写真は市道終点を向いて撮影している。
橋の位置を地図で示す。
上の写真の撮影地点を中心にポイントしている。
風流な名前とは裏腹に構造は単純なコンクリート床版、欄干や親柱などはなく黄色いガードレールのみ。それも至る所錆が出ていてとても秀麗とは言えない橋だ。
下流側左岸を撮影。黄色いガードレールに銘板が取り付けられているのが見える。
寒い時期なので凍結防止剤が置かれていた。
(河川敷に見える奇妙な模様については本編の末尾に記述している)
漢字で「竹園橋」となっている。
ブロンズ製ではなく通常の鉄板に金文字を描いたようだ。その金色も経年変化で色褪せて茶色っぽく見える。
上流側には河川名の「真締川」のプレート。
そのまま橋を渡り右岸の上流部を調べる。
竣工年のプレートだ。
(ガードレールの後ろがゴミステーション…これではゴミを棄てにくいのでは…)
昭和46年3月竣工となっていた。
ガードレールにプレートという簡素なタイプにしては古い部類である。
一つ下流にある新橋もこれと同じ黄色いガードレールにプレートが取り付けられたタイプの橋だ。新橋には竣工年を示すプレートが欠けていたので、竹園橋とほぼ同じ時期ではなかろうかと推測される。
あと、私たち市民・県民にはまったく見慣れていて何らの違和感も覚えないのだが、県外から閲覧なさっている方には「ガードレールが黄色い」というそのことに意外感があるだろうか。
これは山口県の県道および県管理の国道に特有のものである。[1]そして実際のところ県道のみならず市道や地区道などで昔に設置されたガードレールには同色のものが目立つ。
さて、右岸の下流側なのだが…
ここのプレートは通常のパターンとは異なっていた。
またもや漢字で「竹園橋」だった。
橋に取り付けられる銘板の通常パターンは橋の名の漢字表記・平かな表記・河川名・竣工年月である。新橋のようにプレートが盗まれるなどして存在しない場合は仕方ないとして、橋の漢字表記を重複して載せているのは異例である。
このため「竹園橋」の正確な読み方が分からない。まさか「ちくえんはし」なんてこともないだろうが、当面は「たけその」か「たけぞの」かは分からない。小さなことのようで本記事のファイル名に影響する。
(暫定的に"takezono.htm"としている)
接続される市道真締川西通り2号線側から眺めた竹園橋。
鎌田橋のように隅切りされていないので橋への車の出入りはかなりしづらいだろう。
(まだ車で通ったことは一度もない)
橋の高さは取り付けられる真締川西通り2号線を基準に設置されている。
左岸側はこれより低いので橋は完全に平坦ではなく左岸側にスロープが付いている。
この構造を横から見たところ。
橋脚が左岸寄りになっている。
上のショットを得るために実は…こんな狭い石積みの上を横ばいで歩いて進入していたのだった。
(立て掛けられたアルミ梯子の意味は後の項目で理解できるだろう…)
橋そのものは特筆すべきものはなくとも、当面は竹園の正確な読み方が分からない。そして実はそれだけではなく橋の名称になっている「竹園」の出所自体も不明である。
上流側に架かる橋に移動 | 下流側に架かる橋に移動 |
鎌田橋 | 新橋 |
写真が少ないので、派生的記事を続けて記述する。
《 竹園について 》
項目記述日:2017/2/25
本稿にも書いているように竹園そのものの読みはまだ確定していない。特異な来歴がない限り通常は訓読みなので「たけその」「たけぞの」のいずれかであると思われる。この辺りの小字は市道の路線名の通り西仙である。手元の資料を参照しても竹園やそれに似た音の地名は確認できない。しかし橋の名称以外でもこの辺りが竹園と呼ばれていた可能性のあるものが見つかる。
竹園橋に向かう下り坂の途中にある電柱に取り付けられた看板。
ここに竹園というキーワードが現れている。
一般名詞として考えるなら、当時はまだ今ほど多くはなかった竹を主体にした庭園があったのかも知れない。しかし西仙という小字名がありながら別の通称名を用いた理由は不明である。現在はこの区域は宮地町となっているため住居表示では竹園や西仙があがってくる可能性はない。地元限定の通称名であったと考えられ、この点では上宇部の赤松池付近にみられる京賀と似るところがある。いずれも地元在住者からの聞き取りを要する。
【 記事公開後の変化 】
項目記述日:2017/11/10
竹園橋を渡って後述する項目のハート印を撮影していてたまたま地元在住者と話をする機会があり、橋の名称である竹園は最初にこの場所へ架橋し寄進した方の名前からとったものであるという情報が得られた。当初、この場所に橋はなく、若干下流側には堰があったという。架橋年は(新橋など他の橋との構造を比較した上で)昭和中期以降であることが郷土関連の書籍や郷土マップに記載がない理由と思われる。この近辺で竹園というキーワードがみられるのは橋と先述の看板のみなので、看板にある不動産会社の管理物件も同一人物に由来する命名かも知れない。
《 竹園橋付近の河川敷に刻まれた♥ 》
この記事はカテゴリ整理の過程で暫定的にこの場所へ移動されています。将来的に単一記事に分割されるなどで再度アドレスが変わる可能性があります。 |
竹園橋の上から真締川の下流側を眺めると、水の流れていない土砂堆積部分にハート状の模様を観ることができる。
下の写真はこのたび竹園橋の記事向けに撮影した最近の状況だ。
季節柄草木が生えていないし割と最近大雨で洗われたのだろうか…全体に水を被ったような感じだし外側の輪郭も不明瞭になっていた。
以下の2枚は前年の春ほぼ同じアングルから撮影した写真だ。
適度に草が生えているせいで削られた土の部分がきれいなハート型になっていた。
このときはまだ市内の橋を丹念に撮影するまで至っておらず、他の物件を踏査した帰りにたまたま竹園橋を渡った。何の気なしに河川敷を眺めていて土砂の堆積した場所に何やら模様らしきものがあるように思えて自転車を引き返して見つけた。
橋から眺めると逆ハート状なので桃の絵のようにも見える。これに気付いている人がどの位居るものだろうか…
橋を渡る人やメインの市道を通る車からは見えても一瞬であり殆ど気付かれていないだろう。他方、河川敷に目を遣ればこれが自然の産物ではなく人為的に堆積土砂を掘り起こして造ったことがすぐに分かる。
ハートの縁となる幅から推測して、角スコップで土砂を掘り起こして造ったのだろう。
今回もハートの形に見えそうな位置まで移動して撮影したのだが、河川の増水で洗われたせいか外側の縁が崩れて不明瞭になっていた。
公共の河川にはかならず管理者がある。真締川は県管理の2級河川であり、河川敷も県の管理である。恣意的に河川を改造したり耕作地として利用することは認められない。実際、他の地域では河川の堤防付近を勝手に耕作地として削り作物を植えているために土手の強度不足を招くなど問題を起こしている事例がある。
しかし河川敷の土砂堆積部分は堤防ではなく、このように掘り取って模様を描いたところで河川本来の機能を損なうとは言えない。恐らく河川敷近くの住民による作品だろう。石積みのところに立て掛けられていたアルミ梯子は、河川敷に下りるために置いているものと思われる。
作品が刻まれている場所は上流からの土砂が堆積していて通常の流水では水を被らない。満潮時に雨が降れば洗われるかも知れない部分である。したがって堆積土を加工しただけで流下に何の影響も与えていない。通行人の目をちょっと愉しませるこういう遊び心には寛容であっていいと思う。
(もっとも県が排水効率を高めるために土砂を浚えると言ったら壊されるのは致し方ないだろう)
このハート型は冒頭に掲載した地図の航空映像モードでは見えない。この数年のうちに造られた”作品”だろうか。