新宮橋

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現地踏査日:2012/12/3
記事公開日:2012/12/15
新宮(しんみや)橋は常盤池にある常盤神社と本土部分を結ぶ橋である。
橋の本土側を地図で示す。


何処の橋の話か分からず、記事ファイル名あるいは更新履歴のみを頼りに閲覧なさった読者が多いことだろう。
およそ橋の外観を呈しているものには固有の名前があることに異論はないものの、常盤神社の小島に向かう橋の名前を正確に覚えていた市民は少数派であろう。

なお、同名表記あるいは同じ読みの橋が市内にあるかも知れない。その場合は該当する橋を記事化するときに双方を区別するためのリダイレクトを作成する。

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新宮橋は常盤神社に至る参道の一部となっていて、本土側から神社のある小島へ真っ直ぐ繋がっている。


橋の前後と参道の入口に鳥居が立っている。


橋の欄干は朱色に塗られており、参宮通りにあって時雨川を渡る参宮橋と同様だ。
橋の上部はコンクリート舗装されている。


本土側の向かって左側の親柱に橋の名が記されている。


右側の親柱は常盤湖となっていた。常盤池でなく常盤湖とする名称は白鳥大橋も同様になっている。


橋とは無関係だが、本土側の護岸に一部昔のものがそのまま遺されていた。
通常水位に戻ればこの古い石積みは水没すると思われる


橋は他のものと同様、中央部がやや高くなっている。
幅は軽四が通れる程度あるが、前後に鳥居があるので公園の管理用車両以外乗り入れることはない。


小島側から振り返って撮影。
午後訪れたので西日がきつい。


小島側の向かって左の親柱に橋の読みが記されている。
確かに平かなで「しんみやはし」となっている。


右側の親柱。
昭和42年7月の竣工となっている。湖水ホールと遊園側を結ぶ常盤橋よりも3年後のこととなる。


常盤池の古地図を参照すると、この小島は陸繋島に近い形態であったらしい。現在の新宮橋は昭和40年代の竣工だが、もしかすると今架かっている橋が初代という可能性もある。それと言うのも市内在住の高齢者から水位が低いとき小島まで渡っていたという話を聞いた[1]からだ。
一連の写真を撮影した12月上旬の時点で常盤池の水位はまだ低かった。しかし橋の周囲に渡れるような浅瀬は観られないことから、現在の護岸を造る際に本土側を若干盛土し高くしたようだ。

3年前にこの橋を撮影した写真である。
水位が高めなこと以外、現在と殆ど変わっていない。


まだ自分の中でテーマ踏査の手法やデータ採取すべきレベルが確定しておらず、久し振りに訪れた常盤公園で懐かしいと思ったものを手当たり次第撮影した写真だった。
このときは橋を渡らずこの一枚だけ撮影して引き返していた。
神社は当時から写真撮影の対象外だった

次の2枚は去年の夏場、水位が異常上昇したときの写真である。
彫刻広場のある半島部分から撮影している。


ズームで撮影している。
常盤神社に接続する橋の袂すれすれまで水が押し寄せていた。
最高水位時には境内までうっすら水に浸かったとも聞いている


橋の撮影に合わせて小島を一周し主要な資料などを撮影してきた。
記事が整い次第、時系列の後続記事としてリンクで案内しよう。

(「小鍋島」へ続く)

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出典および編集追記:

1.「ときわ公園物語」P.85 に昭和初期の常盤神社付近の写真がある。
遠浅の自然な岸辺になっており、水位が下がれば歩いて行ける状態だったようだ。

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