鎌田橋

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現地踏査日:2012/12/3
記事編集日:2015/6/26
鎌田(かまた)橋は真締川の中流、鎌田地区を渡る橋である。


橋の位置を地図で示す。


鎌田橋は市道丸山黒岩小串線の一部であり、橋の右岸側で市道真締川西通り2号線に接している。


橋の構造はこの近辺一帯で見られるような普通のコンクリート橋で、幅は普通車一台なら心配なく通れる程度である。
充分徐行すれば四輪同士でも離合できると思う


親柱や欄干のような高尚なものはなく、欄干代わりの黄色いガードレールにブロンズのプレートというスタイルだ。
下流側左岸に漢字表記で「鎌田橋」となっている。


下流側右岸に平かなで「かまたばし」。


上流側には河川名を示すプレートが設置されていた。


肝心の架橋年月を示すプレートは見つからなかった。
この近辺に架かる他の橋もコンクリート橋で黄色いガードレールにプレートのみ設置という共通スタイルなので、どれも時期的にはほぼ共通しそうだ。昭和中期ではないだろうか。
山口県色を前面に出すために市道でも盛んに「黄色いガードレール」が採用された時期だ

上流側の眺め。
多くの橋でみられるように鎌田橋でも橋の上からの釣りを禁止する標示板が出ている。こんな狭い橋の上で釣り竿を振り回されては危険極まりなく規制は当然だろう。


下流側の眺め。
真締川の屈曲する場所に宇部南支線のNo.2鉄塔が建っている。


橋の上から真締川の水面を撮影。


明瞭には写っていないがかなりの鯉たちが集まっていた。


右岸側から撮影。


さて、これだけなら単に真締川を渡るコンクリート橋の一つでしかない。
実はこの橋の特性を伝えてくれる石碑が橋の袂に設置されている。
以下の6枚は、初めて自転車で鎌田橋を訪れた3年前の撮影である。


「さかなつりをしないで下さい。」の立て札は、当初は土手に設置されたいたことが分かる。


この橋の重要性を記録した石碑が左岸側にある。


真締川最初の橋。


もちろん現在のコンクリート橋が最初のものというのではない。どのような構造だったか今となっては不明だが、真締川に初めて架けられた橋だった。

石碑の裏側には設置年月と設置団体名が記されていた。
設置年自体はかなり新しい。「ほうゆう上宇部」は恐らく上宇部周辺地区で活動する郷土史グループだろうか。


この碑文は現在も同じ場所に建っている。
当然、今回の踏査でも撮影はしたのだが、時期柄雑草にまみれて明瞭な写真が撮れなかったので過去の映像を掲載した。


真締川にはいくつもの橋が架かっているので、こんな中流域から上にある橋が最初と言われれば意外かも知れない。しかし前身となる間占川は現在の西の宮付近で屈曲し居能方面に流れていたことを思い出す必要がある。

鎌田橋が真締川に架かる最初の橋であるということは、現路線の市道丸山黒岩小串線のこの区間が相当に昔からあった重要な道だったことを裏付けるものと言えよう。初代はどのような橋が架かっていたのか、それはいつ頃まで遡れるものなのか…詳しいことは今後どういう資料に出会えるかに懸かっている。今のところ鎌田橋に関して以下のような歌が歌われていたことが伝えられる。[1]
かかる かかるよ 鎌田の橋は
橋はかからで 石懸かり
歌い込まれた内容からは、架橋が待ち望まれていながらなかなか実現しなかった歴史が推測される。特に石(ごく)懸かりの辺りは橋が架かることと石懸かりが掛詞になっており、架橋に必要な経費を賄うために租税を上乗せするようなことがあったのではないかとも思われる。

なお、鎌田については以下の派生記事を参照されたい。
派生記事: 鎌田について

上流の橋 上流側に架かる橋に移動 下流側に架かる橋に移動 下流の橋
御手洗橋竹園橋

出典および編集追記:

1.「上宇部歴史マップ」

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