートの係留が目立つ。


一旦渡り終えて、左岸上流側の親柱を調べた。
左岸側はすぐ真締川公園に繋がっており、植え込みの陰で見づらい。


平かなで「まじめおおはし」となっていた。
磨かれた御影石に金文字である。


この近辺では東海岸通り線は4車線である。交通量はかなり多いが上下線ともやや離れた場所に信号があるので、車の列が一丸となって押し寄せるときと空いているときが交互にやってくる。
その合間を縫って反対側に渡った。

左岸の下流側に移る。平日の昼間だったせいか歩道の通行人は殆どなく撮影に支障はなかった。


下流側左岸の親柱。
竣工年月をあらわすプレートが設置されていた。


平成5年10月完成とされている。
道理で新しいわけだ。
河川敷に姿を現している奇妙な堰堤状のものは…後続記事で検証する


下流側を撮影。
河口側には道はもう一本もなく既に海である。


そのまま歩道を歩いて戻った。
歩道は充分に幅広で自転車も楽々通行できる。車道と歩道の間に御影石が等間隔に並んでいるのだが…ちょっと突っ込んで良いだろうか?


穴が空いているのはロープを通す予定だったから?

孔が全部直線状になるよう配置されているので、車道と歩道を仕切るガードケーブルのようなものを考えていたのかも知れない。しかし実際には上下線ともケーブルは通されていない。
もしかすると当初計画では仕切るケーブルを通す予定だったのだが、足を引っかけて危ないという意見があって設置を見送ったのだろうか…


だとしたら御影石は車の歩道突入防止以外は純粋なデザイン目的ということになる。しかし無駄とは思わない。せっかく歩道がインターロッキングなのだから、無骨な鋼製のガードレールを設置するよりは同様に石材を用いた車止めの方がずっと洒落ている。ケーブルは通さなくて良いと思う。横断歩道以外の場所で渡る是非は措いても確かに足を引っかけて危ないだろう。[1]

最後に下流側右岸の親柱。


漢字表記で「真締大橋」となっている。
平成期に架けたので「真」の字は現代字体だ。


架橋が平成時代とは言ってもそれ以前からここに橋は架かっていた。現在ある親柱はかなり立派だが、旧橋の流用か新たにレトロ調のものを新設したのかは調べてみないと分からない。私自身、東海岸通りは幼少期から縁遠い道で自分自身の自転車ではもちろん親が運転する車でも通った記憶がまったくない。

ただ、旧橋に関する現物資料は図書館を訪れなくとも自転車を停めたこのすぐ近くに見つけられる。


これといった説明板などはないが注意して観察すればすぐ分かるものだった。
引き続き調査してみることとしよう。

(「真締大橋【1】」へ続く)

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錦橋港町運河橋(仮称)

出典および編集追記:

1. 確証はないが、御影石にロープを通すための穴が空いていて実際には何もないのは、もしかすると現在の橋に掛け替える前の眞締大橋の状況を再現しているのかも知れない。眞締大橋は昭和17年という戦前の架橋である。当初は等間隔に並べられた石材に鉄棒が通されていたものの、戦時における金属供出により外された可能性がある。同様の構造が神原公園の初期の入口であった橋や渡内川沿いに設置されていた柵にもみられる。(2019/1/26)

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