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《 飽きやすの惚れやす 》
項目記述日:2019/2/14
何かの新しいものに飛びつき熱中しやすいものの、比較的短期間で飽きて放置したまま別のものへ興味を示す持続性のない態度を指す。語義からして浮気性を指すようにも思えるが、市内に限定して言えば異性への興味に対してこの語を使うことはあまりない。むしろ新しいサービスの有用性に早くから着目し導入するものの、長い目で見ようとすることに欠け、放置したまま類似する別のものに飛びつく場当たり的な行政施策に対してよく用いられる。一般用語では「熱しやすく冷めやすい」と「竜頭蛇尾」を合わせたものがこれに近い概念で、些かの揶揄を込めて人名のように表現したものである。

実際の順序からすれば「惚れやすの飽きやす」であるべきだが、そのように唱えられることはない。何か新しいものに飛びついた後の変化や持続性の欠如については必ずしも行政や宇部市民に帰せられるものでもなく、恐らくは他の地域でも一般的と思われる。現在では市民の間で唱えられることは稀である。しかし宇部市民においては一定年代から上の世代で知名度はなお高く、定型句のように擦り込まれている。そして行政が何か新しいことを導入したものの評価が芳しくないとき決まって唱えられる語であり、どうかすれば導入しただけでその後の成り行きを心配して「また飽きやすの惚れやすにならんにゃあええが」と懸念されることが多い。そして遺憾ながら殆ど期待を裏切らない。
《 諦める 》
項目記述日:2022/3/19
最終編集日:2022/3/21
今まで手元にあった物品や願望、継続していた習慣などあらゆる物事に関して、それ以上頓着するのを止めて捨て置くこと。また、その方針を自らの中で明らかにすることでリソースを集約する行為。これは最近自分の中で生じた「諦める」に関する新解釈である。
【 旧来のネガティヴな諦め 】
一般に「諦める」と言うと、大抵の場合で否定的な印象を持つ。恋しいあの人を諦める、結婚したいけど諦める、金持ちになるのを諦める…等々である。本当はそうありたいという目標がありながら、どう頑張ってもそれは手に入らないとか達成は絶望的であると自覚した上で、意識の中から切り離すイメージがある。その最後の最後に生きていくことを諦めることで、当人の世界は終焉を迎える。

このように殆ど否定的なイメージしか湧かないことから、普通は「諦めるな」「まだ諦めてはいけない」などと安易に諦める態度を諫めるのが一般的だった。すべてがこの意味の諦めであれば、私も好ましくないものとして合意する。近年思い直した諦めは、あることに頓着することなく捨て置くところは同じだが、その後の思考形式と解釈が異なっている。
【 新しいポジティヴな諦め 】
諦めるの漢字を含む熟語として「諦観」がある。ここに言うポジティヴな諦めは些かこれに近い。悟りの世界に似るのかも知れない。かなりこじつけ的ではあるが、個人的には以下のような解釈を与えている。
「諦(あきら)める」とは「明らめる」と同義である。即ち身の回りにある夥しい物品や習慣から、真に自分にとって大事なものと重要度の低いものを見極め、重要度の低いものをそれ以上頓着することなく切り捨てる(諦める)ことで、他のより重要度の高いものの獲得や実現にリソース(時間や労力や資金など)を回す。何が重要で何がそれほどでもないかを明白にし仕分ける態度こそが「明らめ」である。
この過程で真っ先に検討されるのは、今まで深く考えず習慣的にやってきたことでリソースを消費する行為である。例えば定期的に散髪に行こうとすれば、相応な時間と資金を消費する。いつもキチンとした髪をしていたいという人にとっては重要度は低くないが、それほどでもないなら切り捨て可能である。この理由によって永らく散髪に行かず髪を伸ばしている。オトコのくせに髪が長くてだらしないと思う人がもし居るならば、個人的にはそう思って頂いて何の羞恥も痛痒も感じなくて済むから可能なのである。

外出のとき着る服も、気分次第でいろんな服を着たいから何着も用意しておきたい人は当然居る。これについても最近は最小限に抑えている。クローゼットに沢山の服が掛かっていると、さて今日はどれを着ようかという判断が必要になる。そしていくら些末だろうがあまりにも判断すべき局面が多いと、余計なリソースを消費してしまうという事実がライフハッカーの記事でも指摘されていた。

食事に関しても同様になっている。真に「今日はカレーがとても食べたい」と思うなら、カレー屋に行くなり料理するなりできる。しかし食事は毎日のことであり「さて今晩は何を食べようか」と考えるのは、少なくとも私にとっては重要度が低い割に考える局面を迫られるので余計なリソースの消費である。このため買い物に行き、そのとき割引シールが着いて安く入手できる惣菜をそのまま買っている。特定のものを是非食べたいと思う日の方が少ないため、そのとき安く買えて食事を済ませられる方が合理的である。

以上の例は個人的で極端かも知れないが、一般論として私たちの日常生活では判断を迫られる局面が多すぎる。人によって何が重要であるかは全く異なるのだから、どれもこれも重要だとか諦めたくないとか人並みの生活をしたいなどと考えていては、いつまで経っても雑多な日常生活から抜け出せない。何かに注力したいなら、それ以外の重要でないものを躊躇なく諦めて切り捨てなければ変化を起こすことはできない。

この「諦め」の新解釈にいつ気付いたか今となっては分からない。3月上旬だったろうか、局長の事務所の配置換えで手伝いに行ったとき、清掃場までの途中で「人生の中でいくつかあるものを諦めるのは、自分にとってより重要なものを明らかにすることと同義と思う」といった話をしたところ、局長は最初当惑し、次にその話に興味を持ってどういうことなのか具体的に話して欲しいと言った。このとき重要度の低いものを見放してより重要度の高いものにリソースを注げるようにするといったことを話した。
《 アクセスカウンター 》
項目記述日:2021/5/1
他に収録すべき場所がないので、ここでは主に当サイトのアクセスカウンターについて記述する。
キャプチャ画像は、この項目を作成した現時点でのアクセスカウンター。昨日の午後に10万アクセスを超えた。


一般にアクセスカウンターとは開設されたホームページやブログにどの程度の閲覧者が訪れたか、何度閲覧されたかをカウントし表示するもので、しばしば当該情報公開スペースを提供するサービスに付随している。具体的には計測したいページに所定のタグを埋め込み、当該ページの情報をフェッチするIPアドレスを検知してカウンタを1つ増やすCGIが駆動する。この数値はテキストのままかあるいは視認性が良いように数字を画像化したファイルに変換され表示される。

当サイトのアクセスカウンターは、ロリポップ!の提供するホームページスペースに付随するものを設置している。当サイトの開設は2012年11月1日としているが、当時は geocities に作成していてカウンタを設置していなかった。その後 OneDrive の画像問題から geocities に画像付き記事を新規作成できなくなる事態に直面し、2015年11月18日にロリポップ!側へ当該ホームページ全体を移行し公開した。このため10万アクセスは5年半で達成されたこととなる。

このカウンターは同一のIPから連続アクセスを受けたとき、それを1回としてカウントする処理がなされている。この対処がされていないアクセスカウンターは、f・5を押し続けることでページ更新するたびにカウンターが進んでしまう。その代わりに異なるIPからのアクセスは1回にカウントするため、自分以外のIPからアクセスがあった直後に自分のPCでトップページを表示させるたびにカウンタが1つ進んでしまう。

このためアクセスカウンターは目安であり、当サイトの訪問者数を示したものではない。例えば検索で個別ページのみを閲覧しトップページに遷移しなかったアクセスはカウントされない。アクセスログの解析によればリファラの8割以上が検索ページなので、トップページを経由しない閲覧数を含めると、アクセスカウンターで検知される数倍の閲覧を受けている可能性がある。

アクセスカウンターが厳密な訪問者数を示していないことを熟知しているため、当サイトの管理者はカウンターの数値について殆ど頓着していない。ブログなどではゾロ目やキリ番を「踏んだ」ことを報告して制作者と和むのは現在でも一般的と思われるが、当サイトでは昨日の10万アクセスを通過した時期を目安として記録するために、この項目を作成した程度である。
《 アクセプト 》
項目記述日:2023/5/21
一般には投稿された学術的な論文が雑誌や書籍に採用されることを指す。ただし当サイトやFBなどの記述においては、サンデーうべのコラムに提出したテキストや写真などのデータが掲載候補として受理されることを意味している。

学術論文と呼ぶほどの内容ではないので些か大げさだが(株)宇部日報社が一連のデータを受理したという返事だけではアクセプトされたことにはならない。その後本文内容に禁止用語の使用や問題ある表現が含まれていないか査読し、場合によっては言い回しの変更を求められることがある。それらをクリアして掲載イメージの pdf ファイルが送られた時点でアクセプトされたこととなる。

最近では内容に問題部分がまったく含まれていなければ、受理したという返答を省略して複数の掲載イメージが返送される。この中から最終的な掲載案を指定することで当該コラムが最終週のサンデーうべの所定の枠に埋め込まれ配信される。

コラムがアクセプトされたことを確認すれば、当月のコラムに関して宇部マニアックスの作業は終了する。最終週の金曜日に掲載されるので、遅くとも当該週の月曜日までに提出しアクセプトされることが必要である。事情あってこの最も遅い提出になってしまう場合、編集部の負担が重くならないように事前に提出日を連絡している。
《 アジト 》
最終編集日:2020/1/25
一般的にはしばしば悪党などの活動拠点や結集地となる場所を示す俗語である。ここでは単に当サイトの管理者が日々生活し、ドキュメント制作する拠点を示している。野山の対義語でもある。2018年3月のことそれまで9年間暮らしていた西梶返のアパートを退去して執筆活動に最適な地へ引っ越した。野山から初めて引っ越した西梶返が市街部であったことより野山の語が生まれたのだが、西梶返を後にした現在でもこの語は使われている。

現在の居住地は一部の人々にしか明らかにしていないが、小羽山校区であることは2020年1月28日に発刊予定の宇部日報社の人物紹介コラムで言明されている。それ以前の居住地については当サイトの記事を読みあさることである程度判明する。この引っ越し直後は新旧の場所を区別するため、暫定的に新アジト・旧アジトと記載している場所もある。
【 何故アジトなのか 】
アジトと言っても別に悪巧みを次々作り出す根拠地というわけではないが、中毒性のある記事を次々と配信し一定量の中毒患者的読者を産み出している点に於いて悪党(と言っても一人しか居ないのだが)の根拠地という見方が可能である。敢えてネタ的な言葉で表現すれば「悪の巣窟(あくのすくつ)」である。[1]
出典および編集追記:

1. 巣窟は言うまでもなく「そうくつ」であるがネタ的にはそのように読み慣わされている。読みからの推測で「悪の酢靴」とも書く。履き古された酸っぱい匂いを放つ靴が想起されておぞましいものがある。
《 遊びと仕事 》
項目記述日:2020/2/18
最終編集日:2021/4/5
ここでは、当サイトの管理人視点による遊びと仕事について記述している。この項目を立てて記述する理由は、個人的に現在のような遊びと業務との境目が限りなく曖昧になっている現状を認識した上で、改めて定義を考えてみたことによる。
【 遊びと仕事の定義 】
サラリーマンの場合は定義するまでもなく両者の別はかなり明快である。事務所や現場で労務に携わっている間はもちろん、現地で昼食を取っていたり自宅から仕事場まで往復する間などで拘束される時間は仕事であり、係る拘束から外れた時間が遊びであることが多い。共働き夫婦の場合、誰が掃除や炊事洗濯をするのかという面を考えれば自宅でも対価が発生しない仕事をしていることとなる。この辺りの取り決めがキチンとしていなければ間違いなく夫婦の間の諍いとなる。

この点で私のような自営業者かつ独り身であれば幾分単純化される。それにしても従来の定義(仕事とは対価を頂いて嫌なことも我慢して引き受けることと遊びとは対価を費出すること)に比べれば、自分の場合些か遊びと仕事の境界が曖昧になっている。遊びながら仕事をしているふしがあり、その実遊びのように愉しんでいる行為が仕事となっていることも多い。この傾向は、現在の活動へ軸足をシフトしている最近特に意識されてきたので、改めて暫定的に以下の定義を与えてみた。
遊びの定義:
自分一人または特定少人数の愉しみと引き替えに時間やコストといったリソースを投じる活動。

仕事の定義:
対価が給付されるすべての活動。(従来的定義)
不特定多数の愉しみと引き替えに時間や労力といったリソースを投じる直接的・間接的な活動。(拡張的定義)
【 定義の背景 】
個人的にも楽しんでやっているわけではないが対価が支払われるという理由のみで継続している仕事を抱えている。雇用形態が正社員から派遣やパートにシフトしている現在では、対価の割に求められる労力が多く、しかも経済的な保証を欠く労働環境が多い。生活を成り立たせるためには、嫌なことも耐え忍んで働くのが当然と思われている。

このことに関して、以前から「会社が楽しくて面白い場所だったら社長は職員から入場料を徴収する。それを逆にお金を与えて仕事させてやっているのである。面白くなくて当然だ」といった見方がされてきたし現在も同様である。その仕事にやりがいや充実を感じた上で生活も成り立たせているという労働者はごく僅かであり、仕方なく取り組むどころか誰もが嫌と感じるものの誰かが着手しなければならない種の業務はいくらでもある。だから個人的にも「すべての仕事は楽しくあるべきだ」とまでは思わない。

今暫く耐え忍んだ先に大きな幸福が見えているとか、ライフステージでどうしても今すぐ充分なお金が必要な場合もあるので否定はしない。しかし傍目にもライフステージの中盤以降に差し掛かっている私自身にはまるで当てはまらない。価値観からみた優先順に私自身の健康、時間があり、充分なお金はその次である。だからこそ経済面の貧困を自称しつつも精神の貧困にだけは陥らないようなライフスタイルを念頭に置いているのである。
【 具体例 】
前述の定義に沿って考えるなら、対価をあらかじめ提示された上で行うすべての活動は仕事である。クラブ会費を支払ってバドミントンを楽しんだり、デスクに向かって非公開の日記を記録するといった活動は遊びである。この辺りは従来的な定義とあまり変わらないだろう。

私が海を眺めたいと感じて気晴らしに車を走らせるのは遊びであり、そこで撮影した海の写真をFBのタイムラインへ限定公開するのは遊びであるが、解説をつけてFBページ(ログインを前提に誰でも閲覧可能)へ投稿したりホームページ(ネットに接続さえできれば誰でも閲覧可能)で記事化するのは仕事と考えている。海を観に行って一人で楽しむこと、それを一部の仲間内で情報共有することとは同類であるが、不特定多数へ有用な情報提供を行うという点が異なる。

人間が朝目覚めて活動して夜床に就くまでの活動のすべてが、仕事か遊びかのどちらかへ分類されるべきとは考えていない。特に活動していない時間のうち睡眠が仕事か遊びのどちらに入るかを考える人は殆ど居ないだろう。寝ている時間が長いのは人生の時間の無駄と考えて削ることを試みる人、望んでいるわけではないのに削らざるを得ない人は多い。そういう人は「寝ている間は何らの生産活動も行っていないのだから仕事の筈がない」と考えるかも知れない。

しかし個人的には睡眠は上記の定義に当てはまらないものの最も高い優先順位を与えられるべき仕事と考えている。即ち毎日かならず身体が要求する好きな時間だけ寝ている。基礎代謝のように「日々かならず消費しなければならない時間」であり、睡眠をとった残りの時間帯に仕事と遊びを割り当てるべきと考える。
【 やらされ仕事について 】
一般的な仕事の定義は、所定の対価を得られることを前提に何かの社会的活動を営む行為である。当人の労働意欲と対価が随伴しているなら問題ないが、往々にしてこの2つの比率が歪んだままに仕事が営まれる。面白いとは思えず退屈だけど仕方なく、身体的にきついけど手っ取り早い、やりたくないけど報酬が高いので仕方なく…といった塩梅である。

現在でもそういった仕事の方が大勢であるが、この状況は少しずつ改善されている。労力が要る部分を機械に置き換えたり人やカネが物理的に往来していた作業を電子化したりといった具合である。最終的には人力によって判断し手を下す作業を残して大方の仕事は「機械に押しつけられる」だろう。時間はかかれどやらされ仕事は今後確実に減っていく。このことは、多くの人にとっては手持ちの仕事がなくなり生活の糧を奪われるリスクに晒されることでもある。

仕事量が相対的に減るということは、仕事でない時間(イコール遊びとは必ずしも言えない)が増えることを意味する。それを余暇と呼ぶとすると、将来的に人間は余暇をどのように費やすかを思い悩み苦しむことになる。そのことは別の論者によっても指摘されている。余暇という言葉自体、労働が中心にある視点で「働いていない余ったひととき」という義であるから、従来の「レジャー」という横文字にこの義を当てる方が相応しいかも知れない。
【 今後の予想 】
終身雇用制度は目に見えて崩壊しているし、パートや派遣、自営業者への分野別発注が今後更に進むのはかなり明らかであることから、手間暇とコストばかりかかって非効率的な人手による仕事が置き換えられ、従来のような仕事はどこまでも低減していくことを予想している。そうなれば収入は良くて横ばいで恐らくは低減していく。したがって金銭の多寡でしか物事の価値を判定できないような人は、いつまで経っても満たされない人生を歩むことを余儀なくされる。従来定義の仕事と収入が少なくなることは避けられないが、その代わりに「対価とは関係なく自発的に取り組みたくなるような(付随的定義での)仕事を増やす時間が確保できる」ようになる。そのことに喜びを感じるのが正しい人生の愉しみ方となるだろう。

たんまりと退職金を手にして仕事を辞めた後、年金にも支えられて当面は従来定義の「遊び」を生活の中心に置くのも悪くはない。しかし昔の高齢者がしていたように、完全に隠居して社会的な繋がりからも離れて暮らそうとするなら、その先には心身共に進む老い以外ない。21世紀を生きる現代人は「隠居」というカビの生えた概念など完全に忘れ去り、物理的に動ける限り天に召されるまで仕事に勤しむべきである。ただしそれは付随的定義での仕事である。今際の瞬間には、人は「ここまで自分を押し殺して働かなければ良かった」「もっと人との繋がりを大切にして過ごせば良かった」という後悔の念に責められるという。もう暫くすれば最小限の行動で経済面は充分に支えられる時代が来るので、貨幣経済の奴隷と化するのではなくいち早く気付いて発想を転換すべきだろう。
《 甘い系乳飲料 》
項目記述日:2020/2/3
最終編集日:2021/10/22
読んでそのままで牛乳を主体として砂糖などで甘く味付けされた飲み物全般を指す語。当サイトの記事で記述が現れる場面はないが、日常生活で嗜んでいるためFBのタイムラインや過去のブログで頻出している。
写真は紙パック入り500mlで供される商品の例。


当サイトの管理人のもっとも多用している飲み物である。これは牛乳好きで現在の年齢になっても(通常は乳糖不耐症が出て飲めなくなるのだが)冷たい牛乳をそのまま飲んでも平気な体質も影響している。長髪志向やピンク系彩色志向とは異なり、そのずっと以前から嗜好が固定して現在も続いている。カフェオレを始めとしてフルーツ・オ・レや緑茶オ・レのようなグループを形成することからオ・レ系飲料と書いている部分もある。
【 コーヒー牛乳 】
甘い系乳飲料好きの歴史は古く、間違いなく小学生時代にまで遡れる。当時は紙パック入りの飲み物としては四面体の形をした容器に入った牛乳とコーヒー牛乳が主力だった。赤い長方形の紙を剥がすとストローを挿す小穴が見えてそこへストローを突き刺して飲んだことのある世代は少なくない。それは大量消費時代を迎えて牛乳がまず500ml入りの紙パック容器で売られるようになると、コーヒー牛乳も後に続き次第に四面体の形をした紙パックを見かけなくなった。

初期の500ml入り紙パックのコーヒー牛乳は昭和52年頃に出現し、明治と森永が製造していて価格は128円程度だった。外側はコーヒーをイメージした濃い茶色で彩色され、下側にはコーヒー豆の絵が描かれていた。中学1年生のとき恩田市営プールに泳ぎに行った帰りに丸信恩田店へ立ち寄り、そこでコーヒー牛乳とサッポロポテトバーベQ味を買って「これが自分にとって最高なおやつの組み合わせだ」と言ってたと友達が話している。

後にコーヒー牛乳は1000ml入りパックでも売られるようになり、高校生になってもなお買い求めてはガブ飲みしていた。親は色つき水であるとか砂糖が大量に入っていて身体に悪いと非難していた。買い求める頻度は次第に低下していったが、それは甘い系乳飲料に飽きてしまったからではなくコーヒー牛乳よりももっと魅力的な味が売られるようになったからである。
【 オ・レ系飲料の最盛期 】
よく知られているように現在では「コーヒー牛乳」という名称で過去に提供されていた乳飲料を販売することは認められていない。平成期に起きた製造日偽装事件により牛乳と銘打って販売できる飲料品の定義が厳格化されたからである。現在ではコーヒー牛乳という呼称は完全に歴史的名称の一つとなり、日常会話でも上ることがない死語と化している。代わって現れた呼称が、冒頭にも書いたオ・レ系飲料である。

オ・レ(au lait)とは「牛乳を配した」に相当するフランス語で、実質的には過去のコーヒー牛乳に相当するものが「カフェ・オ・レ」のような呼称に置き換えられた。更に後にはコーヒー風味に限定した「カフェラテ」の語も用いられ始めた。製造業者も老舗である明治や森永の他にグリコや大山乳業といった大手や準大手を交えてさまざまな製品を供給するようになった。それらは専ら「〜オ・レ」と称されることが多い。

コーヒーに比肩する嗜好飲料と言えば紅茶であり、ティーオレは比較的初期の飲料である。更にグリーンティーを牛乳で割ると美味であることは早くから知られていただけに抹茶オレが登場した。更に果汁系でも牛乳と相性が良く昔からジューサー・ミキサーで供されてきたバナナやメロンといった果物は、自然にバナナオレやメロンオレとして売り出された。

紙パック飲料で比較的安価に供給するため、本物志向とは程遠い内容とも言えた。例えば喫茶店で販売される果汁ジュースは目の前で果実を絞って供給されるが、オ・レ系飲料では果汁比率は著しく低い。いちごオレでは果汁1%が最も多く、これにイチゴの風味を再現するための香料と着色料が用いられる。いちごに牛乳を加えてミキサーで混ぜたものには程遠く、いちごと牛乳の風味を楽しむための安価な乳飲料と位置づけられる。

濃縮還元果汁など果物の種類を限定しなければ、比較的高濃度(10%程度)の果汁を含んでかなりホンモノ志向の製品も販売されている。明治のフルーツ・オ・レはその一つで、人気が高かったらしく甘い系乳飲料でありながら1000ml入りの紙パックが販売されていた。


現在もフルーツ・オ・レ自体は存在するが、既に1000ml入り紙パックは製造されていないし500ml入り紙パックも砂糖の過剰摂取問題がクローズアップされてからは後述するような代用甘味料を用いたものに置き換えられ、昔ながらの味とは程遠いものとなっている。
【 代用甘味料への転換 】
正確な時期は調べていないが、平成20年代頃から紙パック入りの甘い系乳飲料が質的変化を起こし始めた。典型例は明治のいちごオレとフルーツ・オ・レ500ml入り紙パックで、パッケージが刷新された。しかしそれは単なるイメージチェンジではなかった。以前から飲み慣れていた人なら一口すするだけで違いが分かるくらいに味が変わったのである。原因は甘味を出すための砂糖から代用甘味料に置き換えられた結果だった。

低カロリー志向に加えて砂糖の摂り過ぎによる害が叫ばれ始め、飲み物に限らずすべてのジャンルの嗜好品に見直しが図られ始めた。加熱することで質的変化を起こすためどうしても砂糖以外代替できないものを除いて置き換えが進んだ。これには利用可能な代用甘味料の種類増加と低価格化も後押ししている。使用される代替甘味料によってはあまりにも人工的で、場合によっては軽い苦みを感じる不自然な甘味で個人的には到底受け容れられなかった。カロリー低減志向を理由に乳製品の使用量まで削減した商品もあり、従来の砂糖の甘さや牛乳の濃厚な口当たりに慣れた向きには水っぽくてとても飲めたものではなかった。

一部のメーカーは砂糖を使った従来タイプのオレ系飲料を提供したが、それは一般のスーパーで売られることはなく専らコンビニ限定で卸された。しかも従来100円前後で買えていた筈のものが現在も150円近い価格設定で売られている。代替甘味料への置き換えは紙パック飲料だけではなくサンガリアのミルクセーキにも及び、明治の紙パック飲料と合わせてこの種の飲料を買う習慣から決別するきっかけとなった。[2]前出の明治のフルーツ・オ・レ1000ml入りは、個人的に従来型の甘い系乳飲料のうちでもっとも多飲された商品となった。
【 近年の個人的対応状況 】
甘い系乳飲料は、前述のように多くが代用甘味料による味の変化を伴い今も販売されている。それらは低カロリー志向で「あと味スッキリ」を謳っており、従来のようにベタベタしない軽い甘さが好きな消費者によって購入されている。

代用甘味料すべてを否定するわけではなく、個人的にも砂糖摂取の害悪を認識してかなり以前から袋入りの砂糖をいっさい購入しなくなった。しかし甘味に対する嗜好は根強く、少々価格は高くても砂糖と同程度の風味と甘味をもち、カロリーが低い代替甘味料を別途購入して利用し始めた。当初はアスパルテームを中心に甘味を再現したパルスイート(R)を使っていたが、後にそれより少し安くて自然な甘味を提供する還元麦芽糖、エリスリトール、スクラロースを用いたものに転向している。無糖のスティックタイプのコーヒーを買い求め、これらの代替甘味料を加えて甘味を調整して使っている。

他方、受け容れられないと考えられる代用甘味料はアセスルファムKを主体とするものである。甘いと感じ始める立ち上がりや消失、その質的な状況から砂糖の甘味とは似ても似つかぬものであり、正確には「甘いという味覚に似せた弱い刺激」と言った方が近い。他の代用甘味料と調合されることにより欠点をマスクして甘味が増強される効果があるが、近年の安い紙パック飲料ではアセスルファムK主体の甘味であり、味にまったく深みがない。低カロリー志向を理由に乳脂肪分まで減らしているので、このようにして作られた飲み物など「甘味と香りを着けた色つき水」も同然である。

酷評ついでながらアセスルファムKは過去に問題を起こしたサッカリンやチクロと化学構造が似ており、また免疫力低下の原因となるリンパ球減少がみられたという動物実験の報告がある。[2]安全性の確立とより砂糖に近く安価な代替甘味料が見つかればいずれ姿を消すのではないかと思われる。

砂糖の過剰な摂取は、恐らく人体の老化に寄与してしまっている。皮膚のシミや色調変化についてタンパク質と糖とのメイラード反応が指摘されている。そうは言うものの袋入り砂糖の使用を取りやめても市販のパンや惣菜などはごく普通に砂糖が使われており、摂取をゼロにはできない。このため砂糖の害悪は認めつつも、最近は半額シール付きでたまたま安く買えるエクレアやプリンなどの偶発的な摂取は容認している。あまり厳格にやり過ぎると摂食できるもの無くなるし、何よりもデザートを賞味する愉しみが無くなってしまう。
出典および編集追記:

1.「サンガリアのミルクセーキの味の変わりようが酷い件|Amebaブログ」で詳細に報告している。

2.「Wikipedia - アセスルファムK|安全性
アルコール飲料
項目記述日:2020/2/6
最終編集日:2020/6/20
そのまんまでエチルアルコールを含有する娯楽的な飲み物を指す。それらは総括的にお酒と呼ばれ、摂取する行為が飲酒である。ウィスキーボンボンが少量封入されたチョコレートの喫食や、おでんの出汁にコクを出すために加える料理酒のような間接的な摂取は(道路交通法にいわゆる飲酒運転の要因になり得るとしても)一般には飲酒とは言わない。

嗜好や習慣、そして身体的影響を考慮して当サイトの管理者は飲酒の習慣がない。更にアルコール飲料の摂取は控えるのが望ましく、特に習慣となっている飲酒は明確に否定している。記述内容が増えてきたので、分割し総括記事を作成した。詳細は項目に設定されたリンク先を参照。
《 「石に刻むしかない」問題 》
項目記述日:2019/10/16
最終編集日:2020/12/25
何かの記録を後世へ確実に伝える手段を考えるなら、現代社会においても石碑の形で遺すのが最適であるという主張である。大量かつ多様な情報を保存するデジタル技術と、それを伝播させるインターネットが支配する現代社会に鑑みて些か逆説的である。それらの持つある種の脆弱性を根拠に、半ば真剣に半ば冗談めいた皮肉を込めて主張される。
【 主張の概要 】
スマホを持ち歩き常に何処かや誰かとネットで繋がっている現代社会人にとって、大事な記録を石に刻むなど戯けた話であろう。今しがたSNSに投稿した自分のテキストや画像をいつでも取り出せるようにしたいなら、リンクをブックマークしたり、投稿全体をアーカイブしローカル環境に保存するなどいくつもの手段がある。SNSの一つであるFBでは、何年も前に行った投稿でもサーバに保存されているので、投稿時期を特定しリンクを辿る作業が必要ではあるが後から回収することは可能である。

しかしその主張は当該サービスが安泰に提供され続けているごく短い期間に限って言えることである。その期間は、一般的な人間のライフタイムに比較するとまったく短い。例えば前項のFBでは、この先数年後も同様にリンクを介してデータを取り出せる保証はない。パスワードの失念やアカウントの誤削除はリスク要因だが、それらをすべて回避しすべての投稿は誰にでも読める全体公開にしていても同様である。運営元のFBがサービスを廃止すればデータは取り出せなくなるし、そこまでしなくとも別会社との統合などでアドレスが変われば、パーマネントリンクを保存していたところでアクセス不能となり無意味である。そのような理由から、個人的にはこの項目を記述した現在から起算してあと十数年後に同じパーマネントリンクで同一のデータを取り出せる可能性は殆どないと考えている。
【 ネットで提供されるサービスの現状 】
FBに限らず、一般向けユーザに提供されるネット上のサービスでこの先何年後もアドレスを変えることなくアクセス可能であることを保証しているサイトなど何処にもない。インターネットの黎明期は20世紀末だが、誰でも無償で利用できるホームページスペース提供サービス、掲示板、チャット、メッセージングなどのサービスはいくつも存在していた。それらのサイトで現在も同じリンクや抽出操作で当時と同じデータを取り出せるサイトは殆どない。

地理的データを参照する上で基礎資料ともなるべき国土地理院ですら、これまでに提供されるサービスの改訂を何度も行い、その都度過去のアドレスは無効化された。サイトへ埋め込まれた地図が表示されなくなり、新しいサービスで作り直した後でまた改訂されアクセスできなくなる事態を経験している。政府機関に関するサイトでこうだから、一般企業のサービスなど最初から継続性の保証がないも同然である。当サイトでも継続性の保証がない外部サイトを埋め込んだことで、ひとたびは問題なく閲覧できていたものが表示されなくなりまるで意味が分からなくなっている記事が数多くある。再び表示できるように作り直してもその後のサービス改訂でリンクが変わることでまた表示されなくなる…のいたちごっこである。当サイトではこのような外部サイトを埋め込まれた記事は外部依存の問題を抱えていると考え、できる限り別の方法を援用するようにしている。
【 ローカル保存についての問題 】
では、すべての重要なデータはネット上に保存せずローカルに保持すべきなのだろうか。それでは情報共有が困難である。データの継続保存性を優先しその点に目を瞑ったとしても、スマホやPCに保存されたデータは適正なバックアップを取っていなければ不測の事態により容易に喪われる。そのバックアップも別のメディアに記録し物理的に離れた場所へ保管しなければ、PCなどが存置されている家屋の風水害や火災で同時に喪われ得る。この点で、ネット上のクラウドを併用したバックアップは一つの答えであり得る。

そこまで万全を尽くしてもなお困難がある。現在一般的に使われているメディアに保存された形式のデータが五十年百年、あるいはそれ以上経った将来も安泰に読み出せる保証がない。デジタルデータでの保存が一般大衆の手に届くようになった黎明期に使われていたフロッピーディスクやCDを考えると良い。この項目を作成する現時点で一般的なPCでは、それらのメディアを読み取るデバイス自体が付属せずオプションの扱いである。大容量の外付けHDDも近年では安定性とアクセススピードが速いSSDに置き換わりつつある。SSDが更に普及し高密度化と低価格化が進めば、信頼性の薄い外付けHDDはFDDと同じ運命を辿るのはかなり確実である。

どうしても長期に保存しておきたいデータ類を、先行してそういったデバイスに保存するとしよう。プレーンテキストならテキストファイル、文字の装飾やリンク埋め込みを含むならHTMLファイル、更に圧縮された画像データやそれらを統合したPDFファイルなどがある。その形式がこれから数十年も先になお援用されていて問題なく読み出せる保証はあるだろうか。まったく読み取れなくなる可能性は恐らくないだろうという希望的観測の上に成り立っている。
【 物理的に可視化された別の手段 】
それでは、もはやデジタルデータの形で遺すことを諦めるとしよう。それらが一般の手に届くようになる前の時代の手段として、紙媒体への印刷がある。紙媒体へ記録されたデータへアクセスするのに特殊な技術も電力も必要としない。しかし印刷コストはデジタルデータを印刷するプリンタの出現をもってしても(プリンタ本体を安く売ってインクで暴利を貪るという悪しき企業戦略が原因で)殆ど安くなっていない。当サイトに作成されたすべてのページを印刷することを考えてみると良い。A4用紙でカラー印刷するとしたら何千ページにも及び、家庭用のインクジェットプリンタだとインク代だけで高級なカラーレーザープリンタが買える程度のコストがかかるかも知れない。そして最も重要なことに、紙媒体で印刷されたデータは火災に対して脆弱である。

このように多くの手段が期待に添った結果を提供しないことを思い知らされる傍ら、郷土関連の題材をウォッチしているとしばしば感じるのは、百年をはるかに超えるオーダーの古い石碑が安泰に読める形で現在まで伝わっているという事実である。別にそれらは劣化が進まないよう注意深く扱われていたわけではない。刻まれた当初から屋外に置かれ、一日の半分近く降り注ぐ太陽光線の影響に晒され、四季の気温変化による膨張収縮の影響を受け、日常的な降雨降雪や時に地震や台風に見舞われつつ現在に至っている。一文字を刻みつけるだけで相当な時間がかかるが、それに見合うだけの継続保存性を満たしている。

石材は燃えないし、読めなくなってしまう程度に破壊するのには自然界の作用とて大きな力を要する。数万年単位のオーダーで訪れていた火山噴火や溶岩の影響を受ければまず喪われるだろうが、そのような事象が起きれば間違いなく人類の生活の営み事態が根底から喪われるだろう。今後の時間軸においてそのイベントが起きる確率は1であるが、一般には極めて遠い未来のことと思われているし近接未来であるとしてもその発生は確率の問題であり、懸念するにあたらない。

現在我々が扱っている膨大なテキストと画像などのデータを「分かる形で」石碑に刻んで遺すなど途方もない話であるが、現在有効に使われている簡単で速くて膨大なデータにアクセス可能な諸々の技術が、実は永年に亘って確実にデータを保持し続ける点に脆弱であることを思い知れば、非現実的であると分かっていても「石に刻むのが最適である」と半ば諦めの心持ちで言わざるを得ない。
【 どうすれば良いのだろうか? 】
前項の主張はもちろん極論である。ネット上に展開されるサービスがしばしば終了・変更されることでリンクがパーマネントな性質を喪う(アクセスできなくなる)こと、紙媒体への印刷に対する障壁となっている家庭向けインクジェットプリンタ商法に対する痛烈な非難を込めている。現実的には冗長性を持たせた複数の手段で重要なデータを保存しておくことで、すべてが逸失する確率を下げることができる。ネット上に公開し、ローカルに保存し、紙媒体でも印刷しておき…それらがすべて同時に喪われる事象を考えると良い。単一の手段にのみ依存してデータを積み上げるから不測の事態に対して脆弱になるのであり、重要なものほど多条化しておく必要がある。

外部サイトを埋め込むことで当該サービスが停止した後に表示状態が壊れる問題は、当面そのようなレイアウトを避ける以外ない。国土地理院とて10年もしないうちにサービス改訂で表示されなくなるのだから、公的機関の提供するサービスを含めて、それが機能しなくなっても全体の表示状態や記事の理解に大きな支障がでないような利用方法を考えなければならない。この点で、過去に作成された Micorsoft SkyDrive の画像埋め込みによって作成された記事はまったく不適切である。パーマネントリンクの仕様を変更することで新規の画像埋め込みが不可能になったことは織り込み済みだが、この項目を作成する現在においては同手法で過去に作成された画像は(恐らく後方互換性維持のために)正常に表示されている。これが一斉に表示されなくなれば解説文のみで画像がひとつも表示されない記事が続出するため、パーマネントリンク問題が発覚してから後はローカルの画像を参照する確実な方法のみに変更している。

このように、昔の人々のように苦労して石に刻みつけなくとも現代人はそれよりは効率的ないくつかの手段を開発した。複数通りの方法で記録し保持しておくことでデータ逸失への耐性が獲得される代わりに相応な作業時間とのトレードオフとなる。過去には「まさかブログがなくなるなどとは思わなかった」という考えの元でデータを蓄積し続けてしまったために、サービス終了までにデータを吸い出し別途保存する余計な作業が必要となる事態に何度か見舞われた。最初のFBに戻って、それらは長期保証に欠けるもののデータの伝播力や即応性においては有益なので、特性を理解して巧く使い分け、確率論的にデータが完全に喪われる事態を抑えるのが妥当な対処法になるだろう。

当サイトも初期には完全に物件とみなせるもののみを記事として収録していた。近年では物件の枠にこだわらず、無形の文化や自分自身の記録などあらゆるものを収録できるようなカテゴリ分類を考えている。物件はホームページ、日常の他愛ない記録はブログやSNSでというのが一般的ではあるのだが、自分が書き上げた記事はすべて「つくりもの」である。複数のサービスを援用して使いこなすと、後で統合するのが面倒になる。殊に2020年後半からはFBやブログに書き残された情報も当サイトから参照できるようにかならずリンクで紐付けることとしている。
《 要らん子 》
項目記述日:2019/2/24
自分のことなどどうでもいい、居てもいなくても一緒で大した役にも立っておらず不要な存在なのだと些か自棄気味に自分自身を表現するとき使われていた語である。現在ではまったく耳にせず過去にごく一部の分野の人々によって稀に口にされていた。現代風に言えば「どうせ俺なんて…」に近いものがある。

昭和中期頃、未だ基本的人権の意識が薄弱であった頃は、一部ながら親子喧嘩のやり合いで腹立ち紛れに親が発する常套句として「お前なんか橋の下で拾って来た子どもなんだよ」などの暴言があった。要らん子はそれに匹敵する冷徹な言葉だが、親子はもちろんのこと他人に向かって口にすることは殆どない。あくまでも自分自身を卑下する語であり、それも子どもではなく大人が自身を指して唱えることが多かった。

極度な謙遜語は自分自身への卑下に繋がる。その点を割り引いても自身を指して「要らん子」と表現するのは如何にも冷酷で哀しい語である。ごく一部の例外を除いて[1]、この世に存在することが不要と決めつけられるべき人間は存在しない。自分自身の体験としては、ごく稀で特異な過去の状況を話す過程で口にされることがある。しかし今後はこの表現は死語に向かっていくべきものであろう。
出典および編集追記:

1. 例えば死刑を宣告された人間は(身内や親しい友達が決してそうだとは思っていなくとも)国家によってこの世に身を置くのが妥当ではなく存在を抹消されるに相応しいとみなされていることになる。
その妥当性を問う延長上の一つに死刑廃止論がある
《 岩瀬戸系 》
項目記述日:2021/5/15
市内の東小羽山町より更に北側の一部にみられる御影石に近い外観を呈する岩質を表現した語。地質学的にみた厳密な分類ではなく素人判断による勝手呼称である。
写真は大字上宇部字吉原ハバック敷地内にみられる露岩。


勝手呼称の由来は、字吉原に近接する字岩瀬戸でごま塩調の外観を呈した御影石が産出していたことに依る。切り出された岩は蛇瀬池の石樋に使われた。[1]この石樋はコンクリート管に置き換えられたとき溜め池改修記念碑に流用されていて現物を観察できる。

ハバック敷地内にみられる露岩は、これより若干紅色がかっている。今のところ完全なごま塩調の露岩が観察される場所を見つけられていない。広範囲に分布していれば石材に採取されるため、あるにしても小規模なものしかないと思われる。

長石成分が少ないごま塩調の御影石は緻密で硬いため、文字を刻んだ場合の風化が少ない。この性質を利用して古くから墓石や石碑に利用されてきた。一般に花崗岩と言うと御影石をイメージするが、砂利道などに混じってみられる破片は石材として採取し加工されたものの破砕屑であろう。
出典および編集追記:

1.「小羽山小学校十周年記念誌」p.12
うさぎチャンと一緒に暮らしたい
項目記述日:2019/7/12
最終編集日:2020/1/10
「うさぎチャンと一緒に暮らしたい」は、当サイトの管理人が著した叙情詩の一つである。2010年3月11日のことYahoo!ブログで作成公開されていたが、Yahoo!ブログ閉鎖に伴い Amebaブログへ移植されている。[1]ただしYahoo!ブログからの自動移植に伴い文字サイズや彩色が失われ、一部のキャラクタが置き換わってしまい当初の意図が正確に伝わらないため、Amebaブログ側へリンクを書き換えた折りに当初から当サイトへ保存されていた原典を公開している。[2]詳細は項目リンクを参照。

作成した当時のYahoo!ブログは文字装飾機能が貧弱であり、意図した通りの色彩や文字サイズにできなかった。このためブログの廃止アナウンスがあるより数年前から意図したレイアウトになるよう書式を変更して当サイトの限定エリアに移動していた。

叙情詩に表現されている「うさぎチャン」とは、価値観と一部の生活時間を共有できる女性像を示している点で「ばにら」に相通じるものがある。末尾に作品を特定の女性へ捧げる旨を付記しているが、この作品に登場するうさぎに擬えたものではない。

この叙情詩は歴代で第3作目となる。実話に基づいた最初期の作品があまりにも印象的であったため、本来はそれをもって唯一の叙情詩とする積もりだった。(→テールランプの別れ
出典および編集追記:

1.「うさぎチャンと一緒に暮らしたい|Amebaブログ

2. 別の場所でも言及しているかも知れないが、テキスト主体とは言え叙情詩レベルのような繊細なタッチを伝えるべきものは文字サイズや彩色、改行位置も含めて「作品」と認識している。上記リンクのブログ版に比べて当サイトへ掲載しているものはテキストの彩色がけばけばしく思えるかも知れないが、それがオリジナルである。
《 宇部時間 》
項目記述日:2019/5/16
最終編集日:2020/6/24
仲間内で開催される会合やクラブで、開始時刻が段々と後ろへずれてしまう現象を指す。代表者が特に定まっていない複数人による会合でよく起きる現象で、最近はあまり耳にしなくなった表現である。

後ろへずれていく理由は以下のように説明される:例えばある会合が毎週午後7時から始まるとしよう。会合は仲間内のざっくばらんなものだが、一定人数以上揃わなければ始められない種のものである。最初、誰かが定刻に会場へやって来たもののまだ誰も来ていない。手持ち無沙汰なまま待っていると数分後に2人目がやって来る。そこで次回からはもう少し遅く来るようにしようと考える。最初に遅れて来た2人目も恐らくそのような体験があってのことだろう。その人は本当に所用あって遅れたのかも知れないが、次に定刻に来たとき自分が一人目だったものだから、次週からは少し遅く行こうと考えて実行する。別に示し合わせたのでもないのだが、メンバーの誰もが「定刻に行っても誰も居ないから」と考えて少し遅く行くことが定着する。こうして会合はいつの間にか何となく午後7時15分から始まるようになる。その時刻とてまだ誰も揃わないので、更に数分遅く行くようにしようと考える人が現れ、他の人も追随する…といった塩梅である。

幹事がかならず定刻かそれより少し早く現地へ行って準備をする会合では起きづらいのだが、幹事が居なかったりあるいは定刻キッチリでなければ会場を借りられないようなケースで多発していた。他ならぬ常盤屋の前身である常盤小バドクラブがそうであり、午後7時からということになっているのだが、定刻に行って誰かが居ることはまずない。暗黙のうちに開始時刻はそれより20分程度後ろにずれている。

時間を有効利用できていない点もあり、昔から悪習と認識されていた。しかしたまたま地域名の宇部を冠して呼ばれているだけで、この種の現象は何処でも起きている筈である。開始時間が明言されていながら前述のような理由で自分一人になるのを避けるため意図的に遅刻気味に現地へ行く行動も宇部時間と言っていた。
【 歴史面における「宇部時間」】
上記の項目は、幼少期から比較的最近まで耳にしていた宇部時間というキーワードに結びついた実体験を記述したものである。最近、[1]を参照することでこの語がうちの親の世代あたりから使われ定着したというのではなく、少なくとも大正初期にまで遡れることが判明した。

当時より会合の約束の時間を守らない、遅刻する、あるいは会合を開く側も正確な集合時刻を伝えないなどの時間に対する観念の欠如が甚だしく、この悪習は宇部時間と呼ばれていた。そこで紀藤閑之介が代表となり、時間を励行する会を組織した。大正天皇の即位の年(大正4年)であったので「即位記念時間励行会」と称している。期限を設けてこの悪習を改善する意図だったので、会は当初から3年間の期限を設定した。

充分な効果が出て3年が経ち、当初の予定通り一旦解散することとなった。このとき散会記念として標準の時報を告げる設備の寄付が提案された。当時の時報は蒸気圧による汽笛(サイレン)であり、最も高い蒸気圧をもつ宇部電気会社(火力発電所)が最適だった。そこで宇部電気会社の取締役社長であった渡邊祐策に「標準時の汽笛を設置したい。設備の費用は会員が賄うので管理だけお願いしたい」と相談したところ、祐策は標準時を告げる時報の設置に賛意を示し「汽笛くらいうちの会社の方で何とかしよう」と答えている。それまで各事務所がめいめい汽笛を鳴らしていたが、以後は正確な時間を知らせる汽笛が宇部市街部に鳴り響くようになったという。

同趣旨の会は第二期も結成されたが、第一期ほどの成果はなかったようである。このとき第一期と同様に会員が身に着ける徽章を造り、そのデザイン(福原家紋章のかたばみに時の字をあしらったもの)は、後の宇部時報社、宇部中学校、宇部工業学校の紋章のモデルとなっている。この取り組みにより紀藤閑之介は昭和15年の時の記念日に山口県知事より表彰されている。
出典および編集追記:

1.「米寿紀藤閑之介」p.57〜62
《 宇部スピリット 》
項目記述日:2019/2/24
宇部市という自治体は旧5ヶ村時代から市へ昇格したことに代表されるように、成り立ちに特異性がある。早期に自治精神が形成され、意思決定機関を設立したり利益を私することなく社会還元したりなどの独自性がある。他の自治体とは劇的に異なる基本理念があると仮定したとき、この街を造ってきた時代の異なる歴史的人物に受け継がれたと思われる共通理念を宇部スピリットと仮称している。

宇部スピリットとは当サイトの管理人による暫定的かつ勝手呼称である。仮説の妥当性の検証が必要だろうが、あるいは検証するまでもなく自明なものかも知れない。その場合、事改めて宇部スピリットなる新語を持ち出さなくとも既に過去の郷土研究者により妥当な呼称が与えられている可能性もある。この勝手呼称に至った理由は、2018年3月に行った起業家向けセミナーの題材に依る。宇部の歴史について語って欲しいとの依頼を受け、当時まだまったく囓りたての知識に過ぎなかった歴史的人物の共通点を見出し、起業家がこの街で商いを営む上でも念頭に置いた方が良いかも知れない仮説として宇部スピリットなる概念を提唱しセミナーのタイトルに援用した。ただし初めてとなるこのセミナー自体は失敗に終わっている。(→初セミナー

セミナーでは、根底となる精神を構成にリレーしていった人物として福原越後公、福原芳山、そして渡邊祐策を挙げている。この三者においては、広義には「自らの資産を差し出してこの地域に尽くした」点が共通する。越後公は藩のお取り潰しという最悪の事態を回避するために自らの命を差し出したが、もしそれがなければ福原家はもちろん藩全体が幕府の支配下に置かれていただろう。芳山は郷土の足元に埋まっていた石炭なる賜を効率的に採取可能となった時代のこと、大手資本が介入して石炭採掘を独占しようという場面で採掘権を買い戻して郷土の採掘権を守った。もしそれがなければ、宇部も大手資本が利益最優先の元で石炭を独占し肥大化し、人民は苦難を強いられたであろう。現実に大手資本により採掘された九州や北海道の採炭地は軒並み斜陽化し、夕張炭鉱のように自治体そのものの存続が困難となった事例すらある。そして渡邊祐策翁は沖ノ山炭鉱経営で挙げた収益を社会還元し、道路や鉄道、学校などあらゆる種のインフラ整備に尽くした。きわめて大局的に見てこの3者のリレーにより、宇部という街は炭鉱で興された町でありながら他の炭鉱由来の街のように斜陽化しなかった理由として説明される。

この三者のみに限定しても祐策翁は芳山を、芳山は越後公の背中を見て行動したと思えるふしがある。よってこの三者を代表する精神のリレーによって現代の宇部市の土台部分が形成されていったというのが宇部スピリットによる仮説である。そのリレー性はともかくとして土台部分の形成については疑う余地はない。福原家では理論と実行を相携えて進めるべき理念と考える陽明学を基本におき、それは祐策翁も実践している。その上で更に提起されているのは、この三者に限定しても共通理念が数百年もの間受け継がれて現在の宇部の街があるのに、単に時代が異なるという理由だけで半世紀も経たないうちに基本理念から乖離した街造りを行って良いものだろうかと点である。

この精神の継承は、少なくとも昭和後期頃までは宇部という街の成り立ちの独自性として意識されている。戦後の工業都市転換で宇部市は一時的に世界一空気の汚れた工業都市との烙印を押された。このときの解決手法として官学民の連携による「宇部方式」はあまりにも有名である。この連携手法は、重要な物事は単独で決めるのではなくかならず複数の頭で熟考せよという祐策翁の教えと、宇部共同義会というシステムを連想させる。

宇部スピリットという語を持ち出してまでも、今の時代に改めてこの部分を考え直す問題提起を行ったのは、近年頓に進んでいる大手資本による店舗の進出と、それに伴う既存の地場産業や地元企業、商工関係者の衰退である。殊に小売業界において顕著であり、2018年末には宇部井筒屋の閉店という衝撃があった。小売一般は大企業が最適化を図ろうとするから行く末は何処の自治体も同じこととなる。このことは完全にその流れに任せれば、将来的に全国何処の自治体も店舗形成は画一化することを予測させる。商業エリアに限定すれば、何処の街へ行っても「同じような店ばかり並ぶ」光景となるだろう。
【 特徴的な振る舞い 】
宇部スピリットと称される思想と行動の基底にある実践例として、次のような例が挙げられる。
(1) 郷土に暮らすことで与えられた恩恵は、郷土に還すべきである。
(2) 重要なことは一つの頭で考えて決めず、複数の頭で検討すべきである。
(3) 人を動かそうと欲するなら、それ以前に相応に施していなければならない。
(3) は何につけても頼み事をするときの振る舞い方を指南するものである。特にこの街で商売を営む折に重要である。何故ならば、この街の歴史的背景として私財を差し出してインフラを整えた存在があるからだ。それほど施した上で、例えば働く場所を造ったから女性も働くよう提言するとか、物流への貢献を考えて藤山村へ合併案を提示したなどに実例がある。このような有力者の背中を見て昭和初期の世代は育った。その基底となる思想が一世代や二世代程度で覆ることなどおよそ考えられない。したがってそのような思想を考慮しないスタンスで商いを興そうとしても大抵は受けいれられない。

恐らくこの街に限ったことではない筈だが、例えばあなたが非常に有用で便利な新商品を開発し、これは売れると確信したとしよう。自信を持ち、価格も強気に設定して現品を陳列し大いに喧伝して買って下さいと訴えても、よほど魅力的でない限り冷めた目でしか見られない。商品の良さをちっとも理解してもらえていないことに落胆し、次に「この街の人間は食いつきが悪い」と考えるだろう。それはあなたのやり方が悪いのであって、この街の人々の振るまい方に問題があるわけではない。何故ならば、商品を見た人々は現物を見て通り一遍の宣伝文句を聞かされたに過ぎないからである。買って欲しい人々にまず施すことが必要である。一旦、あなたがマイナス勘定となり、しかしそれを見た一部の人が買ってくれることでプラス勘定にするのである。そのようなことが言えるのは、この街で暮らす人々が歴史的に見ても「まず施された」からである。

そして商売に限らず個人的な頼み事をするときにも言える。殊にネットの世界では目立つことだが、普段は発信する情報にまるで無関心でいっさい頓着しないのに、自分がセミナーを開いたり商品販売を行うからというとなると、途端に活気づいて「ぜひ来て下さいね」などと大量の情報発信を行う人がある。他の人はどうか分からないが、少なくとも私にとっては何て勝手の良い態度なんだろうと映る。次に、自分の利益になるときにしかコンタクトを取らないということは、その人にとって私は「自分の利益をもたらしてくれそうな一候補者」としか映っていないと理解する。そのような人をリアルでは普通友達とは呼ばないので、ネット上でも距離を置くようになるだろう。お願いする前に何も施さず、ただただ「〜してくれ」を口にするのは、別項でも記述した「情報クレクレタコラ」にも通じる態度である。
《 うべっちゃ 》
最終編集日:2019/11/23
かつて宇部市で運営されていたソーシャルネットワーキングサービスの名称である。名称の由来は宇部と県西部地方の「〜です」を意味する語尾「〜っちゃ」をくっつけた混成語である。詳細は地域SNSの項目を参照。
なお、うべっちゃという語については地域SNSの創立以前は元よりSNSが一世を風靡する以前から同名の地元郷土情報を配信するサイト名として存在していたことが知られている。
【 最近の動向 】
この項目を編集追記する最近において、元うべっちゃのメンバーの一人が同種のシステムを再度立ち上げようと画策していてアドバイスを求められた。市内のある場所で会合を開き、どういったメンバーでどのようなサイトを立ち上げるのかを聞いた上で会員規約や運用ポリシーに係る情報を提供した。これはうべっちゃの終了を前にして利用者の居場所を確保するために「うべ地域SNS研究会」なるものを立ち上げ、将来的にSNSを新規に造るための規約作成にかかった経験があるためだった。

結論的に言って、会合で得た感触は「総論手放し賛成、各論は実現困難」と思われた。何かのサイトを立ち上げ無償で利用できるにしても困難である。よほど魅力的なキラーコンテンツがあるか、そこへ行けば必要な人と情報が繋がると感じさせることができなければ、人は定着しない。そのためにはまず下地となるコンテンツを整備しておく必要があるのに、現状はコンテンツを収録する「物理的容れ物」から入ろうとしているように見える。容れ物を造るには人手が要るし費用もかかる。すべてをボランティア任せにすれば責任の所在が問題になるし、モチベーションも上がらないだろう。完全にすべてを一人でこなすのなら別ではあるが。

ただし総論手放し賛成を唱えているように、一定の需要があることはかなり確からしい。FBや Instagram のようなSNSでの人との繋がり方に不満を感じ、もっと広い繋がり方ができないものだろうかという考えは私のみならず地域SNS研究会メンバーからも唱えられていた。うべっちゃは契約期間5年において4年目を待たずに疲弊して廃止が確定されたが、同システムを使って現在も活動している地域SNSはいくつも存在する。最初は既存のSNS(例えばひょこむやおのみっちなど)に登録して地域SNSの空気を肌で感じ、それから独自のSNSを立ち上げても遅くないように思える。
《 宇部マニ 》
項目作成日:2020/1/25
最終編集日:2022/9/5
説明するまでもなく、当サイトおよび同名の Facebook ページ「宇部マニアックス」の略称。このホームページの名称にある通り英綴りでは ubemaniacs であるが、一部に例外が存在する。[a1]

FBページのコメントでも時折、自分のことを「宇部マニ管理人」と表現している。特にFBページでは管理人が誰かは読者には分からないので、普通の人ならまずカメラを構えないような場所で撮影していると容易に特定されてしまうせいか、宇部マニさんじゃないですか?と声をかけられたこともある。[a2]

宇部マニアックスという語を使い始めたのは正確にいつなのかよく分かっていない。当サイトを設立する以前の地域SNS時代には地元ネタを「宇部マニアックス」というカテゴリ名で配信していた。時期は不明なもののこの名称に着想を得たきっかけが何かは分かっていて、当時利用していた Twitter でフォローしていたある方のプロフィールによる。このエピソードに関しては限定した方にしかまだお話ししていない。

人によっては「宇部マニキュア愛好会」の略称ではないかと訝られてしまうのだろうか。もちろん正しくはないのだが、あながち酷い誤解とも言い切れない。そして読者には嫌な予感がする通り、宇部マニ管理人は気分次第でマニキュアを嗜んでいる。どうだ…なかなか美しいだろう。[a3]


道草ついでながら管理人はヘアマニキュアにも関心があり、過去には思い切り明るい茶色に染めて上司に怪訝な目で見られたことがある。実のところブリーチをも試してみたいようだが、現在の年齢だと頭皮へのダメージは避けられず髪が残念な状態になってしまうことを懸念して実行はされていない。

最初に戻って、宇部マニアックスがあるなら他の地域のマニアックスも存在意義があるだろう。その通りで、この種の活動およびサイト構築が広まり日本全国各地のマニアックスが増えることを願っている。略語は4音節が多いことから××マニを作るのに2文字地名との相性が良い。美祢マニとか萩マニあたりは存在しそうである。未だ非公式ではあるが埴生マニさんと呼ばれる方が実在する。同種の活動を容易にするためのマニュアル作りも断続的ではあるが進められている。

なお、宇部マニというキーワードが印刷され刊行物として配信されたのは2017年6月最終週水曜日(28日)にリリースされたサンデー宇部のコラムVol.13「宇部マニの取り組み」が最初である。これをもって単なる勝手呼称的な略称とされていた宇部マニが正規のキーワードとなった。
出典および編集追記:

a1. 小羽山ものしり博士づくり計画の背表紙には UBE MANIAX と記載されている。

a2. 末信浄水場付近の撮影中に声をかけられたのが初めての実績である。このときは敷地内を横断するヒューム管にカメラを向けていた。目撃者の話によれば、そんな怪しい対象を撮影する人はあの方しかいないということで確信できたとされている。

a3. テカテカと光っているのはベースコートを塗っているからである。これは女装趣味と言うよりは常用している薬の副作用で爪が割れやすくなっているための保護目的であることを早めに言い訳しておく。では、何故に小指だけ紫なのか?それ以前にどうして薄紫色のカラーを持っているのかという疑問は当然わき起こるのだが本件についてはここではこれ以上触れない。
【 ウベマニア 】
項目記述日:2021/12/10
山口ケーブルビジョン「にんげんのGO!」の”宇部マニさんぽ”で初登場した宇部マニアックスをイメージするイラスト。作成者は編成部の柴崎さんである。
ベースとなったイラストを下に示す。
原典ファイルを縮小して掲載している


これに限らず番組で随所に登場するイラストは柴崎さんによるものである。このイラストは宇部マニさんぽを放映するにあたって松田ディレクターから「宇部マニさんをイメージするイラストを描いてみて」という難題を突きつけられ、サクッと描き上げて「できました」と翌日提出されたものと言われる。松田さんは「宇部マニさんの特徴を実によく捉えている」と絶賛し、額縁に入れて飾っておきたい程の出来映えと評価した。

イラストは宇部マニさんぽで特にマニアックな場所が紹介されるとき、視聴者の注意を惹き付けるために挿入されている。
これは宇部マニさんぽの放映画面の接写である。


全体をモノクロームトーンにして下に着ているフリースをピンク色にしている。実際、番組ではピンク色のフリースをよく着用している。首には個人的に題材採取へ出かけるときかならずかけているネームプレートが描かれている。やや分かりづらいが、向かって右側の肩のところが黒くなっているのは宇部マニさんの特徴的なポニーテールを表現したものである。

11月1日の市制施行100周年の日にあわせて宇部マニアックスのファビコンをホームページで公開したのだが、ウベマニアのイラストが放映されることによって遙かに高い知名度を獲得することとなった。このためファビコンはホームページ向けイラストとして保管し、名刺にウベマニアのイラストを印刷している。
【 宇部マニアックス文庫 】
項目記述日:2022/9/4
広義には宇部マニアックス単独で制作されたライブラリ全体を指す。狭義にはそのうち紙媒体に印刷された書籍や小冊子全般を含む語である。

著作物にこの命名を行った事例は意外に古く、2018年2月に琴芝小学校の郷土学習向けに制作された「桃色レンガを探して歩こう!」というプレゼンテーション資料が初出である。パワーポイント互換で制作されたこのスライドは郷土授業で使われ、最後のページに宇部マニアックス文庫という文字がみられる。プレゼンファイル自体は琴芝小で使われた学校備品のノートPCにそのまま遺す形で寄贈された。
ただしまず活用されておらずファイル自体が削除されているかも知れない

次作として琴芝小横の参宮通りにあった琴芝歩道橋が更新されるときの様子を映像化した小冊子が予定され、実際に少し制作されかけたが、同年に西梶返のアパートを退去し琴芝地区から離脱したため完成しなかった。

紙媒体としての初出は、2022年9月上旬に販売が予定されている隧道あるはずでしょう物語である。この小冊子の最終ページに宇部マニアックス文庫の文字が入れられている。文庫と命名されたように今後は同種の小冊子出版を増やす計画である。
【 宇部マニさんぽ 】
項目記述日:2021/3/9
最終編集日:2021/12/10
宇部スポーツコミッション(USC)によるうべ探検博覧会企画である「スポーツうべたん」において、宇部マニアックスによる現地ガイドを伴うウォーキングイベントの名称。写真は2021年春に予定されている企画向けのパンフレットに用いられた写真。


宇部マニさんぽという呼称は USC による発案である。宇部マニさん+散歩の短縮言語という見方もできる。

宇部マニさんぽは、covid19 の影響から多くのイベントが中止されがちだった2020年の秋口、外を出歩いて基礎体力を維持する必要性からUSCよりオファーを頂く形で実現した。第一回は恩田運動公園メタセコイア並木ウォークが実施されている。紅葉と均整の取れた並木の美しさを愛でるウォーキングだったのだが、この年の夏に襲来した台風の塩害で例年のような紅葉がみられなかった。それでも恩田プール陸上競技場の成り立ち、周辺の字名を交えた説明で参加者の満足度は高かった。

第2回として再びUSCを主催としたときわ公園の湖水ホールから山炭生の鼻までを往復する散歩イベントが企画され、[1]4月1日に開催された。今年は平年より気温がかなり高く推移していたため、実施日には葉桜になってしまうことが懸念されたが、3月末にやや気温が低く推移したことにより菜の花と共にほぼ満開を保った。当日は雲一つない晴天に恵まれ、最終的な参加者は定員枠を超えた。

当日は現地までにみられる景観地で入り江や地名に因む解説を行い、山炭生の鼻から少し先にあるタブ跡を視察した。春休みということもあって子ども連れの参加者もあり、周遊園路の斜面に露出している泥炭を記念に持ち帰っていた。イベント終了直後に参加者が書いたレビューを後日受け取っている。参加者の満足度は一様に高く、同種の散歩イベント開催を望む声が多かった。

USCでは春と秋に開催されるスポーツうべたんの企画として散歩イベントの企画を予定している。これを受けて興業的に成立しそうな散歩コースをいくつか考え提案している。このうちの一つはサンデーうべのコラム「海の眺めも満喫できる山」(Vol.59)として日の山に登るもので、このプログラムは2021年の秋バージョンとして11月18日に開催された。東岐波地区は宇部マニさんにとってアウェイな地なので参加者からいろいろ尋ねられたら回答できないかも知れないと心配されていたが、旧宇部村エリアの話も交えてガイドを行い、高い参加者の満足度を頂くことができた。

このプログラムに着目して山口ケーブルビジョン「にんげんのGO!」でも散歩企画の放映が検討され、松田ディレクターと日の山を含めたロケハンを行った。このとき新川沿いを歩きながら試験的に解説することで思いの外市街地に散在する題材に興味を持たれ、同番組で初めて宇部マニさん主演の番組「宇部マニさんぽ」が制作された。宇部マニさんと散歩人おかふじりんたろう氏の2人のみが登場し、新川沿いおよび近隣地域にある物件を解説しながら歩くというものである。


散歩の行程は新川の樋ノ口橋から宇部港までであったが、宇部マニさんがあまりにも沢山しゃべり過ぎてスタート地点から僅か300m歩いただけで前編終了となった。この番組の最後で宇部マニさんが前述の日の山登山さんぽ企画を宣伝している。収録は宇部港まで行われていて、後半の放映は視聴者の反応をみて検討されることとなった。放映後この放映の続編を視たいという声がかなり寄せられ、2週間後に後編が放映されている。後編は12月第2週末(12日)まで流れている。
以上の記述はUSCの宇部マニさんぽとにんげんのGO!の宇部マニさんぽを分割する予定である
出典および編集追記:

1.「宇部スポーツコミッション|宇部マニさんぽ 〜さくら&菜の花ウォーキング〜(スポーツうべたん企画)
【 宇部マニスク 】
項目記述日:2022/1/16
最終編集日:2022/1/17
ファンの女の子からプレゼントされた手製のマスクの総称。宇部マニ+マスクの短縮形である。
写真は最初に頂いたもので日常生活でもっともよく使っているマスク。


covid19 以降マスクは万人の必須アイテムとなった。ただし初期には有効性に疑義があるとか習慣的な問題もあり、外出時にマスクを着ける人は限定的だった。私自身も確率の問題であるとみなし、着け始めたのはずっと後のことである。混乱期には店舗に入荷する衛生マスクの供給がまったく需要に追い付いておらず、入手自体まったく不可能という事情もあった。

衛生マスクが手に入らない状況から、端布を使ってマスクを手作りする女性が増加した。最初のマスクを頂いたのは、奇しくも全国規模での非常事態宣言が発令された時期だった。このマスクも手製で、制作者はSNSで繋がっている女性だった。既にマスク装着が必須の状況となっていたので、すぐに使い始めるだけでなく次回のロケではこのマスクを着けて出演するからと伝えていた。

隧道どうでしょうで宇部マニさんのピンク色のマスクについて言及されるシーンがある。
このとき実直にファンの女の子からプレゼントされたものですと言ったのだが、まるっきり信じてもらえていなかった。


確かにピンク色のマスク自体は、現在ではドラッグストアなどでも市販されていて入手可能である。しかし市販されていないことが分かる派手な柄のマスクなら手製は明白である。言うまでもなく私自身にマスクを手作りするスキルは持ち合わせていない。

実はこれよりもっと派手で、日常生活では着けて外を歩けないレベルのマスクも頂いている。
よくこのような端布を見つけてきたと感心する。このマスクの制作者は別の女性である。


さすがに日常生活で着けて外出したことはないが、2021年新春スペシャルのロケでは実際に使っている。
フェイスガードを装着しているので顎マスク状態で写っている。


無地の衛生マスクが入手可能になってからは、沢山持っている人から分けて頂いている。しかしそれはマスクを忘れて外出してしまったときの予備としてショルダーバッグと車に準備しているだけで、covid19 対策として実際に使ったことは一度もない。

この他に上のとは別の2種類の宇部マニスクが手元にあり、いずれも先の女性による制作である。遺憾ながらどちらの女性もファンであり恋人ではない。野ウサギは今なおばにらうさうさチャンを追い求めている。
【 宇部マニ3!
かなり容易に推察可能と思われるが、そのまま宇部マニ参上!と読む。意味もそのままである。3を肩に小さく書くことで立方を表す x3の3乗にかけている。このため3も!も指数表記のように小さく書くのが正式だが、初期には!をそのまま書いたものもある。

写真はうべの里アートフェスタの会場となった旧吉部小学校の黒板に描かれたサイン。ステートナンバーも併記している。
年号を意味する2018は2019の誤記


ある特定の場所へ行ったときや、特定の場所まで何かを配達したとき確かに本人が訪れたことを示す足跡として機能する。紙に書いたり黒板へチョークで描くなどが殆どで、公共物への落書きとなるような手法では行われない。ステートナンバーが自己満足的であるのに対し、この足跡は誰かに見てもらうことが目的という点で異なる。
【 宇部マニズム 】
2017年の始めには郷土ツーリズム(居住地域近くの史跡や観光資源に改めて目を向けること)の流れに乗り、宇部マニアックス的な観察手法を指して宇部マニズムという語が初めて使われた。
FB上での使用が初めてだがどの投稿で最初に用いたかは覚えていない

この用語の発案は、渡邊翁記念会館80周年を記念して開催された音楽会において、パンフレットで演奏家の紹介文としてピアニズムという語が使われていたことに倣っている。解説はないが恐らく「ピアノの織りなす世界」という意味合いだろう。そして宇部マニズムという語もそのまま観察手法や客観的な記録を遺すという殆どすべての活動の根底思想を表している。
【 宇部マニっ記 】
項目記述日:2022/8/26
最終編集日:2022/9/4
文字通り宇部マニアックスによる日記だが、2022年7月から書き始めたものに限定して呼んでいる。Google document で作成されていて一部の限定された人にしか公開されていない。奇妙なこの名称は言うまでもなく短縮言語由来である。

閲覧需要がほぼなくなっていることから、同年9月からの宇部マニっ記は非公開に変更されている。
【 宇部マニ路地区♡ 】
市内の里道など今後消えゆくかも知れない路地を撮影したカテゴリで、既にアカウント取得していた note のマガジン(ブログのカテゴリに相当する)として2020年1月に作成された。[1]うべまにろじくらぶと読む。路地区とは路地のある地域全体の呼称であり、当サイトの管理人が信奉している論理思考(logic)をかけている。最後の♡は毎度ながらの♡好きによるもので、これを「ラブ」と読むことで全体としての読みが「路地クラブ」になるよう設計されている。我ながらこれ以上はないというほど衒った命名である。

このもの凄く凝りまくった呼称の発案は明確に記憶されており、2019年12月2日に局長の真部号で来迎寺周辺を訪れたときの帰りの車内である。以前から接道条件を満たさない狭い里道が消えゆく脅威を感じており、島の里道に続いて他の地区も狭い路地を記録するために何かのカテゴリを造ることを考えていた。このとき宇部マニ路地区♡の発案を話したとき大変に感心されていた。ロケハンの車内でもこれ以前に口にしたような記憶がある。

この項目を書く現時点(2020/1/25)では閲覧者が殆ど居ないが、先々を見通して他のマガジンも作成していて単発的に写真を投稿している。note自体は課金記事を作成できる強みがあり大きなポテンシャルを感じるが、投稿の場をいくつも増やすと負担が重くなるのでまだ開設の宣伝などはいっさいしていない。
出典および編集追記:

1.「note|宇部マニ路地区♡
《 海歩き 》
項目記述日:2019/5/22
最終編集日:2020/4/23
自然の海岸において、靴が浸らない程度の波打ち際を歩き回ること。山歩きの対義語として勝手呼称された。初出は[1]である。写真は白土海岸。


海辺を歩き回っている人の大半は潮干狩りか釣りが目的である。親子連れなら幼児を連れて水際でパシャパシャやっていることはあるがそう広範囲には歩き回らない。犬の散歩で海を訪れる人は波打ち際ではなくやや離れた砂浜を歩く。海歩きする意義はそれらとは殆ど重なることのない以下のような理由による。
(1) 波打ち際にある石や遺構を観察し採取すること。
(2) 普段は近付けない場所へ接近し地形を観察すること。
(3) 将来の記事向けに秀麗な写真を撮っておくこと。
(4) 生物の分布を観察すること。
(5) 潮の香りを感じて非日常性を味わうこと。
(6) 足元の良くない岩場を歩いてバランス感覚を養うこと。
このうちのどれが主たる目的かは時により異なる。永らく海を見ていないときは、訪れるだけで気分転換になる。近くばかり眺めがちな現代人にとって目のピントを無限大に設定できる海は視覚的な刺激になり、海辺に特有なジメチルスルフィドの適度な芳香は嗅覚を刺激する。しかし常に何かの成果や新しい発見を志向しているために、興味深い地形や流れ着いたものがないかを観察する目的が一番多い。この目的では干潮の方がより広範囲を動き回れるため、低水位踏査に似るところもある。

下地の礫石や地形などを観察するなら、草で覆われず広範囲に人の手が入っていない波打ち際の方が陸地よりも多彩な題材を提供する。東岐波方面はレンガの破片が多く、草江や常盤の海岸は石炭の微粒子を含む黒ずんだ砂が目立つといった明確な理由による地域的特性がみられることがあり、他方同じ岩場なのに丸尾崎周辺ではイソギンチャクが極めて少ないという理由がよく分からない特質もある。

街中の景観とは異なり、海辺で撮影した画像は10年程度のオーダーでも過去の写真を見比べて殆ど変化がない。このため撮影対象題材としてはもっとも緊急度の低い部類に入る。同じ場所で撮影された画像が複数保存されるのは、精々潮の状態が異なるもの程度に限られる。写真映えする青空の広がった好天を狙って撮影し、過去これといった基準なく撮影された画像との差し替え作業も行われる。

当サイトでは海に関する画像は浜辺・港湾のサブフォルダに格納されている。砂浜や岩場など自然の海岸は浜辺に分類し、船が接岸するコンクリート護岸や波止場など人の手が加わった場所は港湾に分類している。
出典および編集追記:

1.「FBタイムライン|海歩きと石拾い(2019/5/21)
2.「FBタイムライン|海歩きでひらってきた素材(2020/4/23)
《 繧繝縁 》
項目記述日:2021/1/1
見るからに難しい漢字表記だが、繧繝縁(うんげんべり)と読む。典型例としては百人一首において天皇家の殿様と姫の札は、側面が虹色になった台座に座っているように描かれている。実物はもちろんのこと現代ではこの言葉自体が既に殆ど使われることがない。

この難しい語がクローズアップされた経緯は、かつて毎年行われていた恒例の行事である「かるたいかい」にあった。この会合では最後に百人一首を使った坊主めくりをかならず行う。それは通常の百人一首を拡張して坊主めくり向けに特化した特別の役を持つ札が含まれており、遊び方の説明書が付属していた。

通常の坊主めくりでは、虹色の台座の札が現れればもう一枚めくれる特典がある。この部分の説明として「※ 天皇家札は豪華な畳(うんげんべり)のある札です」の記述がみられる。


参加者は誰もが虹色の台座の札は知っていたが、それを「うんげんべり」と呼ぶことを初めて知った。ところが耳慣れない言葉であることと殿と姫の場合でルールが異なることから、該当する札が現れる都度説明書で確認していた。その際正しく唱えることができず「うんげんげり」「うんべんべり」などと亜種の呼び方が多発し、どれが正しいのか分からなくなった。

このとき、ある参加者が「大体分かるからどう読んだって通じるんじゃないかな」と発言したことにより、かるたいかいでは「うんげんげり」なども正しいと曲げて解釈することが容認される取り決めができた。

後に検索で調べることにより、漢字表記が繧繝縁であることが判明した。これなら末尾の漢字が「縁(へり)」なので「うんべんげり」はあり得ない。しかし前出の取り決めにより、わざと曲げた読み方をすることで別の汚穢な状況を説明するときに使われる事例が現れている。具体的には次のようなやり取りである:[1]
食欲はあるのにお腹の調子がもの凄く悪い。
何を食べても繧繝縁になる
由緒ある天皇家のアイテムを何だと思ってるんだ!と石が飛んで来るかも知れない。しかしながらこの種の汚穢ネタは意外にもメンバーに人気がある。例えば渡邊ゼミの塾旅で鹿児島方面を訪れたとき、駅前にある床次竹二郎の胸像前で局長がネコのものと思われる”遺物”を踏み付けてしまうハプニングがあった。メンバーが笑い転げる中、局長はすっかりテンションダウンし、最寄りのデパートのトイレに入って臭う靴を完全に洗浄するまでHPが回復しなかった。この事件は、歴史に疎くまして人物名などまるで覚えきれない私に床次竹二郎の名前を紐付けて永遠に記銘する助けとなった。[2]
この記述は床次竹二郎胸像事件とでもしてハプニングの項目に移動する予定
出典および編集追記:

1.「FB|2020/12/23のつぶやき

2.「FB|2020/12/1の投稿とコメント
映像デビューの地
項目記述日:2020/2/18
最終編集日:2022/9/11
正確には「宇部マニアックス映像デビューの地」となる場所は、真締川中流域の市道真締川西通り2号線および市道真締川東通り線の自歩道である。
写真は山口ケーブルビジョン「にんげんのGO!」の絶景!滝見物落差1000の1周年記念トークで知らないうちに紹介されていたときの映像。
字幕に流れているのはどさけん氏が宇部マニアックスについて述べている一幕


一連の映像は、宇部マニアックスとして番組に登場するようになったときの人物紹介として別の日に撮影されている。生活圏にある何の変哲もない場所であるが、テレビ映像として紹介された初めての地となった。詳細は項目に設定されたリンク先を参照。
《 エスケープルート 》
項目記述日:2019/3/11
最終編集日:2021/5/1
到達困難な場所の踏査や深い山間部などを自転車で移動するとき、不測の事態が生じた場合にただちにそこから対処可能な場所へ容易に移動できるような代替経路を指す。Escape root のことであり和訳すれば脱出経路であるが、踏査の場合は復帰が容易でない場所からの脱出、長距離移動などの場合は対処先までのショートカットである。SKプルートなどと書いている場所があるかも知れない。

長距離移動では、例えば自転車を漕いでいてパンクしたりカメラの予備バッテリーもすべて尽きてしまった場合、最寄りの自転車店やバッテリーを充電可能な店舗先などとなる。この場合は起きる事態が予測困難なため事前にエスケープルートを確保しておくことも難しい。例えば県道小野木田線市道櫟原線のような沿線に民家が皆無で小野湖沿いに進む道の場合、どんな行き先であれエスケープルート自体設定が不可能であるため、不測の事態それ自体を確率の問題として片付け受忍している。

踏査の場合は移動距離よりも往還路の困難さに応じてエスケープルートの設定が念頭に置かれる。問題なく到達を果たして戻る場合は往還路が一致するのが通例である。しかし往路でかなりの困難が生じ復路に同一経路を援用しない方が容易な場合は、遠回りのエスケープルートが使われることもある。容易に接近できると思った場所が到達不可能と判明し、当初予定ではループを造る経路となる予定だった場合は、それとは別のエスケープルートを用いて出発点へ戻ることもある。

前述の長距離移動のような場合は確率の問題として片付けることとして、困難な場所の接近踏査ではエスケープルートの設定以前にまず同一経路をそのまま引き返し可能かが検討されなければならない。同一経路の引き返しが困難でも遠回りながら安全に戻ることが可能ならエスケープルートとして設定できる。例えば急斜面の中腹に細い山道が延々と続く場合、往路と復路では山と谷の位置関係が入れ替わるため、往路では問題なく進めたのに復路が困難な場合が起こり得る。このような場合も実際に開始する前に考慮が必要である。
【 渋滞回避のエスケープルート 】
車での移動中に不測の事故渋滞に巻き込まれたとき、渋滞から抜け出すことを目的に選択される別経路もエスケープルートと呼ばれる。目的地へ着くのに数キロ程度距離が長くなっても時間のロスの方が重大なので、殆ど動かなくなる程の酷い渋滞時には積極的に探索される。言うまでもなくこのときのエスケープルートは四輪が合法的に通行可能な経路に限定される。

最近の事例としては、吉見峠を越えた直後に茶屋交差点での故障車両発生に伴う渋滞があった。峠越えの前に茶屋交差点の渋滞が告知され、峠を越えた時点で殆ど車列が動かなくなったので、山陽街道筋にあたる旧道(市道岡ノ坂茶屋線)側へハンドルを切っている。何処へ出るか熟知した状況でエスケープルートを援用したのだが、このとき渋滞を待ちきれなかった後続車両のうち2台が後ろに続いている。[1]
出典および編集追記:

1.「FBタイムライン|前の人に着いていけば大丈夫じゃろうと思う人の心理
《 エッセイ 》
項目記述日:2020/6/21
最終編集日:2021/5/6
一般には随筆と訳され特定の話題をまとめた記述文であるが、当サイトにあっては(株)インターンへ毎月掲載されていた当サイト管理者作成による時系列記事を指す。2020年4月より掲載開始されたが、後述する理由により現在は配信休止している。
【 エッセイ開始の背景 】
同社の運営する会員登録制サイト「凜」は、代表者である岡藤氏により創立された。岡藤氏とは「にんげんのGO!」の”隧道どうでしょう”のロケで佛坂隧道を訪れたとき初めて同行している。宇部マニアックスの活動については山口ケーブルビジョンの松田氏より聞いていたようである。このとき物件を掘り起こす手法や視点の持ち方など多くの点に関心を示されていた。

2020年のはじめに「凜」を立ち上げたとき、会員登録制サイトに記事を寄せて欲しいと請われた。もちろんその時点で原稿料の水準は示されていた。個人的には時系列記事を書くことは好きだが、それを単なる達成感のみで続けることに限界を感じていた。少しばかりでも良いので原稿料の発生する仕事をしたいと感じ、実際に note でアカウントを作成している。note は一部の記事を有償設定可能であった。しかし手数料が極めて低い課金に関するシステムが未だ整備されておらず、この構想も案だけに終わっていた。

他のサイトにみられない個性的な記事を作成するオーサーの需要と、記事を制作することにより幾ばくかの収入を得たいと考える私との合意にたどり着いたことがエッセイ書き始めの背景と言える。内容的には当サイトの時系列記事に等しいのだが、岡藤氏が「ぼくのサイトではエッセイを書いてください」と話したことがそのまま命名由来となっている。
【 配信の終了 】
岡藤氏はその後、興味深い活動をしている人たちを引き合わせての鼎談を音声映像で収録し YouTube で配信する事業も始めた。2月18日に山口市の菜香亭でアーティストインレジデンスの活動を進めている方と宇部マニアックスによる鼎談が企画された。記録された映像と対話はYouTube での公開が予定されている。

2021年入りしてからもエッセイの配信は続けていたが、この頃から登録会員制によるメルマガ配信の限界と紙媒体の見直しを考えていたようである。特にメルマガ配信では各オーサーが寄せたエッセイを査読するための時間が必要であり、それからフォーマットを整えて配信可能にする作業へ時間を割くことが難しくなったことから、同年3月より暫く休止することが宣言された。

5月2日に山口ケーブルビジョン本社でレア滝カード配布イベントが開催されたとき、イベント終了後の情報交換でメルマガ方式の配信は停止しているが、紙媒体での発信は年内に実現する予定であることが明らかになった。また、既にエッセイとして買い取り配信された時系列記事について、媒体を問わず宇部マニアックスとして再配信することについて何ら問題ないとの同意を得た。月一で時系列記事を作成する習慣を維持することと生活の支えという必要性もあり、電子書籍での配信を行う技能を持つ市内のある書店と交渉している最中だった。

この項目の最終編集日である現時点ではメルマガ配信に係る会員募集や登録は行っていないとのことなので、暫定的に会員登録制サイト「凜」の記事リンクをコメントアウトし、各総括記事から会員限定の時系列記事を読む手続きを書き換える予定である。これは将来にわたってエッセイを書かないというのではなく、電子書籍か紙媒体などで再配信するときのための準備からである。岡藤氏は紙媒体の雑誌を企画していると語っており、宇部マニアックスの記事の需要があればいつでも新しい時系列記事を作成提出する用意がある。
《 おちゃづけ 》
項目記述日:2019/5/15
漢字表記で「お茶漬け」と書いた場合はそのまんまご飯にお茶またはお湯などをかけて供される食材である。(後述する)学童の遊びに関しては、年齢や能力が一定水準に達しない子どもが他の学童たちと同等に遊ぶために考慮された優遇措置や、その適用を受けた子どものことをこのように呼ぶ。

専ら勝敗や巧拙が定まる屋外主体の遊びにおいて採用される。例えば年齢の低い子どもはボールの扱いが下手だったり力が少なかったりして不利なことが多い。そこで普通は2回失敗すればアウトになるところを3回まで許したり、タッチされて鬼になるべき場面で大目に見てやるなどの配慮である。

おちゃづけの適用範囲やその内容は、一緒に遊ぶ学童のうちの最年長者が決定した。大抵は遊ぶ前に取り決めるが、遊んでいる最中に幼少者が失敗したとき「××はおちゃづけだから(失敗は見逃してやれ)」とその場で擁護することもあった。このことから分かるように、おちゃづけというシステムは、子どもが多かった時代に年齢差のある学童や幼少者が一緒になって同じ遊びを愉しむための知恵と言える。

現代社会において屋外で遊ぶ子どもは決して皆無ではなく、公園などではまとまってボールなどで遊んでいる姿を見ることができる。しかしおちゃづけというルールが適用されているかは定かではない。そもそも昔に比べて子どもの絶対数が少ないため、むしろ年齢差を超えてまとまって遊ぶのが合理的な環境になってはきているが、年齢差や能力差がある子どもを交えて一緒に遊ぶにはこういったルールが必須であり、そのことを煩わしく感じて最初から同一学年の学童のみが集まって遊んでいるかも知れない。

このようなルールや適用者をおちゃづけと呼ぶ由来は不明である。自分自身も周囲の学童の中で年齢が下だった時代はおちゃづけ扱いにされていたし、高学年になれば仲の良い同年齢の学童だけで遊ぶことが多くはなったものの、近所の子どもだけで年齢層の異なる子どもたちが集まって遊ぶときは取り仕切ることもあった。
【 大人の世界においての「おちゃづけ」 】
おちゃづけは学童の遊びの世界に限定される。類似するルールがあっても大人の世界ではおちゃづけとは呼ばないし、もしかすれば現代社会の子どもにおいても既に死語となっている可能性もある。しかし言葉として失われていても大人の世界でも能力差のある状態で同じルールの下で競技を楽しむ場面は存在する。それらは一般には上位者に負担をもたらすことで力量を均等化するハンディキャップとして認識される。

明確なハンディキャップの取り決めがなくとも、勝敗のある競技ではある程度プレーしてみればお互いの力量が判明する。その上で競技として持続性を保てるように自主的な「手加減」を行うことは一般的である。そのことは自分の力を試してどんどん強くなることを願う向上心の強い上位者には物足りないことだろう。他方、手加減を受ける側からは同じ競技を長く楽しむことができたり、さまざまな場面に遭遇してスキルを磨く機会にもなる。殊に勝敗が絶対ではなくむしろ同じ競技を息長く楽しむ生涯スポーツの観点から言えば、このようなスタイルで相手に合わせた手加減が効くプレーヤーは、それだけで事細かに教えることのない指導者的存在になれる。実際、常盤屋においては尋ねられるまで言葉で教えることはなく、代わりに相手を見て弱い部分を強化するようなショットを繰り出す技能者の存在もあった。
【 食品としてのお茶漬け 】
名称はお茶漬けであるが、実際にはご飯にお茶を注ぎ込むのではなく白湯を用いることが多かった。殊にお茶漬け用のふりかけ(典型例としては永谷園のお茶漬けシリーズ)を用いる場合、飲んで嗜む緑茶を使うと香りが飛ぶ上にお茶の渋みがふりかけの味を損なうことになる。

私が学童だった時代、ご飯をおかわりしてお茶漬けで食べるのははしたないことと考えられていた。「おかわり〜お茶漬け〜」と言って空の茶碗を差し出したとき「ダーメン(駄目という意味)」と親から言われたものである。何故ダメなのか理由は教えられなかった。お茶漬けは一般に炊いた後時間が経って冷えたり水分が飛んでおいしくなくなったご飯をお湯で再生する食べ方であり、炊きたてや熱いご飯をお茶漬けで食べるのは勿体ないから、お茶を加えることで噛まずに流し込むような食べ方となって胃腸に負担がかかるからなどの理由が考えられる。
《 おちゃらけ 》
ふざけること。またはふざけて放つ冗談交じりの言葉などを指す。標準語とは言えないかわりに訳の分からない言葉でもなく、日常的に使っている人もある。地域性があるかも知れないが、地元ではあまり使われない(意味は恐らく通じる)と思う。冗談の意味で使われるネタに通じるものがある。

実のところこの語が使用語句として私の中にリストされたのはそう昔のことではなく、ネット黎明期によく閲覧していたある掲示板に由来する。それまでは全然耳にしたこともない言葉だった。実際、宇部地下の人たちからこの語が発せられるのを聞いたことがない。

当サイトの記事でも踏査中のおちゃらけを描写した場面が結構でてくる。これは遊びゴコロを大いに推奨するコンセプトにも合致するからであり、踏査のみならず日常生活や人との会話の多くがおちゃらけで占められている。物件の総括記事や時系列レポートから離れて純粋におちゃらけ目的で作成された記事がいくつかあり、誤変換リストは代表例である。その他にも嘘っぱちの作り話をもっともらしく書いた記事を作成した記憶がある。それが何処にあるのかは…
小羽山ジンガー
項目記述日:2020/12/11
最終編集日:2022/11/9
南小羽山町の下にある沈砂池のコンクリート堰堤に対する勝手呼称。命名の由来については、ある世代の方には実物を正面から撮影したこの写真で納得いくだろう。


この奇妙な形状については早くから気付き撮影されていた。当初は特定のキャラクターが思い出せず「ロボット堰堤」と勝手呼称されていた。表記については揺れがあり「おばやマジンガー」の方が分かりやすいが、ここでは所在地が小羽山校区であることを元に漢字表記している。有名なアニメ主人公のキャラクターに類似していることを短縮言語法によって表現している。

2020年度に企画された小羽山ものしり博士づくり計画の散歩コースにある題材紹介の過程で採用され、2021年初頭に開催される予定の企画向けにLFにより命名し直された。詳細は項目に設定されたリンク先記事を参照。
【 小羽山ジンガー散髪計画 】
小羽山ジンガーは2017年頃から右岸側(西岸側)から張り出した樹木が伸びてきて顔の形が分かりづらくなった。小羽山ものしり博士づくり計画の散歩企画に合わせて、見えやすくするよう刈り払いが企画された。2022年11月8日に初めて長靴装備で水路を伝って堰堤まで到達した。しかし伸びているのは草木ではなく堅牢な木の枝で、切れ味の悪い剪定ばさみでは全く歯が立たず退散することとなった。[1] 冬の寒い時期にノコギリで伐る以外方法はなさそうだ。
出典および編集追記:

1.「FBタイムライン|小羽山ジンガー散髪計画
おばちゃん
項目記述日:2021/4/6
最終編集日:2023/4/20
一般には一定年齢以上の女性に対するくだけた呼称である。しかし当サイトに関しては原義となるこの語を用いることはまずあり得ない。一般用語のおばちゃんについては後述する

当サイトに限定すれば、2021年度に企画された「ふるさと小羽山DX計画」の”新しい生活様式”に準拠する形で小羽山校区にある物件や景観などを動画配信する YouTube チャンネルの略称である。正式名称は「おばやまちゃんねる」で、LFのあるメンバーが創設している。ふるさち小羽山DX計画の報告会において意見提出された。

宇部マニアックスはこの動画制作に直接関与はしていないが、動画題材に値する物件や景観への案内役を務めている。現在、小羽山地区の全容を紹介するダイジェスト的動画がアップロードされている。6分程度に及ぶこの動画は、現地での聞き取りや各種物件のスナップ、ドローンによる撮影に加えてイメージ画像やBGMを元に構成されており非常にクォリティーの高い仕上がりとなっている。今後少しずつ小羽山地区の各種題材を伝える動画が公開される予定である。おばちゃんへのアクセスは項目に設置されている外部リンクを参照。
【 一般名詞としての「おばちゃん」 】
女性に対して親しみを込めた「おばちゃん(叔母ちゃん)」ないしはおばさんという呼称は割と一般的である。当サイトやFBタイムラインでも記述内容によっては「オバチャン」などと書いている場所があるかも知れない。しかし個人的にあまり好きな言葉ではなく、よほど親しい間柄である場合を除いて女性に対してこの語を使うことはない。

歴史的に見て、昭和期や平成初期までこの種の語はそれほど注意深く扱われていなかったし、頓着する人も少数だった。令和時代に入ると情報共有が加速してきたこともあり、性差や年齢差を元にした呼称全般が見直されるようになった。それでも平成期からこの語は「オバサン」と共にあまり上品ではないと考えていた人もあり、この主張は「オバサンと呼んでもいいのは登下校路の横断歩道で緑の旗を持つ女性、ヤクルトを配達する女性、日本生命の外交員くらいのものだ」に集約される。(→感銘を受けた他人の語録

この語に限らず「叔父ちゃん」や「奥様」など性別に紐付けられた一連の語句は、ごく親しい間柄で限定的に使われる以外は今の時代に相応しくなく、今後時間をかけて置き換えられるべきと考えている。
出典および編集追記:

1.
《 お約束 》
踏査中に一定の条件を満たす場所や状況になったとき、とるべきことが求められている所定の行為を指す。具体的な状況や実行するお約束的所作については、この記事の作成されている現時点で8つの公開お約束と1つの非公開お約束が存在する。公開お約束は以下の通りである。
・市内の初めて訪れた場所でまったく見たこともない景観に出会ったときは「ここ…宇部市?」と呟くことが求められる。
・対象物件の破損や劣化が著しいとき、藪漕ぎが予想外に厳しいときには「これは酷い。」と呟かなければならない。
・穴があれば覗き込む。可能であれば中へ入ることを試みる。
・極端に幅の狭い認定市道に出会ったときは、その狭さを伝えるために自転車を横置きにした写真を撮影しなければならない。
写真は市道助田鍋倉線狭隘区間


・自転車で長い下り坂を一気に下るときは「気持ちイ〜、チョー気持ちイー♪」と大声で叫ばなければならない。(ただし周辺に民家があったり通行人の存在が認められるときは免除)
・帰途で不意に雨に見舞われた場合は、泣きながらじでんしゃを漕がなければならない。(涙は出ていなくても可)
・送電鉄塔を訪れたときは、かならずその真下に入って見上げるアングルのショットを撮影しなければならない。(ただし立ち入り可能な場合に限る)


・真っ直ぐな道路や河川、広々とした野原や河川敷を訪れたときは、その中央地点から直線度や広さを表現する写真を撮影した後に愛を叫ばなければならない。(ただしイケメンに限る)
これらを総称して「宇部マニ9つのお約束」と呼ばれている。今のところ非公開お約束は秘匿されている。しかし非常に注意深い読者は気づいているかも知れない。また、今後新たなお約束が追加設定される可能性はある。
《 おんにゃの子 》
項目記述日:2019/11/22
最終編集日:2020/11/8
いろいろな意味で可愛い女性を指す語。可愛さは主観的なものであり実年齢は判定条件ではない。可愛いと感じさせる要素を持った女性はすべておんにゃの子なので、記述時にはしばしばを伴う。客観的な女性をあらわす語は「女性」であり、好感度の高い女性は年齢にかかわらず「女の子」と評することもある。[1]高齢者という語は使うが「おばちゃん」や「お婆ちゃん」は、親近度の高くない女性に対しては蔑称に近いと考え話し言葉でも滅多に使わない。

おんにゃの子という語の由来はローマ字変換するとき「N」のキーを一つ余計に叩いた結果起きた誤変換であり、子猫を意味する「ニャンコ」に通じるものもある。今となっては死語と化した「ニャンニャンしたい」にある程度は近い概念かも知れない。勝手呼称ではなく他の場でも比較的よく見られる。

野ウサギがおそらく永遠に追求し続ける崇高な対象である。この理由は、一般に2通りの性を持つ生物が自らと異なる性を追い求める遺伝子的素因に他ならない。ただしそれは多数派的なジェンダー論であり、そうでない事例も存在する。個人的にはおんにゃの子に対して持つ感情を男性に対して抱くことはいっさいあり得ない。この意味で野ウサギはシスジェンダーである。

可愛いものやパステル調の美しい淡い色を好むこと、身なりの嗜好からおんにゃの子的と見られることもあるが、そのことについて否定はしない。むしろ別の価値観という理由から、例えば自分に脂ギトギトな男性的イメージはまったく似合わないと考えているし、おじさんという目で見られたりそう呼ばれることも嫌う。身なりや所作から女性的と言われても平気だし、女の子からだったらシュシュやポニテを見て「可愛いよ」と言われると嬉しい。何故なら可愛いのは男女の別なく無条件に「良いこと」だからである。

女性を追い求めるのに自身がおんにゃの子的なのは相容れないことという意見があるかも知れない。初期には同感であり本気で追い求めるなら自分を変えるべきと考えた。現在ではこの考え方に対してまったく否定的である。したいように振る舞うことこそ重要であり、少数派の持つキャラクタとして肯定的に受け止めてくれる人を探した方が良いと考えている。
出典および編集追記:

1.「FBタイムライン|11月6日の行程ダイジェスト(2020/11/6)」で、現地でたまたま顔を合わせた自分より随分と年上のお二方を女の子と評する場面がある。

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