コンビニエンスストア

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記事作成日:2021/4/14
最終編集日:2023/4/1
ここでは、市内におけるコンビニエンスストア(以下「コンビニ」と略称)に関する記述をまとめている。
写真はセブンイレブン宇部善和店の遠景。


コンビニとは説明するまでもなく日本全国津々浦々に存在している長時間営業を旨と為す大手小規模店舗である。運営会社は多数存在するが、大手企業によるものとしてはセブンイレブン(以下「セブン」と略記)、ローソン、ファミリーマート、ポプラなどがある。市内に関しては先述の4種すべてが存在するものの現状では上位2社で9割方を占める。convenience(利便性)という元の名の通り、現代社会では暮らしに密着したなくてはならない存在とみなされている。

コンビニに関する一般的な情報についてはコンビニエンスストアを参照。類似する記述を仮置きするために、以下ではコンビニという呼称が現れる以前から存在した夜間営業する小売店舗の内容を含めている。この項目は記述内容が増えたなら分割する。個人的に把握する限りの市内における状況と店舗展開の歴史を記録し、後半でコンビニの抱える問題についての個人的見解を記述する。
《 歴史 》
現代でこそ深夜でも必要なものを購入できる小売店舗はコンビニに限らず一部のスーパーマーケット(以下「スーパー」と略記)でもみられるが、昭和50年代初頭では個人商店からスーパーに至るまで日没に合わせて閉店するのが常だった。一部のスーパーは個人商店並みの午後5時には閉店していた。仕事を持っていれば一般に午後5時まで会社勤めなので買い物は不可能だが、当時は男性が外で働いて稼ぎ女性は子どもの世話や掃除洗濯家事を分担していた。家を守る女性は日の明るいうちに買い物を済ませ、午後5時には夕食の支度に取り掛かるので、それ以降の時間まで店を開けても来客需要が殆どなかったのである。

女性も外で働き夕刻遅く帰るようになると、仕事を終えて食材を買って帰るのに午後5時閉店では間に合わない。この需要を受けて多くのスーパーが営業時間を午後6時や7時まで延長した。それでも午後7時頃には家族全員が揃って食卓に着きニュースを視ながら夕食を取るスタイルが標準的だったので、更に遅い時間まで店を開けておく必要がなかった。夕食の支度をすると遅くなってしまうような場合は、スーパーで食材を買うよりも子どもを連れて外食することが多く、その需要を家族レストランや個人営業のラーメン店などが支えてきたからである。

ただ、夜遅い時間に酒のつまみや簡単な食材を買いたい需要が皆無だったとは考えられない。僅かでも需要があれば遅い時刻まで開けている店があれば、ほぼすべての客の需要に対応できる。このような意図から遅い時間に営業した店は存在していたと思われるが、個人的に把握している限りでは以下の一事例しかない。
【 初期の深夜営業する小売店 】
現在の芝中町あたりに菅公(かんこう)という夜間のみ営業する個人の店が存在していた。いつ頃開店したのかは元より正確な店舗の所在地や店名も分かっていない。

昭和57年頃、高校生だった時代に「夜遅くまで開いているお店がある」という話を兄貴から聞いて、夏休みに夜中の零時頃に自転車で訪れたことがある。何か買いたいものがあったからではなく、どんなお店なのか行ってみたいという興味と親に内緒で夜間外出するための体の良い口実だった。当時は小売に限らずどんな店でも深夜まで開けているのは繁華街に限定され、そうでない場所は外灯も今ほど整備されていなかったため夜間の外出自体が危険だった。

お店で何を買ったのか、どんなものが売られていたかは覚えていない。手狭な販売スペースに酒類とつまみ程度だったと思う。価格は普通のスーパーで買うよりもかなり高かった。この店に関してはそれ以上の情報を把握していない。しかし近隣地域に深夜営業している店は他になく、相応な知名度があったと思われる。
【 コンビニの黎明期 】
昭和60年代に入る頃から都心部でコンビニエンスストアなるものが店舗拡大しているらしいと知った。先述の菅公のような個人営業や単発の店ではなく一企業が統括するチェーン店舗で、従来のデパートやスーパーよりも更に小振りな店らしかった。これは昭和50年代半ばから増え始めた小規模店舗の流れを受けている。

仕事帰りの遅い時間でも店が開いていることで「開いてて良かった」のフレーズと共に、都心から人口密集域を中心に広がり始めた。女性も外で働くのがごく一般的となり、食材を買うことに加えて出来合いの惣菜や弁当を買えば調理の時間も省けて便利という点が評価され、爆発的に広がり始めた。非常に需要が旺盛なため、他企業も同種のチェーン店舗を全国展開し追随し始めた。

セブンに関してはテレビCMなどでも頻繁に目にしていたし、既に「コンビニ」という略称も耳にしていた。しかし当時は未だセブンが全国津々浦々に存在していたわけではなく、少しずつ増え始めた時期でも未だ市内にはセブンどころかコンビニが一つもなかった。これには先述の小規模店舗による補完が大きい。店舗に関する法律改正の後、県下で小売スーパーを展開している丸久が小規模店舗を新規開店しており、その店舗の営業時間が旧来のスーパーに比べて著しく長かったからである。当時の最寄りの代表的なスーパーが丸久末広店で、夜10時まで営業していたので夜間の買い物需要を支えるに足りていた。

個人的には初めて深夜まで営業する本格的なコンビニを利用したのは、昭和62年頃のことである。当時は宇部市内を離れて山口市に下宿しており、山口市平川にパコール平川店が存在していた。

パコールは現在リテールパートナーズとなっている前身の丸久が展開した深夜営業するチェーン店舗で、午後3時まで営業していた。高校生の頃行ったことのある菅公とは異なり、カップ麺やお菓子、弁当など需要が高そうなものが一通り売られていた。初期には深夜まで営業しているという事実だけで充分に新鮮で、わざわざ閉店時刻近くに買い物へ行ってレシートに深夜の時刻が印字されるのを見て悦に入っていた。商品が高いので、普段はすぐ近くで営業する丸久平川店を利用した。しかしパコールでのみ扱っている商品もあり、それを目当てに買い物に行くようになった。恐らくエースコックのカップ麺で、激辛味噌チューブなるものが封入されていて全部入れると(辛すぎて)もう至福の世界へ…などと書かれた商品だった。当時は激辛ブームの真っ只中で、このカップ麺は数回買って食べている。

夏休みなどは下宿よりも自宅で過ごす方が多かったが、その時点でまだ市内には同種の営業形態の小売店舗は一つも存在しなかった。このことより「宇部市はやっぱり片田舎」という認識が強まった。実際には山口市には山口大学があり、学生が深夜まで活動することが一般的なので購買需要が見込めたことに依ると思われる。

現代でこそセブンが圧倒的優勢を誇っているが、初めて市内に店舗を構えたのはセブンではなくローソンだった。具体的に何処の店舗だったかは情報がない。時期は平成初期で、当時セブンは都心などではまったく当たり前に存在していたものの、市内は元より県内でも殆どなかった。ローソンが進出してきた後もセブンの店が出来たのはそれよりかなり後で、当時は宇部のような片田舎では商売にならないから進出しないのだろうと噂された。
【 市内でのコンビニ普及と利用 】
平成3年頃になって市街部でもぽつぽつとセブンの店が現れ始めた。現代でも運営会社によるこだわりを持つ人はあるが、当時はローソンが先行して進出しセブンがなかなか現れなかったことから、セブンの進出後は多くの客が流れた。実際に確かめた人がどれだけ居るか不明ながらも「弁当はローソンよりもセブンの方が美味しい」という意見が目立った。納入業者が異なるため、ローソンとセブンで置いてある商品が異なるのはよくあることで、弁当以外でもセブンを支持する人が多かった。他方、パンはローソンの方が美味しいという人も居た。この当時はファミリーマートの店舗は皆無だったし、ポプラも平原などごく一部の限られた場所にしかなかった。

社会人になって自由になるお金が充分になると、少々高くても他の店にない優位性と利便性からコンビニを利用し始めた。個人的にはセブンとローソンの差を感じなかったので、会社の帰りに立ち寄る経路などから特定の店舗を利用するようになった。
この最初期の事例は、青少年会館横の松山通りに面して存在していた松山町一丁目店である。
既に移転していて現在はコインランドリーの店となっている


この店を頻繁に利用したのは、会社の帰りに参宮通りから青少年会館の裏の路地(市道常藤線)を経てセブン横に到達できて車で立ち寄りやすく、買い物後も恩田へ帰るのに退出が容易だったことに依る。後には別の理由により、会社から帰るときいつも立ち寄って買い物するようになった。これには(ありがちなことだが)この店舗に好きなおんにゃの子のレジ係さんが居たことが理由であった。詳細なことはここに書けないが、最初の出来事が衝撃的だった。当時からコンビニには社員ではなくアルバイトが勤務していた。
今も名前を覚えているがついに声を掛けることができなかった

恩田から野山に引っ越した後で勤労者体育センターのバドミントン教室に通っていた時代、教室を終えて野山に帰るとき市道小羽山中央線を通った。この道に面して存在していたセブンの小羽山店にも頻繁に寄り、買い物をして帰っていた。いつも同じ曜日の大体同じ時間帯に立ち寄ることで、レジ係をしていた年配の女性アルバイト店員に顔を覚えられ世間話をしていた。

ローソンに関しては同じく小羽山中央線の終点付近、福島建設が2階に入っている1階のローソンをよく利用していた。市営住宅に関する業務で東小羽山地区を訪れることが多く、仕事が一段落した後で買い物をしていた。これは野山の周辺にはコンビニを含めて小売店舗が皆無であったことに依る。

この辺りの時期が個人的にはコンビニ利用の最盛期だった。いずれも補足的な買い物に限定されていて当時から特に必要性を感じてコンビニを利用していたわけではなかった。一般的にもコンビニはスーパーを補完する位置づけだった。これには低価格を売りに勝負するディスカウントストアを始めとした他種店舗の進出によるものが大きい。
【 他種店舗との棲み分けと個人的なコンビニの利用衰退 】
大和の跡地にトライアル宇部店が初めて店舗を構え、初期には設備の古さや商品の質など批判は多かったものの誰もが認める低価格性から既存のデパートやスーパーから更に客が流出した。同種の業態の店としてダイレックスや業務スーパーなど数社が参入したことで加速した。特に従来は薬品類を専売していたドラッグストアが一般の商品を売り出すことで、旧来のデパートは更に追い打ちを掛けられた。

こうした中でもコンビニは商品の販売だけでなく公共料金の支払いなど他のスーパーと重ならない業務を開拓することで、利便性が強く支持され客の流出を招くことはなかった。特にディスカウントストアやドラッグストアに比べて小規模であることを活用し、幹線道路沿いで大型トラックでも立ち寄れる店舗展開を意図して多くのコンビニが広い駐車場を確保できる場所へ移転した。市内においても平成初期に店舗を構えたコンビニで、現在も同じ場所で営業している店舗はほとんどない。

上位コンビニ会社は資金力と身軽さをたてにスクラップ&ビルドを繰り返したが、そのことは後述するように店舗を利用して買い物する客にとって「冷蔵庫を勝手に動かされる」不利益を被ることもあった。
《 コンビニの抱える問題点 》
個人的にはディスカウントストアとドラッグストアが進出した時点で、殆どの買い物は既存のスーパーとこれらの店で足りると理解し、コンビニを利用しなくなった。デフレと低収入生活が常態化し、生活防衛するために高い商品や嗜好品を買うのを止めたのが主因だが、現在では以下に記述するいくつもの理由により、積極的にコンビニの利用を忌避している。

情報以下の記述は個人的な意見です。

何年も前から現在に至るまで、コンビニは家賃の振り込みなど他では代替されない作業を遂行する目的で利用している。弁当や菓子類を買う目的でコンビニに立ち寄るのは、他の店へ行くと著しく時間や手間暇がかかるとか普段訪れないほどの遠方へ行って旅行気分を味わうとき位のものである。自分が利用しないというだけではなく、交通の輻輳しがちな市街部からコンビニ店舗が減少して欲しいと思うし、極端に言えばなくなって欲しいとすら考えている。何故ならば、近年のコンビニは社会的責務を果たしていないと考えるからである。

より精確に言えばコンビニは以下の点について充分な対処ができているとは言い難く、単に「売って儲けるだけで他は何もしない」小売業である。
(1) 地域に根ざした販売やサービス提供を行う精神を著しく欠いている。
(2) 相応な来店者数が幹線道路に与える影響を考慮した店舗設計がなされていない。
(3) 角地に造られた店舗の駐車場通り抜け問題が対処されていない。
【 地域に根ざした営業活動の欠如 】
具体的に言えばあまりにも頻繁かつ身勝手に行われる店舗移転である。この問題は完全にコンビニのみに当てはまる。

初期の店舗移転は駐車場の確保や大型トラック等での来店対処が多く、移転理由としてある程度理解ができた。近年は採算に合わないなどという運営側の問題だけでさっさと店を畳む事例があまりにも多い。
写真は国道2号逢坂にかつて存在していたセブンイレブンの店舗跡。


この店舗は永らくここで営業し、大型車両も利用できるように広い駐車場を確保できていたにもかかわらず何の告知もなく次に国道を走ったときには店がなくなっていた。

コンビニに立ち寄る利用者が多いことは、何処の店舗を見ても頷ける。そういった店舗が気軽に店仕舞いされれば、いつも店舗を利用している人は不便を被る。単に儲からないからという理由だけで閉店したり移転するのは、地域に密着した小売業としての自覚を欠く態度として非難する。もっとも利用する側は殆ど車で来店するから「無くなれば他の店舗を利用する」といったスタンスであろう。しかし多くの客が押し寄せる店舗が頻繁に閉店したり開店したりを繰り返すことは、後述するように人や車の流れの攪乱要因となる。傍目には地域のお店として貢献する態度に欠け、単に儲けることしか頭にないと映る。
【 店舗への来店者が幹線道路に与える影響の問題 】
店舗に来訪する利用者が多くなることに起因する問題で、これはコンビニ以外でも当てはまる業態(例えば進学塾など)がある。

交通量の多い幹線道路沿いに多くの来訪者が頻繁に出入りする施設を造ると、車での出入りに係る適切な道路設計がなされていなければ、幹線道路の流れが悪くなる。特に右折入場する車両は対向車がなくなるまで路上で待機するので、路側や車線幅に余裕がなければその車線の後続車両はロックされる。このような問題は右折入退出問題としてコンビニに限らず忌避される。

セブンイレブン宇部中山店は以前中山分水槽の前に存在していたが、駐車場問題から県道沿いの中山地区寄りに移転した。遺憾ながらこの場所に店舗を構えたことで県道の流れが格段に悪くなった。


県道で沖ノ旦方面へ向かうときこの店舗へ右折入場する車があると、道路幅が狭いため対向車が切れない限り後続車はやり過ごすことができず待機を余儀なくされる。夕刻は中山方面に向かう車が極めて多く、右折入場する車のためにわざわざ停まって横切らせてやる寛容なドライバーは少ない。更に悪いことに、このコンビニは先にある連動しない2つの信号機のすぐ手前にある。

このため先の信号が青なのに右折車両のせいで後続車が進むことができず、赤になって対向車がなくなることでその一台だけが悠々とコンビニの駐車場へ右折入場する傍ら、後続車すべてが信号待ちさせられるという不快が現象がしばしば起きている。

宇部中山店の場合は県道の幅が狭く右折車を避けて先へ進めないこと、夕刻は特に中山方向への交通量が多いこと、信号のある交差点近くに店舗を移転してしまった複合要因で県道の流れに悪影響を及ぼしている。このような場所にコンビニのような常時出入りの多い店舗を構えるならば(東岐波のメルクス宇部のように)入場専用の右折レーンを自己負担で設置させるべきだった。

同様の店舗を発生させないためにも、道路管理者は頻繁な出入りがあることが予想される施設(コンビニに限らない)を幹線道路沿いに建設する場合、右折レーンを設けるなど一般交通の流れを阻碍しない対策を講じなければ県道に係る申請(歩道加工など)を認可しない厳格な指針を追加して欲しい。
【 駐車場の通り抜け問題 】
特に交差点の角地に店舗を構える問題で、これも遺憾ながらコンビニ店舗に特異的に目立つ。

車での入店と退出の容易さを考慮して、交差点の角に店舗を構える事例が多い。市内でもセブンとローソンで複数店舗が存在する。そのすべてに共通して言えることは、駐車場の通り抜け対策を怠っている点である。

ドライバーは先を急ぐから車を運転しているのであり、変わりつつある赤信号を好んで受け入れる人は居ない。特に角地にコンビニがあると、赤信号を待つのが嫌でコンビニの駐車場を横切って左折するドライバーが後を絶たない。そういったドライバーは先へ進むことしか考えていないので、歩車道の人や自転車をろくに見ていない。減速もせずいきなり自歩道を横切り駐車場を走り抜ける車に綺麗サッパリはねられそうになる事態を何度も経験した。

具体的な事例。写真はセブンイレブン宇部島2丁目店。
若葉マークの軽四がいきなり突っ切って駐車場を通過し左折していった。ドライバーは自歩道を走っている自転車の存在などまったく見ておらず、すんでのところで跳ね飛ばされるところだった。


コンビニの駐車場は買い物客に供せられている場所であり、通り抜け需要を容認していないのはコンビニ管理会社も同じ意見である。しかし駐車場へ進入してくる時点では、通り抜け目的か買い物目的かは分からない。このことを逆手に取り、狡猾なドライバーではさも店舗で買い物するかのように”徐行して”コンビニの駐車場を通過している。スピードを落としてでも信号を待つよりは早く左折できるからである。

誰にも迷惑をかけず駐車場を突っ切るのはドライバーの勝手だが、それを容認するとコンビニ周りの十字路に付随する歩道や自歩道を通行する安全が保てない。正規の運転をしていれば通る筈がない場所を通過しているわけで、その行為により無関係な通行者に危険を及ぼしている。そのような通り抜けを敢行するドライバーに一番の責任があるが、危険な状態を放任しているコンビニ会社側に責任無しとは言えない。

市内の角地にあるすべてのコンビニは物理的な通り抜け対策を講じておらず、今後も対策する気配がまったくない。以下は、市内において交通量が相応に多い交差点の角地に存在する店舗の一覧である。このような店舗の周辺を歩いたり自転車で通過するときは通り抜け車両に注意が必要である。
・セブンイレブン宇部川上店
・セブンイレブン宇部寿町店
・セブンイレブン宇部島2丁目店
・セブンイレブン宇部ひらき店
・ローソン宇部中央町一丁目店
・ローソン宇部東小串二丁目店
特に最後のローソン宇部東小串二丁目店では、夕刻時に極めて交通量が多くなり信号待ちが長いために、間違いなく市内最悪レベルで駐車場の通り抜けが起きている。個人的に自転車での往来の動線と重なることもあり、この店舗だけで3度以上不注意な通り抜け車両と衝突しそうになった。

個人的に私がコンビニを忌み嫌っている最大の原因である。角地に作ることで来店者への利便性には貢献しているが、それ以外の通行者が危険に晒されようが一向に構わないという態度の企業を評価できる筈もない。

市内の角地にあるコンビニで、通り抜け禁止を明示している店舗さえも少ない。
写真はセブンイレブン宇部川上店の市道南側請川線に面して出している通り抜け禁止の可搬式表示。


表示が出ているだけで駐車場にバンプは設けられていない。表示自体も可搬式なので、客から邪魔だとクレームが入ればいつでも撤収可能であり、通り抜け対策としてはまったく不十分である。

近年新装オープンしたセブンイレブン宇部ひらき店の例。
この店舗は建設当時から駐車場の端に市道往来車両へハッキリ見える形で固定式の掲示を出している。


しかしこの場所では通り抜け問題が殆ど発生しないと考えられるので、設置は牽制的効果しかない。この店舗がある十字路には信号機がなく設置される予定もないので、岡ノ辻方面からここで左折し常盤台へ向かう車両は常に優先して曲がれる。殆ど待たずに左折できるなら、わざわざ駐車場を通り抜ける理由がない。

ローソン宇部東小串二丁目店で多発する理由は、信号機で交通整理されている交通量の極めて多い幹線道路の交差点だからである。信号のサイクルタイムも長く、変わり端を停められれば1分近く待たされる。そのタイミングで自分の車だけが信号待ちを強いられるのは嫌だから、駐車場を突っ切って左折するドライバーが現れる。駐車場は舗装されておりコンパクトだから数秒で抜けられる。現代人のクルマの運転態度は「先を急ぐなら物理的に通行できる場所は何処でも通り抜けて構わないと思う」に傾きつつある。

通り抜け問題に正しく取り組むなら、徐行しなければ酷い振動で不愉快な目に遭う程度のバンプを駐車場に設けるべきである。バンプで低速走行を余儀なくされ、退出するときも直進する車の切れ目を待つ時間が充分に長ければ、正規に信号を待って左折するのと時間的にあまり変わらなくなる。それだけで通り抜け問題は激減するのが明らかなのに、来店者の便宜とコストを理由に対策を講じようとしない。

駐車場という社有地内での問題だから、警察もバンプを設置せよと勧告はしない。店舗オーナーは通り抜けが多発していることを認識しているだろうが、管理会社が対処すべき問題であってオーナーに責任はない。通り抜け問題は十数年も前から存在していながら放置され、コンビニとは全く関係もない周辺の住民や往来者が危険に晒されている。歩行者や自転車が通り抜け車両に跳ねられる重大事故が起きるまでまず対処されないだろう。[1]私はその時が来るのを悪魔的に期待して待っている。(→行き止まり地点での釣り客による駐車問題
【 幹線道路の角地利用について 】
コンビニに限らず、交差点の角地に車道からの出入りが頻繁に起きる施設を建設すべきではない。交差点に沿って歩行者や自転車の往来がある限り、車との交錯箇所に比例して事故の確率が上昇する。事故が起きれば常に被害者と加害者の責任比率のみが論じられるが、その裏で事故が起きやすくなる環境を造り出した側の責任が欠落している。土地の有効活用からも主要な交差点の角地を無条件に建設禁止とすることは難しいが、新規に建設するなら道路管理者側が一定の安全対策を義務づけるなどの方針が望まれる。
出典および編集追記:

1.「FBタイムライン|コンビニは社会的責務を果たしていない

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