好き嫌い(飲食物)

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項目記述日:2021/1/13
最終編集日:2023/8/25
ここでは当サイトの管理人における食べ物や飲み物の好き嫌いについてまとめている。
写真は随分と前に一人で行ったある焼肉店で出てきたカルビの脂身の多さに絶望して写真を撮ったところ。
2016年の撮影でありこの店は既に存在しない


子どもはまだしも、成人では好き嫌いが少ないことが望ましく、嫌いなものがとても多い状態は偏食と言ってしばしば眉をひそめられる。一度も食べたことがないのに外観や匂いだけで拒むことは食わず嫌いと言われる。

当サイトの管理人は酷い偏食家である。グループで外食するとき、せっかくお店の予約をして頂きながら迷惑をかけることがないように食べられないものを早めに告げている。例えば多くの社会人が好む焼き鳥はいっさい受け付けないので、焼き鳥屋へ連れて行かれても食べられるものが皆無となる。事情をご存じの方は、行き先をうどんやラーメンといった麺類、あるいはファミリーレストランといった無難な店に設定してくれる。

一般に、子どもの頃好き嫌いが多かった人も大人になるにつれて克服されあまり目立たなくなる。大人になっても治らない極端な偏食は、ほぼ間違いなく嫌いなものを強要する誤った食育が原因である。実際、後述するように幼少期から学童期にかけて好き嫌いに関して非難され続け、学校ではいじめの対象にもされていた。
《 肉嫌い 》
子どもは見慣れない形や色、匂いを呈する食品を忌避する。そして一般に色が綺麗で香りが良いものを受け入れ、殆どは味覚で決定的となる。即ち甘い味を受け入れ苦みや渋みを呈する食品は殆ど受け入れない。大人になれば実際に食してみてその味わいや栄養価、渋みや苦みでさえも食品の特色として受け入れる。この点で私の食べ物に関する嗜好は未だ幼児の領域を脱しておらず、快い味や匂いを呈する食品を選好する。

具体的には、まず魚以外の殆どの肉類を自分で買って食べる習慣がない。鶏肉・豚肉・牛肉は赤身や筋硬さがない部位なら食べられるが、自ら進んでそういう食材を含む料理を外食したり購入することがない。冒頭の写真は、あるとき牛肉に高濃度で含まれているカルニチンの効果を期待して、初めて一人で焼き肉店へ行ったときのものである。初めて誘われてこの店に来たときは赤身が多い牛肉で美味しく食べられた。それを期待して昼間行ったところ、前回食べたのとは似ても似つかぬ脂身ばかりの粗悪な肉が出て来たのである。写真の通り脂身が極端に多い上に筋っぽくて硬く、とても食べられたものではなかった。食べ残すのはあまりに勿体なかったので赤身の部分だけ切り離して食べて、脂身はプレート上に放置して焼き溶かして帰った。それ以降、一人で焼肉を食べに行ったことがない。

夕食に半額シール付きの惣菜つき弁当を買うときも鶏唐揚げが入っていれば避ける。鶏唐揚げは万人好みの食材と思われているので、嫌いと言うとしばしば珍しがられる。会合の弁当に入っていたら好きな人に献上する。最近のは割と良いものが使われているが、稀にゴムみたいに硬い部位に出会うことがあるのが嫌なのである。そのような硬い部位に出会ったら、どんなに小さくても飲み込まずに吐き出す。

牛肉も赤身ロースなら食べるが、カルビは前述のように筋が多く硬かったり脂身が多いものは食べない。通なら好むハツとかキモといった部類は絶対に口にしない。鶏肉もささみなら食べるのだが、噛んでも軟らかくならない皮の部分で特にチキン肌と呼ばれるプツプツが明らかな部位は目にするのも嫌である。食材に入っていたらどんな小さなものでもすべて取り除く。あれは出汁を取るためのもので、私にとっては食べものではない。

酷い肉食嫌いは、完全に学校給食が原因である。より正確に言えば、粗悪な食材を使った料理と不適切な指導にあった。輸入牛肉のない昭和期は肉自体が贅沢品であり、学校給食に導入するなら給食費を抑えるために質の低い肉を使う以外なかった。このためクズ肉・すじ肉が極めて多かった。まるで味がなくゴムを噛んでいるような肉ばかりで、子供心にも食べ物とは思えず全部吐き出した。豚汁に使われている豚肉は殆どが脂身で、口に含むと豚特有の脂の臭いが鼻まで上ってきてえづいた。しかし肉好きにとっては牛肉や豚肉はご馳走であり、好んで食べる子どもも確かに多かった。

学校給食は現在でも単純な昼ご飯ではなく、教育的意味合いが含まれている。食材を揃えて調理してくれた人々に感謝して頂くというのは現在でも通じるが、当時は学童個人の嗜好はもちろん体質的に受け入れないアレルギー食材ですらまったく考慮されなかった。出されたものは何でも食べるべきであり、好き嫌いを理由に食べ残すのは極めて行儀が悪いこととみなされた。小学校高学年時の担任教師は、すべての学童に食べ残したものを申告させて逐一ノートに記録する厳格振りだった。

牛肉嫌いを決定的なものとした忘れられない事件がある。その日の給食は、私の嫌いな豚汁だった。食器の中には青色に変色した肉片がいくつか入っていた。普通の肉ですら食べられないのにその青色はまるで洋服の切れ端のようで、とても食べ物とは思えなかった。いつものように私は「先生、温食残す」と言ったが、先生は現物を見ることもせず「もうちょっと食べなさい」と言うだけだった。

悪いことに、私の偏食振りを知っているいじめっ子が居た。先生が食べなさいと言うのだから、いじめっ子にとっては先生を味方につけたようなものだった。私はこの肉は腐っているから食べられないと言ったのだが、彼は先生が食べろと言っているのだから全部喰えと言って私の横で見張っていた。給食の後は昼休みなのだが、完全に食べ終わるまで私だけが見張られた。そのうち給食の食器などを片付けられないから早く食えと私に命令した。私は涙をポロポロ流しながら青く変色した肉を口にし無理やり飲み込んだのを覚えている。

この悪夢のような経験が数十年経った今も忘れられない。今では牛肉も豚肉も一応食べることは出来るが、噛んでも柔らかくならないゴムみたいな部位に出会うと当時の悪夢が思い出される。そういうすじ肉があれば迷わず吐き出しティッシュに包んでいる。野山でもたまにトンカツを出されるが、親の調理した料理でも嫌いな部位だったら申し訳ないけど即座に吐き出して捨てる。それは調理した親の責任ではなく、硬くて飲み込む以外に食べようがない不適切な食材を販売した側の責任である。
近年では筋切りなどの前処理が一般的になったせいか硬い部位に出会うことが少なくなった
《 野菜嫌い 》
更に昔から殆どすべての野菜が嫌いである。今では野菜摂取の有用性を認識しているから摂取しているだけで、好んで食べたいとは思わない。何故なら野菜には殆ど味が無いからである。そして長く続いた野菜嫌いも結局は好き嫌いを悪とみなし強制的に食べさせようとする周囲の誤った態度にあった。

今も忘れられないのは、従兄弟の家へ遊びに行ったときの祖父が好き嫌いに厳格だった点である。兄は比較的何でもよく食べたが、私は野菜が全然ダメだった。祖父は好き嫌いの多い私をなじり「野菜が嫌いなのは親の躾が悪いからだ」と決めつけた。だから従兄弟の家へ泊まりに行くのは好きだったが、食事のとき祖父に出会いたくなかった。特にお盆や正月はうちの親も居るので、好き嫌いを祖父になじられるのは親の顔に泥を塗るようなものだった。

こういうことがあるので、兄は祖父に竹とんぼを作ってもらったなど良い想い出が沢山ありながら私には嫌な思い出しかない。祖父は何も遺すこともなく早くに他界したので、今となってはどういう人柄だったのか知る由もない。ただ、学童から学生、社会人になっても私の野菜嫌いは全く変わらなかった。

現在は野菜を「特に好きではない」というレベルであり、どんな野菜でも一応は食べられる。癖のあるピーマンやセロリ(これはうちの家族の誰もが受け入れられないにもかかわらず)も問題なく食べられる。好きではないものの定期的に刻み野菜やプチトマトを買って食べている。野菜が必要なのは、繊維質が多いことと嵩高いにもかかわらず低カロリーであるということ、特にトマトには抗酸化作用が期待されるからである。時期にも依るがプチトマトは食べやすいし安価である。子どもの頃、無理やり食べさせられたトマトのスライスは青臭くて気持ち悪かった。それに比べれば現在のトマトは果物と言える位に甘い。

このように、今では栄養素に見るべきものがあり安価であれば食生活に取り入れる状況である。「いろんな野菜をバランス良く食べてビタミンを補給」というのはまやかしと考えている。現代は多くの食品にビタミンが添加されており、特定のビタミンが不足することはおよそ考えられない。もし必要ならビタミン剤を服用すれば良い。自然のものより吸収率が悪いにしても同じビタミンであることに変わりはなく、敢えて野菜から採る必要はない。

厚生労働省は一日に現代人が摂取すべき野菜の量を350g以上としているが、個人的にはまったく馬鹿げた話と斬って捨てている。今の日本でそれほどの野菜を毎日摂取できている現代人は居ない。誰もが達成できていない350gという目標値に何の意味があるのだろうか。私は野菜の消費拡大のために裏で関係者が働きかけているシナリオを疑っている。

気象の変動に由来して、近年は野菜が高くなった。数年前まではブロッコリーは大きめの一玉が98円程度で買えていた。今ではその3分の2くらいの大きさで税込み300円を超える。旬である筈の冬場でも安くならない。栄養素として魅力的な成分を含んでいようが、沢山生産できないから高くなっているのであり、早い話が奢侈品である。触感や味がたまらなく好きなど特別の理由があれば別として、それほど好きでないのならわざわざ高い野菜を買うのは無意味である。

野菜の話のついでながら、有機栽培された野菜に何の価値も感じない。農薬を一切使わず育てた純国産野菜という、ただそれだけのことで高値がついている。野菜の高級ブランド商品化である。私は農薬に関しては殆ど頓着しないので「葉の間にイモムシが潜んでいる有機栽培の野菜を食べる位なら、虫が一切寄りつかないほど農薬まみれな野菜を食べたい」と考えている。

母は野菜は国産で農薬も少なめであることをこだわる方であるが、その考えが揺らいだ出来事がある。かなり前のこと、ある夏場に大手スーパーで買ったブロッコリーを茹でようとまな板に載せたところ、生きた羽虫がゾロゾロ出てきたのである。
2010年夏のことであり現在ではこのような野菜が売られるような事態はまず起こらない


さすがにあり得ない話で、スーパーに申し出て返品した。これを目にした母は胸が悪くなってその後数ヶ月ブロッコリーが食べられなくなった。この出来事があってから添加物や農薬に関してあまり言わなくなった。農薬まみれと言ってもこの国では仮に野菜に残留していても、摂取して人体に悪影響を及ぼすより遙かに低いレベルの安全な農薬でなければ認可されない。これは野菜に限らず他の食品の添加物についても同様である。
《 飲み物の好き嫌い 》
好んで飲むものとそうでないものがかなり明白に分かれている。
【 乳飲料など 】
牛乳の味に慣れていて、まず牛乳そのものを好んで飲んでいる。一週間に1リットル入りの紙パック牛乳を2本消費している。これにはラクターゼ活性持続状態が今の年齢になっても続いていることも理由である。冷たい牛乳でもコップ一杯程度ならそのまま飲んでも平気である。

特に好むのは甘い系乳飲料と呼んでいる飲み物である。大抵は口当たりがソフトで甘く、着色料で見た目美味しそうな色をしていて香料でいい香りを出していて甘味には砂糖が使われている。


こういう飲み物は砂糖が大量に含まれカロリーも高く、継続的に飲み続けるのは身体に良くないと考えられている。何処かで飲むのを止めるべきだが、甘い飲み物が欲しいときがたまにあるため買い置きしている。飲む頻度は一ヶ月に2〜3回程度である。砂糖の弊害が考えられるので、毎朝のパンに添える飲み物ではスティックタイプのコーヒーなどをお湯で少量溶き、大量の牛乳を入れたものを飲んでいる。


この種の飲み物は代用糖を使うことで砂糖の含有量を減らしている。更に砂糖を減らすために無糖タイプのものを買って甘味は別に代用糖を少量足すことも行っている。この目的で液体タイプの代用糖とスティックタイプのもの(アスパルテーム)を利用している。
【 お茶 】
常用しているお茶はウーロン茶である。緑茶、ほうじ茶、番茶などお茶は殆どどれも同程度に好む。
小袋に入っていて急須に入れ熱湯を注ぐタイプのものを大袋で買っている。


毎朝起きたら電気ポットのスイッチを入れ、湧いたら急須に新しいウーロン茶を淹れるのが日課である。デスクの上には常に急須と湯飲みが置かれていていつでもすぐに飲める状態になっている。急須に一袋入れて一杯にお湯を注ぎ、半分くらいなくなったら3分の1くらいお湯を注いで飲むスタイルが定着している。緑茶やほうじ茶は淹れ立ては美味しいが、2度目は出涸らし感が強くなる。ウーロン茶はそれがあまり感じられない。

今のところ買い置きはウーロン茶のみである。緑茶や玄米茶も好きだが、カフェインの作用でトイレが近くなるのを避けるために家ではあまり飲まない。アパート時代は袋入りの緑茶を買い、茶筒に移し替えて使っていたこともある。味は良いが茶殻の処理が面倒で今はまったく買わない。お茶の種類はどれも好きで、夏場の水分補給目的で車に積んでいるペットボトルのお茶は、麦茶・緑茶など適当に混ぜている。

常時お茶を飲む習慣は、野山で暮らしていた時期からあった。現在では野山にはお茶を飲む習慣がないらしく、寄ってちょっと食事したときお茶がなくて困っている。私にとって食事のときお茶がない状態などまず考えられない。適宜飲むことで、現代人にとっては摂りすぎとなっている塩分の相対濃度を薄めることにも恐らく貢献している。前述の甘い系乳飲料を飲むと後口が悪くなるから、かならずお茶を飲む。
アルコール飲料
外で会合があって、歩いて帰宅するか宿泊するなど非常に限定された場面でしか呑まない。自宅にはアルコール飲料をいっさい置いておらず、一人で宅飲みする習慣もない。一般的にも健康面ではアルコール飲料を一切呑まないのがベストと考えている。しかし会合でおんにゃの子と話しながら雰囲気を愉しみつつ呑むのは好きである。このときお店だったらほぼ間違いなく甘くて色が綺麗で口当たりの良いカシスオレンジのような飲み物を注文する。アルコール飲料の害を深刻に考えていなかったアパート暮らし時代では、そういった缶チューハイを何本か買ってストックしていた。

野菜や肉類同様、アルコール飲料も一応は何でも呑むことはできる。日本酒、ウィスキー、ビールなど少しなら呑めるが、どれも積極的に呑もうとは全然思わない。夏の暑い日、お風呂で汗を流して風呂上がりにクィーと飲む一杯のビールがたまらないという現代人は多いが、私には絶対にあり得ない話である。ビールは苦くて臭く、全く奇特な飲み物に映る。学生時代からそう考えていたことを話すと、ビールは味わうのではなくのど越しを愉しむ飲み物だと教えられた。喉の奥をゴソゴソと刺激する感触を味わいながら飲むものらしい。しかし個人的にそれは不快な刺激としか感じられない。口に含む以上は苦みと香りがあり、それはコーヒーの苦みや香りとは全然異なり受け入れられない。

忘年会などの会合では「取りあえずビール」が一般化している。そのとき自分一人だけ別のものを注文すると時間がかかるし、そもそも取りあえずビールは一体感を確認するものなので自分もビールを注文する。そして乾杯したら口を付ける真似だけではなくちゃんと飲むし、グラスに注がれている分は飲み干す。ただしおかわりはしない。他のアルコール飲料を選択できるなら、最初からカシスオレンジのような甘い系を注文する。
【 炭酸飲料 】
のど越しを味わう飲料習慣がないことから、炭酸飲料も好んでは飲まない。
写真はある人から水分補給にと渡されたペットボトル入りのコーラ。


極端に喉が渇いたときなどは普通の水を飲むよりも早く渇きが取れるので、まったくたまに飲む程度である。わざわざ炭酸飲料を選ぶことはまずない。普通のジュースが半額シール付きで売られていれば迷わず買うが、炭酸飲料なら半額でも買わない。美味しそうなジュースでも炭酸飲料だったら買わずに諦める。果汁が僅かばかり入ったノンアルコール飲料は、アルコール飲料を模倣して炭酸が入っているものが多い。

炭酸からやや離れるが、外国産のミネラルウォーターをペットボトルに詰めたものが売られている。局長宅を訪ねたとき一度出してもらったのを飲んだ後、酷い下痢に見舞われている。口に含んだ途端、水道水とは極めて異なる違和感があったので恐らく身体に合わなかったか飲むときの固定観念が原因だろう。
《 近年の状況 》
・2023年8月末より今後は食材として市販されているハムやソーセージを買うのを一切止めることとした。
写真はある市販のソーセージの成分表。
成分表を撮影するために8月下旬に購入…これを消費した後は今後一切購入しない


前述のように食生活の中で肉類が含まれることが少ない。昔からソーセージは好きでよく食べていたので、これを肉の代替にしていた。以前から認識していたことだが、ハムやソーセージのような肉加工食品はIARC発がん性リスク一覧のグループ1(ヒトに対して発がん性がある)に分類されている。[1] 特に問題視するのは、これらの食品に含まれている発色剤(亜硝酸ナトリウム)である。

使われている量は微量で安全性を確認されているのだろうが、摂食頻度が高ければ決して安全とは言えない。結着剤や合成保存料は商品の製造や日持ちを良くするためという合理的な使用理由があるが、発色剤は単に見た目を美味しそうにする目的だけで慣習的に使われている。

発色剤の危険性は早くから問題視されていたため、見た目が悪くなっても安全性を優先して生協ではこの添加物を使わないソーセージなどを販売していた。かなり昔に購入したことがあったが、見た目はそれほど悪くはなく味は通常品とまったく変わらなかった。ただし価格は添加物を使ったソーセージの方が明白に安かったため、継続して購入するに至らなかった。

この記事の編集追記現時点で、発色剤を使わないハム・ソーセージは一般のスーパーではまったく売られていない。見た目より安全性に訴求すれば消費者ニーズを掘り起こせるものを、漫然と旧来の方法でこれらの加工食品を製造している大手メーカーは企業努力が足りていない。それ故にこの添加物を取り除いた製品が発売されるまで食材から追放する。

危険な発色剤が使われておらずハムやソーセージの代わりとなる別の食材(魚肉ソーセージやミートボールなど)を見つけたので、今後はハム・ソーセージの代替とする。ただし春雨サラダのようにカットされたハムが使われているものは量が少ないから除外する。また、外出先でバーベキューなどに呼ばれて食べるソーセージなども頻度が少ないから除く。
出典および編集追記:

1.「Wikipedia - IARC発がん性リスク一覧|グループ1

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